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ヒリキなぼくとプラモと小田切先生
ちょっとした勇気
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その日の塾の帰り、マルゴの前を通りかかった。すると、佐伯がこの間と同じ格好で弁当を食べているのが、目のはしで見えた。声をかけることにしてみる。
「今日の弁当、何?」
このごろ、なんとなく佐伯との関係が変わってきていた。
あの後、班学習があった。理科の電磁石の実験。エナメル線をストローで巻き付け、中に鉄くぎを入れる。磁力の差を学ぶ。コイルの巻数で磁力が変わる。もう結果はわかってる。とっくに塾で終わっている内容だ。実験とか観察をしなくても、理解している。
だけど、やらなきゃいけない。ぼくは班長でクラスメイトと協力しなければならない。ぼっちライフな自分にとって、これほど面倒くさいことはない。
問題は、巻き付ける時、エナメル線が折れ、ぐちゃぐちゃになってしまう。どうしてもきれいに巻けないのだ。やっぱり不器用なんだよな。こういう自分が、やっぱりプラモなんてできっこない。勉強できるぜキャラだけど、これは、な。
佐伯を見ると、けっこうきれいに巻けている。器用なんだな。ちょっとうらやましい。運動神経もいいし、自分とはすべて正反対。ぼくが不得意な部分が佐伯は得意だ。
佐伯は、ぼくを見て、コイルを見て、ぷっと吹いた。そして、言った。
「安心した。できないことあるんだな」
くっそ、腹立つわ。自分で考えられる最大に意地の悪い目でにらみ返してみた。
「悪い。けど、ほら、それで、磁力の差、わ、かるじゃん」
と、フォローし始めた。その必死な感じが面白くて、思わず吹いてしまった。すると、班のみんなも笑い始めた。
こんなに笑ったのは久しぶりかも。しゃくにさわるから言わないけど、クラスの中に溶けこんでいる感じがした。
それから、休み時間、ぼっちで塾の宿題に取り組んでいるぼくに、佐伯は声をかけてくるようになった。二人とも無口なタイプだから、そんなに話はしない。「次の授業は何だっけ」とか、そんな感じだ。けれど、クラスの中で、ちょっとだけでも話せるやつがいるっていうのは、思った以上に楽だった。不良だと思っていたことに、申し訳なさがつのる。そんな関係を心地いいなと思うようになっていった。
「おう」
そう言いながら、一心不乱で弁当を食べている。給食の時もそうだけど、ご飯を食べる時、佐伯はいつも必死で、目の前の食べ物しか見えていない。全集中しますって感じ。
「今日は、酢豚。半額で」
うまそう。今日は、節約のため、コンビニでカップラーメンだ。様々な路線が入り乱れる都会の根間駅前のコンビニには、半額弁当はなかなかお目にかからない。
「半額弁当って、あんまりないんだよね」
そう言うと、佐伯は目をむいた。
「半額弁当、食べるの?」
「…お金が必要でさ、節約しようかと。この間、半額弁当を教えてくれて、サンキュ」
「何で金が必要なの? 恵まれているやつでしょ、渋谷は」
佐伯は、不思議そうな顔をした。恵まれているって何さ。いやな気分だ。
「趣味のために必要になるかもしれなくてさ。そういうお金はもらえないし。こっそり貯めようかなって。家はさ、したいことをさせてくれないから」
お金には苦労してないかも。けどさ、普通の子どもが持っているものは、まったく持ってないんだよ。ゲームとかマンガとかさ。
「趣味って?」
言ってもいいのかな。笑われるかもと思うと、何も言えない。黙っていると、
「そっか、色々お前も大変なんだな」
と、佐伯が返した。あえて聞いてこなかった。「も」ってことは、佐伯も何かあるんだろうな。
「『も』って何さ?」
「おれは反対にさ、やりたくないことやらされてる」
ぼくの中学受験と一緒だ。
「何がいやなのさ」
「…柔道。投げ飛ばされている。格闘技は嫌いなんだ」
ああ、あのアザは、その時できたんだ。納得だ。悪かったな。つい聞いてしまった。
「じゃあ、何やりたいの?」
少し黙っていたけど、佐伯は顔を赤らめながら、口を開いた。
「やっぱり…ダンス、かな」
ちょっとかわいい。あの作文は本物だったんだ。正直にこたえてくれたのに、ぼくだけ黙っているのが悪いような気がした。
「『プラモしてみないか』って、言ってくれた人がいて、やってみたいけど、時間もないし、不器用だし。ちょっと迷ってるんだよね」
と、軽めに話してみる。
軽めなら傷つかない。笑われるかな。いっか。言いふらすことはなさそうだし。まあ、そういう仲間は、ぼくにも佐伯にもいないんだけどさ。
佐伯は、思いがけないことを口にした。
「お金ためてるってことは、やりたいってことじゃないのか? やってみれば? ああいう手先のことって、慣れだよ、慣れ。おれは、小さい時、お袋と工作遊びをたくさんしてたから器用なのかな。ダメなら止めればいいだけだし。挑戦することは悪くないよ」
案外、まじめに答えてくれた。佐伯に背中を押されたような気がした。
そうだな。いやなら、お金がなくなったら、向いてなかったら、やめればいいだけなんだ。それなら、まだ少し時間に余裕がある今なら、挑戦するのもありなのかもしれない。そう思えた。
◇ ◇
3日後の土曜日、塾の授業は午前中からみっちりつまっている。午後からは自由だ。いつもは自習室で勉強している。小田切先生はこの日にしようと言ってくれた。
ぽつぽつと雨が降る中、安いハンバーガーだけ食べ、ショップに向かった。小田切先生とは一緒に行けない。他の生徒にバレると問題になるからだそうだ。立場的にヒイキしているというウワサになりたくないらしい。だったら、プラモをすすめなければいいのに。大人の立場は複雑だ。おそるおそるMIYAの扉を再び開けた。
「こんにちは」
店に入ると、宮野さんが出迎えてくれた。
「小田切くんから聞いているから、工作室にそのまま行きなさい」
「あの、お金なんですけど…」
足りるかな。今は、カップラーメンを食べたりして貯めた1500円しかない。宮野さんがにっこり笑った。
「子どもがお金の心配なんてしなくていいんだよ。初心者だしね。小田切くんも、最初はプラモ代しか払わなかったよ。さあ、入った、入った」
宮野さんにうながされ、工作室に向かった。
プシューと何か吹き飛ばす音と、ゴーッという何かの機械の低い音が工作室で鳴りひびいていた。えらく汚れているエプロンに手袋、マスクという重装備で小田切先生は、プラモに絵の具を吹きかけていた。
「よお」
小田切先生は、機械を止め、マスクを外した。そして、まるで友だちが遊びに来たかのように声をかけてくれた。
「お世話になります」
「仲間なんだから、そんなかたっくるしい言い方止めてくれ」と言った。
「そう言っても…」
「ここでは、プラモ仲間」
そう言っている間に、先生は床に置いてあった紙袋から箱を取り出し、机に置いた。
「プラモは、習うより慣れろだ。ストックしてあるやつを持ってきたから、選んで。ガンロボで大丈夫だよね。何か他に作りたいものある?」
先生も佐伯と同じことを言っている。そっか慣れか。小田切先生って優しいな。種類まで気にしてくれていた。ぼくは、「大丈夫です」と答え、とりあえず選んでみることにした。
ガンロボのプラモデルの箱が五つ、目の前にどんと積まれた。目移りする。どれがいいのかな。メイン機は見たことがある。けれど、その他は見たことのないものばかりだ。
「どれがいいんですかね」
先生にたずねた。できれば、簡単で作りやすいほうがいい。楽に作れるものを選びたい。ぼく的には、メイン機がわかりやすくていいのかも。
「自分が好きだと思うものを選ばないと、やりたくなくなるよ。一番かっこいい、作ってみたいと思うものが答えだ」
作ってみたいもの…。どれがいいんだろう。普通、メイン機だよね。他のもいいな。そう迷っていると、「部屋に飾りたいのは、どれ?」と聞かれた。
とっさに指さした。箱には、『ガンロボ 専用機ザン 144スケール』と書いてある。
箱のイラストには、目立つ真っ赤な色にどすんとした体形のプラモが描かれている。目立つ。ごつい。頭には、鬼みたいな角もついている。メイン機はスマートすぎて、機械っぽさが足りない。それに比べ、ザンは重厚な感じだ。気に入った。
「いい趣味してる」
先生は、にやっと笑って箱を開けた。
ザンの箱には、灰色、赤などの数種類の色のパーツが入っていた。
「とりあえずこの取り扱い説明書を見て、組み立ててみ。順番は書いてあるから」
へっ。先生が手伝ってくれるものだと思っていたので、少しあせった。手伝ってくれないの? つい顔を見てしまった。
「自分で考えて、工夫して作らなきゃ、楽しくないよ。とりあえずやってみて。隣で組み立てているから、わかんないことがあったら聞いて」
先生は、そう言うと、ニッパーという道具と組み立てたパーツを保存する袋を渡してくれた。ニッパーは歯の部分が短く太い、はさみみたいな道具だ。
このパーツを全部組み立てるの? 無理だろ。パーツは一体いくつあるんだろう。それだけ多い。とりあえず説明書を読む。写真も入っている。枠には、番号が入っていてわかりやすい。パーツごとに切り離して、組み合わせていけばいいのか。
「一つだけ。切り離す時、パーツぎりぎりだと、修復できないから、2~3ミリ残して切ってから、ヤスリで調整したほうがいいよ」
一度切り離したら、元には戻せないのか。そりゃそうだ。けど、そんなこともわからないぼくが、これを作れるのか。不安に思いながら、説明書にある順番のまま、ニッパーでパーツをゲートという枠から切り離す。ギリギリにしない。よしやってみるか。中側に切りすぎたかな。なんか白くなってる。どうしよう。いいや。やっちゃえ。パーツを一つひとつ切り離し、並べる。小さすぎて入れられない。指で押しこもうとしても、指がプルプルふるえる。少し大きいのかな。最初からざせつしている。ぼくは向いてないのかも。
先生を見ると、細い筆ペンみたいなのを使って、プラモの表面にていねいに色を入れていた。細かい作業だ。声をかけるのが、ためらわれる。
「どうした?」
ぼくの視線に気がついたのか、先生が声をかけてきた。
「穴、はまんない」
「貸してみ」
先生にパーツを渡すと、鉄の棒みたいなのを取り出した。そして、削り始めた。
「ちょっと大きかったみたいだね」
先生は組み立てず、パーツをぼくに戻した。
「こういうこともある。できないことも、いろいろ工夫して考えると、できるようになるから。本体と道具をよく観察して」
つきはなした言い方。さっきまでのフランクな感じではない。いつもの塾の感じだ。でも気にはならない。
けずってもらったパーツを穴に押しこんでみる。入った。嬉しい。
一つのことができたら、次に進む。勉強と一緒だ。違うのは、形がだんだん見えてくること。単純だけど、新しいことに挑戦するって大変で面倒くさいけど、面白い。
パーツが細かすぎる。これはハードルが高い。4時間で、どれだけできるのか。「挑戦するのも悪くない」と言った佐伯の顔が浮かんできた。すぐに不器用だということも時間もすっかり忘れ、没頭していった。
「きりのいいところで終わらせよう」
と、そう先生が言った時には、夕方5時をまわっていた。もうそんな時間なんだ。
窓から見える外の様子で、もう薄暗くなっていたことに気がついた。店内はいつの間にか明かりがついている。雨音もしない。空席だった隣には、知らないおじさんが作業をしていた。えっていう感じ。夢中で気がつきもしなかった。
大部分のパーツは切り離されている。あとはそれを組み立てていけば、完成できそう。道具と説明書と根気さえあれば、プラモデルはできる。それがわかった。もちろんショーケースに並ぶような塗装とか背景はできない。それでも、出来上がりつつある。なんかドキドキしてきた。
ちらっと見た先生のプラモは、緑のメタリックな塗装に、泥をつけたような汚れが表面に浮き出ていた。先生は、エアブラシをした後、何度も筆で色を重ねていた。こういう塗装になるのか。戦うガンロボって感じだ。ああいうのいいな。作ってみたい。まあ、今は無理だと思うけど。
「ありがとうございました」
帰りぎわにお礼を言った。時間もお金も使ってもらったのだから、スポンサーには礼をつくさねば。
「どうだった?」
先生は、手慣れた手つきでプラモを食器乾燥機にそっと入れている。
なんて返せばいいんだろう。「面白かった」という一言で片づけていいのか。
「うまくできなくて…」
つい素直に思ったことを口に出した。勉強であまり苦労したことはないけど、プラモは、なかなか上達しないだろうな。
「向いてないかなって」
「そんなことはどうでもいいんだ。要は気持ちさ。楽しかった?」
時間を忘れた。こんなに早く時間が進んだことはない。こくんとうなずいた。
「おれも、仲間が増えて楽しいよ」
と、言った。そっか。同じ気持ちなんだ。
今まで「できること」と「できないこと」で分けて、「できること」しかやってこなかった。そこに「好き」と「嫌い」があるんだ。そのうえで、「好きで、できないこと」から、逃げていたのかも。でも、「好きで、できないこと」って楽しい。できるようになる余地があるってことだ。そのことがわかった。そのことを知って、嬉しかった。
先生は、「そっか、楽しいのか」と、笑いながら、ぼくの頭をぐしゃぐしゃとかきまわし始めた。ちょっとうざい。同時に、認められたような気もして、なぜか胸がはずんだ。
◇ ◇
家に帰ると、いつも何も聞かない母親が、「遅かったわね。なんか変な化学薬品のにおいがする」と不審そうに言った。「電車の中でついたんじゃないかな」とだけ答えた。
ぎくり。たぶん、手についた接着剤のにおいだ。母親は少しけげんそうな顔をしていた。母親は、ぼく自身には関心がないくせに、ぼくの変化には気がつく時がある。
においを消すために、速攻風呂場に向かった。秘密は絶対に隠し通してやる。湯船に肩までつかって、不安な気持ちを沈めることにした。
「今日の弁当、何?」
このごろ、なんとなく佐伯との関係が変わってきていた。
あの後、班学習があった。理科の電磁石の実験。エナメル線をストローで巻き付け、中に鉄くぎを入れる。磁力の差を学ぶ。コイルの巻数で磁力が変わる。もう結果はわかってる。とっくに塾で終わっている内容だ。実験とか観察をしなくても、理解している。
だけど、やらなきゃいけない。ぼくは班長でクラスメイトと協力しなければならない。ぼっちライフな自分にとって、これほど面倒くさいことはない。
問題は、巻き付ける時、エナメル線が折れ、ぐちゃぐちゃになってしまう。どうしてもきれいに巻けないのだ。やっぱり不器用なんだよな。こういう自分が、やっぱりプラモなんてできっこない。勉強できるぜキャラだけど、これは、な。
佐伯を見ると、けっこうきれいに巻けている。器用なんだな。ちょっとうらやましい。運動神経もいいし、自分とはすべて正反対。ぼくが不得意な部分が佐伯は得意だ。
佐伯は、ぼくを見て、コイルを見て、ぷっと吹いた。そして、言った。
「安心した。できないことあるんだな」
くっそ、腹立つわ。自分で考えられる最大に意地の悪い目でにらみ返してみた。
「悪い。けど、ほら、それで、磁力の差、わ、かるじゃん」
と、フォローし始めた。その必死な感じが面白くて、思わず吹いてしまった。すると、班のみんなも笑い始めた。
こんなに笑ったのは久しぶりかも。しゃくにさわるから言わないけど、クラスの中に溶けこんでいる感じがした。
それから、休み時間、ぼっちで塾の宿題に取り組んでいるぼくに、佐伯は声をかけてくるようになった。二人とも無口なタイプだから、そんなに話はしない。「次の授業は何だっけ」とか、そんな感じだ。けれど、クラスの中で、ちょっとだけでも話せるやつがいるっていうのは、思った以上に楽だった。不良だと思っていたことに、申し訳なさがつのる。そんな関係を心地いいなと思うようになっていった。
「おう」
そう言いながら、一心不乱で弁当を食べている。給食の時もそうだけど、ご飯を食べる時、佐伯はいつも必死で、目の前の食べ物しか見えていない。全集中しますって感じ。
「今日は、酢豚。半額で」
うまそう。今日は、節約のため、コンビニでカップラーメンだ。様々な路線が入り乱れる都会の根間駅前のコンビニには、半額弁当はなかなかお目にかからない。
「半額弁当って、あんまりないんだよね」
そう言うと、佐伯は目をむいた。
「半額弁当、食べるの?」
「…お金が必要でさ、節約しようかと。この間、半額弁当を教えてくれて、サンキュ」
「何で金が必要なの? 恵まれているやつでしょ、渋谷は」
佐伯は、不思議そうな顔をした。恵まれているって何さ。いやな気分だ。
「趣味のために必要になるかもしれなくてさ。そういうお金はもらえないし。こっそり貯めようかなって。家はさ、したいことをさせてくれないから」
お金には苦労してないかも。けどさ、普通の子どもが持っているものは、まったく持ってないんだよ。ゲームとかマンガとかさ。
「趣味って?」
言ってもいいのかな。笑われるかもと思うと、何も言えない。黙っていると、
「そっか、色々お前も大変なんだな」
と、佐伯が返した。あえて聞いてこなかった。「も」ってことは、佐伯も何かあるんだろうな。
「『も』って何さ?」
「おれは反対にさ、やりたくないことやらされてる」
ぼくの中学受験と一緒だ。
「何がいやなのさ」
「…柔道。投げ飛ばされている。格闘技は嫌いなんだ」
ああ、あのアザは、その時できたんだ。納得だ。悪かったな。つい聞いてしまった。
「じゃあ、何やりたいの?」
少し黙っていたけど、佐伯は顔を赤らめながら、口を開いた。
「やっぱり…ダンス、かな」
ちょっとかわいい。あの作文は本物だったんだ。正直にこたえてくれたのに、ぼくだけ黙っているのが悪いような気がした。
「『プラモしてみないか』って、言ってくれた人がいて、やってみたいけど、時間もないし、不器用だし。ちょっと迷ってるんだよね」
と、軽めに話してみる。
軽めなら傷つかない。笑われるかな。いっか。言いふらすことはなさそうだし。まあ、そういう仲間は、ぼくにも佐伯にもいないんだけどさ。
佐伯は、思いがけないことを口にした。
「お金ためてるってことは、やりたいってことじゃないのか? やってみれば? ああいう手先のことって、慣れだよ、慣れ。おれは、小さい時、お袋と工作遊びをたくさんしてたから器用なのかな。ダメなら止めればいいだけだし。挑戦することは悪くないよ」
案外、まじめに答えてくれた。佐伯に背中を押されたような気がした。
そうだな。いやなら、お金がなくなったら、向いてなかったら、やめればいいだけなんだ。それなら、まだ少し時間に余裕がある今なら、挑戦するのもありなのかもしれない。そう思えた。
◇ ◇
3日後の土曜日、塾の授業は午前中からみっちりつまっている。午後からは自由だ。いつもは自習室で勉強している。小田切先生はこの日にしようと言ってくれた。
ぽつぽつと雨が降る中、安いハンバーガーだけ食べ、ショップに向かった。小田切先生とは一緒に行けない。他の生徒にバレると問題になるからだそうだ。立場的にヒイキしているというウワサになりたくないらしい。だったら、プラモをすすめなければいいのに。大人の立場は複雑だ。おそるおそるMIYAの扉を再び開けた。
「こんにちは」
店に入ると、宮野さんが出迎えてくれた。
「小田切くんから聞いているから、工作室にそのまま行きなさい」
「あの、お金なんですけど…」
足りるかな。今は、カップラーメンを食べたりして貯めた1500円しかない。宮野さんがにっこり笑った。
「子どもがお金の心配なんてしなくていいんだよ。初心者だしね。小田切くんも、最初はプラモ代しか払わなかったよ。さあ、入った、入った」
宮野さんにうながされ、工作室に向かった。
プシューと何か吹き飛ばす音と、ゴーッという何かの機械の低い音が工作室で鳴りひびいていた。えらく汚れているエプロンに手袋、マスクという重装備で小田切先生は、プラモに絵の具を吹きかけていた。
「よお」
小田切先生は、機械を止め、マスクを外した。そして、まるで友だちが遊びに来たかのように声をかけてくれた。
「お世話になります」
「仲間なんだから、そんなかたっくるしい言い方止めてくれ」と言った。
「そう言っても…」
「ここでは、プラモ仲間」
そう言っている間に、先生は床に置いてあった紙袋から箱を取り出し、机に置いた。
「プラモは、習うより慣れろだ。ストックしてあるやつを持ってきたから、選んで。ガンロボで大丈夫だよね。何か他に作りたいものある?」
先生も佐伯と同じことを言っている。そっか慣れか。小田切先生って優しいな。種類まで気にしてくれていた。ぼくは、「大丈夫です」と答え、とりあえず選んでみることにした。
ガンロボのプラモデルの箱が五つ、目の前にどんと積まれた。目移りする。どれがいいのかな。メイン機は見たことがある。けれど、その他は見たことのないものばかりだ。
「どれがいいんですかね」
先生にたずねた。できれば、簡単で作りやすいほうがいい。楽に作れるものを選びたい。ぼく的には、メイン機がわかりやすくていいのかも。
「自分が好きだと思うものを選ばないと、やりたくなくなるよ。一番かっこいい、作ってみたいと思うものが答えだ」
作ってみたいもの…。どれがいいんだろう。普通、メイン機だよね。他のもいいな。そう迷っていると、「部屋に飾りたいのは、どれ?」と聞かれた。
とっさに指さした。箱には、『ガンロボ 専用機ザン 144スケール』と書いてある。
箱のイラストには、目立つ真っ赤な色にどすんとした体形のプラモが描かれている。目立つ。ごつい。頭には、鬼みたいな角もついている。メイン機はスマートすぎて、機械っぽさが足りない。それに比べ、ザンは重厚な感じだ。気に入った。
「いい趣味してる」
先生は、にやっと笑って箱を開けた。
ザンの箱には、灰色、赤などの数種類の色のパーツが入っていた。
「とりあえずこの取り扱い説明書を見て、組み立ててみ。順番は書いてあるから」
へっ。先生が手伝ってくれるものだと思っていたので、少しあせった。手伝ってくれないの? つい顔を見てしまった。
「自分で考えて、工夫して作らなきゃ、楽しくないよ。とりあえずやってみて。隣で組み立てているから、わかんないことがあったら聞いて」
先生は、そう言うと、ニッパーという道具と組み立てたパーツを保存する袋を渡してくれた。ニッパーは歯の部分が短く太い、はさみみたいな道具だ。
このパーツを全部組み立てるの? 無理だろ。パーツは一体いくつあるんだろう。それだけ多い。とりあえず説明書を読む。写真も入っている。枠には、番号が入っていてわかりやすい。パーツごとに切り離して、組み合わせていけばいいのか。
「一つだけ。切り離す時、パーツぎりぎりだと、修復できないから、2~3ミリ残して切ってから、ヤスリで調整したほうがいいよ」
一度切り離したら、元には戻せないのか。そりゃそうだ。けど、そんなこともわからないぼくが、これを作れるのか。不安に思いながら、説明書にある順番のまま、ニッパーでパーツをゲートという枠から切り離す。ギリギリにしない。よしやってみるか。中側に切りすぎたかな。なんか白くなってる。どうしよう。いいや。やっちゃえ。パーツを一つひとつ切り離し、並べる。小さすぎて入れられない。指で押しこもうとしても、指がプルプルふるえる。少し大きいのかな。最初からざせつしている。ぼくは向いてないのかも。
先生を見ると、細い筆ペンみたいなのを使って、プラモの表面にていねいに色を入れていた。細かい作業だ。声をかけるのが、ためらわれる。
「どうした?」
ぼくの視線に気がついたのか、先生が声をかけてきた。
「穴、はまんない」
「貸してみ」
先生にパーツを渡すと、鉄の棒みたいなのを取り出した。そして、削り始めた。
「ちょっと大きかったみたいだね」
先生は組み立てず、パーツをぼくに戻した。
「こういうこともある。できないことも、いろいろ工夫して考えると、できるようになるから。本体と道具をよく観察して」
つきはなした言い方。さっきまでのフランクな感じではない。いつもの塾の感じだ。でも気にはならない。
けずってもらったパーツを穴に押しこんでみる。入った。嬉しい。
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と、そう先生が言った時には、夕方5時をまわっていた。もうそんな時間なんだ。
窓から見える外の様子で、もう薄暗くなっていたことに気がついた。店内はいつの間にか明かりがついている。雨音もしない。空席だった隣には、知らないおじさんが作業をしていた。えっていう感じ。夢中で気がつきもしなかった。
大部分のパーツは切り離されている。あとはそれを組み立てていけば、完成できそう。道具と説明書と根気さえあれば、プラモデルはできる。それがわかった。もちろんショーケースに並ぶような塗装とか背景はできない。それでも、出来上がりつつある。なんかドキドキしてきた。
ちらっと見た先生のプラモは、緑のメタリックな塗装に、泥をつけたような汚れが表面に浮き出ていた。先生は、エアブラシをした後、何度も筆で色を重ねていた。こういう塗装になるのか。戦うガンロボって感じだ。ああいうのいいな。作ってみたい。まあ、今は無理だと思うけど。
「ありがとうございました」
帰りぎわにお礼を言った。時間もお金も使ってもらったのだから、スポンサーには礼をつくさねば。
「どうだった?」
先生は、手慣れた手つきでプラモを食器乾燥機にそっと入れている。
なんて返せばいいんだろう。「面白かった」という一言で片づけていいのか。
「うまくできなくて…」
つい素直に思ったことを口に出した。勉強であまり苦労したことはないけど、プラモは、なかなか上達しないだろうな。
「向いてないかなって」
「そんなことはどうでもいいんだ。要は気持ちさ。楽しかった?」
時間を忘れた。こんなに早く時間が進んだことはない。こくんとうなずいた。
「おれも、仲間が増えて楽しいよ」
と、言った。そっか。同じ気持ちなんだ。
今まで「できること」と「できないこと」で分けて、「できること」しかやってこなかった。そこに「好き」と「嫌い」があるんだ。そのうえで、「好きで、できないこと」から、逃げていたのかも。でも、「好きで、できないこと」って楽しい。できるようになる余地があるってことだ。そのことがわかった。そのことを知って、嬉しかった。
先生は、「そっか、楽しいのか」と、笑いながら、ぼくの頭をぐしゃぐしゃとかきまわし始めた。ちょっとうざい。同時に、認められたような気もして、なぜか胸がはずんだ。
◇ ◇
家に帰ると、いつも何も聞かない母親が、「遅かったわね。なんか変な化学薬品のにおいがする」と不審そうに言った。「電車の中でついたんじゃないかな」とだけ答えた。
ぎくり。たぶん、手についた接着剤のにおいだ。母親は少しけげんそうな顔をしていた。母親は、ぼく自身には関心がないくせに、ぼくの変化には気がつく時がある。
においを消すために、速攻風呂場に向かった。秘密は絶対に隠し通してやる。湯船に肩までつかって、不安な気持ちを沈めることにした。
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