5 / 8
待つのは辛いから
しおりを挟む
「戻りました」
ヒナギが警察署に戻ると、ミツキが書類を睨んでいた。声をかけても顔を上げやしない。そういえば、昔はこの人の近くに行くと警戒されているようだったが、今はそこまで気を張ることはなくなったようだ。
「……ああ、どうだった」
「ゼリーを少し……。あまり食べられないようで、あの、帰らなくていいんですか?」
「今はやることがある」
ミツキの目の下には暗い隈がある。ソウタが帰ってきて病院にいる時からずっとまともに寝ていないのかもしれない。早く何があったかを明らかにしてソウタを安心させてやりたいのだ。ヒナギはそれも必要なことだろうが、今のソウタはミツキが帰ってくるのを待ってるのだと言いたかった。
けれども、その前に言わなければならないことがある。
「ミツキさん」
「なんだ」
返答する時間も惜しいというように、つっけんどんな声だけが返ってくる。
「バレました」
書類をめくる手がぴたりと止まる。まず目だけでヒナギを見、それからゆっくりと立ち上がった。
「おまえ……」
無表情から憤りの顔に変わる。怒声になりそうなのを必死に抑えているのがわかる。震える手がヒナギの襟元を掴んだ。
「すみません」
「おまえは、もう人を傷つけないと言ったはずだ」
協力員になる時、「嘘」をつくなと念押しされた上でヒナギは誓った。人を傷つけることを「捨てる」と。そんな大雑把な約束、奇言であっても強制力は持続しないに等しい。せいぜい三日で消えてしまうものだ。それでも――ヒナギは口にしたからには守りたいと思っていた。そのはずだった。
ミツキは口うるさいが、ヒナギのことをよく見てくれている。ヒナギが協力員となったのをミツキは嫌がった。泥棒に鍵を預けるなんてバカらしいと。金のために人を切るような奴はろくでもないと。でも、その後、謝罪についてきて一緒に頭を下げてくれたのはミツキだった。不用意に奇言を使った時怒ったのも、逆に上手く行った時よくやったと無愛想ながら言ってくれたのもミツキだった。
リツだけではなく、ソウタもミツキも悲しませたくはない。そのはずだったのに。
「オレとリツの様子から気づかれました」
ミツキの手から力が抜け、尻餅をつくようにがっくりと椅子に戻る。頭を抱えて机にうつ伏せた。
「リツに……振ってほしいと言われました」
しばらく動かなかった。ミツキは目を閉じて考えていた。どうするのが一番いいのだろうと。しかしどう考えても結論はひとつしかない。これ以上、ソウタを騙すことになるのは嫌だった。もう一度裏切れやしなかった。
「……リツに任せる。おれの鍵を渡してくれ」
「はい」
ヒナギはポケットの中で鍵を握った。ミツキから預かった彼の家の鍵だ。
「ミツキさんも、少し休んだらどうですか」
「おれは出かけてくる。後は頼んだ」
そう言い捨てると、ミツキはカバンひとつ持って部屋を出て行った。残されたヒナギはぼんやりと天井を見上げた。いつかソウタが帰ってきて、怒られる覚悟はできていた。……そんなのは口ばっかりだ。涙が出そうになるのを堪える。泣きたいのはオレじゃない。
一度唾を飲み、スマホを出した。経緯はどうあれ知られてしまったからには、リツから話をするのがせめてもの誠実さだろう。
「もしもし、リツ。……話がある」
カチャと音を立てて、ミツキの家の鍵がリツの手に握られた。リツは話を聞いて、自分がソウタと話をすることに同意している。リツもわかっていた。言う時がくれば自分が言うべきだと。ただ、思っていたより早くその時が来た。
「ごめん、言いにくいことを頼む……」
「ぼくはヒナギくんと付き合ったこと、後悔してないよ。でも……待っていたかったんだ。ソウタさんに帰ってきて欲しかった、それは本当」
「……そうだな。待っていられたらよかった」
今更のことだ。そうならなかったのは仕方がないのだろう。けれども、ソウタがどこかで苦しんでいる間、自分たちが幸せでいたと言うのは罪悪感があった。彼の帰ってくるはずの場所を無くしてしまったことにも。
「だから、ちゃんと言わなきゃいけないのは、誰でもない、ぼくだ」
「ソウタさん、入るよ」
玄関ドアを開けるとソウタが顔を出す。本来ならうちに帰って来れたはずなのに、悪いことをしたと思う。ソウタがどこにいたのかまだわからないが、きっと帰りたいと思っていただろうに。帰ってきたらきっとまたリツといられると、以前と何も変わらない生活ができると信じていただろうに。
「リッちゃ……リツ。ミツキくんは?」
「……ソウタさんを探してる男がいたんだ。その行方を追っている」
そう聞くと、彼は痛そうに、ない腕を押さえた。それがケガのためだけではない痛みにリツには思えて、そっと近くに座る。帰ってきた時よりやつれていた。あまり食べられていないそうだ、無理もない。
「知ってる人だろうか」
「……わからない。よく覚えていない」
そこで会話が途切れる。リツが自分から言わなければならないと口をひらこうとした時、それを遮るようにソウタが聞いてきた。
「リツはヒナくんとは長いの?」
「……ここ一年くらい」
「そうか。待ってるのは長いもんなあ」
この家に来てからまだ三日も経っていないのに、ミツキを待つ時間はとてつもなく長かった。病院でただ寝ている時よりずっとミツキが帰ってくるのが待ち遠しく、寂しくて不安だった。だから、リツを責められない。よく三年も待っていてくれたと思う。ヒナギがいなかったら壊れてしまったかもしれない。
「リツが元気そうでよかった。ヒナくんのおかげだなあ」
「……うん」
「もう、俺、いなくてもいいな」
昔と同じ、朗らかな顔で笑って言うので、リツは何も言えなくなる。
「リツ、ちゃんと振ってくれ。お前のことなんてもう好きじゃないって」
ソウタは真っ直ぐにリツを見た。それが珍しく真面目に語る時の彼の目であったことを思い出し、リツも居住いを正してソウタに向き直る。嫌いになって別れるわけじゃない。でも、それは彼にとっての救いにはならない。
「……ごめんなさい。ヒナギくんのことを好きになりました。別れてください」
「うん。あんまりヒナくんに心配かけないようにな」
そんな言葉を言わせてしまった自分に腹が立つ。リツは手を握りしめ、ソウタが悪いわけじゃないことを強調する。
「ぼくが待てなかっただけだ。ミツキはずっと待ってたのに」
「ミツキくんが?」
なぜと言うようにソウタが目を見開いた。
「そう。あいつはずっと帰ってくるのを信じていた。だから、ミツキのことは信じて欲しい。きっと助けるから」
ソウタはなくなった手を右手で包み、泣くように顔を歪めた。わからない、自分でもどんな感情かわからなくなる。
「痛い? たしか薬が……」
ところがそう聞かれた途端、ソウタがはっと身をこわばらせる。見るからに蒼白になり、呼吸さえ困難になっている。手で胸を掻き抱こうとするが、左手首がなくどこか不安定だ。それでもソウタは身を屈めるようにして絞り出す。
「……思い出した」
何をと一瞬思ったが、意味するのはひとつだろう。ソウタがいなくなってからのこと。
「そっか、仕方ないよな。俺、他のやつのこと『好き』って言ってしまったもん」
その時、続く切るように着信音が鳴った。リツのスマホからだった。
ヒナギが警察署に戻ると、ミツキが書類を睨んでいた。声をかけても顔を上げやしない。そういえば、昔はこの人の近くに行くと警戒されているようだったが、今はそこまで気を張ることはなくなったようだ。
「……ああ、どうだった」
「ゼリーを少し……。あまり食べられないようで、あの、帰らなくていいんですか?」
「今はやることがある」
ミツキの目の下には暗い隈がある。ソウタが帰ってきて病院にいる時からずっとまともに寝ていないのかもしれない。早く何があったかを明らかにしてソウタを安心させてやりたいのだ。ヒナギはそれも必要なことだろうが、今のソウタはミツキが帰ってくるのを待ってるのだと言いたかった。
けれども、その前に言わなければならないことがある。
「ミツキさん」
「なんだ」
返答する時間も惜しいというように、つっけんどんな声だけが返ってくる。
「バレました」
書類をめくる手がぴたりと止まる。まず目だけでヒナギを見、それからゆっくりと立ち上がった。
「おまえ……」
無表情から憤りの顔に変わる。怒声になりそうなのを必死に抑えているのがわかる。震える手がヒナギの襟元を掴んだ。
「すみません」
「おまえは、もう人を傷つけないと言ったはずだ」
協力員になる時、「嘘」をつくなと念押しされた上でヒナギは誓った。人を傷つけることを「捨てる」と。そんな大雑把な約束、奇言であっても強制力は持続しないに等しい。せいぜい三日で消えてしまうものだ。それでも――ヒナギは口にしたからには守りたいと思っていた。そのはずだった。
ミツキは口うるさいが、ヒナギのことをよく見てくれている。ヒナギが協力員となったのをミツキは嫌がった。泥棒に鍵を預けるなんてバカらしいと。金のために人を切るような奴はろくでもないと。でも、その後、謝罪についてきて一緒に頭を下げてくれたのはミツキだった。不用意に奇言を使った時怒ったのも、逆に上手く行った時よくやったと無愛想ながら言ってくれたのもミツキだった。
リツだけではなく、ソウタもミツキも悲しませたくはない。そのはずだったのに。
「オレとリツの様子から気づかれました」
ミツキの手から力が抜け、尻餅をつくようにがっくりと椅子に戻る。頭を抱えて机にうつ伏せた。
「リツに……振ってほしいと言われました」
しばらく動かなかった。ミツキは目を閉じて考えていた。どうするのが一番いいのだろうと。しかしどう考えても結論はひとつしかない。これ以上、ソウタを騙すことになるのは嫌だった。もう一度裏切れやしなかった。
「……リツに任せる。おれの鍵を渡してくれ」
「はい」
ヒナギはポケットの中で鍵を握った。ミツキから預かった彼の家の鍵だ。
「ミツキさんも、少し休んだらどうですか」
「おれは出かけてくる。後は頼んだ」
そう言い捨てると、ミツキはカバンひとつ持って部屋を出て行った。残されたヒナギはぼんやりと天井を見上げた。いつかソウタが帰ってきて、怒られる覚悟はできていた。……そんなのは口ばっかりだ。涙が出そうになるのを堪える。泣きたいのはオレじゃない。
一度唾を飲み、スマホを出した。経緯はどうあれ知られてしまったからには、リツから話をするのがせめてもの誠実さだろう。
「もしもし、リツ。……話がある」
カチャと音を立てて、ミツキの家の鍵がリツの手に握られた。リツは話を聞いて、自分がソウタと話をすることに同意している。リツもわかっていた。言う時がくれば自分が言うべきだと。ただ、思っていたより早くその時が来た。
「ごめん、言いにくいことを頼む……」
「ぼくはヒナギくんと付き合ったこと、後悔してないよ。でも……待っていたかったんだ。ソウタさんに帰ってきて欲しかった、それは本当」
「……そうだな。待っていられたらよかった」
今更のことだ。そうならなかったのは仕方がないのだろう。けれども、ソウタがどこかで苦しんでいる間、自分たちが幸せでいたと言うのは罪悪感があった。彼の帰ってくるはずの場所を無くしてしまったことにも。
「だから、ちゃんと言わなきゃいけないのは、誰でもない、ぼくだ」
「ソウタさん、入るよ」
玄関ドアを開けるとソウタが顔を出す。本来ならうちに帰って来れたはずなのに、悪いことをしたと思う。ソウタがどこにいたのかまだわからないが、きっと帰りたいと思っていただろうに。帰ってきたらきっとまたリツといられると、以前と何も変わらない生活ができると信じていただろうに。
「リッちゃ……リツ。ミツキくんは?」
「……ソウタさんを探してる男がいたんだ。その行方を追っている」
そう聞くと、彼は痛そうに、ない腕を押さえた。それがケガのためだけではない痛みにリツには思えて、そっと近くに座る。帰ってきた時よりやつれていた。あまり食べられていないそうだ、無理もない。
「知ってる人だろうか」
「……わからない。よく覚えていない」
そこで会話が途切れる。リツが自分から言わなければならないと口をひらこうとした時、それを遮るようにソウタが聞いてきた。
「リツはヒナくんとは長いの?」
「……ここ一年くらい」
「そうか。待ってるのは長いもんなあ」
この家に来てからまだ三日も経っていないのに、ミツキを待つ時間はとてつもなく長かった。病院でただ寝ている時よりずっとミツキが帰ってくるのが待ち遠しく、寂しくて不安だった。だから、リツを責められない。よく三年も待っていてくれたと思う。ヒナギがいなかったら壊れてしまったかもしれない。
「リツが元気そうでよかった。ヒナくんのおかげだなあ」
「……うん」
「もう、俺、いなくてもいいな」
昔と同じ、朗らかな顔で笑って言うので、リツは何も言えなくなる。
「リツ、ちゃんと振ってくれ。お前のことなんてもう好きじゃないって」
ソウタは真っ直ぐにリツを見た。それが珍しく真面目に語る時の彼の目であったことを思い出し、リツも居住いを正してソウタに向き直る。嫌いになって別れるわけじゃない。でも、それは彼にとっての救いにはならない。
「……ごめんなさい。ヒナギくんのことを好きになりました。別れてください」
「うん。あんまりヒナくんに心配かけないようにな」
そんな言葉を言わせてしまった自分に腹が立つ。リツは手を握りしめ、ソウタが悪いわけじゃないことを強調する。
「ぼくが待てなかっただけだ。ミツキはずっと待ってたのに」
「ミツキくんが?」
なぜと言うようにソウタが目を見開いた。
「そう。あいつはずっと帰ってくるのを信じていた。だから、ミツキのことは信じて欲しい。きっと助けるから」
ソウタはなくなった手を右手で包み、泣くように顔を歪めた。わからない、自分でもどんな感情かわからなくなる。
「痛い? たしか薬が……」
ところがそう聞かれた途端、ソウタがはっと身をこわばらせる。見るからに蒼白になり、呼吸さえ困難になっている。手で胸を掻き抱こうとするが、左手首がなくどこか不安定だ。それでもソウタは身を屈めるようにして絞り出す。
「……思い出した」
何をと一瞬思ったが、意味するのはひとつだろう。ソウタがいなくなってからのこと。
「そっか、仕方ないよな。俺、他のやつのこと『好き』って言ってしまったもん」
その時、続く切るように着信音が鳴った。リツのスマホからだった。
6
あなたにおすすめの小説
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
寂しいを分け与えた
こじらせた処女
BL
いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。
昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる