婚約破棄されても侯爵令嬢は諦めない

茶々丸

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第二章

隣国の貴族

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 食事を終え、リディアたちがテーブルを離れようとした瞬間、店の入り口付近で男たちの怒鳴り合う声が聞こえてきた。
 思わずそちらの方を向くと、あまりこの辺りでは見かけない服装に身を包んだ若い男と筋骨隆々な商人が睨み合い、怒鳴り合っている。よく聞いてみると、見慣れない服装の男の方はどうやらこの国の言葉ではない言語を喋っているようだった。

「喧嘩だね、あっちから回ろう」
「待って」
「おいっ、どこ行くんだい?!」

 タリヤが制止するのも構わずに、リディアは喧嘩している男たちのところへ向かう。

 先ほどから聞こえてくる男の異国の言葉に、リディアは聞き覚えがあった。
 これはカレドニア王国の隣国であるブルガス王国の言葉だ。今まで父の通訳として何度も商談に同行していたリディアにとっては馴染みのある外国語の一つである。

「てめぇっ!いつまで訳の分からないこと喋ってんだ!!」
「お待ちなさい!!」

 リディアの少し高めの声が酒場に響き渡った。
 先ほどまでにらみ合っていた男達は、突如現れたやたらと態度の尊大な少女に驚いているようだった。二人の喧嘩を取り囲んでいた野次馬たちの視線が一斉にリディアへと注がれる。

「まずそこの貴方、その殴りかかろうとしているその手を一度下げていただけますか?話し合いに暴力は不要です」
「おいお嬢ちゃん、いきなり現れて一体何を言ってやがる」
いただけますか?」

 凄む男にリディアは全く物おじすることなく、むしろ微笑んでいる。リディアの視線には有無を言わせぬ迫力があった。大柄の男はまだ何か言いたそうな様子だったが、渋々振り上げた拳を下げた。

「何があったのですか?」
「そいつが俺にぶつかってきたんだよ!それなのにさっきからちっとも謝らずにわけのわからねぇ事を言いやがる」

 男はそう言って隣の青年を指差した。青年は困惑しきった様子でリディアと男を交互に見つめている。
 リディアは柔らかく微笑むと、見かけない服装に身を包んだ青年の方へと向き直り、口を開いた。

『ごめんなさい、彼は貴方の言葉がわからなかったみたいなの。一体なにがあったのですか?』
『……君、俺の言葉がわかるのか?』

 青年は、突如リディアが自らの母国語であるブルガスの言葉を話し出した事にひどく驚いたようだった。

『えぇ、父が貴方の国と仕事上で関係がありましたので、通訳をしていた事があります』
『ありがたい。それなら、この人に俺はさっきから謝っている事を伝えてくれ。さきほどからずっと怒鳴ってばかりで話にならないんだ』
『わかりました』

 リディアはくるりと向きを変え、今度は大男の方へと向きを変えた。

「この人はぶつかってしまって申し訳ない、と謝罪の言葉を述べていらっしゃいます」
「ハッ!それならそうときっちりその態度を見せてもらわねぇとな。言葉がわからないならそれ相応の誠意ってのが必要だぜ」

 男はにやついた顔でリディアにそう言った。

「……例えば?」
「そうだなぁ、わかりやすく土下座でもしてもらおうか」

 なんとなく予想のついていたことであったが、まさか本当に土下座を要求してくるとは。リディアは大きくため息をついた。
 すぐに通訳をしようかと思ったが、ためらう。こんなことを言ったらきっとこの外国人の青年は怒りだすに違いない。しかし、通訳の仕事は相手の言ったことを正確に伝えるのが仕事だ。ここでリディアが余計な気を利かせようとしても、それが逆効果になることもある。

『彼はなんだって?』
『……あなたに、土下座をしてもらいたい……と』

 言いにくかったが、嘘偽りなく言葉を伝えると、青年は『なんだそんなことか』と拍子抜けしたように呟き、特に躊躇する様子もなく、地面に膝をついて首を垂れた。そのあまりの潔さにリディアも大男もたじろいでしまう。

『大変申し訳なかった!!』
「か、彼は大変申し訳なかったと、謝罪しています」

 慌てて謝罪の言葉を通訳する。土下座をしている青年のズボンには土汚れがついてしまっていた。彼の服装や話し方を見る限り、決して低い身分ではないはずだ。むしろ話し方から推測する限り、なかなか高貴な育ちなのではないかとすら推測できる。そんな人間がこうも簡単に土下座をすることにリディアは驚きを隠せなかった。プライドの高い貴族や大商人の大半は、「そんな事はできない」と突っぱねるのが普通だ。

「……お、おぅ……。こ、これからは、気を付けて歩けよ!」

青年があまりにもあっさりと、要求通り土下座付き謝罪をしたので、大男は毒気を抜かれてしまったらしい。狼狽えながら返事をして、仲間たちを連れて酒場から出て行ってしまった。

 『助かったよ。有り難う』

 去っていた男たちの後姿を眺めながら呆気に取られていると、青年が立ち上がり、リディアに話しかけた。

『何をそんなにびっくりしているんだ?』
『いえ、貴方が躊躇することなく土下座をするものですから驚いてしまって。殿方は基本、謝ることを嫌うでしょう?』
『あぁ、その事か。別に土下座なんて大した事はない。むしろ金銭をせびられるかもしれないところを、俺が頭を下げるくらいで済むのなら安いものさ』

 青年はそう言って笑った。損得重視の商人気質なのかもしれない。

 『そんな事より、通訳を引き受けてくれたこと、感謝する。何か御礼をしたいところだが……』
『お礼だなんて。私は当たり前のことをしただけです』
『なんと高潔な心意気だ。さすが、ブライスガウ家のご令嬢だね』

 聞き間違いかと思ったが、確かに彼はブライスガウ家と口にしていた。
 リディアの事を知っている。
 ただの商人かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
 緊張が走り、リディアの表情が強張る。

『一体、何のことでしょうか?』
『あれ?ブライスガウの方と思ったが違ったかな?この前の舞踏会でずいぶんスキャンダラスな事が起こっていただろう?その時にお見かけしたから、よく覚えているよ』

 男はにっこりと笑みを浮かべてリディアの右手の甲に軽くキスを落とした。

『俺はテオドア、テオドア・イグレシアス』
『イグレシアスですって?!』

 リディアが驚きの声をあげたのも無理はない。イグレシアス家は隣国のブルガス王国の有力貴族であり、ブライスガウ家とは外交の場においてよくやり取りをしていた家である。
 リディア自身も父のアルブレヒトに随行していたこともあったので、イグレシアス家の人々とは会ったこともある。しかし、今まで会合の場などでテオドアを見かけたことは一度もなかった。

 『あ、疑ってるな。まぁ、仕方ない。いつも外交関係を取り仕切っていたのは兄のダニエルだったから。俺は次男なのでほっつき歩いていたしなぁ』

 そう言ってテオドアは思いついたように自分の指にはまっている金の指輪をリディアに見せた。金の指輪にはイグレシアス家の紋章が彫り込まれている。黄金は眩く、偽物では無さそうで、確かな証拠に見えた。

『確か名前は……リディア殿だったよな。俺、美人の顔は絶対に忘れないんだ。舞踏会の時とはずいぶん……雰囲気が違うようだけど、この木綿のドレスも素朴で可愛いと思うよ』
『そうですか、お褒めいただき光栄ですわ』

 リディアのあっさりとした返しにテオドアは残念そうに肩をすくめる。

『それにしても、この前の舞踏会といい、今日の君といい、君には驚かせられてばかりだな。その様子だと、なにか訳ありみたいだけど』
『いいえ、お気になさらず。少し庶民の生活を体験したかっただけですから』

苦しい言い訳だとわかってはいたが、テオドアにあれこれ知られるのはリディアの本意ではない。さっさと会話を終わらせてこの場を去ってしまいたかった。しかし、そんなリディアの意に反して、テオドアはリディアのことを面白がっているような様子である。

『俺は次男坊だけれど、何か困っているなら力になれると思うんだ』
『いいえ、本当に結構ですから』
「アンタ、ブルガスの言葉が喋れるのかい」

 リディアとテオドアの間に割って入ったのはタリヤだった。

「ええ、まぁ、少しは」
「少し?いやいや、アタシが見る限りじゃあ、だいぶ流暢に喋ってたみたいだったよ」
「……父の仕事を手伝っていたので」
「なるほどねぇ。いいじゃないか、いい案を思いついたよ。アンタはこのままブライスガウに戻るつもりだろうが、あの様子だと家に戻ったら殺されちまうのは殺されちまうよ。だから別の場所を目指すのはどうだい?」
「でも、そんなところ、思いつかないわ」

 タリヤはニヤリと笑った。

「アタシは前からブルガスとの交易が気になってたんだ。でも、言葉が喋れないんじゃどうしようもない。しかし、アンタは喋れるだろう?だから、協力しないかい?アンタが商談の通訳をしてくれるなら、アタシらもアンタを手伝う。アンタは行商人に紛れて、アタシたちを隠れ蓑にして行動すれば良い。ついでにそこの貴族の兄さんにブルガスに入国させてもらって、そこに滞在していれば、ノルデンドルフの奴等にはきっと見つからないさ」

 どうしてテオドアが貴族とわかったのだろうとリディアが不思議そうな顔をしていると、タリヤは「さっきの指輪を見たのさ。紋章がはいっていたからね」と言った。流石商人、そういうところは非常にめざとい。

 しかし、タリヤの言うことには一理あった。確かにこのままヨハネスを探しにブライスガウに向かったとして、リディアの身が危うくなるのは目に見えている。それならば、敵が予想もしないような場所に逃げ込むのが安全だろう。
 頭の中で考えを巡らせる。しばらく考え込み、リディアは不意に口を開いた。

『テオドアさん』
『さん付けはやめてくれよ、テオでいいさ』
『それじゃあ、テオ。お願いがあるわ。聞いてくれる?』

リディアがそう言ってテオドアに向き直ると、テオドアの目はワクワクしているかのような輝きを見せた。

『もちろん、さぁなんでも言ってくれ』
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