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第二章
バルトリ市場街
しおりを挟むマリベルの森を抜け、しばらく道に沿って馬車を走らせると、商業の街、バルトリ市場街が見えてくる。
元々は、平原の高台に築かれた砦がぽつんとあっただけだったのだが、バルトリという商人がそこで旅人の為に小さな店を開き、そこから次々と商人や住人が集まってきたのが始まりだといわれている街だ。
白い石灰石でできた砦の中には数多くの商店が軒を連ね、ここで手に入らないものはないと言われている。近頃は、砦の外に行商達が集まり、新たなバザール地区が出来上がっていて、どんどん発展を続けているようだった。このようにして発展した街なので、街の行政権を握っているのは領主ではなく、商人達である。
「よう!タリヤ!!後で寄っていけよ、いい商品入ってるぜ!」
「タリヤじゃないか!後で注文していた品物取りに行くからな!」
バルトリ市場街に入ると、タリヤはあちこちにいる人々から声を掛けられていた。皆、笑顔で店に寄っていけと誘ったり、久々に彼女に会えた事を喜んでいる。どうやら随分顔が知られているようだ。
「ねぇ、貴方」
「……なんだよ」
「タリヤってもしかしてなかなかやり手な商人なの?」
荷馬車に揺られながら、リディアは隣に座るクルトに尋ねた。
「まぁ、やり手っていうよりかは、みんなに頼りにされてるんだよ。タリヤは面倒見がいいからな。このバルトリ市場のバザール地区だって、タリヤがつくったようなもんなんだぜ。それまではバルトリ市場で取引できる商人は限られてて、新入りはどう頑張っても参入できなかった。それを上のお偉いさんと話してうまくまとめたのがタリヤさ!」
クルトはまるで自分の事のように誇らしげにリディアに言った。
「貴方はタリヤを尊敬してるのね」
「いや、別に、まぁ……商人としてはやっぱすげー人だし」
図星だったのか、クルトは顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。その様子はなんとも微笑ましい。ふと、故郷に置いてきてしまったヨハネスの事を思い出して胸がざわついた。領主が急逝してしまったブライスガウはさぞや混乱している事だろう。そしてなによりも、先ほどタリヤが言うには領地を没収されてしまったらしいが、真相を早く突き止めなくてはならない。
「さぁ、二人とも降りな」
タリヤはそう言って一際大きな建物の前に馬車を停めた。
看板には『酒場』と書かれていて、あちこちに馬車やロバが停めてある。外に置いてあるテーブルでは大柄の男たちが手に大きなジョッキを持って歌を歌ったりと随分騒がしい。
「……ここは?」
「酒場さ。アンタが今日泊まるとこだよ」
「失礼だけど、私は宿の手配をお願いしたのよ?」
「二階はちゃんと人が泊まれるようになってる。それにここの主人はあたしの顔馴染みでね、色々と融通がきくんだ」
「でも……もう少し綺麗な場所はなかったの?酒場じゃなくて、もっとちゃんとした宿とか……」
周りの様子を見て、顔を顰めたリディアが反論する。床は泥や油で少しベタついているし、正直言って清潔とは言い難い。
「これ以上最適な場所はないと思うね。文句言うんじゃないよ」
バッサリと異論を切って捨て、タリヤは酒場の中へと入っていった。
酒場の中は広く、丸テーブルがあちこちに置かれていて、男たちがジョッキで乾杯しながら大声で笑い合っている。部屋の奥にはバーカウンターがあり、そこで食べ物や飲み物を注文するようだ。
アルコールに酔った人間の匂いがリディアの鼻をつく。晩餐会などで酒を嗜む男性達は見た事があるが、このように大声で歌を歌ったり、騒いだりするのをみたのは初めてだったので、リディアは若干の恐怖心を抱いていた。
「サントス、いるかい?」
カウンターでタリヤが呼びかけると、奥の扉から両手いっぱいのジョッキを持って髭を生やした大柄の男が現れた。
「よぉ、タリヤ!久々だな!」
「二階、空いてるかい?私とクルトで一部屋、それからこちらのお嬢さんの分もね。こっちは一番いい部屋にしておくれ」
「随分と小綺麗なお嬢ちゃんを連れてるじゃねぇか。今日は割と空きがある。二階の角部屋とその隣が空いてるから、そこを使いな」
サントスと呼ばれた男はカウンターに真鍮製の鍵を二つ置いた。タリヤは鍵を取って二階へと向かう。
どうやら二階は宿泊施設になっているようだ。
正直綺麗とは言い難く、部屋の中に入っても一階で呑んでいる客達の声がだいぶ煩い。それでも、リディアが泊まる角部屋はだいぶ広く、きちんと家具も手入れされているようでマシではあるようだった。
「不服そうだね」
「不服というより、こういう所に泊まった事がないから驚いているの。男の人たちがあんな風にお酒を沢山飲んで騒いでるのも初めて見る光景だわ」
「そうかい。それじゃあ慣れておいたほうが良いね。とりあえず三日間ここに滞在できるようにしてある。延長したい時は下のさっきのカウンターでサントスに頼みな。その代わり、金は必要だよ」
「わかったわ。それよりも、ここからブライスガウに行く為にはどうしたいいの?」
「乗り合い馬車が出てるからそれに乗るんだね。今日はもうないだろうから、明日、広場のほうに行くといい」
「ありがとう。やってみるわ」
なにもかも初めての事だったが、とにかく今はブライスガウに戻って事態を把握しなければならないので泣き言を言ってはいられない。と言っても、今まで貴族の令嬢として大切に育てられてきたリディアにとって、今いる現実はあまりにもかけ離れていて、不安ばかりが押し寄せてくる。
「お嬢さん、飯にしよう。とにかく何か食べないと、身体が資本なんだから」
タリヤが声をかけると、まるでそれに返事をするかのようにリディアのお腹がぐうと鳴った。その音を聞いてクルトが部屋の隅でくくくと小さく笑う。
「……それで、メニューは?」
ベッドに腰掛け、タリヤに尋ねる。タリヤは差し出された手のひらを見つめて一瞬キョトンとした後、腹を抱えて笑い出した。
「あっはっは!!ここは高級レストランじゃないんだよ、お嬢さん!!残念ながらメニューはない。おいで、庶民の生活を教えてあげるから」
タリヤはリディアの肩を叩きながら、彼女を部屋から連れ出した。リディアはと言うと、自分は本当に世間を知らないのだと思い知らされ、羞恥で顔が真っ赤になっていた。
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