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第6章 火薬庫に雨傘を

第8話 アオイの危機と暢気な領民

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 「え……、えっ……、え……??」

 目の前で起こったことに信じられないという顔で戸惑う領主。一方でパールと私は、冷静に彼の狼狽を眺めていた。

 今、アキはぐっと屈んだ後、ふっと宙に消えた。何が起きたのかというと、ふっと飛び上がった後、すっと消えたのだ。……そう、すっと消えたのだ。

 私もそれを初めて見たときは随分驚いたものだ。腰を抜かして暫く立てなかった覚えがある。アキは、姿を消すことができるのだ。

 ただ見えなくなるだけではない。消えている間は誰も彼に触れられない。だから彼は魔導エレベーターの壁にぶつからない。

 さらには重力すらも彼を捕まえられない。彼は今自分の動きを思いのままにコントロールできる。地上まで飛び上がって移動できるのだ。

 その移動にはコツがいるようで、まだまだ自由自在とはいかないようなのだが。

 しばらく頭を悩ませていた領主がふっと顔を上げる。うろうろと虚空をさまよった視線が、パールを通過して私に向く。

 「アキレス様は一体どこへ……?」

 「アオイのところですよ。すぐに戻ってきますから大丈夫です」

 領主に笑いかける。だがこの狭い空間で、アキなしで彼と見つめあっているのはあまりに苦痛だった。私はすっと視線を外し、手元の杖を撫でる。

 「そんなスキルがあったのですか。本当に世の中は広いですね。それにしてもアキ様があんな方だとは思いませんでした」

 その領主の言葉に思わずぴくっとする。

 「怒りっぽいしせっかちだし、口は悪いし……。帝国の救世主だなんて呼ばれてるとはとても思えませんね」

 どの口が言うんだとぎょっとする。パールが拳をぎゅっと握りしめた。いつ噴火してもおかしくない。

 「おまけに随分と空想に耽る癖がおありのようで」

 「…………は?空想?」

 パールが口を開いたため、私は思わず身構えてしまう。だが彼女の問いに領主が答える素振りはない。

 「あの、空想とはどういう意味ですか?」

 「ええ。何やらアオイさんという目に見えない方をお側に置いているようで、何とも不可解なことです」

 ……え?ど、どういうこと?

 「アオイが目に見えないってどういうことだよ?」

 「……」

 「おい、私の問いかけは無視か?おい!!」

 パールが領主に詰め寄ろうとする。

 「ちょ!パールさん、それは流石にまずいですよ!!」

 必死に彼女を止める。すると……。

 「あ、あなたも同じタイプでしたか……。これはとんだ失礼を」

 領主はそんなことを言って俯いてしまった。

 「な、何なんだよ……一体」

 「さ、さあ……。あまり考えない方がいいかもしれませんね」

 「そ、そうだな」

 パールもいつの間にか握った拳をほどいて下ろしていた。私たちはそのまま黙りこんだ。やがて。

 ちりーーーん。

 長く尾を引いた鈴の音が鳴り、一瞬身体が重くなる。

 「うっ。ま、また……」

 「大丈夫かよ、シェリル。今のは到着ってことか?」

 パールの問いに答えない領主の代わりに、また壁の一部がふっと消える。

 「どうぞ」

 「え、ええ……」

 パールと私も降りる。するとすぐにしゅんと壁が消える。

 とん。

 そのとき、エレベーターの中から音がした。

 「ん?何の音でしょうか?」

 領主が首を捻る。エレベーターの中から声が返る。

 「あれ、もう皆降りたのか?」

 「あ、アキレス様?」

 領主が慌てて壁を開けようとしたそのとき。

 「よっと」

 アキが不意に領主の隣に現れる。

 「うわっ!!」

 「おいおい、そんなに驚かなくてもいいだろ?俺の能力についてはもうパールたちから聞いたろうに」

 「え、ええ。消えて天井をすり抜けられるとは聞きましたが、いやはや驚くなと言うのは無理な話ですよ」

 領主はよろよろとよろめきながらも、何とか体勢を持ち直す。

 「で、ここはどの階層なんだ?」

 「ええ。シェルターのある一般避難区です」

 辺りは白一色。天井も壁も白く塗りつぶされた広大な空間の中に、白い簡素なテントが並んでいる。

 真ん中に薄い水色のような線で引かれた通路があり、そこを挟んでびっしりと蚤の市のような商品を並べた茣蓙ござが続く。人々は商品を眺めたり手に取ったり、店主と口論の末に購入したりしていた。

 「驚いたな。普通に皆生活してるじゃねえか」

 「ええ。店は簡素なものですが、あとは殆ど普段通りにしています。何しろ皆いつも地下暮らしですからね。違うことといったら、いつもより部屋が狭くて人が多いくらいでしょうか」

 「皆さんたくましいですね……」

 「ここの者は身分の低い者たちです。皆さんをお連れしたいのは奥の区画ですので、こちらに」

 ここでも身分。いい加減聞き飽きた言葉にうんざりしながらも、一同領主に付いていく。

 「なあアキ、アオイはどうだったんだよ」

 「ん?ああ、ミノタンたちと遊んでるよ」

 恐らく、しばらくしたら地上に上がることを先に話しておいたのだろう。それを聞いてすぐミノタンたちと遊んで過ごすとは、さすがアオイだ。

 「いや、そうじゃなくて何があったのかって話だよ」

 「ああ、大したことなかったよ。男に絡まれてたから追い払ってきた」

 「男に?何だ、ただのナンパかよ」

 ナンパ?いや、今領民のほとんどはシェルターにいるはず。男が上にいるはずはない。だがアキが大したことないと言うのだ。気にしなくても良いのだろう。

 「おや?良い男だね。見ない顔だ。旅人さんかい?」

 不意に領民の女がアキに話しかける。

 「旅人だなんて失礼なことを言うんじゃありません。私の依頼に応じて来てくださったアキレス様ですよ」

 「アキレスって、まさかあの帝国の救世主の!?」

 女が声を上げると、周りにいた者たちも口々に反応し近付いてくる。

 「その通り名そんなに知られちまってるのかよ!俺は帝国の救世主なんかじゃねえぞ?」

 「またまたー。戦争が近いからって、あたしらを助けに来てくれたんだろ?」

 「あー、まあそれはそんなに間違っちゃいねえけどよ」

 「きゃーっ!!格好いいわあ!!ありがとね、こんな田舎まではるばると。あたしたちのこと、頼んだわよ」

 女たちの勢いに押されてアキの足が止まる。彼は注目を浴びると調子に乗ってしまうところがある。私は近付いてきた彼の背中をぐいと押した。

 「アキレス様はお急ぎなのです。あなたたちに構ってる暇はありません。道を開けなさい!」

 領主が頑として言い放ち、アキを引っ張った。身分の低い領民にはこうしてがつんと言えるのか。

 「ふう。全く、人気者は辛いぜ……いてっ」

 にやけたままのアキの背中を、少しだけつねってみた。




 ぎーーーっ。

 重そうな扉が開く。壁に溶け込むように真っ白な扉が左右に開き、これまた真っ白な空間がその先に続く。

 「この先が一般の領民の避難区となります」

 先ほどまでとは打って変わって、中には真っ白な家がずらりと並んでいた。簡素だがテントとは明らかに違う、立派な家だ。

 「おいおい、ここシェルターじゃねえのかよ」

 「シェルターですよ。一般の領民に対しては、1世帯に1軒仮の家が与えられるのです」

 右手の家から子供たちが出てきて、大通りを元気に走り出す。

 「何か拍子抜けだな。不安なんて感じられないくらい、皆当たり前のように日常を送ってんじゃん」

 パールが子供たちに向けて手を振る。だが気付く子はいなかった。

 「そうだよな。こんなに平和そうなのに、これからここの地上じゃ戦争が始まろうとしていて、その事を知らずに働いている奴隷の人たちがいるんだ」

 アキがぐっと拳を握りしめる。

 「あ、あれは何でしょう?」

 家々の奥、壁に程近い場所に、1面黄金色に光る物が見えた気がした。あれは多分……。

 「どれのことだ?」

 「あれです。ほら」

 指を指してアキに知らせる。

 「ああ。あれは小麦ですよ。地上で見たでしょう?」

 「小麦……そうか。上で収穫したものはここに届けられるのか……」

 アキは徐にその黄金色に近づいていく。地上で見た黄金色よりも茶色がかって見える。壁際に噴出口のようなものがあり、脱穀まで済ませた小麦が降ってきているようだ。

 降ってきた小麦は山のように積まれている。その山に、リアカーを引いた領民が歩いていった。

 「お、誰かいるな。届いた小麦を運んでるのか?話を聞いてみようぜ」

 アキが早速その人に話しかける。

 「よう、小麦を運んでるのか?忙しそうだな。手伝おうか?」

 「ん?あんた誰だい。まあいいか。見ての通りだ。お恵み様を運んでるところさ」

 男は戸惑いながらもぶっきらぼうに応じてくれる。

 「お恵み様?随分変わった呼び方をしているな」

 「まあな。このお恵みがなければ俺らはこの地下で生きてはいけない。あんたも感謝しなきゃだめだよ」

 ああ、良かった。奴隷を蔑視しているのかと思ったが、彼らが収穫した小麦を通して感謝の気持ちを持っているのだ。

 「そうだな。食糧は大切だ」

 アキも頷く。

 「本当に。この仕組みを作った帝国様万歳だよ」

 「……ん?帝国様?」

 「おうよ。あんたよそ者らしいからな、教えてやるよ。この小麦はな、全自動で送られて来てんのよ」

 …………はい?

 「どういうことだ?」

 「あんた、地上から来たんだろ?なら見たはずだろう。あの赤い機械から自動でここに送られて来てんのさ」

 確かに地上では何台もの赤い魔導機械が動いていた。そして、それを動かしていたのは紛れもなく奴隷たちだ。

 「これだけの小麦が全自動で生産・収穫できる。地上へは時々メンテナンスの者が向かうだけでいい。全く、帝国様万歳だ」

 彼らにとって、奴隷は人間ではない。だから、奴隷が働いて作ったものはすべて、機械が自動で作ったのと同じだと、そう言っているのだろうか。

 「も、もう行こうぜ、アキ。このまま話を聞いていたら、頭がおかしくなりそうだ」

 「わ、私もこれ以上聞きたくありません。行きましょう」

 「あ、ああ。そうだな。悪い、おっさん。俺たちもう行くわ。仕事の邪魔してすまなかったな」

 私たちは通路で待っていた領主の元へ向かおうとする。

 「いや、それはいいけどよ」

 男は不思議そうに首を傾げている。

 「俺たちって、兄ちゃん。あんた一人じゃねえか」
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