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第1章
結婚式を終えて
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夏帆は結婚式も披露宴もなくていいと言った。
「でも、ウエディングドレスくらいは着たいだろう?」
「こんなに痩せちゃったんですもの。もう似合わないわ」
寂しげに骨ばった腕にふれながらも、少し未練があるように感じられた。
「写真くらいは撮らないかい? ウエディングドレス似合うと思うな。僕は見たいな」
「わたしも見たいかも。修二さんのタキシード姿はきっとステキね」
夏帆は少しはにかんで、悪戯っぽく笑った。
「主役は女性だろ。式をしないなら写真だけは撮ろう。そうじゃないと、なんだか同棲と変わらないような気がするから」
「じゃあ、そうするわ。……あ、あの、修二さんのご両親はなんて?」
大切なことを思い出したかのように、夏帆は不安気に目を伏せた。
「ごめん、実はまだ言えてないんだ。ちゃんと説明すれば理解はしてくれると思う。やっぱり、うちの両親の承諾がないと嫌かい?」
「……喜んでくださるわけないわね。こんな病人なんて。厚かましすぎるもの。正直言って、合わせる顔なんてないわ」
落ち込む夏帆の気持ちは痛いほどよくわかる。
うちの両親は、一般的な親よりは理解のあるほうだと思う。それでも難色を示すことは容易に想像できた。
僕は今の夏帆に、そういった気苦労やショックを与えたくなかった。
両親にとどまらず、兄夫婦や親戚なんかも絡んでくると、反対されないにしても心理的には相当な負担になるだろう。
「夏帆がどうしてもって言うなら両親を説得してみるけど、僕の決心は変わらないよ。だけど、やっぱり二人だけの結婚式じゃ寂しいかな? 」
「寂しいなんてことないわ。わたしは修二さんさえいてくれたら……」
「余計な心配をしたり、ストレスになるようなことは避けたほうがいいと思うんだ。夏帆は自分の幸せのことだけ考えていればいい」
「修二さん、……わたし今、世界中で一番幸せよ」
上気した夏帆のほおに手をあててキスをした。
その言葉を聞けただけでも結婚を決意した甲斐があると思えた。
夏帆の安心と幸せが、今の僕にとって何よりの喜びになっていたから。
これまでずっと友人であり、なにかと親身になってくれた知佳にだけは報告したいと夏帆は言った。
知佳さんは僕たちの仲を知っているのだし、結婚すると知ったら、誰よりも喜んでくれるだろう。
それは予想どおりの反応で、知佳さんは自分のことのように僕たちの結婚を喜んでくれた。
だけど知佳さんはその秘密を留めておくことはできなかったようだ。
夏帆の友人と連絡をとり、知佳さんが仕切って、僕たちは家からさほど遠くない教会で式を挙げることになった。
その後、円山にあるレストランを貸し切って、ちょっとした披露宴まで用意してくれるとのこと。
夏帆の要望に合わせて、知佳さんと友人たちが準備をしてくれた。
少し元気を取り戻した夏帆は、細っそりしすぎてはいるものの、選んだウェディングドレスがよく似合っていた。
胸元のシフォン使いがつつましく、シンプルなAラインのドレスにローズブーケが映えて、なんとも言えず可憐だった。
「驚いたな。すごく綺麗だよ、夏帆」
「ありがとう。修二さんもとっても素敵よ」
ライトグレーのタキシードを着ている僕を、夏帆がはにかんで見つめた。
日頃メイクをしない夏帆は、いつも血色の悪い青白い顔をしていたけれど、今日は健康的にほんのりとしたピンクメイクで、目を見はるほど美しかった。
少し古めかしく、歴史を感じさせるような趣きのある教会。
ステンドグラスから柔らかな光が射し込む礼拝堂で、挙式は厳かにおこなわれた。
参列者は夏帆の友人知人が10名ほどだったけれど、それで十分だったと思う。
盛大な挙式や披露宴などは、今の夏帆には気力も体力もついていけないだろう。
パイプオルガンの音色が響きわたる中、一緒にバージンロードを歩いている隣の女性が、麗奈でも有紀でもないことが不思議に思えた。
二ヶ月前に知り合ったばかりの女性と
、僕は永遠の愛を誓おうとしている。
出会いとは不思議なものだとつくづく感じながら牧師の言葉に耳を傾ける。
……健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、死が二人を分かつまで愛し合うと誓いますか?
……死が二人を分かつまで?
結婚の誓約とは永遠ではないのだと、今頃になって気づく。
儀礼的に「誓います」と牧師に答えた。
魂は永遠ではないのか?
復活祭は何のためのお祝いなのか?
キリスト教徒でもないのだから真面目に取り合うことでももないが、この誓約の期限は年内にも終了してしまうかもしれないということだ。
そんなことを思うと、なんともいえない虚しさを感じた。
「誓います」と言う、夏帆の声が聞こえて我に返った。
夏帆が幸せならそれでいい。
全てはそのためのセレモニーなのだから。
夏帆のベールをあげ、誓いの口づけをする。
たとえ夏帆の病気が奇跡的に治ったとしても、僕たちはずっとうまく幸せに暮らしていけるだろう。
僕はまだ有紀ちゃんのことを忘れられたわけではなかったけれど、夏帆を生涯愛せる自信があった。
彼女の健気な一途さ、不幸な幼少期を経て培われた芯の強さと脆さ。
若いながらも人生の悲哀を存分に味わってきた夏帆の、短い生涯に少しでも関われたことを僕は神に感謝する。
知佳さんたちが用意してくれたレストランは、豊かな緑に囲まれた一軒家のようだった。
ゲストとの距離を感じないアットホームな空間で、和やかに会は進められた。
ついこの間まで、弱々しい枯れ枝のようだった夏帆が、思いもよらない賛辞と祝福をあびたせいか、なにか光り輝いて見えた。
なんとなくそれが、燃え尽きる前のロウソクの炎のような気がして、嫌な予感がした。
お料理は美味しく、友人たちの祝福の挨拶も堅苦しくなく、心がこもっていた。
「あの奥手の夏帆がさぁ、こんなステキな人をゲットしちゃうんだもんね。驚いちゃった」
夏帆の友人知人は全て女性だったせいもあり、どうしても僕に注目が集まった。
一時期女たらしと言われた僕でも、一斉にあびるその視線にはかなり圧倒された。
「夏帆は奥手なんかじゃないのよ。今まで本気になれる相手がいなかっただけなの。今回は修二さんがタジタジになるくらいの猛アタックだったのよ」
親友の知佳さんは、なにかと夏帆から打ち明けられていたのだろう。隠すこともなくアレコレと暴露して夏帆を慌てさせた。
「知佳ったら、もうやめてよ。恥ずかしいわ」
確かに出会いもプロポーズも全て夏帆が決めたようなものだった。
「でも僕は夏帆に出会えて本当に感謝してるんです。夏帆とポメラニアンの雪に出会えてなかったら、たぶん今も不幸だったでしょうね」
「修二さん……」
夏帆が僕を見つめて人目もはばからず涙ぐんだ。
「もう、やってられないよ~~ そんなに見せつけないでったら~~!!」
彼氏いない歴28年の瑞希さんが切実に訴えたので、どっと笑いがわき起こった。
最後にブーケトスをした後、フラワーシャワーをあびながら、レストランを後にした。
夏帆が今暮らしている祖父母の家から、徒歩3分ほどの場所に賃貸アパートを借りた。
そこが僕たちの新居ということになる。
夏帆の祖父母の家のほうが広くて便利ではあったが、新生活をするにはあまりにも中山家の様々な歴史が色濃く感じられた。
僕の実家からも徒歩で行けるくらい近いけれど、まだ両親に住所は知らせていない。
1LDKの狭いマンションだけれど、新築で綺麗なこともあり、夏帆はとても喜んでいた。
新しい家具や食器にリネン。
二人で使う生活雑貨を選ぶことが、ことのほか楽しいようだった。
この部屋にアトリエは無理なので、絵は今まで通り祖父母の家へ行って描くことに決めている。
レストランでの披露宴を終えて、マンションへ着いたのは午後の7時だった。
普通なら二次会や三次会ということになるのだろうが、夏帆はよく今まで持ちこたえてくれたものだと思う。
あとで疲れが出ないといいけれど。
「ただいま~~!」
留守番をしていた雪とルパンのいるリビングに向かって夏帆は声をかけた。
雪もルパンもしっぽを振りながら飛んできた。
「ごめんね、長いことお留守番させて」
雪とルパンのご飯を用意している夏帆の手から、餌の袋を取り上げた。
「疲れただろう。犬の世話は僕がするから。もう休んたほうがいいよ」
「ありがとう。でも大丈夫よ。同じ疲労でも幸せなことはそんなには疲れないわ。修二さんのほうがよほど疲れたでしょう。あんなに冷やかされてばかりだったんですもの。ごめんなさい」
「まぁ、確かにちょっと圧倒されたけどね。でも僕も楽しかったよ。いい人たちばかりだったね。とにかくもう休んで。早くお風呂に入って」
「うん、ありがとう」
お風呂のお湯を出し、ポットのお湯も沸かしてコーヒーを淹れた。
ソファで休んである夏帆に渡そうとしてから気づく。
「あ、寝る前はコーヒー飲んじゃいけないな。ごめん、なに飲む?」
「今日はもうなにもいらないわ。たくさん食べ過ぎちゃったの。お食事美味しかったわね。修二さんはお腹すいてない?」
「うん、今日はもうなにもいらないな。僕も食べすぎたから」
夏帆が座っているソファの隣に腰を下ろす。
「本当に結婚したのね、私たち。夢みたいだわ。神様ってやっぱりいるのね。最期にこんな幸せをくれるんだもの」
そう言って夏帆は僕の肩に頭をのせた。
「最期なんて言っちゃダメだろう」
夏帆の肩に腕をまわして抱き寄せる。
「ごめんなさい。でも本当よ。今までの不幸が全部帳消しになるくらい幸せだわ。人生って、そういう風に帳尻が合うようになってるのね、きっと」
夏帆はこれから癌との壮絶な戦いが残っている、こんな若さで。
帳尻など合うものか。
余命は3ヶ月よりは少し伸びている気もするけれど。
今の状態だと、あと一年くらい持ちそうな気もしないではない。
それは甘い考えなのだろうか。
夜の生活を僕は節制していた。
骨にも転移があると知佳さんから聞いていたし、体力のない夏帆にとっては苦痛なだけだろうと思っていたから。
夏帆がそのことで傷ついていたなんて、思いもしなかった。
いつも夏帆は僕に背を向けて、すすり泣きをしていた。
それは迫り来る死への恐怖におびえているのだろうと思っていた。
そんなとき僕はなにも言わずにい夏帆を優しく抱きしめた。僕にはそうすることしか出来なかったから。
今日の夏帆はいつもとは少し違っていた。
背を向けて横たわっていた夏帆はくるりと僕のほうを向いた。
「おやすみ」
僕はそう言って夏帆にキスをした。
「あ、あの、……お願いがあるの」
「えっ、なんだい?」
「一度でいいから抱いてください」
消え入りそうな声で夏帆は言った。
「夏帆…… あ、ダメだろ。骨折でもさせたら、大変だ。ご、ごめん、知佳さんから聞いたんだ、骨にも転移してるって」
「まだ痛くないし、骨折したっていいわ。粉々になったって、、私は胸も片方しかなくて気味が悪いと思うけど、一度でいいの、、」
ボロボロに泣きながら訴えた夏帆を強く抱きしめた。
「ごめん、夏帆。君にそんなこと言わせて悪かった」
泣いていたのは死への恐怖ではなかったのか。
胸が片方しかないことを気にしていたなんて……。
「気味が悪いなんて思ったことはないよ。夏帆、君はいつだって清らかですべてが美しいから」
「修二さん、わたしのこと、、愛してる?」
夏帆のストレートな問いに一瞬、戸惑う。
涙を浮かべて僕を見つめた夏帆のまぶたにそっとキスをした。
そんな目をして見ないでくれ、夏帆。
君は僕を買いかぶっている。
僕は君のような美しい心など持ちあわせていないんだ。
こんな僕に恋い焦がれている夏帆が愛おしく、甘くせつない想いに囚われる。
「……愛してるよ、夏帆」
スタンドライトの灯りを消し、白く光る夏帆のシルクのパジャマのボタンを外した。
痛々しくえぐられた胸に唇をよせると、深い哀しみで胸が締め付けられた。
夏帆の死を恐れているのは、夏帆自身より僕のほうかもしれない。
何も考えられなくなり、本当に砕けてしまうほど強く激しく夏帆をむさぼり求めた。
「でも、ウエディングドレスくらいは着たいだろう?」
「こんなに痩せちゃったんですもの。もう似合わないわ」
寂しげに骨ばった腕にふれながらも、少し未練があるように感じられた。
「写真くらいは撮らないかい? ウエディングドレス似合うと思うな。僕は見たいな」
「わたしも見たいかも。修二さんのタキシード姿はきっとステキね」
夏帆は少しはにかんで、悪戯っぽく笑った。
「主役は女性だろ。式をしないなら写真だけは撮ろう。そうじゃないと、なんだか同棲と変わらないような気がするから」
「じゃあ、そうするわ。……あ、あの、修二さんのご両親はなんて?」
大切なことを思い出したかのように、夏帆は不安気に目を伏せた。
「ごめん、実はまだ言えてないんだ。ちゃんと説明すれば理解はしてくれると思う。やっぱり、うちの両親の承諾がないと嫌かい?」
「……喜んでくださるわけないわね。こんな病人なんて。厚かましすぎるもの。正直言って、合わせる顔なんてないわ」
落ち込む夏帆の気持ちは痛いほどよくわかる。
うちの両親は、一般的な親よりは理解のあるほうだと思う。それでも難色を示すことは容易に想像できた。
僕は今の夏帆に、そういった気苦労やショックを与えたくなかった。
両親にとどまらず、兄夫婦や親戚なんかも絡んでくると、反対されないにしても心理的には相当な負担になるだろう。
「夏帆がどうしてもって言うなら両親を説得してみるけど、僕の決心は変わらないよ。だけど、やっぱり二人だけの結婚式じゃ寂しいかな? 」
「寂しいなんてことないわ。わたしは修二さんさえいてくれたら……」
「余計な心配をしたり、ストレスになるようなことは避けたほうがいいと思うんだ。夏帆は自分の幸せのことだけ考えていればいい」
「修二さん、……わたし今、世界中で一番幸せよ」
上気した夏帆のほおに手をあててキスをした。
その言葉を聞けただけでも結婚を決意した甲斐があると思えた。
夏帆の安心と幸せが、今の僕にとって何よりの喜びになっていたから。
これまでずっと友人であり、なにかと親身になってくれた知佳にだけは報告したいと夏帆は言った。
知佳さんは僕たちの仲を知っているのだし、結婚すると知ったら、誰よりも喜んでくれるだろう。
それは予想どおりの反応で、知佳さんは自分のことのように僕たちの結婚を喜んでくれた。
だけど知佳さんはその秘密を留めておくことはできなかったようだ。
夏帆の友人と連絡をとり、知佳さんが仕切って、僕たちは家からさほど遠くない教会で式を挙げることになった。
その後、円山にあるレストランを貸し切って、ちょっとした披露宴まで用意してくれるとのこと。
夏帆の要望に合わせて、知佳さんと友人たちが準備をしてくれた。
少し元気を取り戻した夏帆は、細っそりしすぎてはいるものの、選んだウェディングドレスがよく似合っていた。
胸元のシフォン使いがつつましく、シンプルなAラインのドレスにローズブーケが映えて、なんとも言えず可憐だった。
「驚いたな。すごく綺麗だよ、夏帆」
「ありがとう。修二さんもとっても素敵よ」
ライトグレーのタキシードを着ている僕を、夏帆がはにかんで見つめた。
日頃メイクをしない夏帆は、いつも血色の悪い青白い顔をしていたけれど、今日は健康的にほんのりとしたピンクメイクで、目を見はるほど美しかった。
少し古めかしく、歴史を感じさせるような趣きのある教会。
ステンドグラスから柔らかな光が射し込む礼拝堂で、挙式は厳かにおこなわれた。
参列者は夏帆の友人知人が10名ほどだったけれど、それで十分だったと思う。
盛大な挙式や披露宴などは、今の夏帆には気力も体力もついていけないだろう。
パイプオルガンの音色が響きわたる中、一緒にバージンロードを歩いている隣の女性が、麗奈でも有紀でもないことが不思議に思えた。
二ヶ月前に知り合ったばかりの女性と
、僕は永遠の愛を誓おうとしている。
出会いとは不思議なものだとつくづく感じながら牧師の言葉に耳を傾ける。
……健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、死が二人を分かつまで愛し合うと誓いますか?
……死が二人を分かつまで?
結婚の誓約とは永遠ではないのだと、今頃になって気づく。
儀礼的に「誓います」と牧師に答えた。
魂は永遠ではないのか?
復活祭は何のためのお祝いなのか?
キリスト教徒でもないのだから真面目に取り合うことでももないが、この誓約の期限は年内にも終了してしまうかもしれないということだ。
そんなことを思うと、なんともいえない虚しさを感じた。
「誓います」と言う、夏帆の声が聞こえて我に返った。
夏帆が幸せならそれでいい。
全てはそのためのセレモニーなのだから。
夏帆のベールをあげ、誓いの口づけをする。
たとえ夏帆の病気が奇跡的に治ったとしても、僕たちはずっとうまく幸せに暮らしていけるだろう。
僕はまだ有紀ちゃんのことを忘れられたわけではなかったけれど、夏帆を生涯愛せる自信があった。
彼女の健気な一途さ、不幸な幼少期を経て培われた芯の強さと脆さ。
若いながらも人生の悲哀を存分に味わってきた夏帆の、短い生涯に少しでも関われたことを僕は神に感謝する。
知佳さんたちが用意してくれたレストランは、豊かな緑に囲まれた一軒家のようだった。
ゲストとの距離を感じないアットホームな空間で、和やかに会は進められた。
ついこの間まで、弱々しい枯れ枝のようだった夏帆が、思いもよらない賛辞と祝福をあびたせいか、なにか光り輝いて見えた。
なんとなくそれが、燃え尽きる前のロウソクの炎のような気がして、嫌な予感がした。
お料理は美味しく、友人たちの祝福の挨拶も堅苦しくなく、心がこもっていた。
「あの奥手の夏帆がさぁ、こんなステキな人をゲットしちゃうんだもんね。驚いちゃった」
夏帆の友人知人は全て女性だったせいもあり、どうしても僕に注目が集まった。
一時期女たらしと言われた僕でも、一斉にあびるその視線にはかなり圧倒された。
「夏帆は奥手なんかじゃないのよ。今まで本気になれる相手がいなかっただけなの。今回は修二さんがタジタジになるくらいの猛アタックだったのよ」
親友の知佳さんは、なにかと夏帆から打ち明けられていたのだろう。隠すこともなくアレコレと暴露して夏帆を慌てさせた。
「知佳ったら、もうやめてよ。恥ずかしいわ」
確かに出会いもプロポーズも全て夏帆が決めたようなものだった。
「でも僕は夏帆に出会えて本当に感謝してるんです。夏帆とポメラニアンの雪に出会えてなかったら、たぶん今も不幸だったでしょうね」
「修二さん……」
夏帆が僕を見つめて人目もはばからず涙ぐんだ。
「もう、やってられないよ~~ そんなに見せつけないでったら~~!!」
彼氏いない歴28年の瑞希さんが切実に訴えたので、どっと笑いがわき起こった。
最後にブーケトスをした後、フラワーシャワーをあびながら、レストランを後にした。
夏帆が今暮らしている祖父母の家から、徒歩3分ほどの場所に賃貸アパートを借りた。
そこが僕たちの新居ということになる。
夏帆の祖父母の家のほうが広くて便利ではあったが、新生活をするにはあまりにも中山家の様々な歴史が色濃く感じられた。
僕の実家からも徒歩で行けるくらい近いけれど、まだ両親に住所は知らせていない。
1LDKの狭いマンションだけれど、新築で綺麗なこともあり、夏帆はとても喜んでいた。
新しい家具や食器にリネン。
二人で使う生活雑貨を選ぶことが、ことのほか楽しいようだった。
この部屋にアトリエは無理なので、絵は今まで通り祖父母の家へ行って描くことに決めている。
レストランでの披露宴を終えて、マンションへ着いたのは午後の7時だった。
普通なら二次会や三次会ということになるのだろうが、夏帆はよく今まで持ちこたえてくれたものだと思う。
あとで疲れが出ないといいけれど。
「ただいま~~!」
留守番をしていた雪とルパンのいるリビングに向かって夏帆は声をかけた。
雪もルパンもしっぽを振りながら飛んできた。
「ごめんね、長いことお留守番させて」
雪とルパンのご飯を用意している夏帆の手から、餌の袋を取り上げた。
「疲れただろう。犬の世話は僕がするから。もう休んたほうがいいよ」
「ありがとう。でも大丈夫よ。同じ疲労でも幸せなことはそんなには疲れないわ。修二さんのほうがよほど疲れたでしょう。あんなに冷やかされてばかりだったんですもの。ごめんなさい」
「まぁ、確かにちょっと圧倒されたけどね。でも僕も楽しかったよ。いい人たちばかりだったね。とにかくもう休んで。早くお風呂に入って」
「うん、ありがとう」
お風呂のお湯を出し、ポットのお湯も沸かしてコーヒーを淹れた。
ソファで休んである夏帆に渡そうとしてから気づく。
「あ、寝る前はコーヒー飲んじゃいけないな。ごめん、なに飲む?」
「今日はもうなにもいらないわ。たくさん食べ過ぎちゃったの。お食事美味しかったわね。修二さんはお腹すいてない?」
「うん、今日はもうなにもいらないな。僕も食べすぎたから」
夏帆が座っているソファの隣に腰を下ろす。
「本当に結婚したのね、私たち。夢みたいだわ。神様ってやっぱりいるのね。最期にこんな幸せをくれるんだもの」
そう言って夏帆は僕の肩に頭をのせた。
「最期なんて言っちゃダメだろう」
夏帆の肩に腕をまわして抱き寄せる。
「ごめんなさい。でも本当よ。今までの不幸が全部帳消しになるくらい幸せだわ。人生って、そういう風に帳尻が合うようになってるのね、きっと」
夏帆はこれから癌との壮絶な戦いが残っている、こんな若さで。
帳尻など合うものか。
余命は3ヶ月よりは少し伸びている気もするけれど。
今の状態だと、あと一年くらい持ちそうな気もしないではない。
それは甘い考えなのだろうか。
夜の生活を僕は節制していた。
骨にも転移があると知佳さんから聞いていたし、体力のない夏帆にとっては苦痛なだけだろうと思っていたから。
夏帆がそのことで傷ついていたなんて、思いもしなかった。
いつも夏帆は僕に背を向けて、すすり泣きをしていた。
それは迫り来る死への恐怖におびえているのだろうと思っていた。
そんなとき僕はなにも言わずにい夏帆を優しく抱きしめた。僕にはそうすることしか出来なかったから。
今日の夏帆はいつもとは少し違っていた。
背を向けて横たわっていた夏帆はくるりと僕のほうを向いた。
「おやすみ」
僕はそう言って夏帆にキスをした。
「あ、あの、……お願いがあるの」
「えっ、なんだい?」
「一度でいいから抱いてください」
消え入りそうな声で夏帆は言った。
「夏帆…… あ、ダメだろ。骨折でもさせたら、大変だ。ご、ごめん、知佳さんから聞いたんだ、骨にも転移してるって」
「まだ痛くないし、骨折したっていいわ。粉々になったって、、私は胸も片方しかなくて気味が悪いと思うけど、一度でいいの、、」
ボロボロに泣きながら訴えた夏帆を強く抱きしめた。
「ごめん、夏帆。君にそんなこと言わせて悪かった」
泣いていたのは死への恐怖ではなかったのか。
胸が片方しかないことを気にしていたなんて……。
「気味が悪いなんて思ったことはないよ。夏帆、君はいつだって清らかですべてが美しいから」
「修二さん、わたしのこと、、愛してる?」
夏帆のストレートな問いに一瞬、戸惑う。
涙を浮かべて僕を見つめた夏帆のまぶたにそっとキスをした。
そんな目をして見ないでくれ、夏帆。
君は僕を買いかぶっている。
僕は君のような美しい心など持ちあわせていないんだ。
こんな僕に恋い焦がれている夏帆が愛おしく、甘くせつない想いに囚われる。
「……愛してるよ、夏帆」
スタンドライトの灯りを消し、白く光る夏帆のシルクのパジャマのボタンを外した。
痛々しくえぐられた胸に唇をよせると、深い哀しみで胸が締め付けられた。
夏帆の死を恐れているのは、夏帆自身より僕のほうかもしれない。
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