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本編 雄花の章

第五話 天と地と

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 着物を脱ぎ素肌を重ね、互いの肌をまさぐっている。彼女は肌も敏感なのか、俊が触れるたびに悦びに震えている。
 手で触れ、唇で触れ、その度に女がどういう反応を見せるのか、俊は可能な限り、確認しようとした。俊の頭も霧に覆われたかのように、理性を保つためのよりどころがなくなっていく。
 彼女の腿を抱え、ぺたりとした腹部から、彼女の茂みへ顎を滑らせた。
「あ……」
 女は首を上げた。俊も視線を合わせ、彼女がどう感じているのか探ろうとする。抵抗というほどではないが、腿に力が入ったからだ。
「やめてほしいか? いやならそう、正直に言ってくれていいんだ」
 辛うじて出せた確認に、女は「違う」と、俊と似たような、隠った返事をしてきた。
「きのう……私も、あなたがしようとしてること……おなじこと、したくて」
 そうだった。もう少し我慢していれば、最高の時間があったかもしれない。
 彼女は首を、シーツの上に置いた。
「あなたも今、昨日の私と同じ気持ちだったら、うれしい……」
「……どうかな」
 競いたいわけではないが、自分の方が、より逼迫している。
 俊は女の、蕾を舌でつついた。すぐさま、女は腰を跳ねさせた。
「ふ……っん」
 俊はひだを舐め、赤く現れた陰核を吸い、女の蜜を味わった。その度に彼女は嬌声と、蜜を零していく。舌を蜜壺に挿した。抵抗がない。彼女の園はゆるやかに花開いている。
「うんっ……あ、ぁ」
 俊の指は、熱い内腔にすんなりと入り、彼女は快楽の声を上げている。
「きて……」
 甘美な誘いを受け、俊は女のなかに入ろうとした。屹立した先から粘質な液が流れている。それを見たとき、少し理性が戻った。

 思い出せたことが驚きだった。俊が離れると、彼女は不平のような呻きを洩らした。
 避妊具を着け、もう一度、彼女の膣口に軛を宛て、腰を進めた。
 指で、彼女のなかを慣らしたつもりだったが、それでもきつい。女は苦痛の声を出していない。ただ、努めて長く呼吸を繰り返していた。
「痛くないか?」
 女は首を振った。どちらの意味なのか、もうろうとした頭でははっきりと分からない。抜いた方がいいのかと尋ねる前に、女は両手を伸ばした。
「きて」
 あおってくれるな。暴走するぞ。
 はやる気持ちを抑えながら、俊は根元まで女の中に挿れた。
 感覚の全てが股間に集中している。
 このまま、気を抜くと果てる。そう感じる傍ら、何故かまだ何かが足りないという気がしてならない。
 俊は彼女と繋がったまま、抱えていた女の腰から手を滑らせた。己の上体を傾けながら、女の背に手を回した。
 華奢なからだを抱きしめたとき、女の中が締まり、合わせて彼女が声を上げた。俊の分身を、女の熱い肉が何度も締め付け、俊を搾り取ろうとしている。
「よすぎる」
 口付けの合間に、俊は半ば無意識に呟いた。繰り返し、大きく息を吸って、吐くことを繰り返す。
「……あ、ん」
 さらに容赦なく、女は俊を締め付けた。
 腰を動かし、何度か女の奥を目指して突き続けた。

 避妊具を外し、懐紙に包んで、俊はそれを自分の脱いだ下帯の上に転がして、女のすぐ隣に横になった。
 体力を使い果たした。相手も、ぐったりとしている。仰臥したまま顔を向けると、彼女も俊の方に首を向けていた。
 何かを言いたいのかと待ってみたが、彼女は無言のままだった。ただ、鼻をすすっているような音がした。
 泣いているのか?
 俊は女の方向に体を向け、彼女の頬に手を当てた。汗が滲んだ頬には、涙のあとはない、と思った直後、俊の手にあたたかい雫が伝った。
「どうした?」
「わかんない」
 声が割れていた。泣いているのだ。俊を拒絶せず、俊が頬を撫でても、もう一度鼻をスンと鳴らしただけで、動かない。
「そんなによかったのか」
 敢えて軽く問うてみた。笑ってくれるといいと思ったのだ。相手はうなずく動作をして
「そう、だと思う」
 途切れ途切れの声で応えた。
 衝動のままに、俊は彼女を抱き寄せた。
 今ので、俺は完全に落ちた。
 この女と一緒になって生きていきたい。
 彼女も、そう思ってくれているといいのに。


 署に通報があったのは早朝だった。初老の女性が連絡をしてきた。歯の根の合っていない、途切れ途切れの話し方で、最後には声が裏返っていたそうだ。
 河川敷、橋の下に人の死体らしきものがあるという。
 まず、一番近くにいた交番勤務の警察官が現場確認に向かった。次いで、要請を受け、署にいた俊と、相棒の泊内が鑑識と共に現場に向かった。すでにブルーシートがかけられていた。
 現場に最初に着いた警察官が、二人の刑事に気付き前に出てきた。
「身分が分かるようなものは所持していません。男性……男児です」
 彼は青い顔をしていた。ブルーシートの入り口を示す手が震えている。俊と泊内は視線を見合わせた。
 まず泊内がブルーシートを潜った。俊も、おそらく最悪なものを目の当たりにするのだろうと、覚悟し中へ潜った。
 そこには、予想などはるかに越えた、醜悪な現状があった。
 現場を離れるまで、吐かずにいれたことに、我ながら驚いた。

「亡くなってなお、彼から尊厳を奪い続けなければならない理由が、加害者にあったんでしょうかね」
「さあな」
 泊内の相づちはそっけなかった。俊自身、その理由を今から調べるのが自分たちの仕事だろうと己を嗤ったが、口に出さずにはいられなかった。
 ご遺体はすでに鑑識にある。名前が分かるものが一切なかった。被害者は帯すらなく、浴衣一枚しか身に着けていなかった。
 警察官という職で、精神的に一番堪えるのは、被害者がまだ子供と分類される年齢の人間だと分かったときだ。
 自分も通ってきた道であるはずの、まだ守られる立場の未成年の人間を、あんな形で殺し放置することができる者は異常だ。生物学的にヒトではあっても、俊は同じ人間と認識していない。
 結局、俊は署に戻ってからトイレに飛び込み、吐いた。泊内はどこで用意したのか、トイレから出た俊に白湯の入ったマグカップを渡してきた。二人は廊下の椅子に並んで座った。あたたかい白湯で暖をとる季節ではないにも関わらず、俊はそれを持っていないと、凍え死ぬような気分になっている。
 泊内は、内心はともかく、少なくとも表面上は平静に見えた。泊内とは一回り以上歳が違う。俊が今の泊内と同じ歳になったとき、彼のように冷静に構えていられるか、自信はない。
「弱音吐いて、済みません」
「構わないから吐いてしまえ。その方が後々楽になる。別に、武藤の反応は珍しいことじゃない」
 では、泊内は誰か別の相手に愚痴をこぼしたのだろうか。そんな時間はなかったはずだ。
 捜査一課に配属され、四ヶ月が過ぎたが、俊は自分がいかに未熟であるか知らされる日々が続いている。
「二
「はい?」
「強い怒りや恐怖に囚われない限り、大抵の人間は、そう易々と人間を殺せないもんだ。だがこの世には二、存在するんだとよ。何の躊躇ちゅうちょも理由もなしに人間を殺し、その後も何の疼痛も覚えないのが」
 俊は視線を、手の珈琲に向けたまま、泊内に問うた。
「そういう奴らは、淘汰されないもんなんですね」
「まずその二分が遺伝とは限らないからなあ。それにな、そういう奴らが輝ける場所ってのもまたこの世に存在した時期があったんだ……いや、今もあるな」
「は?」
 そんな馬鹿なと、俊は顔を上げた。泊内は前を向いたままだった。
「戦場」


 陰鬱とした気分のままで俊は寮へ戻った。これから見合いの場に行かねばならないというのに、今朝の光景が頭から離れなかった。
 人がある被害に遭い、そのまま亡くなった場合、死体がどうなるのか資料では知っていた。知っていただけだった。実際に目にしたときの衝撃はすさまじかった。
 切り替えが上手くできない。
 見合いの相手を抱けると思えなかったが、行かないわけにはいかない。彼女と縁を切りたくない。それもこんなことが原因で。
 裏門を通り、俊は相手が待つ離れに辿り着き、その戸を開けた。
 冷静さを欠いていたのだろう。挨拶をするということさえ忘れ、どう、彼女に話を切り出すかばかり考えていた。
「……あなたなの?」
 俊ははっとして顔を上げた。そうだ、彼女は些細なことによく気付く。相手の男、俊がいつもと違うことを察したのだ。怯えさせてしまった。
「俺だ。……悪い」
 声で、入ってきた男が見合いの相手だと分かったのだろう。彼女は分かりやすく肩の力を抜いた。
 俊はまだ、どう話を切り出すべきか考えがまとまっていない。
 頭が働かない状態なのに、鼻腔は檸檬の匂いを嗅ぎ取った。
 その香りがきっかけとなり、一昨晩からの、彼女とのやりとりが脳裏に蘇った。

 見合いの初日、寝かせてくれと言った俊に怒りも見せず、気遣いを示してくれた。そんな未熟な男を信頼し、からだを預けてくれた。
 そのひとが、俊の前にいる。
 生きている。
 ここは、非日常のようでも、いつもの世界がある。
「なにかあったの?」
 親身に、俊のことを心配してくれる優しい女の声だけで、泣きそうになる。
 ここは、昨日と何も変わらない。
 ここにあるのは日常だ。
 俊が抱きしめている相手は、心の通った人間だ。
 どうしても消せない醜い場所から、優しい世に戻ることのできる場所なのだ。

「見合いがあるから、ここに来たけど、正直あなたを抱きたいという気分になれない」
 言ったあとで、言い方がまずいことに気が付いた。己は今、本当に冷静さをなくしている。
 言葉を返さず固まってしまった相手に、俊は慌てて手を左右に振った。
「違う。あなたが嫌なんじゃない。俺の、俺だけの問題で、あなたとここにいても、あなたと楽しむことに集中できる気がしないんだ。それはあなたに失礼過ぎて、申し訳ない」
 女はしばらく無言だった。俊の方は焦りはじめ、何か言わねばと思って、口を開いたが、言葉が出なかった。また余計なことを言いそうだと思ったからだ。
「……ええと」
 うって変わって、女の声は平素と変わらないように聞こえた。
「何か、あなたに関わることで大きなトラブルがあったのね?」
 俊の事情を鑑み、言葉を選んでくれている。
 ふと、肩の力が抜けた。
 彼女は、汲んでくれる。

 今回の見合いの話がきたとき、自分の同業があいだに入っている可能性があると思った。なら、警察官の妻になるのがどういうものなのか、多少なりとも理解しているかもしれないと期待していた。相手の女は、俊の想像以上に、相手との距離感と相対するコツを把握している。
「ああ。大雑把に言えば、そういうことだ」
「あなたの体調が悪くなった?」
「違う。俺は昨日と変わらない健康体だ……なんと表現したらいいのか……不機嫌にはなってる」
 不機嫌。そうだ。俺は、自分の感情を持て余していて、冷静になれないでいる。そんな情けない自分に嫌気がさしていて、同時に彼女に、イライラしている自分を見せたくないと思ったのだ。
 さっきまでは。


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