ヒリキなぼくと

きなり

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仲間なぼくと居場所と佐伯母

ぼくたちが受けてきたことの名前

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 これから横浜にという話になった。キングスクエアって、横浜だよね。どのくらいかかるんだろう。スマホで検索していた時、先生が急に言った。 

「どうしても、これだけは言っておかなくちゃいけないことがあるんだ。佐伯くんが受け続けてきた暴力についてだ」 
 
 いきなり真剣な目で言い始めたからびっくりした。暴力か…。嫌な言葉だ。でも、この急いでいる時に話すことなの、かな。

「ぼくは、大学でそういうことを研究しているんだ。君たちから聞いてわかったことをきちんと言葉にして、きちんと理解しなきゃいけないと思うようになった。じゃないと、だから、ここでその話をしたいと思う」

 なんだか大ごとになってきている。先生の言い方は、塾で受ける授業みたいだった。

「暴力は、自分を無力で何もできない人間だと認識させるんだ。佐伯くんが受けていた肉体的な暴力、ひびきのネグレクトに近い精神的な暴力、どんな暴力も受けていた人の心や肉体を破壊できる。無力化する。つまり何をしたってダメだって気になってしまう」

 ぼく…も? 佐伯だけじゃなくて? ぼくも虐待されていたってこと? ちょっとびっくりした。アレにいい学校行けと言われてるし、まあご飯もほとんどレンチンだけど、これが虐待…なのか? こういう状態について、名前があるんだ。知らなかった。ネグレクトって何だろう。先生に聞いてみる。

「放任ってことかな。つまり助けなきゃいけない相手を助けないで、ほうっておくってことだ。けど、ひびきの場合、お母さんは学校や塾に関して、一応連絡してるし。軽いネグレクトと軽いモラハラってとこだな。あ、モラハラは、言葉や態度の虐待ってことね」

 モラハラ。ネグレクト。あまり聞いたことがない言葉だけど、自分がされてきたこと、なのか。自分のこととして考えると、あまり実感がもてない。でも、そういう言葉にされると、そうなんだと実感はできるような気がした。

「ひびきが軽いと言ったのは、完全なネグレクトの場合、ご飯の用意もしないし、お風呂も入れない。学校にも行かせない」

 何だ、それ。そんなことってあるのか。あ、でも佐伯はそうだよね。だって洋服とかもほとんどないし。それに比べれば、アレはましってことなのか。けれど、そこにいるぼくにとっては重い。簡単に軽いとは言いきれない。

「あ、あと教育的な虐待ってのもあるな。当事者の意思に関係なく、強制的に勉強させるっていう。おれも親から強制的に勉強させられていたから、教育的な虐待の被害者かな」

 ああ、それだ。ぼくがここ数年受けてきたのは、これ。初めて自分が受けてきたことが、一つの言葉になって、ぼくに流れ込んでくる。あの正体は…。だから、自分のヒリキや無力を実感していたのか。名前がわかった。すると、なぜだか気持ちがすっとした。

先生もそうなんだ。

「二人がそうだとして、これからどうなるんですか? どうすればいいんですか?」

 光岡も真剣な顔をして、聞いている。

「暴力の連鎖という言葉を知ってる?」

 さっき思った『つながってる』と思った答えは、このことなのか。光岡は「知りません」と答えた。

「暴力を受けた人は、他の人に暴力で返す人が多いんだ。自分が無力じゃないと思いたくて、暴力をふるう。偉いって思いたいんだ。専門用語で言えば、認知能力のゆがみってやつ。わかるかな。自分の心の傷を人になすりつけて、なかったことにしたがるんだ」

「親父を殺したい」と佐伯が言ったことを思い出した。そして、時々怖い目をする佐伯。あれは、そういう意味を持った行動なのか。

 じゃあ、ぼくも大人になったら、子どもに勉強させて、いい学校に行かすことだけを考えるような大人になるのかな。それは嫌だ。

「その傷は根本的には治らない。特に感情面では、難しいと思う」

 急に佐伯は立ち上がった。

「じゃあ、おれは、おれは、親父みたいになるってことなんですか!」

 佐伯は、絶叫した。びっくりした。店にいる人たちがいっせいにこちらをふりむいた。店員さんが「お客様のご迷惑に…」と言ってきた。

 すみません。気をつけます。だけど、周りに気をつかう余裕なんてないです。佐伯にしてみれば、一番嫌っているお父さんと同じようになるのは耐えがたいんだ。ぼくも母親のようになりたくない。先生は、冷静に言葉を続けた。

「それを決めるのは、これからの佐伯くんの考え方次第だな。これから自分の感情や心をきちんと見る訓練を受ける必要はあるね。自分が受けてきた暴力を感情的にではなく、客観的に見る。そして、心の中にある色々な気持ちをきちんと言葉にして、自分を受け止めるってことが大切なんだ」

「そうすれば、親父みたいにならないってことですか」

 佐伯は、ふりしぼるような声を出した。先生は首を横にふった。

「それはわからない。傷はどこかに残る。きちんと暴力を理解して、断ち切っていく必要があるんだ。そのために今、自分やひびき、光岡さんが、手助けしているんだ。大丈夫。ずっとサポートしていくから。そう決心した。ひびきが言ったように居場所はここにあるよ」

 先生は、真剣な顔で佐伯を見つめた。もう一度、改めて決心する。佐伯を助けていく。簡単じゃないと思う。どのくらいかかるんだろう。わからない。

 ぼくは、ヒリキで無力かもしれないけど、ぼくとつながっている人たちのくさりを外そう。そして、ぼく自身のくさりも。

「がん、ばります」

 先生が首を横に振った。

「がんばらなくていいんだよ。心の暴力という装置を外すには、断ち切るのではなく、客観的に見て、抜けることが必要なんだ。違う方法を見つけるんだ。これには時間がかかる。治ったと思っても急に行動に出ることもある。一つずつ考えていこう。時間はたっぷりあるんだから」

 そっか、心の傷をいやすって、簡単なことじゃないんだ。原因を取りのぞいて、問題を解決したら、全部がOKってわけじゃないのか。だよね。もしアレが変わって、光岡のお母さんみたいになったら、許せるかな。…無理、だな。佐伯なんて、きっとぼくより難しいに違いない。これから先、心の中にくさりがひっかかり続けるのかもしれない。どうすればいいんだろう。

 人って、人の心って複雑だ。ふと母親が酔っぱらった時のことを思い出す。嫌な人だけど、あの時、すごく弱い人のように感じた。人って、色々な面があるのかもしれない。

 ぼくがクールだって思われていたことも、きっとそうなんだ。佐伯だって、光岡だって、先生だって、きっとそう。自分に何ができるのだろうか。できることがまだわからない。けれど、少しずつ探していくことぐらいはできるはず。そう思うしかなかった。

「少しずつだ。ゆっくりでいいから」

 ぼくと光岡はうなずいた。佐伯は、まだぼう然としている。

 先生が立ち上がった。

「じゃあ行くか、キングスクエア。レッツらゴーだ」

 レッツらゴーって…。何だ。聞いたことないぞ。光岡と二人でつっこんだ。

 ぼくたちも笑いながら、立ち上がった。佐伯もぎこちないけど、やっと笑った。

 笑えるってことは、余裕があるってことだ。よかった。心から思った。

     ◇   ◇

 車に乗り込むと、どっと力が抜けた。

 少しずつ何が必要なのかが、わかってきたのかも。まだよくわからないところもあるけど…。今までの人生の中で、一番中身が濃い3日間な、気がする。

 ずっとつらいと思っていた原因に名前があると知った。そして、同じ場所に佐伯と立っている。仲間がいる。それだけでなんだかやっていけそうな気がした。

 甲府からまた横浜まで高速で行く。一度、下道に下りる。めまぐるしい。

 佐伯と光岡は寝てしまった。つかれたんだな。先生は危ない運転、言いすぎた。慣れない運転をしながら、ぼくたちに付き合ってくれる。寝られない。それに、今、言っておかなきゃ。

「先生、ありがとう。お金も時間もかけさせちゃって、ごめんなさい」

 本来、先生がぼくたちの面倒をみる必要はない。でも助けてくれた。ありがたかった。

「ひびき、本来このことは、まわりの大人がやるべきことなんだ。それをやってない。だから、おれはその人たちの代わりをしているだけなんだよ」
と、言った。

わかる、かも。けれど、言葉で言うほど、簡単なことではないと思う。

「それに、楽しくってさ」

 楽しい? こんな大変なことが? ぼくが目をむいていると、続けて言った。

「小学生の時、友だちがいなくってね。ひびきと似ている状況だったんだよ。親はいい学校に行かせることしか考えてないしさ。逃げるのが大変だった。だからさ。今は、大人の知識はあるし、お金もそこそこある。小学生に戻って、ひどい大人とたたかって、佐伯くんを守るのは、小学生時代の自分へのリベンジみたいなものかな」

 自分へのリベンジって何だろう。確かリベンジの意味は、仕返しや復讐って意味。先生は、誰にリベンジしたいんだろう。

「ひびきに声をかけて、ほんの2週間だ。たったそれだけの時間なんだけど、な。だけど、おれも仲間なんじゃないかなって勘違いしそうになるよ。おれはもう成人しちゃってるけどさ。なんだか小学生に戻って、冒険してる気分なんだ。自分の経験や勉強が君たちの役に立って、サポートできる大人になったのが、むしょうに嬉しいんだ。だから、お礼はいらないんだよ」

 ふと、光岡が佐伯を助ける理由について聞いてきたことを思い出した。先生は過去の自分にリベンジをしたい。光岡は正義感から。じゃあ、ぼくはどう思って、手伝っているんだろうか。佐伯をほうっておけないだけじゃないのかもしれない、たぶん。

「今の学部に入ったのも、自分みたいな子どもをサポートしたいって思ったからなんだけどね。だから本望。親? 自分の思いどおりにならないってあきらめたみたいだけどね」

 先生が、教育学部だということをこのドライブ中に知った。そういう勉強や仕事もいいなと、ちょっと思った。

「それじゃあ、4ばかですね」と言ったら、「仲間入りさせてくれるんだ」と、先生が嬉しそうに言った。

「塾でひびきを見ていて、どこかアンバランスだなって、ずっと思ってたんだ。色々な知識があって、頭もいい。でも、表情がね、なんだかさみしそうで心配だったんだ」

「そう、なんですか」

 自分では全然気がつかなかった。

「そっ。やることはそつなくこなすんだけど、冷めているっていうか表情がなくってさ。だから『MIYA』で見かけた時、こんな表情をするんだと思って嬉しかった。さっきのけんかも、おっ、成長してるなって思ったよ」

 なんだか恥ずかしくなって「ありがとうございます」とだけつぶやいた。

「自分が成長している過程をもう一度見ているような気がするんだよね」

 ぼくは先生じゃないぞと思ったけど、言わなかった。先生がぼくの親だったら、よかったのにと思う。人生、やり直したいな。なんだかそう思ってしまった。

 先生は、それから何も言わず運転を続けた。ぼくもなんだか眠くなってきた。車から、ゆったりとした音楽が流れてきて、ぼくは目をつぶった。

 少しずつ夕闇が濃くなる中、車はじょじょに横浜へと進んでいった。
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