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第1章
思わず取り乱して
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僕にとって夏帆さんに会うことは、楽しみというより、どちらかというと気の重いことだった。
翌日公園に寄ってみると、彼女はいなかった。
急用でもできたのか。体調を崩したのかもしれない。
医師から余命宣告をされていると言っていた。
一体あと、どれくらい生きられるのだろう。
あの若さだと癌の進行は早いかもしれない。
翌日も、翌々日も彼女は姿を見せなかった。
満開だった桜もいつの間にか散っていた。
単なる気まぐれだったのかもしれない。
それとも僕の勝手な思い込みで、彼女は誰にも恋などしていなかったとも考えられる。
退屈しのぎにからかったのか。
それならそれでいい。
僕は決して夏帆さんを心待ちにしているわけではない。
だけど、このまま彼女が現れないと、なんとなく落ち着かなかった。
余命宣告されているのだとすれば、突然容態が変わって緊急入院したとしても不思議ではない。
もう会えないまま、彼女は死んでしまうのだろうか、あんな若さで……。
そんなふうに思うと、もう少し暖かみのある接しかたをしてあげていたならと悔やまれた。
ルパンと15分ほど公園で時間を潰し、帰ろうとしたら、ポメラニアンの雪を連れた夏帆さんが公園の入り口から入ってくるところだった。
「よかった。間に合ったわ」
ハァハァと肩で息をしながら彼女は僕のそばまでやってきた。
「大丈夫? 走ってきたのかい?」
ひどく顔色が悪かった。
「この間から熱を出してしまって……。今朝はやっと37℃台に下がったから」
夏帆さんはよろよろとしながら、ベンチに腰を下ろした。
「無理はしないほうがいいな。少し休んだらもう帰ったほうがいい」
「家で寝ていても落ち着かなくて。もう来てはくださらないかもしれないと思うと……」
「ルパンの散歩コースだと言っただろう。まだ熱があるのに無謀すぎるよ。家まで送るけど歩ける? もし無理なら車を取りにいくけど」
「ごめんなさい。迷惑かけちゃいましたね。家はすぐそこなので、わたし一人で歩いて帰れます。少し休んでから帰りますから、大丈夫です」
“ クゥーン ”
ポメラニアンの雪も心配なのか、しっぽを振りながら、落ち着かないようすで彼女を見つめていた。
確かに彼女の家は近くて、公園から徒歩3分ほどだった。
日本庭園のある立派な屋敷ではあるけれど、かなり古めかしい。
築年数50年以上は経っているように思えた。
植木職人が定期的に剪定しているのだろう。見事な松やいちいの木がある庭。花壇もきれいに手入れがされて、春の花々が咲き乱れていた。
やっと玄関までたどり着き、彼女は崩れるように上がりかまちに腰を下ろした。
飾り気のない薄暗い玄関。
家の中は静まり返っていて、人の気配がなかった。
「ご家族は? ご両親は仕事かい?」
「ここに住んでいるのはわたしだけです。母の実家で、母はわたしが二十歳のときに同じ乳癌で亡くなってしまって……」
「……お父さんは?」
「五歳のときに離婚してます。わたしは祖父母に育てられたんです。祖母は中学のときに亡くなりました。祖父は二年前から認知症がひどくなって、今は施設に入っています。父とはもう十年以上会ってません。大阪に住んでいて、別の家庭を持ってますから」
「…………」
今の夏帆さんに必要なのは、恋人以上に親身になってくれる家族だと思った。
「あ、でも、ケースワーカーさんが色々と相談してくれますし、わたしはまだ要介護の対象ではないですけど、家政婦さんに週一でお掃除やお買い物はお願いしてます。だから、特に不便なことはないんですよ」
言葉を失っている僕を見て、彼女は慌てて弁解をはじめた。
「そうか、色々と大変なんだな。僕にできることがあれば助けたいけれど、あまり役に立てそうにはないんだ。僕自身も後遺症を患っているものだから」
「そうですよね、ごめんなさい。でも、少しの時間でいいんです。時々会ってくださいませんか? 」
「それはかまわないよ。僕は雨の日以外はルパンを連れて散歩に出かけるから。公園でときどき会うことくらいなら、今まで通りできると思う。じゃあ、ゆっくり休んで。今日はこれで、」
「待って! あ、あの、、お急ぎじゃなかったら、もう少しだけ一緒にいてくださいませんか? お茶かコーヒーでも入れます」
彼女は力を振りしぼるように立ち上がると、熱っぽい目で懇願した。
「若い女性がよく知りもしない男を家に入れたりするのは良くないと思うな。それに君は早く休んだほうがいい」
まだ微熱があるっていうのに。
「わたしには怖いものなんてないんです。それにあなたは危害を加えるような人じゃないわ。あなたのことはまだなにも知らないけど、どんな人なのかは大体わかります」
「僕の何がわかるっていうんだい? 」
全てを見通したように言う彼女に反論したくなる。
「話し方や表情でなんとなくわかります。人って服装や立ち居振る舞いだけでも、たくさんの情報を相手に伝えてしまうものでしょう? 谷さんはどう見ても危険な人じゃありません。とっても教養のある優しい方だと思うんです」
「君は子供でもないのに随分おめでたい人なんだな。どんな人間にも裏の顔っていうものがあるだろう。見た目だけで判断してもらいたくないね」
なぜ僕はこんな年下の娘に、なぜこんなにムキになっているのだろう。
「あなたは優しい人です。ひどく傷ついている優しい人だわ。わたしにはわかります」
まるで確信しているかのように見つめる彼女の目が恐ろしかった。
「君は僕のことなどなにも知らない! 買いかぶらないでくれないか。僕は犬を殺したことだってあるんだ!」
……何故こんなことまで言ってしまったのか。まだ知り合ったばかりのこの人に。
「だから、、だから雪を抱きしめていたの? 可哀想……。わたしには殺された犬より、あなたの方がずっと傷ついて見えるわ」
彼女の目から次々と涙が溢れてこぼれ落ちた。
「殺したのは、、殺したのは、犬だけじゃない。……ごめん、、」
玄関ドアを開けた僕に彼女は叫んだ。
「殺されたっていいわ、あなたになら。ちっとも怖くなんかないもの。お願い、わたしにはもう時間がないの!」
リードにつながれたルパンをグイと引っ張って僕は走った。
なにを、なにを取り乱しているのだ、僕は。
翌日公園に寄ってみると、彼女はいなかった。
急用でもできたのか。体調を崩したのかもしれない。
医師から余命宣告をされていると言っていた。
一体あと、どれくらい生きられるのだろう。
あの若さだと癌の進行は早いかもしれない。
翌日も、翌々日も彼女は姿を見せなかった。
満開だった桜もいつの間にか散っていた。
単なる気まぐれだったのかもしれない。
それとも僕の勝手な思い込みで、彼女は誰にも恋などしていなかったとも考えられる。
退屈しのぎにからかったのか。
それならそれでいい。
僕は決して夏帆さんを心待ちにしているわけではない。
だけど、このまま彼女が現れないと、なんとなく落ち着かなかった。
余命宣告されているのだとすれば、突然容態が変わって緊急入院したとしても不思議ではない。
もう会えないまま、彼女は死んでしまうのだろうか、あんな若さで……。
そんなふうに思うと、もう少し暖かみのある接しかたをしてあげていたならと悔やまれた。
ルパンと15分ほど公園で時間を潰し、帰ろうとしたら、ポメラニアンの雪を連れた夏帆さんが公園の入り口から入ってくるところだった。
「よかった。間に合ったわ」
ハァハァと肩で息をしながら彼女は僕のそばまでやってきた。
「大丈夫? 走ってきたのかい?」
ひどく顔色が悪かった。
「この間から熱を出してしまって……。今朝はやっと37℃台に下がったから」
夏帆さんはよろよろとしながら、ベンチに腰を下ろした。
「無理はしないほうがいいな。少し休んだらもう帰ったほうがいい」
「家で寝ていても落ち着かなくて。もう来てはくださらないかもしれないと思うと……」
「ルパンの散歩コースだと言っただろう。まだ熱があるのに無謀すぎるよ。家まで送るけど歩ける? もし無理なら車を取りにいくけど」
「ごめんなさい。迷惑かけちゃいましたね。家はすぐそこなので、わたし一人で歩いて帰れます。少し休んでから帰りますから、大丈夫です」
“ クゥーン ”
ポメラニアンの雪も心配なのか、しっぽを振りながら、落ち着かないようすで彼女を見つめていた。
確かに彼女の家は近くて、公園から徒歩3分ほどだった。
日本庭園のある立派な屋敷ではあるけれど、かなり古めかしい。
築年数50年以上は経っているように思えた。
植木職人が定期的に剪定しているのだろう。見事な松やいちいの木がある庭。花壇もきれいに手入れがされて、春の花々が咲き乱れていた。
やっと玄関までたどり着き、彼女は崩れるように上がりかまちに腰を下ろした。
飾り気のない薄暗い玄関。
家の中は静まり返っていて、人の気配がなかった。
「ご家族は? ご両親は仕事かい?」
「ここに住んでいるのはわたしだけです。母の実家で、母はわたしが二十歳のときに同じ乳癌で亡くなってしまって……」
「……お父さんは?」
「五歳のときに離婚してます。わたしは祖父母に育てられたんです。祖母は中学のときに亡くなりました。祖父は二年前から認知症がひどくなって、今は施設に入っています。父とはもう十年以上会ってません。大阪に住んでいて、別の家庭を持ってますから」
「…………」
今の夏帆さんに必要なのは、恋人以上に親身になってくれる家族だと思った。
「あ、でも、ケースワーカーさんが色々と相談してくれますし、わたしはまだ要介護の対象ではないですけど、家政婦さんに週一でお掃除やお買い物はお願いしてます。だから、特に不便なことはないんですよ」
言葉を失っている僕を見て、彼女は慌てて弁解をはじめた。
「そうか、色々と大変なんだな。僕にできることがあれば助けたいけれど、あまり役に立てそうにはないんだ。僕自身も後遺症を患っているものだから」
「そうですよね、ごめんなさい。でも、少しの時間でいいんです。時々会ってくださいませんか? 」
「それはかまわないよ。僕は雨の日以外はルパンを連れて散歩に出かけるから。公園でときどき会うことくらいなら、今まで通りできると思う。じゃあ、ゆっくり休んで。今日はこれで、」
「待って! あ、あの、、お急ぎじゃなかったら、もう少しだけ一緒にいてくださいませんか? お茶かコーヒーでも入れます」
彼女は力を振りしぼるように立ち上がると、熱っぽい目で懇願した。
「若い女性がよく知りもしない男を家に入れたりするのは良くないと思うな。それに君は早く休んだほうがいい」
まだ微熱があるっていうのに。
「わたしには怖いものなんてないんです。それにあなたは危害を加えるような人じゃないわ。あなたのことはまだなにも知らないけど、どんな人なのかは大体わかります」
「僕の何がわかるっていうんだい? 」
全てを見通したように言う彼女に反論したくなる。
「話し方や表情でなんとなくわかります。人って服装や立ち居振る舞いだけでも、たくさんの情報を相手に伝えてしまうものでしょう? 谷さんはどう見ても危険な人じゃありません。とっても教養のある優しい方だと思うんです」
「君は子供でもないのに随分おめでたい人なんだな。どんな人間にも裏の顔っていうものがあるだろう。見た目だけで判断してもらいたくないね」
なぜ僕はこんな年下の娘に、なぜこんなにムキになっているのだろう。
「あなたは優しい人です。ひどく傷ついている優しい人だわ。わたしにはわかります」
まるで確信しているかのように見つめる彼女の目が恐ろしかった。
「君は僕のことなどなにも知らない! 買いかぶらないでくれないか。僕は犬を殺したことだってあるんだ!」
……何故こんなことまで言ってしまったのか。まだ知り合ったばかりのこの人に。
「だから、、だから雪を抱きしめていたの? 可哀想……。わたしには殺された犬より、あなたの方がずっと傷ついて見えるわ」
彼女の目から次々と涙が溢れてこぼれ落ちた。
「殺したのは、、殺したのは、犬だけじゃない。……ごめん、、」
玄関ドアを開けた僕に彼女は叫んだ。
「殺されたっていいわ、あなたになら。ちっとも怖くなんかないもの。お願い、わたしにはもう時間がないの!」
リードにつながれたルパンをグイと引っ張って僕は走った。
なにを、なにを取り乱しているのだ、僕は。
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