六華 snow crystal 8

なごみ

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浩輝くんの告白

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*茉理*


浩輝くん!!


ススキノの交差点で突然キスされ、頭が真っ白になる。


「茉理、ごめん。たのむから考えなおせよ。今更だけど気づいてしまったんだよ。俺にはおまえが必要だってことに」


そんなこと、今さら言われても……

 
去年まで、あんなに好きだった浩輝くんだけど。


「……茉理はもうすぐ結婚するって言ったでしょ」


信号が青に変わり、後ろに立っていた五分刈りの中年男性にどやされる。


「真っ昼間からイチャイチャするな!! クソガキども!」


欧米でキスは挨拶みたいなものだけれど、日本では慎みに欠ける行為とみなされる。


日本の奥ゆかしい文化は大好きだから特に腹も立たない。


建設現場の作業着みたいな服を着たおじさんは、私たちを睨みつけながら横断歩道を渡って行った。


浩輝くんもそんな事はどうでもいいみたいに無視して私の腕をつかむと、横断歩道は渡らずに雑居ビルが立ち並ぶ方へと引き戻った。








「浩輝くん、茉理はもう決めたんだよ。話すことなんてないから」


そう言ってつかまれた手を振りほどこうとしたけれど。


「今すぐそいつと別れろなんて言わないよ。 気がすむまで付き合えばいい。だけど、今すぐ結婚する事はないだろう。なんでそんなに焦らなきゃいけないんだ? おまえが騙されるのを黙って見てられないんだよ」


浩輝くんが心配する気持ちもわからないではない。こんな若さで結婚するのだから、理解されなくても仕方がないと思う。


だけど、茉理は自分の家族が欲しい。


先生は家庭的とは言えないけれど、茉理は先生以外の人なんて考えられないんだもの。


毎日そばにいてくれなくても好きな人と結婚したい。ただそれだけ。


浩輝くんは私の腕をつかんだまま、怒ったように歩きだす。








「ねぇ、浩輝くん、どこへ行くの?」


「別にどこにも行かないよ。おまえの気持ちが変わるのを待ってるだけだ」


「そんなの無理だから。ママだって許してくれたんだよ」


そう言って浩輝くんの手を振りほどき、立ち止まった。


「茉理、結婚は人生の墓場って言うじゃないか。なんで今からそんなところへ入りたいんだ? どう考えても正気じゃないだろ。目を覚ませよ!」


街路樹の下で立ち止まり、浩輝くんは私の両手を握って説得した。


「茉理は墓場って思わないよ。墓場にするのもしないのもその人の考え方次第でしょう。別に失敗したっていいじゃない。そこから学べば」


失敗を恐れて、したいこともしない人生なんてつまらない。


「初めから失敗するって分かっていてするのは愚かなことだろう。俺だって若菜が結婚したいくらい好きだったよ。でも、付き合っているうちに違うって感じた。一緒に人生を歩みたいと思ったのは茉理、おまえなんだよ」


切実に訴えてくる浩輝くんの熱いまなざしに、少しだけ心が揺れた。








浩輝くんは音楽の才能があって、有名な冷凍食品会社の御曹司で、ルックスだって素敵なモテ男だ。


ライブでは可愛い女の子たちにキャーキャー言われて、追っかけファンだっている。歳が近いだけに、話だって合う。


なのに、なぜ先生じゃなきゃいけないんだろ。去年まであんなに好きだった浩輝くんなのに。


浩輝くんの言うように、先生への気持ちもいつか冷めてしまうのか。






「とにかく、焦って結婚なんかしても幻滅するだけだ。やっと親から自由になれてこれからってときに、なんで結婚なんだよ」


畳み掛けるように浩輝くんが詰め寄った。


三月の冷たい風が吹き抜け、浩輝くんからシトラス系コロンの香りが漂った。


洋服はいつも素材のいい洗練されたブランドでコーディネートされている。最先端でスタイリッシュなヘアスタイルにしてくれる専属の美容師もいる。


プラチナカードを自由に使える浩輝くんは、贅沢な暮らしなど当たり前なのだ。


生まれながらの御坊ちゃま。親からお金の援助は受けていても、未だに反抗している。


別にそれを咎める気持ちはないけれど。


それでもあんなに好きだった浩輝くんが、なぜか今の私にはひどく色褪せて見えて、とても以前のような気持ちを取り戻せそうになかった。


私も若いけど、浩輝くんだってこれからの人だ。色々な経験を積み重ねて人として成長していくのだとは思う。


………だけど。






「わかった。じゃあ、よく考えてみる」


浩輝くんに嘘をつくのは嫌だったけれど、そうでもしないと解放してもらえそうになかった。


「お、やっとわかってくれたのか。茉理はさ、くだらない魔法をかけられてたんだよ。恋愛なんて所詮はそんなものだからな」


恋愛経験豊富な浩輝くんは、何もかも悟ったかのように言った。


そんな冷めた浩輝くんと恋愛しても、寂しすぎて、なんの感動もない気がした。


忙しくて帰って来ない先生を待ち続けている方がまだマシに思える。


「じゃあ、浩輝くん、またね!」


「茉理、結婚だけは絶対にするなよ。一緒にバンドするんだからな。茉理をボーカルにして再結成するって決めたんだからな 」


「………うん、じゃあね! 」


明るく手を振って浩輝くんと別れた。



やっと別れられてホッとしたけれど、浩輝くんとはもう会えなくなるような気がして、それを思うと悲しかった。


彼は大切な友達だから。


結婚に反対なのも、私のことを本当に心配してくれたんだと思うから。





ススキノから自宅マンションがある大通りまでは徒歩15分ほどなので、少しくらい寒くても歩いて帰る。


結婚はとってもワクワクすることだけれど、十八歳の私がのんびり専業主婦などやってるわけにもいかない。


やはり、予備校へ行くべきか?


予備校へ行ってどこの大学を目指すのか?


将来何がしたいのか?


十六歳の誕生日にとんでもない人と婚約させられて、私には将来のビジョンなど考えている余裕がなかった。


やっと今、そんなことを考えられる身分になれたけど。


浩輝くんのバンドでボーカルを担当する私を想像してみた。


それはとても華やかで、夢があって、ハラハラドキドキの毎日なのかも知れない。


同じ年頃で盛り上がってきっと楽しいだろうな。


日本に友人のない私にとって、その世界に憧れを抱く気持ちは否定できなかった。






歌は上手とは思わないけれど、歌うことは嫌いじゃない。でも私に適した仕事とは思えなかった。


別にかしこまって仕事と考えなくても、遊び感覚でいいのだと思う。


浩輝くんだって一生バンドをやるつもりもないみたいだ。親が経営している会社には重要なポストが用意されていて、いづれはそこに収まるのだろう。


浩輝くんから告られるなんて思いもしなかった。


やっぱり、バンドのボーカルは諦めるしかない。私が浩輝くんに心変わりをするとは思えないけど、気持ちを聞いてしまった以上、以前のような友達ではいられない。


しかも東京へ行かなければいけないのだから。


じゃあ、なにをする? 


版画の世界へ行く?


音楽よりは美術に向いていると思う。


エッチングは楽しくて、一日中やっていても飽きないから。


だけど、ひとり黙々と続ける作業だから、それを思うとやはり寂しい。


もっと人と関わりたい。


一体、何をすればいいんだろ。






あれこれと将来を考えながら舗道を歩いていたら、どこかの女子高生の群れがこちらに向かって歩いてきた。


午後四時過ぎの下校時間。


聞き耳を立てるつもりはなくても、彼女たちの澄んだ声は街中でひときわ高く響きわたる。


「春休みバイトしたいんだけどさ、履歴書の用紙ってどこに行けばもらえるんだっけ?」


「市役所じゃね?」


「あ、そっか」


「聖奈がさ、痴漢に遭ったって聞いた?」


「聞いた、聞いた。電車ででしょ? 中年のオッチャンにおしり触られたって」


「わーー、、キモっ!」


「うちのお母さんがさ、本当にやばい時は鼻クソほじれって言ってた」


「キャハハハッ!!  それ、いいかも」


爆笑している女子グループとすれ違い、寂しさに襲われる。


………スイスの友人たちに会いたい。



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