六華 snow crystal 5

なごみ

文字の大きさ
上 下
10 / 55
第1章

結婚式を終えて

しおりを挟む
夏帆は結婚式も披露宴もなくていいと言った。


「でも、ウエディングドレスくらいは着たいだろう?」


「こんなに痩せちゃったんですもの。もう似合わないわ」


寂しげに骨ばった腕にふれながらも、少し未練があるように感じられた。


「写真くらいは撮らないかい?  ウエディングドレス似合うと思うな。僕は見たいな」


「わたしも見たいかも。修二さんのタキシード姿はきっとステキね」


夏帆は少しはにかんで、悪戯っぽく笑った。


「主役は女性だろ。式をしないなら写真だけは撮ろう。そうじゃないと、なんだか同棲と変わらないような気がするから」


「じゃあ、そうするわ。……あ、あの、修二さんのご両親はなんて?」


大切なことを思い出したかのように、夏帆は不安気に目を伏せた。


「ごめん、実はまだ言えてないんだ。ちゃんと説明すれば理解はしてくれると思う。やっぱり、うちの両親の承諾がないと嫌かい?」


「……喜んでくださるわけないわね。こんな病人なんて。厚かましすぎるもの。正直言って、合わせる顔なんてないわ」


落ち込む夏帆の気持ちは痛いほどよくわかる。


うちの両親は、一般的な親よりは理解のあるほうだと思う。それでも難色を示すことは容易に想像できた。


僕は今の夏帆に、そういった気苦労やショックを与えたくなかった。


両親にとどまらず、兄夫婦や親戚なんかも絡んでくると、反対されないにしても心理的には相当な負担になるだろう。


「夏帆がどうしてもって言うなら両親を説得してみるけど、僕の決心は変わらないよ。だけど、やっぱり二人だけの結婚式じゃ寂しいかな? 」


「寂しいなんてことないわ。わたしは修二さんさえいてくれたら……」


「余計な心配をしたり、ストレスになるようなことは避けたほうがいいと思うんだ。夏帆は自分の幸せのことだけ考えていればいい」


「修二さん、……わたし今、世界中で一番幸せよ」


上気した夏帆のほおに手をあててキスをした。


その言葉を聞けただけでも結婚を決意した甲斐があると思えた。


夏帆の安心と幸せが、今の僕にとって何よりの喜びになっていたから。






これまでずっと友人であり、なにかと親身になってくれた知佳にだけは報告したいと夏帆は言った。


知佳さんは僕たちの仲を知っているのだし、結婚すると知ったら、誰よりも喜んでくれるだろう。



それは予想どおりの反応で、知佳さんは自分のことのように僕たちの結婚を喜んでくれた。


だけど知佳さんはその秘密を留めておくことはできなかったようだ。


夏帆の友人と連絡をとり、知佳さんが仕切って、僕たちは家からさほど遠くない教会で式を挙げることになった。


その後、円山にあるレストランを貸し切って、ちょっとした披露宴まで用意してくれるとのこと。


夏帆の要望に合わせて、知佳さんと友人たちが準備をしてくれた。




少し元気を取り戻した夏帆は、細っそりしすぎてはいるものの、選んだウェディングドレスがよく似合っていた。


胸元のシフォン使いがつつましく、シンプルなAラインのドレスにローズブーケが映えて、なんとも言えず可憐だった。


「驚いたな。すごく綺麗だよ、夏帆」


「ありがとう。修二さんもとっても素敵よ」


ライトグレーのタキシードを着ている僕を、夏帆がはにかんで見つめた。


日頃メイクをしない夏帆は、いつも血色の悪い青白い顔をしていたけれど、今日は健康的にほんのりとしたピンクメイクで、目を見はるほど美しかった。






少し古めかしく、歴史を感じさせるような趣きのある教会。


ステンドグラスから柔らかな光が射し込む礼拝堂で、挙式は厳かにおこなわれた。


参列者は夏帆の友人知人が10名ほどだったけれど、それで十分だったと思う。


盛大な挙式や披露宴などは、今の夏帆には気力も体力もついていけないだろう。


パイプオルガンの音色が響きわたる中、一緒にバージンロードを歩いている隣の女性が、麗奈でも有紀でもないことが不思議に思えた。


二ヶ月前に知り合ったばかりの女性と
、僕は永遠の愛を誓おうとしている。


出会いとは不思議なものだとつくづく感じながら牧師の言葉に耳を傾ける。


……健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、死が二人を分かつまで愛し合うと誓いますか?


……死が二人を分かつまで?


結婚の誓約とは永遠ではないのだと、今頃になって気づく。


儀礼的に「誓います」と牧師に答えた。







魂は永遠ではないのか?


復活祭は何のためのお祝いなのか?


キリスト教徒でもないのだから真面目に取り合うことでももないが、この誓約の期限は年内にも終了してしまうかもしれないということだ。


そんなことを思うと、なんともいえない虚しさを感じた。


「誓います」と言う、夏帆の声が聞こえて我に返った。


夏帆が幸せならそれでいい。


全てはそのためのセレモニーなのだから。


夏帆のベールをあげ、誓いの口づけをする。


たとえ夏帆の病気が奇跡的に治ったとしても、僕たちはずっとうまく幸せに暮らしていけるだろう。


僕はまだ有紀ちゃんのことを忘れられたわけではなかったけれど、夏帆を生涯愛せる自信があった。


彼女の健気な一途さ、不幸な幼少期を経て培われた芯の強さと脆さ。


若いながらも人生の悲哀を存分に味わってきた夏帆の、短い生涯に少しでも関われたことを僕は神に感謝する。







知佳さんたちが用意してくれたレストランは、豊かな緑に囲まれた一軒家のようだった。


ゲストとの距離を感じないアットホームな空間で、和やかに会は進められた。


ついこの間まで、弱々しい枯れ枝のようだった夏帆が、思いもよらない賛辞と祝福をあびたせいか、なにか光り輝いて見えた。


なんとなくそれが、燃え尽きる前のロウソクの炎のような気がして、嫌な予感がした。


お料理は美味しく、友人たちの祝福の挨拶も堅苦しくなく、心がこもっていた。


「あの奥手の夏帆がさぁ、こんなステキな人をゲットしちゃうんだもんね。驚いちゃった」


夏帆の友人知人は全て女性だったせいもあり、どうしても僕に注目が集まった。


一時期女たらしと言われた僕でも、一斉にあびるその視線にはかなり圧倒された。






「夏帆は奥手なんかじゃないのよ。今まで本気になれる相手がいなかっただけなの。今回は修二さんがタジタジになるくらいの猛アタックだったのよ」


親友の知佳さんは、なにかと夏帆から打ち明けられていたのだろう。隠すこともなくアレコレと暴露して夏帆を慌てさせた。


「知佳ったら、もうやめてよ。恥ずかしいわ」


確かに出会いもプロポーズも全て夏帆が決めたようなものだった。


「でも僕は夏帆に出会えて本当に感謝してるんです。夏帆とポメラニアンの雪に出会えてなかったら、たぶん今も不幸だったでしょうね」


「修二さん……」


夏帆が僕を見つめて人目もはばからず涙ぐんだ。


「もう、やってられないよ~~  そんなに見せつけないでったら~~!!」


彼氏いない歴28年の瑞希さんが切実に訴えたので、どっと笑いがわき起こった。



最後にブーケトスをした後、フラワーシャワーをあびながら、レストランを後にした。






夏帆が今暮らしている祖父母の家から、徒歩3分ほどの場所に賃貸アパートを借りた。


そこが僕たちの新居ということになる。


夏帆の祖父母の家のほうが広くて便利ではあったが、新生活をするにはあまりにも中山家の様々な歴史が色濃く感じられた。


僕の実家からも徒歩で行けるくらい近いけれど、まだ両親に住所は知らせていない。


1LDKの狭いマンションだけれど、新築で綺麗なこともあり、夏帆はとても喜んでいた。


新しい家具や食器にリネン。


二人で使う生活雑貨を選ぶことが、ことのほか楽しいようだった。


この部屋にアトリエは無理なので、絵は今まで通り祖父母の家へ行って描くことに決めている。


レストランでの披露宴を終えて、マンションへ着いたのは午後の7時だった。


普通なら二次会や三次会ということになるのだろうが、夏帆はよく今まで持ちこたえてくれたものだと思う。


あとで疲れが出ないといいけれど。


「ただいま~~!」


留守番をしていた雪とルパンのいるリビングに向かって夏帆は声をかけた。


雪もルパンもしっぽを振りながら飛んできた。


「ごめんね、長いことお留守番させて」


雪とルパンのご飯を用意している夏帆の手から、餌の袋を取り上げた。


「疲れただろう。犬の世話は僕がするから。もう休んたほうがいいよ」


「ありがとう。でも大丈夫よ。同じ疲労でも幸せなことはそんなには疲れないわ。修二さんのほうがよほど疲れたでしょう。あんなに冷やかされてばかりだったんですもの。ごめんなさい」


「まぁ、確かにちょっと圧倒されたけどね。でも僕も楽しかったよ。いい人たちばかりだったね。とにかくもう休んで。早くお風呂に入って」


「うん、ありがとう」


お風呂のお湯を出し、ポットのお湯も沸かしてコーヒーを淹れた。


ソファで休んである夏帆に渡そうとしてから気づく。


「あ、寝る前はコーヒー飲んじゃいけないな。ごめん、なに飲む?」


「今日はもうなにもいらないわ。たくさん食べ過ぎちゃったの。お食事美味しかったわね。修二さんはお腹すいてない?」


「うん、今日はもうなにもいらないな。僕も食べすぎたから」


夏帆が座っているソファの隣に腰を下ろす。



「本当に結婚したのね、私たち。夢みたいだわ。神様ってやっぱりいるのね。最期にこんな幸せをくれるんだもの」


そう言って夏帆は僕の肩に頭をのせた。


「最期なんて言っちゃダメだろう」


夏帆の肩に腕をまわして抱き寄せる。


「ごめんなさい。でも本当よ。今までの不幸が全部帳消しになるくらい幸せだわ。人生って、そういう風に帳尻が合うようになってるのね、きっと」


夏帆はこれから癌との壮絶な戦いが残っている、こんな若さで。


帳尻など合うものか。


余命は3ヶ月よりは少し伸びている気もするけれど。


今の状態だと、あと一年くらい持ちそうな気もしないではない。


それは甘い考えなのだろうか。






夜の生活を僕は節制していた。


骨にも転移があると知佳さんから聞いていたし、体力のない夏帆にとっては苦痛なだけだろうと思っていたから。


夏帆がそのことで傷ついていたなんて、思いもしなかった。


いつも夏帆は僕に背を向けて、すすり泣きをしていた。


それは迫り来る死への恐怖におびえているのだろうと思っていた。


そんなとき僕はなにも言わずにい夏帆を優しく抱きしめた。僕にはそうすることしか出来なかったから。


今日の夏帆はいつもとは少し違っていた。


背を向けて横たわっていた夏帆はくるりと僕のほうを向いた。



「おやすみ」


僕はそう言って夏帆にキスをした。



「あ、あの、……お願いがあるの」


「えっ、なんだい?」


「一度でいいから抱いてください」


消え入りそうな声で夏帆は言った。


「夏帆…… あ、ダメだろ。骨折でもさせたら、大変だ。ご、ごめん、知佳さんから聞いたんだ、骨にも転移してるって」



「まだ痛くないし、骨折したっていいわ。粉々になったって、、私は胸も片方しかなくて気味が悪いと思うけど、一度でいいの、、」


ボロボロに泣きながら訴えた夏帆を強く抱きしめた。


「ごめん、夏帆。君にそんなこと言わせて悪かった」


泣いていたのは死への恐怖ではなかったのか。


胸が片方しかないことを気にしていたなんて……。



「気味が悪いなんて思ったことはないよ。夏帆、君はいつだって清らかですべてが美しいから」



「修二さん、わたしのこと、、愛してる?」



夏帆のストレートな問いに一瞬、戸惑う。


涙を浮かべて僕を見つめた夏帆のまぶたにそっとキスをした。


そんな目をして見ないでくれ、夏帆。


君は僕を買いかぶっている。


僕は君のような美しい心など持ちあわせていないんだ。


こんな僕に恋い焦がれている夏帆が愛おしく、甘くせつない想いに囚われる。



「……愛してるよ、夏帆」



スタンドライトの灯りを消し、白く光る夏帆のシルクのパジャマのボタンを外した。


痛々しくえぐられた胸に唇をよせると、深い哀しみで胸が締め付けられた。



夏帆の死を恐れているのは、夏帆自身より僕のほうかもしれない。



何も考えられなくなり、本当に砕けてしまうほど強く激しく夏帆をむさぼり求めた。


















しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

カラダから、はじまる。

佐倉 蘭
現代文学
世の中には、どんなに願っても、どんなに努力しても、絶対に実らない恋がある…… そんなこと、能天気にしあわせに浸っている、あの二人には、一生、わからないだろう…… わたしがこの世で唯一愛した男は——妹の夫になる。 ※「あなたの運命の人に逢わせてあげます」「常務の愛娘の『田中さん』を探せ!」「もう一度、愛してくれないか」「政略結婚はせつない恋の予感⁉︎」「お見合いだけど、恋することからはじめよう」のネタバレを含みます。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...