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第4章 煙の彼方に忍ぶ影

第20話 オルガノの捜査哲学

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―――温泉宿「かれん」

 「ええ、間違いありません。完全に一致しました。被害者の正体はシャウラ……我々が追っていた暗殺者サソリです!!」

 オルガノの声が響いてからしばらく、温泉宿「かれん」の広間には重たい空気が流れていた。

 「アデルの追っていたシャウラは、哀れにも殺されてしまっていたのですね……」

 ゼルダが悲しげにそう言葉を漏らす。

 「レナさん、ララさんのお力がなければ、僕は本当の被害者が誰かも分からずに事件を処理しただろう。もし彼女の不幸な人生の最期にあのまま誰も気付かなかったかもしれないと思うと、遣りきれないよ」

 しばらく手を合わせていたオルガノも、しんみりと口を動かし始める。

 「お二人とも、シャウラを見つけてくださって、本当に有り難うございます」

 「いや私は……結局はっきりとしたことは何も言えなかったし、シャウラさんを見つけたのはレナさんとオルガノさんだよ」

 ララの言葉に、すぐさま私は首を横に振った。彼女がいなかったら、絶対に私はこの秘密に辿り着けなかっただろう。

 「謙遜することないわ、ララちゃん。あなたがおかしいと言わなければ、あたしも調べ直そうなんて思わなかった。お手柄よ」

 私が彼女の頭を撫でると、少し広間の空気が和らいだ。

 「それで、事件は結局どうなるのかしら?」

 囲炉裏の炭がぱちっと爆ぜる。ユカリが本題に入った。そう、被害者の正体がシャウラだったという事実は、事件の解明に向けたほんの小さな一歩に過ぎないのだ。

 「女湯に男が入った謎が消えて、サソリがブラコに偽装されていたって謎に変わったってところでしょうか。ますます訳が分からなくなってきました」

 リットが頭を抱える。

 「そうか。赤紫の髪……」

 ゼルダが思い付いたように呟く。

 「まさかハニカ・ジュバがシャウラ?」

 「ん?ゼルダさん、それはどういうことだい?」

 「はい。シャウラはフェリスアレーナとヒューマンの混血のため、髪の色が周りと違ったんです。その色が……」

 「赤紫……。そういえばアデルがちらっとそんなことを言っていた気がするわ」

 昨夜の食卓を思い出す。しんみりした話はあったけれど、美味しい天麩羅を食べ、わいわい騒いだあの時間が随分懐かしい。

 「そうだとすると……」

 オルガノはふっと表情を明るくする。

 「この事件の解決はひとまず不可能じゃなさそうだ」




 「不可能じゃないって……まさかオルガノさん、もう犯人が?」

 「まだそこまでじゃないけどね。何しろシャウラが男に化けた手段がさっぱり分からないからな。まあ、世の中には僕の知らない魔法や魔道具がごろごろ転がっているから、考えるだけ無駄って場合もあるけどね」

 まあ、それも仕方のないことかもしれない。

 「だけどどんな犯罪も、必ず動機と機会のある誰かが実行する。刑事はただ最も怪しい人物を挙げればいいんだ。自白させるための魔道具だって、たくさんあるからね」

 彼は妖しい笑顔でそう言うと、手帳に視線を落とす。私が魔力残滓を再調査する前に調べていた、皆のアリバイを確認しているようだ。

 「実はもうね、目星は付いてるんだよ。というか、被害者がこんな奇妙な状態でなければとっくに捕まえていたところだ」

 得意気に彼は言い、手帳をぱたりと閉じる。嫌な予感がする。被害者がハニカだとするのならば、真っ先に疑われてもおかしくない人物が一人いるのだ。

 「聞かせて貰おうじゃない?あなたの考える最も怪しい人物」

 ユカリの視線もちらっとその人物を捉える。

 「その人物は誰にも見られない状況で現場に行っていた。そして遺体発見時にもその場に居合わせた。それだけで疑うには十分なんだよ、マギーさん」

 その名前が上がり、彼女の尻尾がぴんと伸びる。

 「ニャ!?何でそこでマギーなのニャ!?」

 「君、今朝一番に温泉に入っただろう?フバさんが目撃しているし、君もそう言っている。そのとき君はハニカも被害者も目撃しなかったと言ったね?」

 私もマギーの話を思い出す。彼女はそのとき温泉には他には誰もいなかったと言った。ちょっとやそっとじゃ見落とさないと豪語していたのだ。

 「さらに君はそれ以前にハニカと面識があると言った。深夜のうちに湯殿へ向かう渡り廊下で彼女に会ったと。間違いないかい?」

 赤紫の髪の女なんていなかったんだとフバが言ったとき、彼女は確かにその女を見たと言った。それでユバが見た女が実在すると裏付けられたのだった。

 「間違いないニャ。だけどそれが何なのニャ?」

 オルガノはつかつかとマギーの前まで歩み寄ると、じっと彼女を見下ろした。物腰の柔らかそうな刑事だと思ったが、その長身から威圧感が放たれると、途端に戦慄した。

 「ハニカは清掃が終わってからすぐに入浴した。しかし、君がお風呂に入ったときには浴室からいなくなっていた。その後、君がもう一度お仲間とお風呂に来たとき、遺体は湯船に浮いていた。今、その遺体がハニカだった可能性が浮上している。そうすると……おかしくないかい?」

 「ニャっ!?一体何が……」

 「本当に……君が朝お風呂に行ったときには、女湯に誰もいなかったのかい?」

 オルガノの詰問はなお厳しさを増す。そう、不自然なのだ。だが、ひとつ仮定をおけばその不自然さは霧消する。すなわち、ハニカはずっと女湯にいた……。

 「マーガレット・ガル、君は嘘をついている」

 彼はそう言い切ったのだった。




 「ちょっと!?さっきから聞いてたらこじつけじゃないですか。マギーが嘘をついた証拠なんて何も……」

 ルーミが珍しく怒りを前面に出して強い語気で叫ぶ。しかしオルガノがきっと目を向けると、彼女はマギーの後ろに隠れてしまった。

 「『ちょっとやそっとじゃ見落とさないのニャ!』だったね」

 オルガノはマギーに向き直ると、いきなり甲高い声でそう叫ぶ。まさか彼女の物真似だろうか。

 「君のその言葉を聞いたときから違和感があったんだよ」

 「ニャ!?マギーの目が節穴だと言っているのかニャ?」

 「ああ、そうだ。君の目は肝心のものを見落としている」

 「肝心のものって……何ですか?」

 ルーミが恐る恐る顔を覗かせる。

 「湯気さ。今朝も随分寒かったね。浴室が湯気に満たされるほどに」

 そうか……。朝方、日が昇ったばかりの時間なら冷え込みも今以上。湯気に覆われて浴室の中はうまく見通せない筈なのか。

 「そ、そんなの……忘れてただけじゃ」

 「そうだね、その可能性もある。でもそうじゃない可能性もある。疑わしきはね、僕はとりあえず捕まえることにしているんだよ」

 「そんな……」

 落ち込むルーミ。マギーはその頭をぽんぽんと撫でる。しかし、その顔は怒りで僅かに歪んでいた。

 「お前、ムカつくニャ。なんかイラっとしたニャ」

 「ふむ、短気な性格もあるようだね。これは衝動的な殺害も視野に入れられそうだ。動機まで調べなくてもいいかもしれないな」

 「ちょっと、何よその言い方!!」

 思わず口に出す。しかし強く反論できる材料が……反論?あるじゃない!今しているのは日が昇ってからの話。それなら……。

 「残念ね、オルガノさん。あなたはひとつ大きな見落としをしているわ」

 「?レナさん、僕が何を見落としたと?」

 「あなたも昨夜見たはずよ、マギーの変貌を。この子はね、昼間はとっても馬鹿なの。湯気で見えなかったからこそ、何もなかったと思いこんでもおかしくないわ。昼マギーはとってもお馬鹿なのよ!!」

 大事なことだから2回言う。

 「レナ、酷いニャ」

 「我慢なさい。あなたのためだから……」

 彼女の後ろでルーミがくすっと笑いをこぼす。この事実は強い。間違った供述があっても仕方ないのだ。これでオルガノももう反論できな……。

 「そうか、それは良いことを聞いたよ。やっぱり見落とした可能性もあるんだね」

 彼は全く動じていなかった。

 「いや、それならそれでいいんだよ。何と言ったって、機会があったのはやはりマーガレット、君だけなんだから」

 項垂れるマギー。彼女の服を掴むルーミの手に力が入る。まさか、また彼女が疑われることになるなんて……。

 「ねえ」

 そこへユカリが割り込んできた。

 「いい加減、その考えなしの推理もどき、やめてくれないかしら?」

 「考えなし?どういうことだい?」

 「あなたの話じゃ、マギーがハニカの遺体をブラコに偽装したってことになるんでしょ?その手段まで立証しなきゃ、検挙できないんじゃない?」

 そうだ。マギーにはそんなこと出来はしない。

 「いや、そうは言っても魔力まで偽装する今回の手口は過去にも例がない。そこは自白を待つしかないだろう」

 「そんなんでいいの?」

 「不可能なことには手を出さない。それが僕のやり方なんでね」

 オルガノは溜息をつきながらも胸を張る。大した捜査哲学だ。

 「逆に偽装手段を突き止めてマギーさんにそれが出来ないことを証明すれば、疑いも晴らせるってことですか……?」

 しばらく黙っていたゼルダがふとそんなことを言う。そんなことが出来たら苦労しない。

 「なるほど、それはそうだ。そういえばレナさん、魔力偽装の研究は王都では始まっているそうだね?」

 おっと……。魔力残滓の再調査の時についた嘘がここで我が身に返るか。

 「いや、その可能性を加味した魔力測定法を確立しようってだけで、具体的な偽装手段までは……」

 苦し紛れにそう答える。そのとき。

 「あ、奇跡の花……」

 ユカリが思い出したようにそう呟く。

 奇跡の花……。ポエトロの町に伝説として語り継がれていた、どんな呪いも解除する花。そう、私たちがポエトロの町に立ち寄ったとき、その花を巡る事件に巻き込まれたのだった。

 その花には呪いを解除する以外にもうひとつ、奇妙な噂があった。かつて人の顔を変える呪いを各地に振り撒いた呪術師がいた。その正体はポエトロにある秘密の花園の初代守り人、奇跡の花を育てていた人だった。奇跡の花が彼女にその呪いの力を与えたと言う。

 その力を狙って、アリシア盗賊団が花を奪ったのだった。まさか……。

 「あのときの花が使われたと言うの……?」
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