26 / 42
だいじなもの
良いこと悪いこと 下
しおりを挟む
さて、そんなこんなでクリスマスが来た。夕食の後、ショートケーキを食べたコウは早々とふとんに入った。「早く寝ないとサンタさん来ないよ」とさんざんシガンに言われていたからだ。頭までかけぶとんをかぶって、ときどき外をのぞいてみる。そしてまだ来ていないとわかるとまたふとんに潜るのだった。
「寝ろよ……」
もぞもぞとしている塊を見て、シガンが呆れたようにつぶやく。コウはもうシガンがいなくても眠れるようになったが、これではサンタも大変だ。
そう思ったとき、ユエンが音もなく部屋に入っていった。ふとんの横にプレゼントを置き、なにもなかったような顔をして戻ってくる。空気さえ揺らがなかった。
「おい、おまえ……」
ユエンはにいっと笑った。コウがふとんから顔を出し、プレゼントに気づいた。喜んでそれを抱え上げると、起きあがってシガンのところまで見せにくる。
「サンタさんだ! ねえ、サンタさん来たよ! どこから来たの?」
「ん? 窓から来たよ。気づかなかったか?」
「……気づかなかった。シガンは会ったの?」
「そうだな、挨拶くらいはするさ。ここに寝てるいい子がいるって教えたんだ」
表情を明るくしてコウはラッピングをはがしていく。出てきたバッグを肩にかけ、「アオのみたいだ」と笑った。どうだと自慢するようにシガンに見せると、くるくると回ってみせた。これは帰ってきたらアオも捕まって聞かされるんだろうな。
「やはりサンタというのはいいものだ」
「おはよう。あけましておめでとう」
ある朝、コウが起きてくると、シガンが新年の挨拶をした。今日は元日だ。
「あけまして、おはよう?」
「えーっと、年が明けたから喜ぼうってやつだ」
「なんで? うれしいの?」
「なんでって……ううん。なんでだろなあ?」
年が変わったからといってなにが変わるわけでもない。それでもまた一年経ったかあという感慨と喜びとちょっとの寂しさを感じるのは年を重ねたからだろうか。
「人間は区切りをつけたがるものだ。それに、滞りなく流れる時間への礼節というのは悪いものではない。そうだろう?」
ユエンが現れてわかった顔で言う。「ん、まあ、そういうことなんだろう」。シガンもよくわかっていないので話をあわせる。一年というのは気持ちを切り替えて新しいことを始めるようとするのにちょうどいい区切りなんだろうと思う。
「まあいいさ、おぞうに食べるぞ。おもち何個がいい?」
「いっぱい」
「はいよ」
そうこうしているうちにアオが帰ってきて、みんなでおぞうにを食べる。甘めのすまし汁に鶏肉、青菜、かまぼこ。おもちは焼いた切りもちだ。
「アオさんとこ、おぞうにはなんで作る?」
「うん? あー……ウチはぞうには作らんかったなあ……」
「そうなの?」
その横でコウがもちと格闘している。ぐにょんと伸びたもちが口元や手にくっついていた。醤油をつけ海苔で巻いてやったほうが食べやすかったかもしれない。一方のユエンは噛まずに丸のみしていた。
「……二人とももちは初めて?」
「よく噛んで食べな」
アオがひと眠りしてから、近くの小さい神社に行く。小さいわりに人出はあって、こうじの甘酒をふるまっていた。興味津々、近づいていくコウをアオが止める。
「コウくん、甘酒は後で」
「うん」
「このお金を箱に入れて、『いい年になりますように』ってお願いするんだよ」
列に並びながら、貰った硬貨を握ったコウが聞いてくる。
「おみせやさん?」
「モノを買うわけじゃなくて……ええと、神さんにありがとうっていうお金かな」
「なんで、ありがとうっていうの?」
「ううんと……」
アオが首をひねる。そういう習慣だと思っていたから、疑ったことがなかった。シガンがちょっと身をかがめてコウを見た。神のことはよく知らないが、神を信じる人がなにを思って祈るかは少し心当たりがある。
「そうだなあ。コウくんは、嬉しいとか悲しいとかいろいろ思うだろ?」
「うん」
「自分だけじゃどうにもならないこともいっぱいあるよな?」
「うん」
「その自分だけじゃうまくいかないところを神さまにお願いするんだ」
「……うん」
「それで、うまくいったのは自分だけのおかげじゃないからお礼を言うんだよ」
「なるほど。それがおまえにとっての神か」
その横でにこにことしているユエン。コウはまだわからない顔をしていたが、シガンがその肩を叩いて少し進んだ列に戻す。その横であいまいに笑いながら、アオは自分のぶんの小銭を見つめた。
「そうかあ。そうだよなあ……」
自分たちの番が来て、賽銭箱にお金を入れて鐘を鳴らし手を打った。コウはシガンとアオを見ながら同じように頭を下げた。ユエンは後ろで待っていた。「私は神に祈ることなどないからな」。
それからおみくじを引いて、甘酒を飲む。暖かくて甘い匂いに心がほっと溶けていった。「おみくじなんだった? ぼくは……転機が来る、か」「俺は、探せば出る? なんだろ。コウくんは?」「……てば……う」「待てば叶う、か。いいじゃないか」「ユエンさんは?」「……時期を待て。ふむ、まあだいたいのことはそうだ」。
「寒いだろ、ほら」
帰り道、シガンは手を出してコウの手をとった。コウはシガンの手を握る。それからアオに向かって反対の手を差し出した。アオも手をとる。コウがぴょんと跳ねると両手を支えられて大きく揺れた。まるでブランコだ。
「ねえ、ユエンは?」
「うん? ……わかった、望むならばそうしよう」
ユエンに手を出されたアオは少し驚いて、そっとその手に触れる。柔らかく握り返された。ぶらぶらと揺らされる。「ユエンさん、楽しい?」「……そうだな、楽しそうなのを見るのはいい」。それから、ユエンが小さくもらした。
「私はちゃんと『神』をやれているだろうか」
そうか。ユエンはコウの神であろうとしているのだ。彼が彼自身ではどうしようもないことをどうにかしようとしているのだ。それはとても、重いことに思えた。
「……大丈夫だよ。俺たちだっているし、ユエンさんだけがやらなくていいんだ」
ユエンが少し不満そうにアオを見あげる。
「いや……俺は、ユエンさんがいてくれてよかったと思ってるよ。それはホント」
「そうか。ならいい」
「あ、ひこうきぐも。まっすぐ」
こうして新年は始まった。いい年になりますように。
年が明けてしばらく、シガンはコウを連れて「みなと」に行くことにした。「ほら、靴下はいて。ハンカチとティッシュ持って。あと五分だ。間に合わなかったら連れてかないぞー」「まって」「待たない」。
ようやく準備ができて街に向かう。コウはときどきなにかを気にして立ち止まるが、シガンがせっつくと足を速めてくれる。そして歩いているうちにまた忘れる。「あーもう……ほら、そろそろ行くよ」。シガンはコウの興味が切れたタイミングを見計らうのがうまくなってきた。
「こんにちはー」
「はい、こんにちは、シガンくん。コウさんも一緒?」
「そう。こないだ遊んだのが楽しかったんだって」
ドアを開けるとアキツが迎えた。オクドさんが尻尾をたてて歩いていく。奥を探すとカゴメたちがいた。でもヒカルはどこにもいない。また会おうって約束したのに。
「それはよかった。ヒカルさんがね、これをコウさんにって」
アキツが背をかがめて大きなドングリをコウに渡した。細長くて先がきゅっととがっているドングリだ。手のひらにころんと乗ったドングリに、コウは目をみはった。
「冬至祭に来れなかったでしょ。ヒカルさんが残念がって、プレゼントだって」
「これ、コウに?」
「そうよ」
胸がぎゅっとなって嬉しいと思った。ヒカルはコウのことを忘れていなかった。会えなかったけれど、それだけでよかった。また会ったときに「ありがとう」って言って、自分もなにかいいものを渡したかった。
それからコウは小あがりに座ってドングリで遊んだ。テーブルの上でコマのように回したり、細い先端を指にたたせてみようとした。手のなかで転がしたり、両手を閉じてころころ揺らしてみたりした。
「……ねえ、それ見せてよ」
横から女の子が手を出した。コウは嬉しかったからドングリを見せてあげることにした。きっと喜んで、「いいドングリだね」って言ってくれると思った。
そのとたん、女の子がドングリを奪い、床に落として踏みつけた。コウはなにがあったのかわからなかった。どんな顔をしたらいいのかわからないまま、殻が潰れて中身が出ているドングリを見おろしていた。
「ウズエ!」
カゴメが叫んだ。その声で厨房からシガンと、眼鏡の女の人が出てくる。
「チガヤさん、ウズエがひどいことした! コウのドングリ潰しちゃった!」
その言葉に、ドングリが潰れてしまったのだと理解できた。こわごわとしゃがんで拾いあげる。ぺちゃんこのドングリをぎゅっと手のなかに隠す。
「ちょっと落としちゃっただけでしょ! ドングリひとつでうるさい」
「わざとだったもん!」
「わざとじゃないって」
「ウソつき! わたし見たから。いっつも人のもの壊してるじゃん、ひどいよ!」
はいはいと眼鏡の女性、夏越《なごし》チガヤが二人に割って入る。シガンは鳥追《とりおい》ウズエの肩を叩いて、腰をかがめると顔をのぞきこんだ。
「ウズエさんは、ちょっとお茶飲んで話そうか?」
嫌そうにしたウズエだったが、その背を押して離れたところに向かう。その様子を見送ったカゴメがじだんだを踏んだ。
「なんで、ウズエが悪いのに。力いっぱい踏みつけたじゃない」
「そっか。カゴメさんは見たんだ、わざと踏んだとこ。教えてくれてありがとね」
「そうだよ。なのに、なんで……」
「だけど、『ウソつきだ』なんて言ったら認めにくいよ。ウズエさんはアキツさんがお話しするからね」
「なんで、わたしばっかり怒られるの……」
泣きそうになってカゴメは口をとがらせた。チガヤはそっとその肩を撫でる。
「怒ってないよ。優しく言ってあげよう? カゴメさんが間違ったときは私も優しくしたいもの」
それからチガヤはコウの前にしゃがんだ。コウはヒカルになんて言ったらいいんだろうと考えていた。ちゃんとしたドングリがないと、もう二度と会えない気がした。
「コウさん、ごめんね。悲しかったね」
「……うん」
「親切で見せてあげようとしたんでしょ? ありがとう」
「……うん」
「今回はうまくいかなかったけど、コウさんのせいじゃないからね。コウさんは悪くないよ。だから、嫌だって思ったら怒っていいの」
カゴメは不満そうに肩を怒らせ、じっと床を見ている。
「カゴメさんもコウさんのだいじなドングリ潰されて怒ったんだよね。ありがとう、コウさんのために怒ってくれて」
そうか。カゴメはコウのだいじなものをだいじだと思ってくれた。ヒカルに貰ったドングリはだいじなもので、それを壊されたからこんなに悲しいのだ。だいじという言葉が手で触れたようにわかった。だからカゴメはウズエに怒ったんだ。
「カゴメ、ありがと」
「いいよ、もう……」
コウは手のなかのドングリを確かめるように触った。ヒカルがくれたドングリなのに。腹が痛くなって苦い感じもして、目がじんわり熱くなって、とても悲しくて怒ってるのだけど、そんな言葉ではどうがんばっても言い表せないような気持ちがした。
ドングリをポケットにしまい、隅っこの壁に背をつけて座っていると、目の前にカゴメが立っていた。カゴメはまだ怒っていて怖いと思った。思わずコウの口が開く。
「ごめんね」
「……なにが?」
きつい声で返されて、それ以上コウはなにも言えない。
「ウズエは悪い子なの。ピアノに行きたくなくて、叩かれたってウソついたの。だからリコンしちゃったんだって。いつも人のもの壊して、わざとじゃないってウソつくの。わたし、ウズエ嫌い。でも、わたしが言いすぎだって言われる。おかしいよ」
誰かが怒っているのは嫌だ。たとえ自分に怒っているわけじゃなくても。
「……カゴメ、マンカラしない?」
「え、できるの?」
以前やったとき、ぜんぜんゲームにならなかったのを覚えていたようだ。
「できるよ。シガンとやるもん」
シガンとはいい勝負をするようになって、丸と豆の数を増やしても勝てるようになった。あくびをしているオクドさんを避けて、おはじきを出してくる。
「じゃんけんね」
カゴメの勝ちで先手。ひょいひょいとおはじきを動かす。続いてコウがおはじきをとった。最初はコウがうまくいっていたが、追い上げられていき、ねばったが最後の最後でカゴメが勝った。コウは負けたけれど嫌ではなかった。楽しかった。カゴメは満足そうに大きく笑った。
「強くなったねー!」
「うん。ねえ、もう一回やろう?」
「いいよ」
おはじきを円のなかに戻す。そのむこうで、ウズエが奥から出てきた。コウは、元通りのぷっくりしたドングリを返してほしいと思った。いいものを見せてあげようとしたコウの気持ちまで壊された気がしたから。
ウズエは隅でうつむいている。なんで泣きそうなんだろう。自分はこんなに悲しかったのに、ウズエはちっとも痛くないなんてずるいと思った。コウも泣きたいのにひとりだけ泣いてるのは自分勝手だと思った。ウズエが悪いのに。
「気にしなくていいよ、あんなの」
「あ、うん……」
考えるだけで悲しいからもうウズエに近づきたくなかった。もう見せてあげない。絶対に見せてあげない。それなのに、ちらりとこっちを見た目が寂しそうに見えた。
「寝ろよ……」
もぞもぞとしている塊を見て、シガンが呆れたようにつぶやく。コウはもうシガンがいなくても眠れるようになったが、これではサンタも大変だ。
そう思ったとき、ユエンが音もなく部屋に入っていった。ふとんの横にプレゼントを置き、なにもなかったような顔をして戻ってくる。空気さえ揺らがなかった。
「おい、おまえ……」
ユエンはにいっと笑った。コウがふとんから顔を出し、プレゼントに気づいた。喜んでそれを抱え上げると、起きあがってシガンのところまで見せにくる。
「サンタさんだ! ねえ、サンタさん来たよ! どこから来たの?」
「ん? 窓から来たよ。気づかなかったか?」
「……気づかなかった。シガンは会ったの?」
「そうだな、挨拶くらいはするさ。ここに寝てるいい子がいるって教えたんだ」
表情を明るくしてコウはラッピングをはがしていく。出てきたバッグを肩にかけ、「アオのみたいだ」と笑った。どうだと自慢するようにシガンに見せると、くるくると回ってみせた。これは帰ってきたらアオも捕まって聞かされるんだろうな。
「やはりサンタというのはいいものだ」
「おはよう。あけましておめでとう」
ある朝、コウが起きてくると、シガンが新年の挨拶をした。今日は元日だ。
「あけまして、おはよう?」
「えーっと、年が明けたから喜ぼうってやつだ」
「なんで? うれしいの?」
「なんでって……ううん。なんでだろなあ?」
年が変わったからといってなにが変わるわけでもない。それでもまた一年経ったかあという感慨と喜びとちょっとの寂しさを感じるのは年を重ねたからだろうか。
「人間は区切りをつけたがるものだ。それに、滞りなく流れる時間への礼節というのは悪いものではない。そうだろう?」
ユエンが現れてわかった顔で言う。「ん、まあ、そういうことなんだろう」。シガンもよくわかっていないので話をあわせる。一年というのは気持ちを切り替えて新しいことを始めるようとするのにちょうどいい区切りなんだろうと思う。
「まあいいさ、おぞうに食べるぞ。おもち何個がいい?」
「いっぱい」
「はいよ」
そうこうしているうちにアオが帰ってきて、みんなでおぞうにを食べる。甘めのすまし汁に鶏肉、青菜、かまぼこ。おもちは焼いた切りもちだ。
「アオさんとこ、おぞうにはなんで作る?」
「うん? あー……ウチはぞうには作らんかったなあ……」
「そうなの?」
その横でコウがもちと格闘している。ぐにょんと伸びたもちが口元や手にくっついていた。醤油をつけ海苔で巻いてやったほうが食べやすかったかもしれない。一方のユエンは噛まずに丸のみしていた。
「……二人とももちは初めて?」
「よく噛んで食べな」
アオがひと眠りしてから、近くの小さい神社に行く。小さいわりに人出はあって、こうじの甘酒をふるまっていた。興味津々、近づいていくコウをアオが止める。
「コウくん、甘酒は後で」
「うん」
「このお金を箱に入れて、『いい年になりますように』ってお願いするんだよ」
列に並びながら、貰った硬貨を握ったコウが聞いてくる。
「おみせやさん?」
「モノを買うわけじゃなくて……ええと、神さんにありがとうっていうお金かな」
「なんで、ありがとうっていうの?」
「ううんと……」
アオが首をひねる。そういう習慣だと思っていたから、疑ったことがなかった。シガンがちょっと身をかがめてコウを見た。神のことはよく知らないが、神を信じる人がなにを思って祈るかは少し心当たりがある。
「そうだなあ。コウくんは、嬉しいとか悲しいとかいろいろ思うだろ?」
「うん」
「自分だけじゃどうにもならないこともいっぱいあるよな?」
「うん」
「その自分だけじゃうまくいかないところを神さまにお願いするんだ」
「……うん」
「それで、うまくいったのは自分だけのおかげじゃないからお礼を言うんだよ」
「なるほど。それがおまえにとっての神か」
その横でにこにことしているユエン。コウはまだわからない顔をしていたが、シガンがその肩を叩いて少し進んだ列に戻す。その横であいまいに笑いながら、アオは自分のぶんの小銭を見つめた。
「そうかあ。そうだよなあ……」
自分たちの番が来て、賽銭箱にお金を入れて鐘を鳴らし手を打った。コウはシガンとアオを見ながら同じように頭を下げた。ユエンは後ろで待っていた。「私は神に祈ることなどないからな」。
それからおみくじを引いて、甘酒を飲む。暖かくて甘い匂いに心がほっと溶けていった。「おみくじなんだった? ぼくは……転機が来る、か」「俺は、探せば出る? なんだろ。コウくんは?」「……てば……う」「待てば叶う、か。いいじゃないか」「ユエンさんは?」「……時期を待て。ふむ、まあだいたいのことはそうだ」。
「寒いだろ、ほら」
帰り道、シガンは手を出してコウの手をとった。コウはシガンの手を握る。それからアオに向かって反対の手を差し出した。アオも手をとる。コウがぴょんと跳ねると両手を支えられて大きく揺れた。まるでブランコだ。
「ねえ、ユエンは?」
「うん? ……わかった、望むならばそうしよう」
ユエンに手を出されたアオは少し驚いて、そっとその手に触れる。柔らかく握り返された。ぶらぶらと揺らされる。「ユエンさん、楽しい?」「……そうだな、楽しそうなのを見るのはいい」。それから、ユエンが小さくもらした。
「私はちゃんと『神』をやれているだろうか」
そうか。ユエンはコウの神であろうとしているのだ。彼が彼自身ではどうしようもないことをどうにかしようとしているのだ。それはとても、重いことに思えた。
「……大丈夫だよ。俺たちだっているし、ユエンさんだけがやらなくていいんだ」
ユエンが少し不満そうにアオを見あげる。
「いや……俺は、ユエンさんがいてくれてよかったと思ってるよ。それはホント」
「そうか。ならいい」
「あ、ひこうきぐも。まっすぐ」
こうして新年は始まった。いい年になりますように。
年が明けてしばらく、シガンはコウを連れて「みなと」に行くことにした。「ほら、靴下はいて。ハンカチとティッシュ持って。あと五分だ。間に合わなかったら連れてかないぞー」「まって」「待たない」。
ようやく準備ができて街に向かう。コウはときどきなにかを気にして立ち止まるが、シガンがせっつくと足を速めてくれる。そして歩いているうちにまた忘れる。「あーもう……ほら、そろそろ行くよ」。シガンはコウの興味が切れたタイミングを見計らうのがうまくなってきた。
「こんにちはー」
「はい、こんにちは、シガンくん。コウさんも一緒?」
「そう。こないだ遊んだのが楽しかったんだって」
ドアを開けるとアキツが迎えた。オクドさんが尻尾をたてて歩いていく。奥を探すとカゴメたちがいた。でもヒカルはどこにもいない。また会おうって約束したのに。
「それはよかった。ヒカルさんがね、これをコウさんにって」
アキツが背をかがめて大きなドングリをコウに渡した。細長くて先がきゅっととがっているドングリだ。手のひらにころんと乗ったドングリに、コウは目をみはった。
「冬至祭に来れなかったでしょ。ヒカルさんが残念がって、プレゼントだって」
「これ、コウに?」
「そうよ」
胸がぎゅっとなって嬉しいと思った。ヒカルはコウのことを忘れていなかった。会えなかったけれど、それだけでよかった。また会ったときに「ありがとう」って言って、自分もなにかいいものを渡したかった。
それからコウは小あがりに座ってドングリで遊んだ。テーブルの上でコマのように回したり、細い先端を指にたたせてみようとした。手のなかで転がしたり、両手を閉じてころころ揺らしてみたりした。
「……ねえ、それ見せてよ」
横から女の子が手を出した。コウは嬉しかったからドングリを見せてあげることにした。きっと喜んで、「いいドングリだね」って言ってくれると思った。
そのとたん、女の子がドングリを奪い、床に落として踏みつけた。コウはなにがあったのかわからなかった。どんな顔をしたらいいのかわからないまま、殻が潰れて中身が出ているドングリを見おろしていた。
「ウズエ!」
カゴメが叫んだ。その声で厨房からシガンと、眼鏡の女の人が出てくる。
「チガヤさん、ウズエがひどいことした! コウのドングリ潰しちゃった!」
その言葉に、ドングリが潰れてしまったのだと理解できた。こわごわとしゃがんで拾いあげる。ぺちゃんこのドングリをぎゅっと手のなかに隠す。
「ちょっと落としちゃっただけでしょ! ドングリひとつでうるさい」
「わざとだったもん!」
「わざとじゃないって」
「ウソつき! わたし見たから。いっつも人のもの壊してるじゃん、ひどいよ!」
はいはいと眼鏡の女性、夏越《なごし》チガヤが二人に割って入る。シガンは鳥追《とりおい》ウズエの肩を叩いて、腰をかがめると顔をのぞきこんだ。
「ウズエさんは、ちょっとお茶飲んで話そうか?」
嫌そうにしたウズエだったが、その背を押して離れたところに向かう。その様子を見送ったカゴメがじだんだを踏んだ。
「なんで、ウズエが悪いのに。力いっぱい踏みつけたじゃない」
「そっか。カゴメさんは見たんだ、わざと踏んだとこ。教えてくれてありがとね」
「そうだよ。なのに、なんで……」
「だけど、『ウソつきだ』なんて言ったら認めにくいよ。ウズエさんはアキツさんがお話しするからね」
「なんで、わたしばっかり怒られるの……」
泣きそうになってカゴメは口をとがらせた。チガヤはそっとその肩を撫でる。
「怒ってないよ。優しく言ってあげよう? カゴメさんが間違ったときは私も優しくしたいもの」
それからチガヤはコウの前にしゃがんだ。コウはヒカルになんて言ったらいいんだろうと考えていた。ちゃんとしたドングリがないと、もう二度と会えない気がした。
「コウさん、ごめんね。悲しかったね」
「……うん」
「親切で見せてあげようとしたんでしょ? ありがとう」
「……うん」
「今回はうまくいかなかったけど、コウさんのせいじゃないからね。コウさんは悪くないよ。だから、嫌だって思ったら怒っていいの」
カゴメは不満そうに肩を怒らせ、じっと床を見ている。
「カゴメさんもコウさんのだいじなドングリ潰されて怒ったんだよね。ありがとう、コウさんのために怒ってくれて」
そうか。カゴメはコウのだいじなものをだいじだと思ってくれた。ヒカルに貰ったドングリはだいじなもので、それを壊されたからこんなに悲しいのだ。だいじという言葉が手で触れたようにわかった。だからカゴメはウズエに怒ったんだ。
「カゴメ、ありがと」
「いいよ、もう……」
コウは手のなかのドングリを確かめるように触った。ヒカルがくれたドングリなのに。腹が痛くなって苦い感じもして、目がじんわり熱くなって、とても悲しくて怒ってるのだけど、そんな言葉ではどうがんばっても言い表せないような気持ちがした。
ドングリをポケットにしまい、隅っこの壁に背をつけて座っていると、目の前にカゴメが立っていた。カゴメはまだ怒っていて怖いと思った。思わずコウの口が開く。
「ごめんね」
「……なにが?」
きつい声で返されて、それ以上コウはなにも言えない。
「ウズエは悪い子なの。ピアノに行きたくなくて、叩かれたってウソついたの。だからリコンしちゃったんだって。いつも人のもの壊して、わざとじゃないってウソつくの。わたし、ウズエ嫌い。でも、わたしが言いすぎだって言われる。おかしいよ」
誰かが怒っているのは嫌だ。たとえ自分に怒っているわけじゃなくても。
「……カゴメ、マンカラしない?」
「え、できるの?」
以前やったとき、ぜんぜんゲームにならなかったのを覚えていたようだ。
「できるよ。シガンとやるもん」
シガンとはいい勝負をするようになって、丸と豆の数を増やしても勝てるようになった。あくびをしているオクドさんを避けて、おはじきを出してくる。
「じゃんけんね」
カゴメの勝ちで先手。ひょいひょいとおはじきを動かす。続いてコウがおはじきをとった。最初はコウがうまくいっていたが、追い上げられていき、ねばったが最後の最後でカゴメが勝った。コウは負けたけれど嫌ではなかった。楽しかった。カゴメは満足そうに大きく笑った。
「強くなったねー!」
「うん。ねえ、もう一回やろう?」
「いいよ」
おはじきを円のなかに戻す。そのむこうで、ウズエが奥から出てきた。コウは、元通りのぷっくりしたドングリを返してほしいと思った。いいものを見せてあげようとしたコウの気持ちまで壊された気がしたから。
ウズエは隅でうつむいている。なんで泣きそうなんだろう。自分はこんなに悲しかったのに、ウズエはちっとも痛くないなんてずるいと思った。コウも泣きたいのにひとりだけ泣いてるのは自分勝手だと思った。ウズエが悪いのに。
「気にしなくていいよ、あんなの」
「あ、うん……」
考えるだけで悲しいからもうウズエに近づきたくなかった。もう見せてあげない。絶対に見せてあげない。それなのに、ちらりとこっちを見た目が寂しそうに見えた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる