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第6章 火薬庫に雨傘を

第19話 開戦前夜

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―――テオンサイド

 照りつける太陽が地面を固めていく。湿気を蓄えた空気が春の匂いを蓄えて、立ち並ぶテントの隙間を縫っていく。一昨日に少し降った雨も、その影響はほとんどなかったらしい。

 「いいか。戦場となるのは帝国の火薬庫、バルト地方だ。どんな兵器が隠されているか分からない。とにかく慎重に進軍すべきだ」

 声を張り上げているのは、昨日挨拶した初老の軍人だ。何という名前だったか思い出せないが、それなりに偉い人のようだ。

 僕らは今、ピュロス地方の西端、アウルム帝国との国境ギリギリにいる。少し北西を向けばバルトの森。デルマ公国の領地だ。

 3国に挟まれた地、バルト。かつては雄大な森林地帯が続いていたらしいが、今では国境を境に森、小麦畑、荒れ地と三様の土地に分かれてしまっている。

 そもそもバルト自体が森を表す言葉だったらしいのだが、皮肉なことにその森を守っているのは、最も新しく出来たデルマ公国だけ。アウルム帝国とメランの前身クロノ王国は、お互い競うように森林開拓と農地開墾を進めた。

 まあ昔の戦争でこちら側の農地はすっかり荒らされてしまい、管理者もいなくなって荒れ放題なのだが。

 「この間の雨で火薬庫の火薬、全部湿気ってればいいのになあ」

 「何を言っているのですか。火薬庫というのは物の例えであって、実際は火薬よりもっと凶悪な……」

 「はいはい。副指令殿は相変わらず冗談がお嫌いですねえ。分かっておりますとも。しかし、この辺りに今もある不発弾なんかは湿気っていてくれると助かりますがね」

 さっきから真面目なんだか不真面目なんだかよく分からない会話が聞こえてくるのは、軍人用のテントだ。最終確認のための会議が行われているらしい。中にはレナもいるはずだ。

 「なんか、すぐには終わりそうにないね」

 ララがこちらへ歩いてくる。

 「会議が終わってテントから出てくるタイミングで、謝ろうとしてるんでしょ?結局冒険者側でここまで来ちゃったこと」

 「な!?べ、別にそういうわけじゃないけどさ」

 まあ、そういうわけなんだけど。

 「私も一緒に謝りたいの。あれから一度も顔を合わせてくれないなんて、相当怒ってるんだろうね」

 そう。2日前の夜、アストに引き剥がされるように別れた僕らは、それ以来レナと話せていない。あの夜、彼女もクレイス修理店に来るものだと思っていたのに、その日も、その次の日も姿を現さなかった。

 そして今日、このキャンプ地にやって来た軍人たちの中にようやくその姿を見つけた。いつもの深緑のスーツに紫色の長髪をなびかせ、軍の制帽を目深に被っていた。

 「何だか話しかけにくい雰囲気だったけど、ここで話しかけられなかったら、何だか一生レナに会えなくなっちゃう気がするの……」

 ララの不安そうな顔。僕も同じ気持ちだった。このまま戦争に突入したくない。こんな状態で命なんて賭けられない。

 「おっ!こんなところにいたのか、二人とも。イリーナが呼んでるぜ。うちも作戦会議だ」

 「えっ?」

 僕とララは顔を見合わせる。

 「ごめん、もうちょっと……」

 渋るララの言葉を遮って。

 「分かった。今行くよ」

 「ちょっとテオン、本気?」

 「仕方ないよ。レナはいつまで掛かるか分からないし、もしかしたら僕らの方が先に終わるかもしれないから」

 「うーん、確かにそうだけど……」

 口を尖らせる彼女の後ろ、ぬっとアストが立った。

 「ごねてるとまた無理矢理連れてっちまうぞ!イリーナを待たせると怖いんだよ!!」

 その高い背で圧を掛けられるとさすがに怖い。僕らは慌てて冒険者のテントエリアへと向かった。

 冒険者は軍人よりさらに国境寄りに陣取っている。こちらの方が確かに危険ではあるのだが、我先にと飛び出したがっている彼らには寧ろ都合が良いらしい。

 竜頭龍尾のテントはその中でも特に前の方にある。別に最も血の気が多いから1番前というわけではない。抑止役だ。

 Sランクを二人も擁する竜頭龍尾は、王都で最も力のあるパーティのひとつ。そこが動かない限り、誰も抜け駆けして飛び出したりはしない。

 これは国同士の戦争。戦いといっても両国が取り決めた中で行われる約束事であり、開戦が明日の日の出と決まった以上は、それより先に仕掛けることは禁止されているのだ。

 「やあ、やっと来たね。期待の新人カップルくん」

 テントに入るなりイリーナの声が飛ぶ。幸いまだ不機嫌になるほどは待たせなかったらしい。

 「カップルじゃないですってば。お待たせしました、皆さん」

 テントの真ん中、正面にイリーナ、その右隣にヴェルトが座り、ぐるりとパーティメンバーが円になっていた。空いていたイリーナの左隣にアストが座り、僕らはそれに向かい合うように末席に着いた。

 「さて、全員揃ったところでお待ちかねの作戦会議といこうか」

 「いよいよこの刻が巡ってきたのですな。この老いぼれ、いつでも輪廻の環に還る覚悟は出来ておりますぞ」

 「そういうのはいいんだ、ヴェルト。皆で生きて帰る。それは確定事項だ。死ぬ気になっても死ぬんじゃねえぞ、てめえら」

 「先に言われてしまったな。アストの言う通り、これは国の威信を賭けた戦いだが、僕らの命を賭けた戦いじゃない。精々楽しんでいこう」

 イリーナがにっと笑うと、ボブやワズロー辺りが「しゃあっ!!」と声を上げる。程よく緊張感の抜けた、いつも通りの彼らだった。

 その後、ざっくりとした陣形などを中心に具体的な戦略が伝えられる。簡単に言えば、アスト率いる前衛、ヴェルト率いる中衛、そしてイリーナ率いる後衛に分かれる、という話だ。

 大まかな役割としては中衛か遠距離攻撃に専念し、前衛が防御、後衛が補助である。しかし、そもそもパーティ自体がメラン軍の前方に位置する。両軍が接近したら、全員前衛として戦うことになる。

 僕とララは二人とも中衛だ。とにかく攻撃すればいいらしい。戦況によっては前に行くことになるかもと言われたが、元よりメンバーの力を知らない僕らは、周りを見ながら出来ることを探すしかない。

 「そうだな。実際俺らにとってもお前らの力は未知数だ。適当に動いてもらえれば良いが、精々自分の力で出来ることくらいは今のうちに把握しておけよ?」

 アストが覗き込むように僕らを見る。その目は特に僕を捉えているように見えた。

 「己を知る。それが一番難しいことだからな」

 ヴェルトがぼそっと呟く。自分の力で出来ること……確かにそうだ。僕はこの力を上手く使いこなせていない。

 『テオン、緊張してるの?大丈夫だよ。君に出来ることなら、僕が知ってる』

 (ライト……何だか情けないな。君頼りというのは)

 『何言ってるの?僕は僕だけど、君自身でもあるんだから。僕のことはどれだけ頼ってくれても良いんだよ?』

 この声が僕自身、か。僕に果たしてこんなに人を勇気付けられる言葉が紡げるだろうか。暫く黙っていると、イリーナがふふと笑って近付いてきた。

 「そんなに緊張することはないさ。内にはアストがいる。大抵の攻撃は彼の長剣を超えられないからね」

 ぽんと僕らの肩を叩く彼女の手は、微塵も震えていなかった。




―――同じ頃

 メラン軍の陣営の後方、王都の住民への避難指示を終えた刑事局と、この戦争のスポンサーたちが控える大型テント、その片隅。

 「あれ、本当にやる人間が出てくるなんてな。準備だけはしとくもんだって、あんたの口癖、本当だぜ」

 外に聞こえないよう慎重を期して隣の男に話しかけているのは、刑事の制服を着た大柄なアイルーロス、ライアンだ。

 「私もまさか本当にこうなるとは思いもしなかったですけどね」

 大柄な彼に負けず劣らず長身だが、ほっそりとして背中を丸め、随分小さく見えるもう一人の男。彼はブラン地方からやって来た大商人、ルーミの父親ゼオンである。

 「メリアンさん、怒るだろうなあ」

 「ああ、あの人これだけはやめろって言ってたな。まあ、背に腹は代えられんってやつだ」

 「そうですね。でもまだ必ず使うと決まったわけではありません」

 「そうか、そうだったな。劣勢にならなければいい話だ。万が一がないことを祈ろうじゃないか」

 男たちは小声で話しながら、くくっと肩を揺らす。その姿は端から見ればとてつもなく不気味だった。

 「ところで例の新米商人の後ろにいた人、あの白い頭巾を被った女性の方、誰だったんでしょうね。ご存じですか?」

 「いや、商人自体初めて会ったからなあ。まあゆったりとした服で隠してはいたが、女だってのは間違いないだろう」

 「おっと、ライアンさん、その下品な笑い方はアウトですよ。同類とは思われたくないので、僕はこれでお暇します」

 「おいおい、そりゃないぜ。まああんたも忙しいからな。くれぐれも流れ弾には気を付けろよ」

 男たちは手を振って別れていく。その会話を盗みされてるとは夢にも思わずに……。




―――日も暮れて、再びテオンサイド

 「あれ?レナ、通った?」

 「いや。まさか気配は?」

 「さっきの一団の中にいたはずなのに、見当たらないの……」

 残念そうに項垂れるララ。彼女とは対照的に、僕は内心少しだけほっとしていた。気まずいのはどうしても苦手だ。

 『精々自分の力で出来ることくらいは今のうちに把握しておけよ?』

 アストの言葉が頭を過る。

 「え!?何?」

 気付いたらララの手を握っていた。思い出すのはキラーザの関所、あの一幕。ブラコの中に意識ごと入り、毒を浄化したあの感覚。その力が思うままに発動できるのなら、活躍の幅は広いだろう。

 だが……。あのときは一度で気を失ってしまった。それ以来、全く発動させる機会がなかった。そう気安く試せるものでもないのだろうが、それがこの大きな不安の一因だ。

 「ね、ねえ。テオン、急にどうしたの?」

 ララの手が少し熱くなった気がする。

 「ちょっと、ララの中に入って見ようかと思って……」

 「な、何言ってるの?」

 「え?」

 ふと我に返る。怪訝そうな赤い顔に思わず手を離した。茹で上がった頭から、レナのことはすっかり抜け落ちたのだった。
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