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怒りを抑えきれなくて
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9月22日 晴れ
最近、ずっと彩矢ちゃんが暗い顔をしていたことには気づいていたけれど、今日はとうとう、レントゲン室にまでイヤな噂が飛び込んできた。
松田先生は新人の中村夢菜とも付き合っていたらしい。昨日、コンビニの前で松田先生と彩矢ちゃんが車に同乗していたところを、夢菜に目撃されたらしく、逆上した夢菜がテニスラケットを振り回していたとのことだ。
コンビニ店員までが駆けつける大騒ぎになり、松田先生のBMはかなりボコボコにされたらしい。
レントゲン室にまでそんな噂が広まってるのだから、院内で知らない人などいないだろう。
彩矢ちゃんはどうしてるのだろう。
元々、あまり気丈には見えない彩矢ちゃんにとって、相当に辛いことだと思う。
夢菜は誰に相談することもなく、昨日付で退職してしまったとのことだ。実にはっきりしていて、あの子らしい。
帰りに売店の前で、虚ろな目で歩いていた彩矢ちゃんを見かけた。
俺が立ち止まって見つめていたのに気づいて、慌てて顔を伏せて行ってしまった。
彩矢ちゃん・・・。
いつだってそうだ、松田先生は。
自分さえ楽しめたら、女の子たちが泣こうが傷つこうがかまいやしないんだ。今日だって何事もなかったかのように、CT室でナースに冗談を言って笑っていた。
誠意のかけらもない松田先生に無性に腹が立った。
9月27日 曇り
9月に入ったばかりの杉下看護師はまだ若く、色白で可愛いらしい子だけれど、手際がひどく悪かった。
初めてひとりでするAG検査(脳血管造影)の介助だったと思うけれど。
まだ慣れていないから、松田先生も些細なミスは我慢をしていたのだと思う。
でも滅菌パックされているカテーテルを、慌てて素手で引っ張り出してしまったのを見て、ついに怒りを爆発させた。
「バカッ! おまえ、さっきからいい加減にしろっ!」
「す、すみません。新しいのもらって来ます!」
怒鳴られてパニックになってしまったようで、患者の様子観察にも注意が行き届いていなかった。
いつの間にか血圧が200まで上昇していたようだ。
「アダラート! バイタルちゃんと見てるのか?」
また松田先生が目を吊り上げて怒鳴った。
「あっ、はい、血圧が200の110です!」
「だから、さっさとアダラートいけよ!」
「あっ、はい、すみません!」
半分涙目になっている杉下看護師に同情はしたが、松田先生の怒鳴りたくなる気持ちもわからないではなかった。
その後も2~3怒鳴られて、取りあえずAG検査は無事に終了した。
シクシク泣いているナースに、患者を病室まで搬送させるわけにもいかず、病棟に電話して迎えのナースを頼んだ。
さっきまで怒鳴り散らしていた松田先生が、杉下さんの肩を抱いて慰めていた。
「杉下~ もう泣くなよ~ 俺がいじめてるみたいだろう」
杉下さんの耳元でそう囁き、ニタニタしながらハグしている松田先生に、我慢のならないものを感じながら片付けを手伝っていた。
シクシク泣いていた杉下さんが、顔を上げて松田先生を見つめた。
そのポーッとして潤んだ瞳が彩矢ちゃんの目とだぶって見えた。
突然、ムラムラと沸き起こった怒りの衝動を抑えることができなかった。
「いいかげんにしろっ!!」
そう言って肩に手をかけると、振り向いた松田先生の顔を思いっきり殴っていた。
ぶっ飛んで倒れた松田先生を、ストレッチャーで患者を迎えに来た病棟の看護師が見て、顔を引きつらせて固まっていた。
仕事帰りはもっと最悪だった。まあ、自らが招いた失態だから仕方がないのだけれど。
待ち伏せしていた松田先生のBMWに無理な追い越しをかけられた。それ自体は大したことではないけれど、助手席に座っていた彩矢ちゃんが、怯えたような目で俺を見つめていた。
松田先生は俺の痛いところをちゃんと見抜いていた。俺が未だに彩矢ちゃんが好きで未練を持っていること。どうすれば最高のダメージを与えられるかを知り抜いている。
俺が指一本触れられずにいる彩矢ちゃんを、松田先生は自由に出来るのだ。
……もういい。
彩矢ちゃんは。
……本当に疲れた。
3年間勤めた病院に未練がないわけではない。馴れ親しんだ職員たちとの別れはやはり寂しいものを感じる。次の職場だってまだ決まっているわけもない。
でも、このまま病院にいて、これ以上松田先生と彩矢ちゃんの姿を見るのはもう限界だ。
本当に彩矢ちゃんのことはもう忘れよう。俺が彩矢ちゃんにしてあげられることだって何もないんだから、余計なお世話というものだろう。
それに松田先生を殴っておいて、この病院にいられるわけもない。
明日、辞表を出そう。
最近、ずっと彩矢ちゃんが暗い顔をしていたことには気づいていたけれど、今日はとうとう、レントゲン室にまでイヤな噂が飛び込んできた。
松田先生は新人の中村夢菜とも付き合っていたらしい。昨日、コンビニの前で松田先生と彩矢ちゃんが車に同乗していたところを、夢菜に目撃されたらしく、逆上した夢菜がテニスラケットを振り回していたとのことだ。
コンビニ店員までが駆けつける大騒ぎになり、松田先生のBMはかなりボコボコにされたらしい。
レントゲン室にまでそんな噂が広まってるのだから、院内で知らない人などいないだろう。
彩矢ちゃんはどうしてるのだろう。
元々、あまり気丈には見えない彩矢ちゃんにとって、相当に辛いことだと思う。
夢菜は誰に相談することもなく、昨日付で退職してしまったとのことだ。実にはっきりしていて、あの子らしい。
帰りに売店の前で、虚ろな目で歩いていた彩矢ちゃんを見かけた。
俺が立ち止まって見つめていたのに気づいて、慌てて顔を伏せて行ってしまった。
彩矢ちゃん・・・。
いつだってそうだ、松田先生は。
自分さえ楽しめたら、女の子たちが泣こうが傷つこうがかまいやしないんだ。今日だって何事もなかったかのように、CT室でナースに冗談を言って笑っていた。
誠意のかけらもない松田先生に無性に腹が立った。
9月27日 曇り
9月に入ったばかりの杉下看護師はまだ若く、色白で可愛いらしい子だけれど、手際がひどく悪かった。
初めてひとりでするAG検査(脳血管造影)の介助だったと思うけれど。
まだ慣れていないから、松田先生も些細なミスは我慢をしていたのだと思う。
でも滅菌パックされているカテーテルを、慌てて素手で引っ張り出してしまったのを見て、ついに怒りを爆発させた。
「バカッ! おまえ、さっきからいい加減にしろっ!」
「す、すみません。新しいのもらって来ます!」
怒鳴られてパニックになってしまったようで、患者の様子観察にも注意が行き届いていなかった。
いつの間にか血圧が200まで上昇していたようだ。
「アダラート! バイタルちゃんと見てるのか?」
また松田先生が目を吊り上げて怒鳴った。
「あっ、はい、血圧が200の110です!」
「だから、さっさとアダラートいけよ!」
「あっ、はい、すみません!」
半分涙目になっている杉下看護師に同情はしたが、松田先生の怒鳴りたくなる気持ちもわからないではなかった。
その後も2~3怒鳴られて、取りあえずAG検査は無事に終了した。
シクシク泣いているナースに、患者を病室まで搬送させるわけにもいかず、病棟に電話して迎えのナースを頼んだ。
さっきまで怒鳴り散らしていた松田先生が、杉下さんの肩を抱いて慰めていた。
「杉下~ もう泣くなよ~ 俺がいじめてるみたいだろう」
杉下さんの耳元でそう囁き、ニタニタしながらハグしている松田先生に、我慢のならないものを感じながら片付けを手伝っていた。
シクシク泣いていた杉下さんが、顔を上げて松田先生を見つめた。
そのポーッとして潤んだ瞳が彩矢ちゃんの目とだぶって見えた。
突然、ムラムラと沸き起こった怒りの衝動を抑えることができなかった。
「いいかげんにしろっ!!」
そう言って肩に手をかけると、振り向いた松田先生の顔を思いっきり殴っていた。
ぶっ飛んで倒れた松田先生を、ストレッチャーで患者を迎えに来た病棟の看護師が見て、顔を引きつらせて固まっていた。
仕事帰りはもっと最悪だった。まあ、自らが招いた失態だから仕方がないのだけれど。
待ち伏せしていた松田先生のBMWに無理な追い越しをかけられた。それ自体は大したことではないけれど、助手席に座っていた彩矢ちゃんが、怯えたような目で俺を見つめていた。
松田先生は俺の痛いところをちゃんと見抜いていた。俺が未だに彩矢ちゃんが好きで未練を持っていること。どうすれば最高のダメージを与えられるかを知り抜いている。
俺が指一本触れられずにいる彩矢ちゃんを、松田先生は自由に出来るのだ。
……もういい。
彩矢ちゃんは。
……本当に疲れた。
3年間勤めた病院に未練がないわけではない。馴れ親しんだ職員たちとの別れはやはり寂しいものを感じる。次の職場だってまだ決まっているわけもない。
でも、このまま病院にいて、これ以上松田先生と彩矢ちゃんの姿を見るのはもう限界だ。
本当に彩矢ちゃんのことはもう忘れよう。俺が彩矢ちゃんにしてあげられることだって何もないんだから、余計なお世話というものだろう。
それに松田先生を殴っておいて、この病院にいられるわけもない。
明日、辞表を出そう。
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