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3話 衝撃の事実

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 客がいる店内は静けさに満ちていた。
 客は一人だけ。
 カウンターに座って、真剣な顔をしている知臣だ。
 今日は三日に一度のおやつを食べてもいい日なので、彼は真剣にメニューを悩んでいる最中だ。
 約束通りおやつを三日に一度にしか頼まなくなったので、烈はほっとしている。
 糖尿病予備軍を断固阻止の心構えだ。

「ううん……チーズケーキにしようかな」
「はい、ほうじ茶ラテのホットとチーズケーキですね」

 確認すると笑顔でうんと頷かれた。
 メニューを回収させてもらう。

「今日はおやつの日だったから楽しみにしてたんだ」
「悩んでましたもんね」
「烈君の作るものは美味しいから。そういえば、ここはおやつだけで食事は出さないんだね」

 このカフェは飲み物とデザート数種のシンプルで素朴なカフェだ。
 一応店を開いたときにランチくらいはしてもいいのではとは悩んだ。
 当初を思い出して烈は苦笑した。

「見栄えのいい料理は苦手で……基本茶色なんですよね、俺の料理って」

 祖母に習ったのは煮物や炒め物が中心で、それを食べて育った。
 そのせいかいまいち他のカフェで出されるような見栄え重視の料理が思いつかないのだ。
 さすがに煮物をカフェで出すのはどうかと思い、料理は全面撤廃した経緯がある。

「美味しそうだけどな」

 知臣は何でも好意的に受け取ってくれる。
 いつも朝来ては一時間ほど話して帰っていく。
 客の一人なだけのはずなのに、今じゃ一番会話している人だと思う。
 祖母が亡くなって一年。
 実は結構寂しかったのに不思議だった。
 店休日が残念に思ってしまう程度には、会うのが楽しみになっている。

「料理はお婆さんに教わったの?」
「そうですね。手仕事が好きな人だったんですよ。俺はそれをお手伝いするのが好きでした。はいどうぞ」

 準備したほうじ茶ラテとチーズケーキを知臣の前に出すと、ありがとうとにこりと微笑まれた。

「それじゃあお婆さん嬉しかっただろうね。色々と教えてもらったんじゃない?」
「そうなんですよ。手書きのノートとかも、わざわざ書いてくれたりしたんです」

 何冊もあるノートには祖母のレシピだけでなく掃除や裁縫などの家事についても沢山書き記されている。
 あれがあったから亡くなったあとも、何とか寂しさをこらえてやってこれた。
 懐かしさを感じていると、知臣がふっと思わずといったように柔らかく笑みを零した。

「どこも一緒だ」
「知臣さんはお爺さんに可愛がられてたんでしたっけ。何か教え込まれたんですか?」
「ピアノだね」
「ピアノ!」

 思わぬ単語に声が大きくなってしまって、ハッと口元に手を当てた。
 それでも楽器を演奏する人なんて身近にいなかったので、尊敬の目で見てしまう。

「弾けるんですか?凄い」

 興奮を隠せない口調になってしまい、知臣がクスクスとおかしげに笑う。

「祖父が音楽が好きな人だったんだ。仕事以外の時間はずっと楽器を触るか音楽を聞いてたかな」
「影響受けました?」
「受けたよ。おかげでピアニストやってたんだ」
「えぇ!?凄い!え、あ、でもやってたって……」

 過去形の言い方に不穏なものを予測してしまった。
 怪我でもしたのかと、ちらりとフォークを持つ知臣の右手を見てしまう。

「ああ、怪我とかはしてないよ」

 知臣にあっさり否定してもらえたので、ほっと息を吐く。
 もしかして何か後遺症でもあるのかと心配してしまった。

「僕はアメリカで生まれ育ったんだけど」
「今日は衝撃の事実が多くて、驚きっぱなしです」

 まさかの帰国子女だった。
 クオーターとは聞いたけれど、海外在住だったとまでは予想していなかった。

「そこまで驚くことじゃないよ。ホテルなんかでピアノを弾いたり、コンサートの伴奏なんかをしてたんだ」
「うわあ、オシャレ」
「どんな感想なの」

 はは、と知臣が声に出して笑う。
 ピアニストなんて関わる機会が皆無だから、なんだか物珍しい。

「日本に今住んでるんですよね?それとも休暇中ですか?」
「日本に住んでるよ。けっこう旅から旅に近い生活で疲れたのと、人間関係に限界がきたんだ」
「人間関係」
「そう」

 ふ、と疲れたようにその青い瞳に憂いが浮かぶ。
 カップを持ち上げてこくりと一口喉を鳴らした。

「特に何かあったわけではないんだけど、けっこう人がむらが……寄ってくる方で」

 今あきらかに、むらがると言いかけた。
 カップをソーサーに戻したその顔は少し苦みを浮かべている。
 あまりいい思い出ではないらしい。

「向こうはグイグイ押してくる人が多くてさ、そっちにも疲れたんだ」
「疲れまくりじゃないですか」

 思った以上にお疲れのようだった。
 そりゃあ、ゆっくりしたくもなるだろう。

「そうなんだよ、それでのんびりしたくて日本に来たんだ。幸い働かなくても生活できるものだから」
「何それ今一瞬イラッとした」
「イラッとしないで」

 喉奥で笑う知臣に、思わずジト目を向けてしまった。
 口にした内容的にかなり余裕のある生活らしい。
 毎日通ってくる知臣は仕事をしている感じはなかったので、そういうことかと納得した。

「でもそれだとピアノやめちゃったんですか?」
「いや、好きだったし弾いてるよ。今も月に何度かの契約で友人のホテルで弾いてる」
「友人のホテル……凄いパワーワード出てきた」

 普通ホテルを所有している友人はそうそういない。
 もしかしたら知臣はかなりお金持ちの人なのだろうかと思った。

「まあとりあえず、そんな感じでのんびりしてるわけ」
「なんか優雅そう。だから毎日うちに来てたんですね。在宅なのかと思ってました」
「ピアニストでした」

 おどけた物言いに笑ってしまう。

「でもまあ、それならお爺さんもやめなかったこと喜んでくれますよ」
「だといいんだけどね。変わり者だったから」

 懐かしそうに細めた知臣の目はとても優し気だ。
 祖父への親愛や尊敬がよくわかる眼差しで、なんだか胸がほっこりする。

「大好きだったんですね」
「あー……まあ。恥ずかしいなこの年でお爺ちゃん子って」
「いいじゃないですか。俺は婆ちゃん子って胸張って言えますよ」

 腰に手を当てて胸を張ると、知臣がしんなりと瞳をたわめた。

「あの日看板に惹かれてお店に飛び込んでよかったよ」
「何です?いきなり」
「いや、お爺ちゃん子って結構笑われたことあるからさ」

 知臣の言葉に烈は鼻白んだ。
 人の大切にしているものを笑う精神が理解できない。
 そんな人に笑われるなんて、嫌な気持ちになっただろう。

「わざわざ人の好きなもの笑う奴なんて相手にしなきゃいいんですよ」

 ふんと力強く鼻を鳴らした。

「はは、逞しいな」
「そうでしょう。なんせ小さい頃は婆ちゃんを馬鹿にされたら相手を追いかけまわしてましたから」

 勝ち誇った顔でふふんと得意気に言うと、知臣が小さく噴き出した。
 何かがツボにハマったらしい。

「意外だ。烈君案外気が強いな」

 そう言われると何だか微妙な気持ちになる。
 もっと穏やかな人間だと思われていたのだろう。
 しかし実際の烈は結構、物事をハッキリ言う人間だった。

「あー……がっかりしました?」

 店の雰囲気的に穏やかさを心掛けていたけれど、イメージが崩れたのかもしれない。
 烈はわずかに眉尻を下げた。
 すっかり仲良くなった知臣に否定的に思われるのは嫌だなと、少し気持ちが沈む。
 さきほどまで胸を張っていたのが嘘のように弱気になってしまい、おそるおそる知臣に目線をむけた。
 パチリと目があった知臣の顔は通常通りでマイナスな感情は感じられない。
 少しほっとした瞬間、青い目が細められた。

「可愛い」
「なっ」

 いきなりの単語に声が詰まった。
 言われたことのない言葉に、動揺して頬が熱くなる。

「お、男に向かって可愛いとか」
「男だろうと可愛ければ可愛いって言うよ」

 いつのまにかチーズケーキを食べ終わった知臣が艶っぽく笑って、皿を見下ろした。
 その顔は一瞬前とは裏腹に子供のようなしゅんとうなだれた表情だ。

「あぁ……なくなっちゃった。また次の楽しみだな」
「そんな悲愴な声を出さなくても……」

 熱くなった頬をさりげなく手でこすってごまかすと、知臣がちょいと唇を尖らせた。
 残り少ないほうじ茶ラテのカップを持ち上げる。

「いいじゃないか、言いつけ守っていい子にしてるんだから」
「はいはい」

 思わず苦笑してしまう。
 知臣は立派な大人の男なのに、たまに子供っぽいところを見せてくる。
 うっかり可愛いなと思ったところでハッとした。

(俺も男相手に可愛いと思ってる!)

 大きな衝撃だ。
 自分で男に可愛いなんてと苦言を呈したのに。
 それどころか、よく考えたらはじめての頃から可愛いと思っていなかったかと自問自答。
 結論としては、思いまくっていた記憶がある。
 これは何だかおかしくないかとおそるおそる知臣を見れば、カップを口につけたあとににっこりと微笑まれた。
 慌ててパッと顔を背ける。
 自分の無意識の考えに、これは深堀しない方がいいと脳内で警報が鳴っている。
 それに従って、烈は知臣を可愛く思うことなんて気づかなったことにしようと、見ないふりした。
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