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第4章 煙の彼方に忍ぶ影

第1話 姫騎士の独白

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―――アウルム帝国カクト地方、カクタス砂漠

 私は身の丈ほどもある大剣を横凪ぎに振るい、敵を牽制する。

 「早く退け!全員生きてサモネア王国へ帰るのだ!!」

 私の率いた軍勢は順調に敵軍を押し、遂に砦をひとつ落とした。そこで体勢を整えようとしたとき、事態が急変したのだった。現れたのはドラゴンを模した魔導兵器。我が国のゴーレムと似たようなものだが、物理攻撃だけでなく火炎属性の魔術を使う。

 「あのドラゴンには近付くな。逃げることだけを考えろ!消し炭になりたくなければな!!」

 私の言葉に逃げ惑う兵士たち。もはやパニックになりかけていた。やむを得まい。私は竜の前に躍り出る。敵うとは思わない。だが少し時間を稼ぐくらいはできるだろう。

 横から迫る尾の一撃を受け流し、上から振り下ろされる爪を避け、顎が迫るのを見て、その出鼻を下から打ち据える。

 はあっ!!

 がきん!!

 竜の身体は硬い合金。魔術による強化も施されているようで、全く刃が通らない。だが衝撃は伝わる。

 身体の割りに大きな顎を揺らされた竜は、バランスを崩して少しよろめく。まるで生き物のような動きだ。

 「今だ!!」

 体重が移りかけた足の膝関節を裏から切りつける。生き物であればこれで腱のひとつも断ち切れたかもしれないが、非情にも硬い金属音が響く。

 だが衝撃の効果は十分だった。膝が少し曲がる。体重を支えられる体勢でなくなった竜はそのまま倒れそうになる。私はさらに体当たりで追い打ちを加え、竜を転ばせる。

 「「「うおーーーっ!!」」」

 味方から歓声が上がる。

 「馬鹿者!今のうちに早く退け!!」

 竜の左右から敵兵が迫る。一度は退いたこやつらも、竜の登場ですっかり士気を取り戻している。

 「聖剣技を使う!お前たち、巻き込まれるなよ!!」

 私は剣を掲げる。光が集まって剣が輝き出す。これは私が待ち望んでいる光の力とは違う。純粋に火属性の魔力が集まっているに過ぎない。これが今の私にできる精一杯。

 「食らえ!!」

 剣を思いっきり竜に叩きつける。光は爆散し大きく広がる。視界は白く塗りつぶされ、敵の断末魔が響く。

 この程度では竜には傷ひとつつけられない。だが他の敵兵の動きは完全に止まった。

 「退け!退けーーー!!」

 私はひたすらに声を上げ、自身も踵を返して走り出す。私ではあれには敵わない。私は蛮勇ではない。退くときは退く。これが勇者にはなれない私の限界なのだ。

 「全員生きてサモネア王国へ帰るのだ!!」




―――砂漠と山の境のキャンプ地、テント内

 「…………以上、死傷者計481名です」

 「そうか……。ご苦労、下がれ」

 「姫様……。心中お察しします」

 側近の男が傍に寄る。男の右腕の義手がかたりと音を立てる。

 1000人ほどで攻め込んだこの遠征は、そのほぼ半数を失って帰ることになった。敵兵は初めは私たちの勢いに押されていた。だがその被害はそれほど大きくない。

 「敵の思惑通りに引き込まれたのか……?」

 「恐れながら、それでは私たちの進攻を予期したことになります。考えすぎでしょう」

 「そうか。偶々最初は驚いてくれたから上手くいったということか。だが結果は同じだ。奴らの戦力は想定以上、とても我々の敵う相手ではなかった」

 「今の我々の、ですけどね」

 「ふ。お前はまだ私が勇者になれると信じているのか?」

 「当然です。それだけが我々の最後の希望なのですから」

 「希望……か」

 男は屈託のない笑顔で言い切る。真っ直ぐなその瞳には一切の疑いの影もない。だからこそ……気遣いもない。

 「はあ、少し外に出ていてくれないか。一人になりたいんだ」

 「姫様、私には何でも悩みを打ち明けるという約束です」

 「悩みというほどではないんだ。少し疲れた。それだけだよ」

 「そうですか……。それでは私は本国帰還の準備を先に進めておきます。どうぞごゆっくり」

 男は義手で布を捲ると、名残惜しそうにゆっくりと出ていく。普段のきびきびした動きはどこへやらだ。

 ぱさっ。

 ようやくテントの入り口が閉じられる。外で男が小隊長たちと話す声がし始める。このテントはこのように外の音は通すのだが、機密保持のために防音魔術を展開してあるため中の音は外には漏れない。

 「はあーっ!!やっと一人になれたぁ。疲れたー!!」

 私はここぞとばかりに大声を出す。有事の際は大声で外に助けを求められるよう、テントで遮れる音量には限界はあるのだが、出来るだけぎりぎりまで声を出したい気分だった。

 そう。これが私の本当の姿。普段外に見せる厳格な姿とは違う、年頃……いや寧ろ年甲斐もないほどに少女然とした姿。私はぐいっと伸びをし、そのままカーペットに身を転がす。

 ごろごろ……。ああ、最高。

 私はスフィア・ブラン。かつて栄華を誇ったブラン王国の生き残りの王女にして、元ミール自衛兵団の第二部隊隊長。魔王討伐隊には副隊長として参加し、王国に戻ってからは騎士団副団長として国王のために剣を振るってきた。

 最後の勇者ロイ・ルミネールが魔王に敗れたという話が広まり、王国に絶望の空気が漂い始めたため、私は元ブラン王女であることを公表した。

 かつて初代勇者ハクアを輩出したブラン王国、その希望の血筋を引いた王国最強の騎士。そして国王が次に覚醒するはずだと公言した勇者候補でもある。私は最も勇者に近い存在として、国王より『姫騎士』の称号を賜った。私の存在は沈みかけていた国民たちに再び希望の火を灯した。

 『姫騎士が 勇者になるまで 堪え忍べ』

 そのスローガンが王城から垂れ下がり、皆貧しい生活の中でさらに身を切り、たくさんのお金を寄付してくれた。私はそのお金で各地へ遠征し、様々な修行をこなしてきた。この遠征もその一貫だ。その出費も犠牲も少なくない。

 私は王国の期待を一身に背負っている。弱いところは見せられない。甘えたところは見せられない……。

 ごろごろ……。

 こんなところは見せられない。だからこそ、今この瞬間だけは……。

 「大体勇者の力ってなんなのよ。覚醒の兆しってなんなのよ!修行を続ければそのうち声が聞こえるだろうって?何よ声って!誰かが授けに来てくれるというの?」

 王様の話では突然頭に響いてくるのだと言っていた。

 「そんなのホラーじゃない!絶対怖いって!!」

 はあ……。私はみんなの希望。だけど私自身、いつまで希望を失わずにいられるのだろう。

 確かに今までの修行で私は強くなっている。剣術も王国で敵がいないほどになってきたし、魔力の扱いもどんどん磨きがかかってきている。今の私が実現可能なことならば、願うだけで大体実現できるほどに扱いにも慣れた。やってきたことは確かに無駄ではない。

 チクタク、チクタク、チクタク、チクタク……。

 時計の音が響く。時間は刻一刻と過ぎ去っていく。皆の生活がいつまで続くか分からない。不安の芽がいつでも顔を出そうとしている。人の忍耐など、何年も続くようなものじゃない。

 「ハクア様……。どうか私に力を……皆の希望を授けてください。ハクア様……」

 初代勇者ハクア。私の小さい頃からの憧れの存在。絵本の中の勇者様。お母様が読んでくれた……強くて優しい王子様……。

 つーっと頬を涙が伝う。そのまま私は眠ってしまった。今日も声は聞こえなかった。

 白暦314年8月15日……今日は私の、22歳の誕生日だった。




―――その日の早朝、ペルーの宿屋

 「本当にもう出発しちゃうんだねえ」

 ネクベトが宿屋の入り口で送り出してくれている。

 「すみません、ここでは長らくお世話になってしまいましたが、あたしたち実は急いでるんです。あむ」

 レナが申し訳なさそうに笑う。手には土産物の饅頭が握られている。いい大人が話しながら食べるなよ……。

 「ネクベトさん、アデルは7日前にここを発ったんですよね」

 ゼルダが再度確認する。アデルとは砂漠の遊牧民だった剣士の青年で、ゼルダとは長い付き合いだったらしい。

 彼もアルタイルの被害者だ。集落を滅ぼされ、情報を求めて数年ぶりに聖都ペトラを訪れたところ、その変わり果てた姿に驚愕し、ネクベトと会ったときは相当に消耗していたそうだ。

 それから数日宿に泊まったあと、キラーザに向けて旅だったという。それが7日前のこと。僕らが宿に着いたのは5日前、ネクベトが僕らのことを知ったのもその前日だったから、本当に僅かなすれ違いだったようだ。

 「ああ、キラーザの外れの温泉宿に知り合いがいるからそこで少し厄介になると言ってたよ。もっと早く言えば良かったねえ」

 「いえ、どの道アルタイルをどうにかしないことには先には進めませんでしたから。それに温泉宿ならまた数日滞在しているでしょうし、今度こそ会えるでしょう」

 ゼルダは胸の前で拳をぐっと握りしめる。ほんのり頬が紅く染まる。

 「あ、ゼルダちゃんもしかして、そのアデルさんって好きな人ですか?」

 ルーミがストレートに尋ねる。

 「え!!いえいえ、そういうのではありません……。種族も違いますし……お互い立場も……」

 異種族間の身分違いの恋……か。長老様、なんて甘酸っぱい。

 「ゼルダちゃん可愛いのニャ~!アデルってやつも憎いニャあ。キラーザで待ってなかったら、マギーがゼルダちゃんを貰っちゃうのニャ~」

 マギーが後ろから抱きつき、彼女はさらに紅くなっていく。

 「もう、そんなんじゃないって言ってるじゃないですか」

 女子たちは早朝の眠気も吹き飛んで、きゃあきゃあと盛り上がっている。

 「レナさん、このままだと出発できないぞ」

 呆れてレナを急かすのはポットだ。その横ではリットが俯いている。

 「そうね。それじゃネクベトさん、お元気で。またこっちに来たときは寄らせてもらうわね」

 「ああ、待ってるよ。みんなも元気でね」

 ネクベトが満面の笑みで手を振る。エリモ砂漠で一番のオアシスは、間違いなくこの宿屋だったな。

 こうして僕らは和やかに宿屋を旅立ったのだった。これから厄介な事件に巻き込まれるとは露ほどにも思わずに……。
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