の妹

茶々丸

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の妹

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『もーいいよ』

まただ、と私は小さくため息をついた。
七月中旬、鬱陶しい夏の暑さに、蝉の鳴く頃。
毎年この時期になると、死んだ妹の声が聞こえてくる。


私には4歳年下の妹が居た。
妹は私が10歳の時に熱中症で死んだ。もうだいぶ昔なので詳しくは覚えていないのだが、ちょうどこんな暑い日にかくれんぼをしていて、車のトランクに隠れた妹は誰にも見つけてもらえずに死んでしまった。

バカな子。

車のトランクなんかに隠れたら子供の私達に見つけられる訳がない。結局夜になっても妹が見つけられない事を両親に泣きながら告げて、やっと見つけることができたのだった。
見つけた時にはもうすでにそれは死体だったけれど。

妹が死んでから、私には妹の声が聞こえるようになった。話しかけてくるわけでもなく、ただずっと「もーいいよー」と妹は私に呼びかけてくる。妹は自分が死んだ事に気づいていないのだ。まだ自分は車のトランクに隠れていて、かくれんぼの途中で、私が見つけてくれるのだと思って待っている。
最初はそんな妹が怖くて仕方なく、毎夜汗だくになりながらも布団をかぶって震えていた。妹は見つけてくれなかった私を恨んでいるから私を連れて行こうとしているのだと思って、恐怖で頭がおかしくなりそうだった。両親に言っても哀しそうな目をして私を見つめるだけで取り合ってはくれなかった。
しかし夏が終わり、妹の声はぱったりと止んだ。
どんなに耳を澄ませても、もう声は聞こえない。きっと夏が終わって魂が天国にいったのだろうと、私は心の底から安堵した。
眠れぬ日々が終わり、日常が戻ってきた。もう周りをきょろきょろと見渡さなくてもいいし、頭のおかしくなった悲劇の姉扱いをされることも無くなった。やっと妹の死をまともに悲しむ事ができて、悲しかったけどどこかホッとしている自分がいる事に気がついた。

しかしその翌年の夏、妹は戻ってきた。
廊下の奥から、「もーいいよー」という幼い少女の声が聞こえてきた時はパニックのあまり過呼吸を起こしたほどだ。心臓がどくどくと音を立てて、呼吸がうまくできなくなり、私は学校の廊下で意識を失った。保健室で目を覚ましてからも一定の感覚で妹の声と笑い声が聞こえてきて、気が狂いそうになった私はそこらへんにあったピンセットで自分の鼓膜をぶち破った。耳元は血塗れで、周りの音は聞こえないのに妹の声だけは頭に響いてくる。結局救急車で運ばれ、私は頭のおかしい子、というレッテルを貼られる事になってしまった。運良く、聴覚を失う事は免れた。
結局は夏の間、妹の声は私にずっと付き纏った。そして夏が終わるとまるでそんなことは夢だったかのように妹の声は去っていく。そんな事が毎年繰り返され、私の恐怖心はどんどん小さくなり、最後は惰性となった。もはや妹の声は毎年聞こえてくるアブラゼミの鳴き声と同等である。何も怖くない、ちょっとうるさいBGM。

もうあれから二十年が経つ。
私はもう三十を迎え、ついにアラウンドサーティーではなくてジャストサーティーになってしまった。社会人として働き、週末は恋人に会う日々。そろそろ入籍なんかも真剣に検討し始めている、普通のOLだ。もう夜の闇も、お化けも怖いとは思わない。今年の夏もまた妹の声が聞こえるだろうけど、いつもの事だと、なんとも思わないだろう。
ただ、ひとつ気になるとすれば、妹の声が毎年聞こえるたびに数を数えている事だった。初めて聞こえた年は「にじゅう、じゅうきゅう……」と数えていて、そこから毎年一つずつカウントが減っていくのだ。そして確か去年は一、だった。ならば今年はゼロ、カウントが終了する。カウントが終了したらどうなるのか、それだけが少し、心の中に引っかかっていた。


◇◇◇


「お母さん、これって炎何回跨ぐんだっけ?」
素焼きの皿の上におがらと呼ばれる麻の茎の皮を剥いだものを新聞紙を乗せながら、私は母に尋ねた。
毎年夏、七月の十三日に我が家ではお盆の恒例行事として迎え火を焚く。ご先祖様の霊が迷わないよう、家は此処ですよと目印にする為らしい。そして我が家ではその時に炎を跨ぐわけなのだが、これの意味についてはよく知らない。無病息災を願う為だとかなんとかあるらしいけれど。
「五回じゃなかったかしら?まだ火、つけないでね。皆が揃ってからよ」
母はそう言って父と祖母を呼びに行った。私は近くの蚊取り線香に火をつけながら、そのままぼーっとして皆が来るのを待つ。
遠くからりーんと風鈴が鳴る音がした。そろそろ夜でも蒸し暑くなってきて、本格的な日本の夏が到来したのがわかる。耳元で蚊の鳴く音がして、思わず私は右耳を叩いた。
「お待たせ、希美。さ、火をつけて」
母が父と祖母を連れて玄関から出てきた。
玄関の扉が開けたままになっているのを確認して、私はライターに火をつけた。まず新聞紙に火がついて、そのあとおがらへと炎がうつっていく。ぼおぼおと燃え移る炎に向かって手を合わせた後、父から順番に炎を跨いでいくのだ。
「いーち、にーい、アチッ」
「気をつけなさいよ」
ゆっくり跨いでいたら、風に揺れた炎が私の足を掠めた。大した熱さではなかったけれど、思わず反射的に口から声が出てしまう。最後にもう一回、炎を跨ごうとした時だった。

『もーいいかーい?』

いつもの妹の声。
毎年夏にやってくる死んだ妹の声。
慣れ親しんだ、しかし異常なものの筈なのに、今年はその声を聞いた途端に毛が逆立ち、背筋に冷たい汗が流れた。

――いつもと、違う。

妹は毎年、「もういいよ」と言っていた。隠れているから見つけていいよ、と。
しかし今年は「もういいかい?」だった。もしかしたら、いつまでも見つけようとしない私に痺れを切らせたのかもしれない。

『もーいいかーい?』

ごう、と一際強い風が吹いた。
隣の飼い犬が、玄関に向けてキャンキャンと怯えたように吠えたてる。
私は答えなかった。
これに答えてしまえば、やってきてしまう。
あの子が私を探しにきてしまう。

『にじゅーう。じゅーきゅ、じゅーはち……』

幼い、舌ったらずな声が数を数えている。
そうか、今年はあれからもう二十年が経つのだと私の頭が理解した時、周りから音が消えた。
周りの父と母は何かをしゃべっているのに声が聞こえない。テレビの消音ボタンを押したように、音だけが抜き取られているかのようだった。
嫌な汗が染み出して、周りをキョロキョロと見渡してみる。耳がおかしくなったのかと叩いてみるが何も変わらない。

『ぜろ』

それは、玄関から聞こえてきた。玄関のそのまた奥、廊下の奥から人間の声を不自然に機械でいじったような不快な声。

『みぃ゛ーつけた』

そこには黒い影があった。
真っ暗な廊下の暗闇の中に、輪郭だけが縁取られた何かが存在していた。
それは小さな女の子の姿をしていて、薄桃色のワンピースから真っ白な脚が伸びている。顔はよく見えなくて、果たしてそれが妹なのか、はっきりと私にはわからない。ゾッとして、鳥肌が止まらなかった。今すぐ叫び出したかったが、喉を締められたみたいに声が出なかった。

『あそぼ、あそぼあそぼ。おねえちゃんがおに』

ぺたり、ぺたりと床板と足の裏が汗で張り付くような音が聞こえる。

『きょうはみつけてくれるでしょわたしをみつけてくれるでしょだってまえはみつけてくれなかった私をおきざりにしたでしょずっとまってたのにずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと』

汗がたらりと流れ出る。
蒸し暑くて、嫌な夜だ。蝉がうるさい。耳元でずっと何かが鳴いている。二十年前から、もうずっと。






『おまえもおなじめにあえ』






血に濡れたような真っ赤な目と、目が合ったと思った瞬間、「それ」はキャハハ、と笑い声を立てながら廊下の角を曲がって奥へと走って行ってしまった。
その時私は足元から崩れ落ちて、今まで自分が金縛りにあっていたのだということにやっと気がついた。一気に現実が戻ってくる。消音機能がオフになったみたいに父と母の声が聞こえるようになった。

「希美?!どうしたの?具合でも悪いの?」

いきなり膝をついた私を見て、母が驚いてように声をかけた。

「え、あ、いや、何でもない」
「もう、びっくりさせないでよ。夜だって熱中症になるんだから、先に家に入ってなさい」
「い、いい。私、帰るね!明日用事があるし!」
「あら、泊まっていくんじゃなかったの?」

こんな所泊まれない。
きっと妹は帰ってきた。また今年も私とかくれんぼをする為に。
そして今あの子はこの家のどこかにいるのだろう。
私は大急ぎで自分の車に乗り込むと、キーを差し込んでエンジンをかけた。今日は止まると言っていた娘が急に帰ると言いだしたので両親は困惑しているようだったけど、私はそんなことに構っていられるほど冷静ではなかった。

「いつもの、妹の声だから平気だよ。ただなんか今年は嫌な予感がするし、あの子もおねえちゃんおねちゃんってうるさいし、ね? 私は遊んであげられないから、ほら」

恐怖で口がうまく回らず、思わず早口になってしまう。
運転席に座り、ベルトを締めた私を母が怪訝そうな表情で窓から覗き込んでいる。

「何言ってるの、希美。あんたに妹なんていないじゃないの」

私は口をぽかんと開けて母の顔を見ていた。
母の表情には呆れと、ほんの少しの恐怖が入り混じっていた。

「え、だって、二十年前に熱中症で・・・・・・」
「違うわよ、あれはアンタが道端の車で偶然見つけた近所の子でしょう?あんたは一人っ子よ。やめてちょうだい、そんな変な事言うの」

蒸し暑いはずなのに、胃に氷の塊を押し込められたように全身が冷たくなった気がした。
それじゃあアイツは?
私がずっと妹だと思ってたアイツは一体何?



『ミイツケタ』


バックミラー越しに「それ」が私を見て笑っていた。
黒い影の中にある真っ赤な大きな目玉がこちらを見てニンマリと歯を見せている。

あぁ、そうだ。
私に妹なんかいなかった。
あの日、偶然見つけてしまった死体と目があって、それきりこいつはずっと私についてきた。
こんな風にいつも私にくっついて、まとわりついて、私の都合なんてお構いなしで。

「消えて!消えてったら!遊ぶなら一人で遊んでなさいよ!あんたなんか大嫌い、あんたのお姉ちゃんなんかなりたくなかったのに!!」

ハンドルを掴んで絶叫する。
金切り声を上げながらクラクションを鳴らしまくった。それでも声は耳元から消えてくれない。煩わしくて、気が狂いそうで、手元にあったペンを耳に突き刺すとブツリと音がして世界の音が消えた。でもそれでもあいつの声は私の脳に直接響いてくる。

『おねえちゃんあそぼあそぼおねえちゃんあそぼおねえちゃんおねえちゃん』

「いやあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

アクセルペダルを勢いよく踏んだ。
早くコイツを殺さなきゃ。このままだとずっとついてくる。どこまでも、地獄の果てまで私について来る。

身体がぐんと引っ張られる感触。母の悲鳴が聞こえたような気がした後に、破裂したエアバックがものすごい勢いで私の顔面に当たった。ぐるぐると世界が回って、あちこちが痛い、痛くてもう何がなんだかわからない。
どうやら車は横転しているようだった。ぺしゃんこになった鉄のフレームの隙間から我が家が少しだけ見える。
出火したのか、肌が炎を感じてヒリヒリと痛んだ。足は潰れているようで感覚がなかった。
あぁ、これで死ぬんだと思った瞬間、私は心の底からほっとした。



もうこれで、あいつとかくれんぼしなくてすむ。


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