極彩色の恋

やらぎはら響

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 次の日は、奈夏の言葉に甘えて手ぶらで向かった。
 すっかり春の陽気になった空気は温かくて、歩いていると気持ちいい。
 今日もこっそりと家を出てきた。
 連日外に出かけているのはバレたら何を言われるか怖かったけれど、せめて奈夏の絵が完成するまでは傍で見たかった。
 あと少し、あと少しだからと言い聞かせながら緊張した気持ちで家を出れば、あとははやる気持ちを抑えて公園まで歩く。
 いつもの公園に来ると、桜は満開に少しだけ葉が混じり始めている。
 初めて見たときは六分咲きとまだ頼りない咲かせ方だったのに。
 もう少しで桜も終わるのかなと頭上を見上げながら公園のなかに入る。
 いつもの桜の木の前にブルーシートとキャンバスの置かれたイーゼルがある。
 ただいつもと違って、奈夏は絵を描いていなかった。
 レジャーシートに横になってこちらに頭を向けている。
 まさか具合が悪くなって倒れたのではと慌てて草履を鳴らしてレジャーシートへ歩み寄ると、だんだんと揚羽はそのスピードを緩めた。
 そして思わずシートのすぐ横に安堵してしゃがみ込む。

「よお、どうした急いで」

 仰向けに寝転がっている奈夏が陽気に声をかけてくるのに、揚羽は思わず半眼を向けてしまった。

「倒れてるのかと思った」
「はは、そりゃ悪い。休憩してたら乗ってきゃってさ」

 軽い調子の奈夏は仰向けに寝転がり、その胸に真っ白の子猫が腹ばいに乗っていた。
 鼻と耳のなかは綺麗なピンク色で、目はビー玉みたいに青く丸い。
 首輪は何もしていないので野良なのかどうか判別がつかなかった。

「野良猫なの?」
「たまにみかけたから多分ね」

 奈夏の長くしなやかな指先が猫の顎をくすぐると、くるるるると喉を鳴らして目を細めている。

「お前美人だなー」

 満足そうにしている子猫はすっかりリラックスしていた。

「かわいい」

 なんだか奈夏とのツーショットが絵になるな、と思った。
 大人の男が子猫と戯れている様子ははっきり言って可愛いと思ってしまった。
 揚羽は持っていないが、いまここにスマホがあったら間違いなくこの光景を撮っていたと思う。

「僕が触っても大丈夫かな」
「人懐こいから大丈夫なんじゃない」

 動物なんて間近で見るのは初めてで、撫でてみたいという欲求が沸き上がってくる。
 奈夏の後押しに、揚羽は着物の袂を左手で押さえながらそっと子猫に右手を伸ばした。

「あっ」

 けれど子猫はひらりとその手をかわして、にゃあんとひと鳴きすると身を翻して草木のあいだに逃げて行ってしまった。

「あぁ……」

 残念そうな声を上げてがくりと項垂れた揚羽の行き場のなくなった手を、ついと奈夏が手に取った。
そのまま自分のハーフアップにしてある艶やかな黒髪に導くと。

「俺なら撫でさせてやろっか?」

にっと不敵に笑って見せた。
その目がしんなりと細められる。

「ひええ!大丈夫です!」

 サラリと触れた髪の感触に、慌てて手を掴まれたまま揚羽はブンブンと首を振った。
 人の髪になんて触ったのは初めてで、どうしていいかわからず頬に血がのぼる。

「いい反応」

 くっくっと笑いながら奈夏が手を離すと、揚羽はそれこそ猫のようにシャッと手を引っ込めた。

「その反応傷つくなー」
「ええ!」

 わざとらしい言い分にさらに慌てると。

「うそうそ」

 にひと笑って奈夏が腹筋の力だけで上体を起き上がらせた。

「さて描くか。もう少しで仕上がり」

 立ち上がってキャンバスに向かった奈夏の後ろ姿を見て、もう会えなくなるのかと揚羽はしょんぼりと肩を落とした。
もっと一緒にいたい。
もっと色んな絵が見たい。
そう思ったけれどそれは許されない事だとわかっているので、せめて奈夏の顔と絵を真剣に見上げた。
焼き付けるように。
けれどそれも終わりが来る。
二時間もした頃、キャンバスから筆を離して一通り絵を眺めると、奈夏は満足気に頷いた。

「これで仕上がり」
「わあ」

 揚羽が感嘆の声を上げる。
 出来上がった絵は最初に見た時よりも色も密度も凝縮されて圧倒的だった。
太くて力強い幹、そこからピンク色と一言では表せない多彩な重ね塗りで表された花びらたち。
スケッチの時から見てきたが、まったく違う絵になったことに、揚羽は凄い凄いとはしゃいだ声を上げた。

「うーんなかなかの出来かな」

 自画自賛で笑いながら絵の具を箱に片付けはじめた奈夏を見て、揚羽は輝かせていた目を陰らせた。
これで奈夏がここに来る理由は無くなる。

(もう、会えないのかな)

 奈夏は次期当主だ。
 今は時間があるのかもしれないが、当主になってしまえば末端の家の軟禁されている自分とは会うことなどなくなるだろう。

(寂しい)

 絵の具をあらかた片付けた奈夏が、揚羽の方へと向くと。

「もう少し話したいから、これからも会いたいんだけど」

どう?と小首を傾げてみせる奈夏に。

「ほ、ほんとうっ?」

 勢い込んで尋ねると。

「嘘言ってどうするんだよ」

 おかしそうに笑われた。

(嬉しい!)

 こんなふうに言ってもらえたのは初めてで、そして何より自分だけではなかったのだと思い揚羽は頬を紅潮させて口元をふにゃりと笑わせた。
 両手は小さく握り込んでガッツポーズだ。

「じゃあ連絡先」
「いたぞ!あそこだ!」

 奈夏の言葉を男の大きな声が遮った。
 なんだろうとそちらを見れば、黒いスーツを着た男が二人こちらへと走ってくる。
 揚羽は一気に血の気が引くのを感じた。
 隣では奈夏が訝し気に近づいてくる男達を見ている。
 彼らは揚羽の父親の付き人だった。
 家にいないのがバレて探しに来たのだろう。

「揚羽?」

 カタカタと震えて口元を押さえた揚羽の様子に奈夏が顔を覗き込んできたが、一歩後ずさる。
 レジャーシートがクシャリと皺を作った。
 あの男達に連れ戻されるのはかまわない。
 どうせ帰る場所などそこしかないのだから。
 ただ、自分の現状を奈夏には絶対に知られたくないと思った。
この場から逃げ出したいと震える足を叱咤して慌てて草履を履こうとすると、男達がレジャーシートを踏みつけて近づいてきた。

「探しましたよ。さあ、戻ってください」
「はい……」

 震える唇で答えると、横からまるで揚羽を守るように奈夏が半身を男達とのあいだに割り込ませた。

「何?あんたら」
「いいから、大丈夫だから!」

 睨みつけるような奈夏の眼差しはまるで肉食獣のようで男達がひるんだが、揚羽は奈夏のツナギの袖を引っ張って青い顔でふるふると頭を振った。

「迎えが来ただけだから」
「迎えって」

 納得していなさそうな奈夏にもう一度首を振ると、嘆息して体を引いて道を開けてくれた。

「行くぞ」

 威圧的な男の声に小さく頷くと、少しでも早くこの場を離れたくて急いで草履を履き早足で歩き出した。
 一瞬だけ肩越しに小さく振り返った先では奈夏がじっとこちらを見ていて。

(せっかくこれからも会いたいって言ってくれたのに)

 涙がじわじわと滲んだのを誤魔化すように俯いて瞬きをした。
 奈夏と個人的に知り合いだと父親に言えば会わせてくれるだろう。
 けれどそんなことはしたくないし、奈夏だって嫌に決まっている。
 また会えるだろうかと思いながら、揚羽は家へと連れて帰られた。
 屋敷に着くと揚羽は息つく間もなく父のいる座敷へと引き立てられた。
座敷に入るなり、バシンと頬を張られ畳の上へと倒れ込む。
 痛みでジンジンと頬の腫れる感触に、涙が滲んだ。

「連日出かけていたそうだな。家にいろと言ったはずだ」
「ご、めんなさい」

父親の冷えた声に、ぶるりと肩が震える。
絞まっているように苦しい喉奥からなんとか謝罪を口にした。
 けれどそれで気が済むはずもなく下げずむような目で揚羽を見下ろしたあと、父親が声を上げた。

「アルファを集めろ!」

 その言葉に揚羽が不思議そうに顔を上げた。
 アルファを集めたって、発情期はまだ先だ。
 そう思った揚羽の表情を見て、父親はにやりと醜悪な笑みを浮かべた。
 父親の背後の襖が開いたかと思うとぞろぞろと、見慣れた者からそうでない者までおそらくアルファだろう男達が入って来る。
 彼らから距離を取ろうと、ずりずりと畳の上を後ずさるけれど父親にガシリと腕を掴まれた。

「発情促進剤を使う」

 その言葉に揚羽はひゅっと喉を鳴らして青ざめた。
 けれどそんな息子の顔など見ていないのだろう。
 父親は掴んでいた揚羽の腕をブンと振って男達の方へと投げ捨てた。
 そして冷徹な声。

「孕むまで犯せ」

揚羽の泣き叫ぶ声が、屋敷に響き渡たっ
ていった。
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