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4話 婆ちゃんとは違う

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 夕方の赤い光のなか商店街の先にあるスーパーに向けて烈はのんびり歩いていた。
 冷たい風に鼻がツンと痛くなる。
 商店街に近いスーパーは、いわゆる高級スーパーだ。
 どの商品もブランドものや珍しい輸入調味料などちょっと値段の張るものばかり並んでいる。
 庶民的なスーパーはさらに離れたところにあるから、ここら辺の人は高級スーパーに行く人か商店街に行くかで分かれている。
 烈は完全に商店街派だけれど、珍しいものもある高級スーパーを眺めに行くのがたまの楽しみだったりする。
 買うのは厳しいけれど、見るだけならいいだろう。
 たまに奮発して買うことだってある。
 今日は散歩気分でスーパーへと向かっていた。
 コンビニの前に差し掛かり、肉まんの新商品についてののぼりが目に入った。
 何味なんだろうと、思わず足を止める。

「烈君」

 名前を呼ばれて、この声は知臣だなと気づいて振り返った。
 予想通りの人物が、けれどいつもとはまったく違う服装で立っていた。
 いつもはラフな服装の知臣が、綺麗な形をしている黒のロングコートを着ている。
 ロングコートから覗く服装もカッチリとしたシャツが見えていた。
 何より普段はサラリと下ろしている前髪が真ん中で分けられてセットされている。
 いつもは見えない綺麗な額が露わになっていて、顔の綺麗さが際立っていた。
 まったく見慣れない外見に、ドキリとしてしまう。
 知臣は烈のそんな様子には気づいた様子もなく、コンビニから出てきたらしいそのままに目の前まで歩いてきた。

「珍しいね、こんなところにいるなんて」

 店の外で会うのははじめてだった。

「この先のスーパーが品揃えが面白くて、たまに見に来るんです」

目の前まで来た知臣の服装は、近くで見ると仕立てがとてもいいと素人目にもわかるものだった。

「そんなカッチリした服装はじめて見ました」

 いつもはシャツやセーターにアウター、たまにジャケット型のコートという服装なので今日は普段とかなり違う。
 足元もピカピカの革靴だ。
 ハッキリ言って普段が穏やかなお兄さんという風体に対して、とても色気のある大人の男という雰囲気に烈は何だか落ち着かない気分になってしまう。

「今日はこれからホテルで演奏なんだ。水を買ってたところ」
「あ、言ってましたね、友達のホテルで弾いてるって」

 凄いパワーワードに驚いた記憶がある。
 改めて知臣を見ても、普段より艶やかさがあり烈は気を抜けば見惚れてしまいそうだった。

「なんか、いつもと違うから吃驚しました」

 ほんのり頬を染めると知臣はにっこりと微笑んだ。
 着飾った状態でそんな表情をされたら目に眩しすぎるとひるんでしまう。

「おかしくないかな?」
「全然!凄く素敵です。スーツとかそういうちゃんとした服は縁がないものだから、物珍しいです」
「烈君はスーツなんかは着ないのかな?」

 知臣に尋ねられて、烈は苦笑した。
 しがない個人経営のカフェの店主にそんなものを着る機会はない。

「専門学校の卒業式に間に合わせのものを着たくらいです」

 祖母がちゃんとしたものを買おうと言ってくれたけれど、頑なに固辞して適当に自分で買ったのだ。
 嘆く祖母をまあまあと宥めた思い出が蘇る。

「ふうん」

 じっと知臣が見つめてくるので落ち着かなくなり、何か言おうと口を開きかけたらトンと着ていたシャツの鎖骨辺りを指で触れられた。
 何だと驚くと、知臣が一歩近づき顔を覗き込まれる。

「ネクタイ似合うと思うけどな」

 何だかいつもより色気が多分にある。
 顔が熱くなり脳内でひええと悲鳴を上げた。
 どう反応すればいいんだとぎこちなく知臣の手を見下ろして、気づく。

「知臣さんて手も指も綺麗ですね」

 荒れた個所などひとつもなく滑らかで手入れが行き届いているのがよくわかる。

「そう?」

 知臣が手を引いたことにホッとする。
 しげしげと自分の手を見下ろす知臣に烈は頷いた。

「そうですよ、やっぱりピアニストだからですか?」
「まあ爪の手入れとハンドクリームは塗るかな」

 男の手が綺麗だなんて思ったのははじめてだった。
 烈は手入れなんてしたことがない。
 関心していると、知臣の優美な右手が烈の手をそっと取った。

「烈君も綺麗だよ」
「へ?俺は手入れなんてしてませんよ。それどころか水仕事でガサガサだし」

 言っていて手を取られているのが恥ずかしくなってきた。
 知臣の手から引き抜こうとすると、きゅっと握られてしまう。
 寒い冬の空気のなか、右手だけがじんわりと温かい。

「美味しいものを生み出す働き者の手だよ。凄く素敵だ」

 カアッと頬が熱くなるのを感じた。
 そんなことを言ってもらえるような大層な手ではない。

「そんな……いや、爪だって深爪だし、ささくれとかあるし、お世辞なんていいですって」

 恥ずかしさで早口にまくしたてると、右手だけでなく左手も取られてしまった。
 両手をそれぞれ知臣の手に包まれてしまっている。

「お世辞じゃないよ、この手でいろんなもの作り出してるんだ。深爪でささくれがあったって、僕は烈君の手は綺麗だと思うし好きだよ」

 青い瞳がまっすぐに見つめて告げるのに、烈はこれ以上ないくらい真っ赤になってしまっていた。
 パクパクと何かいわなければと口を動かすけれど、何も言葉が出てこない。

「ああでも、荒れたりしたら痛いよね」

 言うなり烈の手を離して知臣が自分のコートのポケットに手を入れる。
 取り出したのは、小さめの丸いケースだった。
 透明なその中には白いクリームのようなものが入っている。

「はいこれ」
「これは?」

 差し出されたそれに烈は首を傾げた。

「僕が使ってるハンドクリーム。小分けにしてる分だから少しだけど」
「え!そんなの貰うわけにはいかないです」
「家に帰れば沢山あるから」

 言いながら知臣はケースの蓋を開けると、クリームを指先ですくい取った。
 烈の手を再び手に取ると、そのクリームを塗りこんでいく。

「こうやって寝る前に塗るだけでも違うと思うから」

 知臣の大きな手がマッサージをするように烈の手を撫でる。
 長い指と温かい手は滑らかな触り心地だ。

(婆ちゃんと全然違う)

 烈の知っている手は祖母だけだ。
 ハンドクリームを塗り終わると、蓋を閉めたケースを知臣は烈に握らせた。

「それじゃあ時間だから」

 あっさりと離れた知臣に、烈は慌てて声をかけた。

「が、頑張ってください!」
「ありがとう」

 瞳を細めて微笑むと、知臣は颯爽と歩き去って行ってしまった。
 右手の中のケースを思わずじっと見てしまう。

「吃驚した……」

 左手で、先ほど知臣が触れた右手をそっと触る。

「婆ちゃん以外でこんなに触ったの、はじめてだ……」

 祖母の手は細くて折れそうだったのに、知臣の手は握る力も加減していても力強さを感じた。
 指先はピアニストだから固いのに、手の平はすべらかで。

「うわっなんかめちゃくちゃ恥ずかしい……」

 改めて思い出すと頬がまた熱くなる。

「あーもう」

 知臣の感触がまだ残っている手で、顔の熱さをごまかすように頬を隠した。

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