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フェルメールを観に行って
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11月28日
迷った末、谷さんとフェルメール展を見に行くことにした。
「病院の同僚とフェルメール展見に行ってくる」
両親にこういった嘘をつくのは初めてだ。
いくら部屋が別々でも男の人と旅行に行くなんて言えないし。
夜勤明けと代休を使うと、休みは取らなくてもなんとかなりそうだ。
行きの列車と飛行機の中で眠れたので、羽田に着いた時にはかなり疲れも取れていた。
「あ~、よく眠れてよかったー!」
空港からモノレール乗り場に向かう途中、両手をあげて大きく伸びをした。
「有紀ちゃん、気持ちよさそうに寝てたなぁ。イビキがすごかったよ」
谷さんが悪戯っぽく笑った。
「え~っ、マジで。谷さんどうして起こしてくれなかったの!」
「フフッ、冗談だよ。かわいい顔して寝てた」
「本当に? 本当にイビキかいてなかった?」
「かいてないよ、ハハハッ 。お腹すいただろう、朝も食べてないんだから。先に何か食べてから見に行こうか」
「うん!」
一昨日の夜、泣きながら佐野さんのアパートを飛び出して家に帰った翌日、佐野さんからLINEが届いていた。
『有紀、昨日はゴメン。今日、仕事が終わった後、会えないかな?』
『今日は夜勤なの』
『じゃあ、明日はどうかな?』
『明日から谷さんと上野の美術館にフェルメール展を見に行く予定です。明後日じゃないと家に帰りません』
『そうか、わかった』
わかったって、なによ!
………引き止めて欲しかった。有紀、行くなよ、って言って欲しかった。
私が谷さんと一泊旅行すると言っても、佐野さんは平気なんだな。
引き止めるわけないよね。佐野さんの心は彩矢のことで一杯なんだから。
なのに、どうしてLINEなんてしてきたの? 私に何を言いたかったの?
「有紀ちゃん、どうしたんだい? なんだか悲しそうな顔してるよ」
上野に着き、美術館のそばのレストランで、午後2時の遅めのランチを食べていた。
「えっ、そう? 夜勤明けだからね。もう齢なのかな? 顔に疲れが出ちゃうなんて、おばさんみたい。あはっ」
慌てて、ウニのパスタをクルクルと巻いた。
あぶない、あぶない・・・。
谷さんにはすぐに佐野さんとのことを察知されちゃうから。
「おばさんって、有紀ちゃん、まだ二十三歳だろう。僕はもう三十なんだぜ」
「うははっ、三十路のオッチャンだ!」
「なんか、変にテンション高いな? 東京は初めてなのかい?」
「そんなことないよっ、バカにしないで。修学旅行でも来てるし、家族でディズニーにだって来てますよーだ!」
「まぁ、いいや。テンションの高い有紀ちゃんも楽しいからな」
なんとかうまく誤魔化せて、ホッとする。
週末と最終日も近いという事も重なって、館内はとても混んでいた。
谷さんがフェルメールの名作『デルフトの眺望』をもう15分も見続けている。
本当にどうしたらこんな風に本物のような質感に描くことが出来るのだろう。
建物の壁のリアルな事!
水面の透明感、雲の柔らかさ、天才の絵はやっぱり違うなぁ。
でも私は人物画のほうが好きなんだけど。谷さんを置いて行っちゃってもいいかな?
もう、おいてっちゃおう。
一人でまわって見終わったあと、出口のコーナーでポストカードやクリアファイルなどを見て選んでいた。
「あっ、有紀ちゃん、いた」
谷さんの声がしたので、振り向いた。
「ごめんね、おいてっちゃって」
「いや、いいよ、急かされるよりは。お陰でゆっくり見られてよかったよ」
「谷さんもポストカード買う?」
「いや、僕はいいかな。本物を見たかっただけだから」
「じゃあ、これ買ってくるね」
谷さんと、宿泊するホテルのラウンジで食事をしていたら、4月に佐野さんと行ったレストランでの会話を思い出した。
あの日、'' 彩矢ちゃんは今、妊娠している。俺の子かもしれないんだ ,, と聞かされた時の衝撃!
佐野さんが元気になれたのは、私の介護のおかげなんかじゃなかった。
彩矢に去られたショックから立ち直れたのは、別の希望を持てたからだ。
彩矢が自分の子供を産んで戻って来るかも知れないという希望。
彩矢からなんの連絡もなく、松田先生の子であることが濃厚になって、それでまた絶望的な気持ちになっているんだ。
たった一人の女の子に、何度も打ちのめされている佐野さんが可哀想で、そんな佐野さんを何度も見せつけられ、相談役にされてしまった私も可哀想。
「有紀ちゃん、美味しい?」
「えっ、あ、うん、すごく美味しい!」
焦って、トリュフの香りがするポタージュをすくって飲み込む。
上目遣いに谷さんをそっと覗くと、目が合ってしまった。
「クスッ、有紀ちゃん、夜景とかちっとも見ないんだね」
「そ、そんなことないよ。ちゃんと見てるし、わ~ きれい! ……お料理があんまり美味しいから見忘れてただけよ」
言い訳をすればするほど、谷さんに見透かされているような気がしてくる。
遠くに東京タワーが赤く光って見えた。
本当にここは東京なんだ。子供でもないのに急に心細くなって、泣きそうな気分になる。
「明日は本当に浅草でいいのかい? 他に行きたいところはない?」
デザートの桃とカシスのムースを食べていたら、紅茶を飲んでいる谷さんが聞いた。
「うん、でも谷さんは浅草なんて行きたくないでしょ? 本当にいいの?」
「有紀ちゃんと一緒ならどこでも楽しいよ。だけど原宿とかではないんだね。浅草って、なんか有紀ちゃんらしいな。ハハハッ」
「おしゃれには疎いから竹下通りなんかを歩いてもね。北海道の田舎から来た人だってすぐにバレちゃう」
「でもそのドレスは自分で選んだんだろう。黒がよく似合うんだな。すごく色っぽく見える」
「本当? 谷さんみたいなセンスのいい人に言われたら嬉しいな」
「今の有紀ちゃんなら、何を着ても似合うよ」
「谷さんって、本当は彼女何人いるの? 少なくとも片手はいるはずね」
あまりに口がうますぎる谷さんを軽く睨んだ。
「もう歳なんだから、そんな元気ないよ。これからは有紀ちゃん一筋だから」
「ほらね、そんなセリフがスラスラ出てくるんだから~」
「なんだか形勢が悪くなってきたな。有紀ちゃんのほうはどうなんだい? 王子様のことは忘れられそうかい?」
「・・・」
顔が引きつって、うまく笑うことが出来なかった。
「あ、ごめん、まずいこと聞いちゃったみたいだな」
谷さんが痛恨のミスをしてしまったように、困った顔をした。
「疲れただろう、夜勤明けだったし。もう部屋で休んだほうがいいな。じゃあ、行こうか」
谷さんが立ったので、うなだれたまま後ろについて歩いた。
エレベーターに乗り、わたしの部屋の階よりも、ひとつ下の階で降りた谷さんが手を振った。
「じゃあ、ゆっくり休んで。おやすみ」
「今日はありがとう。おやすみなさい」
危なげなことが何もなくて、ちょっと拍子抜けする。口説いたりするのは慣れているはずの谷さんだから、こんな時は何かが起こるような気がしていたのだけれど。
私みたいなお笑い系のうるさい子だと、そんな気も起こらないのだろうな。
シャワーを浴び、家から持って来たTシャツと短パンに着替えてベッドに入ったけれど、まだ9時過ぎだった。
夜勤明けなのだし、早く寝てしまおう。 明かりを落として目をつぶった。
30分たっても少しも眠くならなかった。 ベッドと枕がフカフカしすぎて落ち着かない。
そんなことで眠れなくなる? 私って、そんなに繊細な神経の持ち主だったっけ?
谷さん何してるのかな?
部屋へ行ってみるのはやっぱり危険だろうか。別にスリルを味わいたいわけではないんだけど。
眠れないのに一人部屋にいてもつまらない。持って来た文庫本も、途中まで読んだけれど面白くない。
谷さんの部屋の前に立ってみて、また迷いが出てきた。
やっぱりやめておいたほうがいいだろうか。
でも谷さんが私を誘惑なんてする?
ドアの前で考え込んでいると、違う部屋のドアが開いて、出て来た宿泊客に不審な目で見られた。
思わず、ノックしてしまう。
「はい?」
谷さんの返事が聞こえた。
「谷さん、わたし」
ドアが開いて、谷さんが微笑んだ。
「どうしたんだい? 遊びに来たの?」
「うん、眠れなくて。迷惑だった?」
「そんなことはないけど、いいよ、入って」
テープルの上に飲みかけのバドワイザーと、タブレットが置かれていた。
「有紀ちゃんも飲むかい? ビール」
「ううん、いらない。谷さん何かしてたの?」
「うん・・・ちょっと、小説書いてた」
「えっ、小説? えーっ、読みたい!」
「ダメだよ。まだ、書き上げてないし」
「じゃあ、出来たら読ませてくれる?」
「そうだなぁ、まぁ、そのとき考えるよ」
「いじわる。どんなお話?」
「有紀ちゃんみたいな可愛い子が出てくるお話」
「ウソばっかり。わたしみたいな子が出てきたら、ロマンチックな小説にならないよ」
「そうだね、ミステリーも無理そうだな。ハハハッ。何か飲むかい? と言っても、備え付けの緑茶と、カプチーノしかないんだけど」
「あ、大丈夫。自分でいれる」
ポットにミネラルウォーターを注いでお湯を沸かした。
少し緊張しているせいもあって、話しが途切れると何を話していいのかわからなくなった。
私としてはめずらしい。
仕方なく窓の外の夜景を見つめた。
谷さんが隣に立ったので、益々緊張した。
「た、谷さんは学生の頃、どの辺に住んでたの?」
「港区だよ」
「そうなんだ。モテたでしょ、イケメンの慶應ボーイだもんね」
「そうでもないよ。やっぱり医者の方が人気だからね」
谷さんの手が腰にまわされ、引き寄せられた。
えっ、うそっ! マジ、ヤバイかも。
引きつった顔で谷さんを見つめた。
「有紀ちゃん」
真剣なまなざしの谷さんの顔が間近に迫る。
「あっ、スカイツリー!」
夜景を指差して叫んだけれど、今度ばかりは上手くいかなかった。
唇をふさがれ、強く吸われて気が遠くなる。
抱きしめられ、ドキドキして息苦しい。
そのまま強引にベッドへ押し倒された。
スリムで一見、草食系男子のように見える谷さんのどこにこんな力があるの?
あまりにも男の人をナメていた。自分の身体がこんなに軽くなっていたことも想定外のことだった。
谷さんにねじ伏せられて、身動きがとれない。
「谷さん、待って、お願い!」
谷さんの手が背中のブラのホックを外した。
「いやっ、やめて、やめてよー!」
手の動きが止まって、谷さんが私を見おろしていた。
「佐野と会ったんだろう?」
悲しげな顔で見つめ、そう呟いた。
「・・・ご、ごめんなさい」
涙を浮かべて谷さんの身体をすり抜け、走って自分の部屋へ逃げ帰った。
迷った末、谷さんとフェルメール展を見に行くことにした。
「病院の同僚とフェルメール展見に行ってくる」
両親にこういった嘘をつくのは初めてだ。
いくら部屋が別々でも男の人と旅行に行くなんて言えないし。
夜勤明けと代休を使うと、休みは取らなくてもなんとかなりそうだ。
行きの列車と飛行機の中で眠れたので、羽田に着いた時にはかなり疲れも取れていた。
「あ~、よく眠れてよかったー!」
空港からモノレール乗り場に向かう途中、両手をあげて大きく伸びをした。
「有紀ちゃん、気持ちよさそうに寝てたなぁ。イビキがすごかったよ」
谷さんが悪戯っぽく笑った。
「え~っ、マジで。谷さんどうして起こしてくれなかったの!」
「フフッ、冗談だよ。かわいい顔して寝てた」
「本当に? 本当にイビキかいてなかった?」
「かいてないよ、ハハハッ 。お腹すいただろう、朝も食べてないんだから。先に何か食べてから見に行こうか」
「うん!」
一昨日の夜、泣きながら佐野さんのアパートを飛び出して家に帰った翌日、佐野さんからLINEが届いていた。
『有紀、昨日はゴメン。今日、仕事が終わった後、会えないかな?』
『今日は夜勤なの』
『じゃあ、明日はどうかな?』
『明日から谷さんと上野の美術館にフェルメール展を見に行く予定です。明後日じゃないと家に帰りません』
『そうか、わかった』
わかったって、なによ!
………引き止めて欲しかった。有紀、行くなよ、って言って欲しかった。
私が谷さんと一泊旅行すると言っても、佐野さんは平気なんだな。
引き止めるわけないよね。佐野さんの心は彩矢のことで一杯なんだから。
なのに、どうしてLINEなんてしてきたの? 私に何を言いたかったの?
「有紀ちゃん、どうしたんだい? なんだか悲しそうな顔してるよ」
上野に着き、美術館のそばのレストランで、午後2時の遅めのランチを食べていた。
「えっ、そう? 夜勤明けだからね。もう齢なのかな? 顔に疲れが出ちゃうなんて、おばさんみたい。あはっ」
慌てて、ウニのパスタをクルクルと巻いた。
あぶない、あぶない・・・。
谷さんにはすぐに佐野さんとのことを察知されちゃうから。
「おばさんって、有紀ちゃん、まだ二十三歳だろう。僕はもう三十なんだぜ」
「うははっ、三十路のオッチャンだ!」
「なんか、変にテンション高いな? 東京は初めてなのかい?」
「そんなことないよっ、バカにしないで。修学旅行でも来てるし、家族でディズニーにだって来てますよーだ!」
「まぁ、いいや。テンションの高い有紀ちゃんも楽しいからな」
なんとかうまく誤魔化せて、ホッとする。
週末と最終日も近いという事も重なって、館内はとても混んでいた。
谷さんがフェルメールの名作『デルフトの眺望』をもう15分も見続けている。
本当にどうしたらこんな風に本物のような質感に描くことが出来るのだろう。
建物の壁のリアルな事!
水面の透明感、雲の柔らかさ、天才の絵はやっぱり違うなぁ。
でも私は人物画のほうが好きなんだけど。谷さんを置いて行っちゃってもいいかな?
もう、おいてっちゃおう。
一人でまわって見終わったあと、出口のコーナーでポストカードやクリアファイルなどを見て選んでいた。
「あっ、有紀ちゃん、いた」
谷さんの声がしたので、振り向いた。
「ごめんね、おいてっちゃって」
「いや、いいよ、急かされるよりは。お陰でゆっくり見られてよかったよ」
「谷さんもポストカード買う?」
「いや、僕はいいかな。本物を見たかっただけだから」
「じゃあ、これ買ってくるね」
谷さんと、宿泊するホテルのラウンジで食事をしていたら、4月に佐野さんと行ったレストランでの会話を思い出した。
あの日、'' 彩矢ちゃんは今、妊娠している。俺の子かもしれないんだ ,, と聞かされた時の衝撃!
佐野さんが元気になれたのは、私の介護のおかげなんかじゃなかった。
彩矢に去られたショックから立ち直れたのは、別の希望を持てたからだ。
彩矢が自分の子供を産んで戻って来るかも知れないという希望。
彩矢からなんの連絡もなく、松田先生の子であることが濃厚になって、それでまた絶望的な気持ちになっているんだ。
たった一人の女の子に、何度も打ちのめされている佐野さんが可哀想で、そんな佐野さんを何度も見せつけられ、相談役にされてしまった私も可哀想。
「有紀ちゃん、美味しい?」
「えっ、あ、うん、すごく美味しい!」
焦って、トリュフの香りがするポタージュをすくって飲み込む。
上目遣いに谷さんをそっと覗くと、目が合ってしまった。
「クスッ、有紀ちゃん、夜景とかちっとも見ないんだね」
「そ、そんなことないよ。ちゃんと見てるし、わ~ きれい! ……お料理があんまり美味しいから見忘れてただけよ」
言い訳をすればするほど、谷さんに見透かされているような気がしてくる。
遠くに東京タワーが赤く光って見えた。
本当にここは東京なんだ。子供でもないのに急に心細くなって、泣きそうな気分になる。
「明日は本当に浅草でいいのかい? 他に行きたいところはない?」
デザートの桃とカシスのムースを食べていたら、紅茶を飲んでいる谷さんが聞いた。
「うん、でも谷さんは浅草なんて行きたくないでしょ? 本当にいいの?」
「有紀ちゃんと一緒ならどこでも楽しいよ。だけど原宿とかではないんだね。浅草って、なんか有紀ちゃんらしいな。ハハハッ」
「おしゃれには疎いから竹下通りなんかを歩いてもね。北海道の田舎から来た人だってすぐにバレちゃう」
「でもそのドレスは自分で選んだんだろう。黒がよく似合うんだな。すごく色っぽく見える」
「本当? 谷さんみたいなセンスのいい人に言われたら嬉しいな」
「今の有紀ちゃんなら、何を着ても似合うよ」
「谷さんって、本当は彼女何人いるの? 少なくとも片手はいるはずね」
あまりに口がうますぎる谷さんを軽く睨んだ。
「もう歳なんだから、そんな元気ないよ。これからは有紀ちゃん一筋だから」
「ほらね、そんなセリフがスラスラ出てくるんだから~」
「なんだか形勢が悪くなってきたな。有紀ちゃんのほうはどうなんだい? 王子様のことは忘れられそうかい?」
「・・・」
顔が引きつって、うまく笑うことが出来なかった。
「あ、ごめん、まずいこと聞いちゃったみたいだな」
谷さんが痛恨のミスをしてしまったように、困った顔をした。
「疲れただろう、夜勤明けだったし。もう部屋で休んだほうがいいな。じゃあ、行こうか」
谷さんが立ったので、うなだれたまま後ろについて歩いた。
エレベーターに乗り、わたしの部屋の階よりも、ひとつ下の階で降りた谷さんが手を振った。
「じゃあ、ゆっくり休んで。おやすみ」
「今日はありがとう。おやすみなさい」
危なげなことが何もなくて、ちょっと拍子抜けする。口説いたりするのは慣れているはずの谷さんだから、こんな時は何かが起こるような気がしていたのだけれど。
私みたいなお笑い系のうるさい子だと、そんな気も起こらないのだろうな。
シャワーを浴び、家から持って来たTシャツと短パンに着替えてベッドに入ったけれど、まだ9時過ぎだった。
夜勤明けなのだし、早く寝てしまおう。 明かりを落として目をつぶった。
30分たっても少しも眠くならなかった。 ベッドと枕がフカフカしすぎて落ち着かない。
そんなことで眠れなくなる? 私って、そんなに繊細な神経の持ち主だったっけ?
谷さん何してるのかな?
部屋へ行ってみるのはやっぱり危険だろうか。別にスリルを味わいたいわけではないんだけど。
眠れないのに一人部屋にいてもつまらない。持って来た文庫本も、途中まで読んだけれど面白くない。
谷さんの部屋の前に立ってみて、また迷いが出てきた。
やっぱりやめておいたほうがいいだろうか。
でも谷さんが私を誘惑なんてする?
ドアの前で考え込んでいると、違う部屋のドアが開いて、出て来た宿泊客に不審な目で見られた。
思わず、ノックしてしまう。
「はい?」
谷さんの返事が聞こえた。
「谷さん、わたし」
ドアが開いて、谷さんが微笑んだ。
「どうしたんだい? 遊びに来たの?」
「うん、眠れなくて。迷惑だった?」
「そんなことはないけど、いいよ、入って」
テープルの上に飲みかけのバドワイザーと、タブレットが置かれていた。
「有紀ちゃんも飲むかい? ビール」
「ううん、いらない。谷さん何かしてたの?」
「うん・・・ちょっと、小説書いてた」
「えっ、小説? えーっ、読みたい!」
「ダメだよ。まだ、書き上げてないし」
「じゃあ、出来たら読ませてくれる?」
「そうだなぁ、まぁ、そのとき考えるよ」
「いじわる。どんなお話?」
「有紀ちゃんみたいな可愛い子が出てくるお話」
「ウソばっかり。わたしみたいな子が出てきたら、ロマンチックな小説にならないよ」
「そうだね、ミステリーも無理そうだな。ハハハッ。何か飲むかい? と言っても、備え付けの緑茶と、カプチーノしかないんだけど」
「あ、大丈夫。自分でいれる」
ポットにミネラルウォーターを注いでお湯を沸かした。
少し緊張しているせいもあって、話しが途切れると何を話していいのかわからなくなった。
私としてはめずらしい。
仕方なく窓の外の夜景を見つめた。
谷さんが隣に立ったので、益々緊張した。
「た、谷さんは学生の頃、どの辺に住んでたの?」
「港区だよ」
「そうなんだ。モテたでしょ、イケメンの慶應ボーイだもんね」
「そうでもないよ。やっぱり医者の方が人気だからね」
谷さんの手が腰にまわされ、引き寄せられた。
えっ、うそっ! マジ、ヤバイかも。
引きつった顔で谷さんを見つめた。
「有紀ちゃん」
真剣なまなざしの谷さんの顔が間近に迫る。
「あっ、スカイツリー!」
夜景を指差して叫んだけれど、今度ばかりは上手くいかなかった。
唇をふさがれ、強く吸われて気が遠くなる。
抱きしめられ、ドキドキして息苦しい。
そのまま強引にベッドへ押し倒された。
スリムで一見、草食系男子のように見える谷さんのどこにこんな力があるの?
あまりにも男の人をナメていた。自分の身体がこんなに軽くなっていたことも想定外のことだった。
谷さんにねじ伏せられて、身動きがとれない。
「谷さん、待って、お願い!」
谷さんの手が背中のブラのホックを外した。
「いやっ、やめて、やめてよー!」
手の動きが止まって、谷さんが私を見おろしていた。
「佐野と会ったんだろう?」
悲しげな顔で見つめ、そう呟いた。
「・・・ご、ごめんなさい」
涙を浮かべて谷さんの身体をすり抜け、走って自分の部屋へ逃げ帰った。
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