死の守り神は影に添う

星見守灯也

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 さて、コウの服を買いに行ったアオが帰ってきた。ひょいひょいと袋から出した服を前に、シガンは苦い顔をした。

 ズボンが二本、これはいい。白の暖かそうな上着が一枚、これもいい。下着もパジャマも靴下に靴だってもちろん必要だ。問題は長袖のTシャツが何枚か。胸元には大きく「一切皆苦」「諸法無我」「因果応報」「四苦八苦」……

「……ほかになかったの?」

 シガンがばっさりと感想を述べる。もっともこれはアオ自身が「ヤギさん」と描かれたTシャツを着ていることから想像できたはずだった。

「いいじゃん!」
「どこで買った、そのお土産四字熟語シリーズ」

 アオの横でコウが「四苦八苦」をもたもたと着た。幅が余るのはコウが細身だからだ。ズボンもはかせて裾を少し整え、完璧とばかりにアオがうなずいた。ポケットを開いてやると、コウがずっと持っていたアメを入れた。

「ほらあ! ちょうどいいじゃん!」
「……コウくん、嫌だったら嫌っていうんだぞ?」

 コウはなにも言わずに胸の四字熟語を見ている。文句がないのを肯定だと受けとったアオが、嬉しそうに大口を開けて笑った。

「ほーら、かっこいいもんなあ?」
「なるほど、着るものも人間を構成する要素のひとつだ」
「えー……」

 ユエンが納得したので、シガンがひとり嫌そうに声をもらした。



 冷え冷えとした吸血鬼研究室に医師のアゲハと検査技師の申待さるまちショウケンが待機していた。奥の棚には食人鬼の残した塵が保管されている。吸血鬼や食人鬼にならない薬はないのかとよく聞かれるが、今のところは難しい。

 そこにノックもなく男が入ってきた。見慣れた顔であるから驚きもしない。

「よ。なんかわかった?」
「ミトラさん、また来たんですか」
「どうした? ジャマか?」

 都職員の宇気比うけいミトラだ。吸血鬼担当なのだが、都庁からよくサボりにくる。お守り役の水宮すいぐうタカノリが頭を痛めているに違いない。それはアゲハの知ったことではないが「うまくごまかしといて」と頼まれるのは困る。タカノリの説教は長いのだ。

 ショウケンがティーバッグを出してきて、ポットから大雑把にお湯を入れた。その背後でアゲハが相手をする。とりあえず、今の状況を切り出した。

「新たに死体がひとつです」
「ああ、聞いている」

 アゲハの報告にミトラがうなずく。吸血鬼は人を殺して吸血するが、これほどの量を短期間にというのはそう聞かない。だいたいはこっそりと隠れて殺し、事件になることは少ないからだ。

「地下に潜れるとなると、なかなか」
「だろうな」
「……ここは迷っているようにも見えますね」

 青戸から青山霊園までつながるように事件が起こっていたが、その後東京駅、再び霊園近くと行ったり来たりしている。すべてを同じもののしわざとすればだ。

「わかっているのは、吸血鬼と食人鬼が一体ずついるということ。協同して動いているのかどうかはまだ……」

 ふう、とどちらからともなくため息がもれた。

「……そうだ。東京駅にいたという、あの妖精はどうなってる?」
「組合の者と一緒に吸血鬼を探しています。人にまぎれていてもわかるのだと」
「ふぅん……」

 ショウケンが雑に紅茶を勧めた。ミトラはそれを一口飲んで声をひそめる。

「信頼できるのか?」
「それは……」

 アゲハはなぜ彼女を信頼したのかと考える。あの夜より黒い目が思い浮かんだ。

「……吸血鬼を友にした人の話は知ってるな?」
「ええ。最初は礼儀正しい紳士だと思った。なぜ人を襲うのかわからないほど。あるとき、離れている家族に会いに行く暇がないともらした。すると次の夜に吸血鬼は袋を持ってきた。中身はその家族の首だった……。本当にあったかは知りませんが」

 一息ついて、ミトラはきっぱりと結論を出す。

「もちろん、こっちに都合がよければ協力できる」
「はい」
「そうでないのなら、そのとき、適切に対処するしかない」

 言い終わると同時、アゲハの机で電話が鳴った。すぐに受話器をとる。

「はい、布留部」
「ああ、アゲハさん。馬頭《ばとう》です。やっぱり吸血鬼ではなく人間でしたよ」

 苦々しい声が飛びこんできた。研究室獣医師の馬頭カナヤだった。哀れな被害者の検視に立ち会っているはずである。

「食人鬼とは傷の状況が違いますね」

 吸血鬼や食人鬼が吸血する際には凝固を妨げる唾液を入れるため、血が多く流れる傾向にある。もちろん全部がそうというわけではない。人形町の事件では遺体が引きちぎられていたが、吸血されていなかった。それはともかく、この事件は違う。

「……そう」
「刃物の傷です。先ほど解剖にまわされました。通り魔の可能性が高いかと」
「わかった。人間で確定ね、伝えておく」

 通話を切ったその瞬間、アゲハが受話器を叩きつけるように置いた。

「年間、何件殺人があると思ってるんですか」

 ショウケンがテレビのチャンネルを変えた。まだどこも人間の犯行とは出ていない。

「殺人といっても通り魔は多くないでしょうが」

 ほとんどの殺人事件は家族や顔見知りによるものだ。あとは利害関係か。そうであれば理解できる。けれども通り魔というのは不条理で「怖い」と感じられた。

 もっとも吸血鬼に殺されるのも人間に殺されるのも変わりはないとアゲハは思う。当事者以外からすれば人死にはただの「数」だ。悲劇として消費され、忘れられていくニュースのひとつにすぎない。

 当然ながら吸血鬼は訴訟の対象にならない。刑事も民事も。人間ではないから責任がないし賠償したという話もない。そのかわり駆除と称して人間が殺しても、たいした問題にはならないだろう。動物愛護にも鳥獣保護にも当てはまらないからだ。

 じっと聞いていたミトラはショウケンにコップを返し、立ちあがった。そろそろタカノリが探しだしたころだ。こっそり帰って驚かしてやろうか。

「そっちは刑事部にまかせる。吸血鬼は……その妖精とやらが見つければいいが」



 アオは夜、見回りに出かける。というわけでアオのふとんをコウが使うことになった。「まあ、ひとりでも大丈夫だろ」とコウに寝るだけの準備をしていった。

 しかし朝方帰ってきたとき、部屋の隅で膝を抱えていたので慌てた。「どうした?」と聞いても答えない。身を縮めてなにかに耐えるようにしていた。これは悪いことしたなと思ってシガンにもちかける。

「やっぱシガンさん、こっちで寝ない?」
「なんで」

 シガンはやることを終えると奥の部屋にこもってしまう。ひたすら絵を描いているようだ。例の吸血鬼の絵だろう。それは別にいい。けれどもろくに寝ずにいるのを想像すると、それは困るなあと思った。吸血鬼と関係なく倒れてしまう。

「いや、コウくん、ひとりで寝れないみたいだから……」
「ユエンさんがすればいいじゃないか」

 名前を出されて振り向いたユエンは大げさに肩をすくめた。

「私は人間のようにはできん」
「はあー? また神さま気どりか? だいたい、おまえが連れてきたんだから……」
「シガンさん。そっちの部屋、まだ片づいてないでしょ?」

 そう言われてシガンはぎくりとする。キッチンからなくなったぶん、シガンの部屋に物が増えたのだから当たり前だ。おそらくふとんを敷くどころじゃない。そして、まったくそのとおりだった。

「こっちで寝よ?」
「……わかった。コウくん、一緒に寝るぞ」



 夜になって、シガンはコウの歯磨きをしていた。コウに歯ブラシを渡しても乱暴に擦るだけなので、優しく磨いてやる。おとなしく口を開けたコウは嫌がっているのかよくわからない顔だ。ぎゅっと目をつぶっている。

 アオが部屋にシガンのふとんを入れた。シガンがコウをうながす。

「ほら、さっさと寝るぞ。寝るまでついててやるから」

 コウはきゅっと自分の手を握ってシガンをにらんだ。なにか気に入らないらしい。

「嫌じゃない、寝るの。むこうとこっち、どっちのふとんがいい?」

 無言。なにか言いたそうにしているけれど、口がへの字のまま動かない。

「あー、もう。じゃあこれで決めよう。表ならおまえがこっち側な」

 シガンが出してきたコインは吸血鬼除けの銀貨である。シァオミンがお守りになると持ってきたものだ。五百円硬貨ほどで、中央の穴の周りを模様が囲んでいる。

「ぽいって投げて、ぽいって」

 渡すと、コウは叩きつけるように投げた。床に当たり、変な方向に跳ね飛んで落ちる。「下手だなー、おまえ」とシガンが顔をしかめた。出たのは聖樹が描かれた裏だ。

「はい、奥に寝て」

 シガンはコウを奥のふとんに寝るよう押していった。おどおどとふとんに潜りこんだコウに、ばさりとかけぶとんをかけなおしてやる。豆電球だけ残してシガンも横になった。ぽこりと人の形に膨らんだふとんを軽く叩いて、拍子をとりながら歌う。

「ゆりかごゆらゆら、おやすみなさい。もう寝る時間。星はきらきら、夜空は静か」

 そのうちに歌詞がいいかげんになり、最終的に鼻歌になった。調子っぱずれの歌を聞きながら、丸めた背中をさすられてコウは眠った。ぷつりと歌がとぎれた。シガンも一緒に眠ってしまっている。

 アオが人差し指を口に当て、ユエンに笑いかけた。ユエンも口元を緩めた。



 それから数日経ったころ。日が昇る前、見回りから戻ってきたアオは暗がりが揺れるのを見た。ぎょっとしたところで、くすくす笑いのように「アオ」と声がかけられた。まるで夜が笑ったようだった。ユエンの形の揺らぎがおかしげに呼んでいる。

「びっくりしたあ……」

 アオは手を泳がせて電灯をつける。キッチンにはユエンがひとり座っていた。

「ユエンさん、どうしたの?」
「見ろ、なかなか面白い」

 伸びた指を追って部屋をのぞけば、手足を広げたシガンの横にコウが丸まって寝ていた。シガンのシャツをつかんで。その間に挟まれて犬が伏せていた。くうんと鼻で鳴いて、ユエンに助けを求めている。ユエンは眉をさげて柔らかな視線を返した。

「もう少しガマンしてくれ、そろそろ起きるだろう」
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