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第5章 不穏の幕開け

第2話 ラミア連続誘拐事件

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―――とある密林

 じめじめとした空気が肌に張り付く。汗と雨でぐちょぐちょに濡れた鎧とその下の服も、体にびったりと張り付いて動きを重くしていた。

 4日前までは砂漠の乾燥した空気に触れていたというのに、あっという間に気候が変化していた。そのあまりの差に体調不良を訴える兵士も続出し、休み休みの道程だった。

 「姫騎士様、予定からは大幅に遅れてしまいましたが、明日には目的のキャンプ地に着きます。その後1日は休みを挟んだ方がいいかと思いますが、如何でしょうか」

 斜め後ろに控えて歩くロイが私に話しかける。生真面目な彼の堅苦しい物言いは、雨の憂鬱を一層重たくする。まあそういう振る舞いを敢えてしている私が言えた義理ではないが。

 どんよりと暗い黒雲の空を仰ぎ見ながら、私はぽつり「ああ」とだけ答えた。正直兵卒の管理はロイに一任してある。彼はこの手のことに長けていたようで、私が口を挟む余地などまるで無い。

 「それにしても鬱陶しい雨ですね、姫様。お身体冷えさせてはおりませんか?」

 急に小声になるロイ。思わず「おかんか!!」と突っ込みたくなるのを堪え、くすっと笑うに留める。時折見せる昔のままの彼の口調が、何だかんだで心の支えになっていた。

 「動いている今は寧ろ暑くて仕方がないが、立ち止まれば一気に冷えるだろうな。次の休憩地点では火を焚いて身体を暖めよう」

 「兵たちへの優しいお心遣い、感謝いたします。ですがこの雨ですから、通常の方法では火を起こすことは出来ませぬ。どうかもう一つ、姫騎士様のお力をお貸し頂きたく」

 「おい、まだ小声なのに何でその口調なんだ」

 「そんなにお気に召しませんか?」

 「当たり前だ。その……お前がその口調で喋ると何かこう、背筋が寒くなる」

 「それはさぞお身体を冷やしてしまわれるでしょうね。しかしご安心ください。お望みとあらばどんな夜でもすぐに駆けつけて、私が姫騎士様を温めて差し上げましょう」

 「止せ、そういうのは望んでいない。暖めるなら焚き火で十分だ。湿気って火が点かないなら私の聖剣技も使おう」

 「はっ。ありがとうございます」

 ロイは笑顔で礼をする。私も釣られて笑みが溢れる。はて、私はこの男のペースにこんなにも飲まれるものだったかな。そんなことを思うが、別に悪い気はしていない。

 彼が勇者の力を失って、私が正式に勇者候補となって、心に重くのし掛かることが増えた。自らに試練を課すため積極的に魔族領へ遠征するようになった。

 勇者候補となったことに対する国民の期待もさることながら、魔族との関わりが特に心苦しいのだ。

 「ロイ、目標の村についてもう一度分かっていることを頼む」

 「はい。今向かっている魔族の村はかなり小規模な集落で、人族領に残っていた集落と同様の文化水準の村となります。確認されている魔族は20体前後。全員武器の扱いに慣れているものと思われます」

 「女子供に至るまで武闘集団ということか?」

 「姫騎士様、魔族は女ではなく雌です。国王様の方針ですから、何卒」

 「ああ、そうだったな。それで?本当に全員が武器を扱う武闘集団なのか?」

 「ええ、そのように報告されております。魔物のいる森で狩りをする雌の魔族を目撃したものがおりますが、一体で訓練を積んだ我々数十人分の戦力だろうと分析されております」

 「ふっ、流石魔族だな。男と女……雄と雌で戦力や戦い方に違いはあるか?」

 「はっ。主に雌は集落内部で生活しておりまして、集落の外で狩りを行う雄の個体の方が強いとのことです。中には隊長格の戦士が束になって掛かるべき者もいると」

 「やはり正攻法ではとても私たちに勝ち目はないな。だが村を焼くなどの行為は難しいと」

 「ええ、何しろ向こうには人質がいますからね」

 今我々が向かっているのは人間を拐った魔族たちの村。村の中に人間の子供がいるのだ。

 「子供たちの様子は?」

 「集落の中では自由に動ける状態のようです。ですが高い柵に囲まれた上、出入り可能な門らしき場所には常に魔族の監視が付いており、実質軟禁状態にあると言えましょう」

 「まあ集落の外には魔物がいるのだろう?我々が保護するまで彼らには柵の中にいてもらった方が安全だ」

 「確かにそうですね。皮肉なことに、今子供たちは誘拐犯の魔族たちによって守られているということですか。そんなこと言ったら被害者の家族が黙っちゃいませんがね」

 「あの町の皆はもう魔族の『ま』を聞いただけで取り乱すほどだからな。子供を根こそぎ拐われたんだ、仕方がないことではあるが」

 「本当に可哀想な事件です。魔族たちは一体人間を何だと思っているのでしょうね」

 ロイが憤りを露に鼻息を荒くする。それほどに痛ましい事件なのだ。

 ラミア連続子供誘拐事件……。1年前から世間を騒がせ、未だに捜索が続けられている凶悪事件だ。

 ラミアと言えば、魔王討伐隊がアリシア盗賊団に壊滅させられて、私とロイが逃げ延びた山岳地帯モンスネブラの宿場町。魔族領との境界が近く、また荒っぽい冒険者たちが集まる町ということもあり、かつては魔族と通じているなどの噂も立っていた。

 事の始まりは1年前の夏、町の冒険者ギルドのマスターの娘が行方不明になった事件だった。地元警察の懸命な捜査にも関わらず、手がかり一つ見つからなかったのだ。そのうち、有力冒険者マーコスの1歳の息子も拐われた。そしてこの時、町の近くで魔族が目撃されたのだ。

 魔族の犯行によるものという線が浮かび始めたとき、第3の誘拐が起こる。町の公園で遊んでいた5人の子供が、1度に拐われたのだ。その際遂に決定的な目撃証言が出る。

 公園の木の影になった暗がりに突如数体の魔族が現れ、子供たちを連れて消えたというのだ。

 空間転移の魔術は人間に扱うことは出来ないが、魔族になら扱えるだろうと言われていた。1度に5人もの子供が拐われるという異例の状況も相まって、一連の誘拐事件は魔族によるものと断定されたのだった。

 それからも度々子供の誘拐事件は続き、今ではラミアの町に子供は町長の息子ただ一人となってしまったのだった。

 町の人々の怒りは凄まじく、即座に魔族を滅ぼせという訴えが声高々に叫ばれるようになった。事件が人々に広まるにつれて、魔族に対する怒りはサモネア王国中に広がった。

 国王の元にも、魔族領に乗り込んで拐われた子供たちを捜索して欲しいという嘆願書が、毎日何通も届けられるようになった。この事件の早期解決は、王国にとって最優先事項となったのだ。

 「いよいよ子供たちを取り返せる日が来ると思うと、感慨深いですね。親と離ればなれなんて、子供にとっては1番辛いことでしょうから」

 ロイはしみじみとした様子で呟く。彼も誘拐事件に酷く心を痛めていた。私も思うところがないわけではない。私自身寂しい思いをして育った子供だったのだから。

 「だが必ず子供たちを助けられるとは限らない。私は結局魔族には勝てないんだから……」

 私の脳裡を過るのは竜型のゴーレム。魔族の軍事技術は人間を凌ぐのだ。

 「あれはあの新型兵器があったからでしょう。実力では姫様の方が上でした。今度の村はあのような軍事力を有するとは思えません。それに……次はあのセバス博士が来るらしいですからね」

 セバス博士とはサモネア王国の軍事技術を担う顧問技術者だ。今はブラン王国滅亡と同時に失われた兵器の再現を任されているらしい。次のキャンプ地で合流予定なのだ。

 少し前に再現技術の確立が報告された。前回の進攻には間に合わなかったが、今度の魔族討伐及び子供たちの救助作戦に組み込まれることになったのだ。

 「そうだったな。セバス博士の復活兵器……私たちはそれを信じて作戦を遂行するだけだ。指揮官の私が不安になっていてはいけないよな」

 地面がぬかるんでいる。私は泥跳ねも気にせず、思いっきり踏みしめた。

 「必ず子供たちを助け出すぞ!!」

 「ええ姫様、その意気です。必ずや非道な魔族どもを滅ぼしましょう」

 「ところでロイ……」

 チリリン……。ロイの右手に鈴が揺れる。手首に巻き付けた赤い紐は、魔族の襲撃を受けた村に伝わっていた、失われた織物技術による伝統の組み紐だ。彼にとっては正義の象徴にもなっている。

 「その鈴は今回も付けていくのか?」

 「勿論です。この鈴は魔族に対する怒りの象徴ですからね」

 やはり……か。彼の中でこの鈴の意味は少しずつ変化していったことに、私は最近になってようやく気がついたのだ。

 魔族は確かに人類の敵だ。だが彼らもまた人類に囲まれた中で必死に生きてきた生物だった。好戦的な魔族も多かったが、中には戦うことも出来ず泣き叫ぶだけの者もいた。

 私にもロイにもずっと迷いがあった。人間領に魔族が残っていてはいつまでも悲劇は続く。その考えに従い、私たちは魔族の集落を全滅させた。その度に苦悩したものだった。

 彼にとってあの鈴は、その迷いを断ち切るための物だった。人間と魔族との悲しい争いを終わらせる為、正義の為に迷いを断ち切る鈴なのだ。

 「怒り……か。お前はもう迷わないのだな」

 私は微かに震える自らの右手を見る。分かっている。間違ったことはしていない。倒さねばならぬ敵だった。そして今待ち受けているのも敵なのだ。

 「姫様はまだ迷うのですか?」

 ロイは澄んだ目で不思議そうに私を見つめる。

 「お若い証拠ですね」

 私はむっとして見返す。私は軍の指揮官としては若い。そのことを多少気にしているのだ。普段他人に見せない自分の内面で言うならば、一層幼いことも自覚している。

 「ですがあなたは指揮官です。しっかりして下さいね。いくら少人数だとしても、魔族どもは必ず激しく抵抗するでしょう。片時も気を抜いてはなりません」

 「そうだな……」

 ふと目の前が明るくなり私は目を細める。視界を塞いでいた木々が急にまばらになり、眼下にずっと遠く森が続いていた。

 私たちは依然雨の中。森の向こうでは雲の隙間から光が降り注いでいた。
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