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第2章
前夫との生活
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*沙織*
嫌いではなかったけれど、好きでもなかった吉岡との結婚は上手くいかなかった。
もっと年を取っていたなら、打算的な気持ちも働いて納得できたのかもしれない。
吉岡は、大手証券会社に勤めていただけあって、生活には余裕があった。
何事も保守的な夫からは、働かずに家にいて欲しいと言われた。
人づきあいが上手くないため、職場でのいざこざに辟易していたこともあって、専業主婦でいられるならラッキーと思った。
夫の転勤先の東京での暮らしは、はじめての都会ということもあり、憧れと珍しさがあったけれど……。
電車を乗り継いで、あちこち見て回ったりはしたけれど、1ヶ月ですっかり飽きてしまい、暇をもてあました。
私にとっては札幌のほうが、買い物でもなんでもなにかと便利だった。
夫からは、“ なにか習い事でもしたら ” と言われたけれど、趣味だけの関わりなど、尚一層わずらわしい。
ああ言うところは、気の合う人同士で楽しむところでしょう。
仲間はずれにされるに決まってるわよ。
吉岡はスーツを着込んでいても、かなりの痩せぎすに見えた。
鶏ガラを連想させる貧相な夫に、ロマンチックな感情を持つことは難しかった。
夫もそっちの欲求があまり強くなかったのが、不幸中の幸いだった。
ただ、彼はやはりどこか歪んでいたと思う。
アニメおたくで、フリフリのメイド服などをたくさん持っていて、それを私に着せたがった。
「やっぱり、沙織ちゃんはよく似合うなぁ、すっごく可愛い!」
ご機嫌の夫がカメラを構え、バシャバシャとフラッシュをあびせる。
バカバカしいとは思いながらも、一応ポーズを決める。
「じゃあ、今度はこれを着て」
網タイツと、真っ赤なミニのチャイナドレスを手渡された。
「いやよ、面倒くさい! もう寝るから、今日はおしまいよ」
いつまでもこんなことに付き合わされるのはまっぴら
「あっ、怒っちゃった? ごめん、ごめん、じゃあ、今日はもういいから」
吉岡はすぐにご機嫌をとったり、謝ったりするので、ケンカにもならない。
8歳年上の夫とは話も合わず、楽しく感じられることはひとつもなかった。
そんなことは結婚前からわかっていたはず。
誰のせいでもない、自分で決めたのだ。
早く寿退社をしてしまいたくて……。
パジャマに着替え、ひとり別室のベッドに潜り込んだ。
無理強いはしないものの、夫は異常性愛者に違いない。
新婚初夜、ベロベロと全身を舐めまわされて、鳥肌が立った。
その気色の悪さに戦慄し、それ以来ベッドを共にしていない。
そんな事情と罪悪感もあって、コスプレくらいなら付き合ってあげてもいいと思ったけれど……。
こんな変質者とこれからもずっと暮らしていくのかと思うと、目の前が真っ暗になった。
こんなことなら、松田先生の愛人のままでいたほうが、どれだけ楽しかったか知れない。
先生との甘く切ない夜を、一人ベッドの中で思い出し、あまりの淋しさに涙がにじんだ。
退屈な専業主婦は、それほど楽しくもなく、暇と身体をもてあました。
これなら仕事をしていたほうがマシな気もして、杉並区にある自宅マンションからもさほど遠くない、総合病院へ面接に行った。
その日のうちに採用が決まったけれど、夫からは強硬な反対にあった。
「働かないという約束で結婚しただろう。それは契約違反だ!」
怒られたのは初めてだ。いつも、わたしの顔色ばかり伺っていたのに。
働くと言っただけで、そんなに反対されるなんて思ってもみなかった。
「人の気持ちは変わるものでしょう。知り合いもいない東京で、ひとりマンションにいて何をしてろっていうのよ」
「だから、習い事でもしていればいいだろう。お料理とかパッチワークとか、何か趣味を見つければいいじゃないか」
「してみたいことなんかないわよ。そんな暇な奥様方とは話だって合わないわ。仕事をしていたほうがマシよ、カルチャーセンターなんて絶対に行かない!」
この度は寛大な夫も、なかなか首を縦には振ってくれず、午前のパートだけという条件で、お互い仕方なく妥協した。
勤め始めた途端、夫は人が変わったように嫉妬深くなった。
携帯を盗み見ようとしといたし、実家の母親に頼んで、仕事帰りを尾行させていた。
義母が探偵や警察のように上手く尾行などできるわけもなく、つけられていることにはすぐに気づいた。
今日も病院を出たあと、サングラスにマスク姿の、痩せぎすの女に尾行された。
こんな十一月の寒空に、サングラスをかけていること自体目立つ。
お昼過ぎの人通りもまばらなこの時間帯。
あまりに無防備な尾行。
……わざとなのか?
心の中で口ずさむ。
ダルマさんが転んだ!!
すばやく振り返ると、直立不動で固まっている義母と目が合った。
六十代半ばの吉岡の母は、息子と同じくガリガリで、見るからに神経質そうな陰湿な感じの女だった。
「あら、お義母さま、偶然ですね。こんなところで一体なにをしてるんです!」
「あら、見つかっちゃったわね。改札を出たら、あなたを見つけたから、そっと近づいて驚かそうと思ってたのよ。評判の美味しいケーキを買ってきたの。一緒に食べましょう」
初めから考えていたのか、義母はなかなかうまい口実でかわした。
せめてもう少し可愛げのある姑だったらと思った。
旭川に住んでいる意地悪な継母にどことなく似ていた。
母親の愛情に飢えていたわたしは、どんな姑なのかと、会うまでは少し期待もしていた分、心底がっかりさせられた。
どんなに美味しいケーキだろうと、姑が一緒では味も半減する。
だけど、わざわざ電車を乗り継いできた姑を、すぐに追い返すほど鬼にはなれなくて、仕方なくマンションへ招いた。
「駅には近いし、うちよりずっといいマンションだわねぇ」
義母はベランダからの景色をながめ、自慢げな顔をしている。
このマンションの半分は、義父母が出してくれたものだからだ。
ふん、恩着せがましいったら、ありゃしない。
プンプンしながらキッチンで紅茶を入れ、暗い気持ちになる。
ケーキと紅茶をテーブルに運んだ。
「あら、美味しそう。いただきましょう」
「お義母さま、甘いものは苦手じゃなかったんですか?」
「あら、たまには頂くわよ。それにお昼はまだなの。だから、これでいいわよ」
午前中しか働けないわたしは、まだ昼食をとっていなかった。
だから、どちらかと言うとケーキより、お弁当のほうが良かったけれど。
「お義母さま、はっきり言わせてもらいますけど、尾行なんてするのはやめてください」
何事も黙っていられない私は、ベリーが美しく盛られたタルトを口にしながら、さらりと告げた。
「あら、わたくしだって好きでこんなことをしているのではありませんよ。あなたが妻としての自覚が足りないからこんな苦労をさせられているの」
大人しい息子の宏伸とちがって、義母は気が強く、口もよくまわる女だった。
「はぁ? 妻の自覚? なによ、それ?」
掃除も料理も洗濯だってちゃんとやっているではないか。
夫はなにが不満で、この母親にグチグチと不満を漏らしているのだろう。
「あなたは礼儀も言葉遣いも知らないのね。先が思いやられるわ。こんな無教養な山猿なんかと結婚してしまって、宏伸がかわいそうで……」
義母はバッグから慌てたようにハンカチを取り出すと、大袈裟に目頭を押さえた。
「一体どこが可哀想なんです? そんな余計な過保護のせいで、宏伸さんは歪んだ性格になったんです」
「あの子のどこが歪んでいるっていうの! 難関の国立大を出て、今の証券会社に入れたのよ。いくらでもいいお嫁さんの来手があったわよ!」
この母親は息子の人生を、なにもかも自分の思い通りにしなければ気が済まないのだろう。
抑圧された息子は、継母に無視されて育ったわたし以上にいびつだ。
そのことに母親はまったく気づいてもいない。
これからも理想の息子像を実現するために、あらゆる手段を使ってコントロールしてくるに違いない。
それは怒りであったり、泣き落としであったり、虐げられたかのように惨めに振る舞って、罪悪感を植えつけようとする。
それは継母がよく使っていた手だったけれど、反抗心のほうが優っていたわたしが支配されることはなかった。
「妻は家事だけしていればいいわけじゃありませんよ! 偉そうなことが言いたければ、ちゃんと吉岡家の後継ぎを産んでからにしてもらいたいわね。あなたは子作りに少しも協力的じゃないって言うじゃないの」
そんな事まで母親に相談していたなんて……
「だからいびつな親子だって言うのよ。異常だわ、あの人は精神的にはなんにも成長していないの。お母様におびえて、顔色ばかり伺って、親孝行の名のもとに支配されている可哀想な人なのよ」
「偉そうに、、わかったような口を利くのはやめなさい!」
うそ泣きしていた義母は、ハンカチを握りしめ、鬼のような形相で叫んだ。
「あなたの結婚前のふしだらは、みんな知っていますよ! なに食わぬ顔をして、どこの誰ともしれない男との子供を、宏伸の子のように偽るつもりでしょう! そんなことは絶対に許しません!!」
ーーそうか、夫はストーカーだったんだ。
仕事帰り、松田先生と逢っていたことを知ってたのね。
だけど、知っていながら吉岡は私にプロポーズをしたのだ。
結婚後の不貞でもないのに、そこまで罵倒される筋合いはない。
「わかりました。じゃあ、もう離婚します。宏伸さんが帰ったらそう伝えますから。それでいいでしょう。お話はそれだけですね」
義母にはさっさと帰ってもらいたくて、ティーカップとケーキ皿を持って立ちあがり、シンクへ下げに行った。
義母もバッグをつかむと、さようならも言わずに部屋を出ていった。
夜になっていつもより早く、慌てたようすで吉岡が帰宅した。
オドオドしたようすから、既に事情は把握しているようだった。
義母が帰ったあと、すぐに役所へ行って離婚届の用紙はもらっておいた。
スーツから部屋着に着替えた夫が、まるで居候のように、ソファの端ににちょこんと腰かけた。
明日から師走だというのに、夫は額に汗を浮かべていた。まるで悪さがばれて叱られる前の小学生のようだった。
「あ、あのさ、、今日、母が来たんだろ?」
緊張した面持ちで夫は目をパチパチさせた。
「そうよ、仕事帰りの私をずっと尾行していたの」
「ご、ごめん、沙織ちゃん。もう、尾行なんてことはさせないから」
「お母様がなぜ尾行なんてしたのかわかってる? あなたが私生活のことまでペラペラ言ったりするからでしょう。もう、信じられないわ、別れます!」
持っていた離婚届を、バシッ! とローテーブルへ叩きつけた。
「沙織ちゃん、、誤解だよ、あれはちょっとした誘導尋問に引っかかってしまっただけで……」
「なにが誘導尋問よ。あなたのマザコンが治るわけないわ。とにかくこの結婚は間違ってたの。だから」
「頼むよ、沙織、別れないでくれ、何でもするから、頼む、このとおり!」
吉岡はソファから降りて、土下座をしてあやまった。
やめてよ。
そんなことしないで……。
愛することは無理だけれど、いつも低姿勢で献身的な吉岡になにも言えなくなる。
この人はこんなわたしに寄り添ってくれる、唯一の人であったから。
でも、わたし、、自由になりたいの。
札幌に帰りたい……。
嫌いではなかったけれど、好きでもなかった吉岡との結婚は上手くいかなかった。
もっと年を取っていたなら、打算的な気持ちも働いて納得できたのかもしれない。
吉岡は、大手証券会社に勤めていただけあって、生活には余裕があった。
何事も保守的な夫からは、働かずに家にいて欲しいと言われた。
人づきあいが上手くないため、職場でのいざこざに辟易していたこともあって、専業主婦でいられるならラッキーと思った。
夫の転勤先の東京での暮らしは、はじめての都会ということもあり、憧れと珍しさがあったけれど……。
電車を乗り継いで、あちこち見て回ったりはしたけれど、1ヶ月ですっかり飽きてしまい、暇をもてあました。
私にとっては札幌のほうが、買い物でもなんでもなにかと便利だった。
夫からは、“ なにか習い事でもしたら ” と言われたけれど、趣味だけの関わりなど、尚一層わずらわしい。
ああ言うところは、気の合う人同士で楽しむところでしょう。
仲間はずれにされるに決まってるわよ。
吉岡はスーツを着込んでいても、かなりの痩せぎすに見えた。
鶏ガラを連想させる貧相な夫に、ロマンチックな感情を持つことは難しかった。
夫もそっちの欲求があまり強くなかったのが、不幸中の幸いだった。
ただ、彼はやはりどこか歪んでいたと思う。
アニメおたくで、フリフリのメイド服などをたくさん持っていて、それを私に着せたがった。
「やっぱり、沙織ちゃんはよく似合うなぁ、すっごく可愛い!」
ご機嫌の夫がカメラを構え、バシャバシャとフラッシュをあびせる。
バカバカしいとは思いながらも、一応ポーズを決める。
「じゃあ、今度はこれを着て」
網タイツと、真っ赤なミニのチャイナドレスを手渡された。
「いやよ、面倒くさい! もう寝るから、今日はおしまいよ」
いつまでもこんなことに付き合わされるのはまっぴら
「あっ、怒っちゃった? ごめん、ごめん、じゃあ、今日はもういいから」
吉岡はすぐにご機嫌をとったり、謝ったりするので、ケンカにもならない。
8歳年上の夫とは話も合わず、楽しく感じられることはひとつもなかった。
そんなことは結婚前からわかっていたはず。
誰のせいでもない、自分で決めたのだ。
早く寿退社をしてしまいたくて……。
パジャマに着替え、ひとり別室のベッドに潜り込んだ。
無理強いはしないものの、夫は異常性愛者に違いない。
新婚初夜、ベロベロと全身を舐めまわされて、鳥肌が立った。
その気色の悪さに戦慄し、それ以来ベッドを共にしていない。
そんな事情と罪悪感もあって、コスプレくらいなら付き合ってあげてもいいと思ったけれど……。
こんな変質者とこれからもずっと暮らしていくのかと思うと、目の前が真っ暗になった。
こんなことなら、松田先生の愛人のままでいたほうが、どれだけ楽しかったか知れない。
先生との甘く切ない夜を、一人ベッドの中で思い出し、あまりの淋しさに涙がにじんだ。
退屈な専業主婦は、それほど楽しくもなく、暇と身体をもてあました。
これなら仕事をしていたほうがマシな気もして、杉並区にある自宅マンションからもさほど遠くない、総合病院へ面接に行った。
その日のうちに採用が決まったけれど、夫からは強硬な反対にあった。
「働かないという約束で結婚しただろう。それは契約違反だ!」
怒られたのは初めてだ。いつも、わたしの顔色ばかり伺っていたのに。
働くと言っただけで、そんなに反対されるなんて思ってもみなかった。
「人の気持ちは変わるものでしょう。知り合いもいない東京で、ひとりマンションにいて何をしてろっていうのよ」
「だから、習い事でもしていればいいだろう。お料理とかパッチワークとか、何か趣味を見つければいいじゃないか」
「してみたいことなんかないわよ。そんな暇な奥様方とは話だって合わないわ。仕事をしていたほうがマシよ、カルチャーセンターなんて絶対に行かない!」
この度は寛大な夫も、なかなか首を縦には振ってくれず、午前のパートだけという条件で、お互い仕方なく妥協した。
勤め始めた途端、夫は人が変わったように嫉妬深くなった。
携帯を盗み見ようとしといたし、実家の母親に頼んで、仕事帰りを尾行させていた。
義母が探偵や警察のように上手く尾行などできるわけもなく、つけられていることにはすぐに気づいた。
今日も病院を出たあと、サングラスにマスク姿の、痩せぎすの女に尾行された。
こんな十一月の寒空に、サングラスをかけていること自体目立つ。
お昼過ぎの人通りもまばらなこの時間帯。
あまりに無防備な尾行。
……わざとなのか?
心の中で口ずさむ。
ダルマさんが転んだ!!
すばやく振り返ると、直立不動で固まっている義母と目が合った。
六十代半ばの吉岡の母は、息子と同じくガリガリで、見るからに神経質そうな陰湿な感じの女だった。
「あら、お義母さま、偶然ですね。こんなところで一体なにをしてるんです!」
「あら、見つかっちゃったわね。改札を出たら、あなたを見つけたから、そっと近づいて驚かそうと思ってたのよ。評判の美味しいケーキを買ってきたの。一緒に食べましょう」
初めから考えていたのか、義母はなかなかうまい口実でかわした。
せめてもう少し可愛げのある姑だったらと思った。
旭川に住んでいる意地悪な継母にどことなく似ていた。
母親の愛情に飢えていたわたしは、どんな姑なのかと、会うまでは少し期待もしていた分、心底がっかりさせられた。
どんなに美味しいケーキだろうと、姑が一緒では味も半減する。
だけど、わざわざ電車を乗り継いできた姑を、すぐに追い返すほど鬼にはなれなくて、仕方なくマンションへ招いた。
「駅には近いし、うちよりずっといいマンションだわねぇ」
義母はベランダからの景色をながめ、自慢げな顔をしている。
このマンションの半分は、義父母が出してくれたものだからだ。
ふん、恩着せがましいったら、ありゃしない。
プンプンしながらキッチンで紅茶を入れ、暗い気持ちになる。
ケーキと紅茶をテーブルに運んだ。
「あら、美味しそう。いただきましょう」
「お義母さま、甘いものは苦手じゃなかったんですか?」
「あら、たまには頂くわよ。それにお昼はまだなの。だから、これでいいわよ」
午前中しか働けないわたしは、まだ昼食をとっていなかった。
だから、どちらかと言うとケーキより、お弁当のほうが良かったけれど。
「お義母さま、はっきり言わせてもらいますけど、尾行なんてするのはやめてください」
何事も黙っていられない私は、ベリーが美しく盛られたタルトを口にしながら、さらりと告げた。
「あら、わたくしだって好きでこんなことをしているのではありませんよ。あなたが妻としての自覚が足りないからこんな苦労をさせられているの」
大人しい息子の宏伸とちがって、義母は気が強く、口もよくまわる女だった。
「はぁ? 妻の自覚? なによ、それ?」
掃除も料理も洗濯だってちゃんとやっているではないか。
夫はなにが不満で、この母親にグチグチと不満を漏らしているのだろう。
「あなたは礼儀も言葉遣いも知らないのね。先が思いやられるわ。こんな無教養な山猿なんかと結婚してしまって、宏伸がかわいそうで……」
義母はバッグから慌てたようにハンカチを取り出すと、大袈裟に目頭を押さえた。
「一体どこが可哀想なんです? そんな余計な過保護のせいで、宏伸さんは歪んだ性格になったんです」
「あの子のどこが歪んでいるっていうの! 難関の国立大を出て、今の証券会社に入れたのよ。いくらでもいいお嫁さんの来手があったわよ!」
この母親は息子の人生を、なにもかも自分の思い通りにしなければ気が済まないのだろう。
抑圧された息子は、継母に無視されて育ったわたし以上にいびつだ。
そのことに母親はまったく気づいてもいない。
これからも理想の息子像を実現するために、あらゆる手段を使ってコントロールしてくるに違いない。
それは怒りであったり、泣き落としであったり、虐げられたかのように惨めに振る舞って、罪悪感を植えつけようとする。
それは継母がよく使っていた手だったけれど、反抗心のほうが優っていたわたしが支配されることはなかった。
「妻は家事だけしていればいいわけじゃありませんよ! 偉そうなことが言いたければ、ちゃんと吉岡家の後継ぎを産んでからにしてもらいたいわね。あなたは子作りに少しも協力的じゃないって言うじゃないの」
そんな事まで母親に相談していたなんて……
「だからいびつな親子だって言うのよ。異常だわ、あの人は精神的にはなんにも成長していないの。お母様におびえて、顔色ばかり伺って、親孝行の名のもとに支配されている可哀想な人なのよ」
「偉そうに、、わかったような口を利くのはやめなさい!」
うそ泣きしていた義母は、ハンカチを握りしめ、鬼のような形相で叫んだ。
「あなたの結婚前のふしだらは、みんな知っていますよ! なに食わぬ顔をして、どこの誰ともしれない男との子供を、宏伸の子のように偽るつもりでしょう! そんなことは絶対に許しません!!」
ーーそうか、夫はストーカーだったんだ。
仕事帰り、松田先生と逢っていたことを知ってたのね。
だけど、知っていながら吉岡は私にプロポーズをしたのだ。
結婚後の不貞でもないのに、そこまで罵倒される筋合いはない。
「わかりました。じゃあ、もう離婚します。宏伸さんが帰ったらそう伝えますから。それでいいでしょう。お話はそれだけですね」
義母にはさっさと帰ってもらいたくて、ティーカップとケーキ皿を持って立ちあがり、シンクへ下げに行った。
義母もバッグをつかむと、さようならも言わずに部屋を出ていった。
夜になっていつもより早く、慌てたようすで吉岡が帰宅した。
オドオドしたようすから、既に事情は把握しているようだった。
義母が帰ったあと、すぐに役所へ行って離婚届の用紙はもらっておいた。
スーツから部屋着に着替えた夫が、まるで居候のように、ソファの端ににちょこんと腰かけた。
明日から師走だというのに、夫は額に汗を浮かべていた。まるで悪さがばれて叱られる前の小学生のようだった。
「あ、あのさ、、今日、母が来たんだろ?」
緊張した面持ちで夫は目をパチパチさせた。
「そうよ、仕事帰りの私をずっと尾行していたの」
「ご、ごめん、沙織ちゃん。もう、尾行なんてことはさせないから」
「お母様がなぜ尾行なんてしたのかわかってる? あなたが私生活のことまでペラペラ言ったりするからでしょう。もう、信じられないわ、別れます!」
持っていた離婚届を、バシッ! とローテーブルへ叩きつけた。
「沙織ちゃん、、誤解だよ、あれはちょっとした誘導尋問に引っかかってしまっただけで……」
「なにが誘導尋問よ。あなたのマザコンが治るわけないわ。とにかくこの結婚は間違ってたの。だから」
「頼むよ、沙織、別れないでくれ、何でもするから、頼む、このとおり!」
吉岡はソファから降りて、土下座をしてあやまった。
やめてよ。
そんなことしないで……。
愛することは無理だけれど、いつも低姿勢で献身的な吉岡になにも言えなくなる。
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でも、わたし、、自由になりたいの。
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