六華 snow crystal 4

なごみ

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花蓮との思い出

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*潤一*


雪花はすっかり俺のことなど忘れていた。


今朝、目を覚ましたところを抱き上げたら、ギャンギャンと泣きだした。


その後もなんとか仲良くなろうとちょっかいを出すたびに泣きだし、すっかり嫌がられている。


がっかりしてイライラしている俺に、悠李は何かとすり寄ってきては、機嫌でも取るかのようなことを言う。


「パパ、悠李も大きくなったら、お医者さんになる」


「ふん、バカにはなれないよ」


つい、いつもの癖でつっけんどんに答える。


「悠李はバカじゃないもん」


「じゃあ、九九を言ってみろ」


「九九って、なあに?」


「九九も知らないのか?  やっぱりバカだなおまえは」


カウンターキッチンの向こうから、彩矢が恨みがましい目で俺を睨んでいた。


「……明日、教えてやるよ。ママに算数のドリルを買ってもらえ。支度できたのか?  あと10分で出発するんだぞ」


「悠李もう、歯みがきだってちゃんとした」


せめて、こいつが女の子だったらと思う。それならどんなに佐野に似ていようと、可愛く思えたような気がする。


この俺が佐野のガキを今まで育てて来たんだぞ。表彰ものだろ、少しは感謝しろよ!








札幌から車で一時間三十分ほどかかる、ルスツリゾートへ向かう。


のどかな五月晴れのドライブ日和だ。


ルスツリゾートは、北海道最大級の遊園地であり、南部に位置する留寿都村というところにある。


多くの絶叫コースターや、小さな子供でも楽しめるキッズランドなど多彩なアトラクションが用意されている。


何よりいいのは、東京ディズニーランドやUSJのように待ち時間が長くないことだ。


ゴールデンウイーク中は多少混雑しても、平日ならどんな乗り物でもほぼ待たずに乗れる。


うちの場合は子供が小さいから、人気のある絶叫マシンなどに乗るわけもないけれど。


ドライブの途中、中山峠という道の駅に寄り、あげいもなどを買って食べた。


家族とこんなドライブに出るなんて、考えてみたら初めてのことだな。


医者になんぞなるのではなかったと、今まで何度かそう思ったことはあった。


忙しくこき使われて、すり減っていく俺の人生。だけど、普通のサラリーマンだったとしたら、何がしたかったというのだろう。


こんな風に休日は家族サービスをして、楽しんでいるのだろうか。


無理だな、俺には……。


普通のサラリーマンなどになっていたら、休日はギャンブルなどに明け暮れていただろう。


やっぱり、医者でよかったのかも知れない。





今朝は8時過ぎに家を出たので、ルスツには午前10時前には到着できた。


豊かな自然に囲まれた敷地内には、春の花が咲き乱れていた。蝦夷富士とも称される美しい羊蹄山が見える。


冬ともなれば、極上のパウダースノーに雄大なロケーション、コースのバリエーションと広さで最高のゲレンデとなる。


世界的にも雪質の良さは有名で、ここから車で20分ほどのニセコアンヌプリ国際スキー場には、毎年多くの外国人スキーヤーや、スノーボーダーが訪れる。


入場チケットを購入してゲートを通った。


雪花は彩矢から離れないので、仕方なく悠李と手をつなぐ。こいつと手をつなぐなんて初めてのことだな。


最初で最後になるのかもな。


そう思うと、この可愛げのないガキにさえ、なんとも言えない愛着が湧いてくる。


ほぼ三年間も一緒に暮らして来たんだ。


もっと、可愛がってやっても良かったかもしれない。


「ママ、だっこ!」


彩矢と手をつないでいた雪花が両手をあげて抱っこをせがむ。


「雪花、パパが抱っこしてやるよ」


「いや!  パパ、きらい」


手を伸ばすが、ピシリと拒否される。


おまえとも会えなくなるかも知れないんだぞ、、





雪花は手放したくなかった。俺に子育てなんか出来るはずもないけれど。


ジェニファーに育てさせることだって、出来るわけだから。


でも、こんな雪花を俺のところへ無理やり引き取ったとしても、悲しませるだけなのだろうか?


ジェニファーのような奔放な女が母親だと、雪花はどんな風に育つのだろう。


先行き不安な感はあるが、のびのびとして幸せな人生を送れるような気もする。


彩矢は真面目ではあるけど、雪花は息がつまらないだろうか。


そんなことをアレコレ考えてみたところで、俺に勝ち目はない。雪花も悠李も彩矢のものだ。


彩矢がジェニファーの妊娠のことを許してくれるなら、出世など諦めて離婚はしないという選択もできる。


すべては彩矢次第ということになる。


とにかく、ジェニファーのことは今夜か明日のうちには言わなければならない。


一週間の休みを取ったと言っても、移動で三日は取られるから、グズグズしているヒマはない。






「パパ、あれは何?」


向こうにスペースショットと言う乗り物が見えて来た。地上60~70mの高さまで一気に上昇し、ストーンと落ちる絶叫マシンだ。


「あれはチビには乗れないよ」


「…………」


悠李はよく理解できないといった顔をした。



「悠李はあれは何?って聞いたのよ。乗れるかどうかを聞いたのではないでしょう。聞いたことにちゃんと答えてよ。コミニュケーションのおかしな子になっちゃうわ」


彩矢が俺の返事の仕方に難癖をつけた。


「悠李が聞きたいのは結局自分も乗れるかどうかだろ。なぁ、悠李」


「どんなの?  パパは乗ったことある?」


「あるよ。たいしたことはない。全然怖くなかった」


「悠李も乗りたい!」


「だから、チビには乗れないんだよ。ちゃんと食べてもっとデカくなれ」


悠李の体が標準より小さいのは、彩矢の手抜き料理のせいだろう。


「小学生になったら、ちゃんと乗れるよ。保育園の子はまだダメなの」


俺の説明が気にくわないのだろう。彩矢が庇うように横から口を出した。


「ふーん……」


悠李はかなり不満げに黙りこくっていたが、間近でその乗り物をみて肝を冷やしたのか、ビビったように言った。


「悠李やっぱりアレ、乗りたくない」


ふん、意気地のない奴め。







小さな子ども向けのアトラクションコーナーへ向かう。


家族がいっしょに乗れるメリーゴーランドやコーヒーカップ、園内をゆっくりと回るトレインなどに乗る。


こんなもので悠李は満足していた。


まだまだ子どもだな。


ーー退屈きわまりない。


一歳7ヶ月の雪花も楽しげなようすだから、まぁ、来た甲斐もあるというものだろう。


急流すべりは、乳幼児も親が同伴であれば乗ることが出来る。傾斜のきつい坂をすべり下りるときに水しぶきを浴びて、悠李と雪花がケタケタと笑った。


笑っている子どもを見るというのも、意外と楽しいものだと今頃になって気づく。




ここには花蓮と航太とも来たことがある。


航太もまだ二歳だったから、その時も退屈な遊具にしか乗ることは出来なかった。


すれ違うカップルも家族連れも、驚いたように花蓮をふり返って見ていたので、そんな時は気分がよかった。


ーーもっと幸せにしてあげたかった。


花蓮、航太……。


大観覧車に乗りながらそんなことを考えていた。


結局そんな失敗もいかされず、彩矢たちにも今頃になって罪滅ぼしのように、こんなことで許されようとしている。


だけど、俺だって遊んでいたわけではないんだ。術後の患者や重篤患者はやはり毎日みにいかなければ気になって仕方がない。


そういう仕事なんだ。


彩矢はナースなんだから、そのくらいのことは理解できるだろう。


花蓮にはそれが出来なかった。







あんなに浮気ばかりしていたのだから、仕事で忙しいと言っても、説得力に欠けるのも仕方がない。


花蓮はなぜ広岡ではなく、俺を選んだのだろう。


確かに花蓮に夢中になった俺は、暇をみつけては頻繁にメールを送っていたし、誘いの電話もした。


花蓮は常に寂しさを抱えた女だったような気がする。俺のマメさがずっと続くとでも思ったのだろう。そんな幻想を与えてしまったのは俺の責任ではあるけれど。


俺のひたむきさと熱心さに心を打たれたのか、花蓮は広岡と別れた。


その時の喜びと感動は未だに忘れない。


花蓮ほど俺を夢中にさせた女はいなかった。花蓮の気持ちが変わらないうちに、一日も早く結婚してしまおう思った。





結婚を急いでいた俺は、承諾をもらおうと花蓮とふたりで山口家へ挨拶に行った。


花蓮の兄の山口健人は最悪な男だった。


あいつは妹を広岡と結婚させたかったのだろう。初めて会ったときから、俺を敵視していることにはすぐに気づいた。


何ごとも楽観的に物事を考える俺を、花蓮の親父と兄の健人が仏頂面で待ちかまえていた。


花蓮の母親ももちろん同席してはいたが、山口家の主導権を握っているのは、ろくでもないこの男どもに違いなかった。


母親は花蓮に似て美しい人であったが、娘以上に寡黙で影の薄い女性だった。


ひと通りの挨拶を終え、明るい好青年ぶりを発揮してみたものの、重苦しい雰囲気は消えなかった。


機嫌をとることに嫌気がさし、さっさと言うべきことを言って、この家から退散しようと思った。


早々と率直に、今年中に花蓮と結婚したい旨を伝えた。


花嫁の父の心境など、その頃の俺にはまだ理解できるわけもなかったが、とにかく今日だけは低姿勢でいるべきだとは思っていた。


父親はそんな俺の申し込みを無視してこう言った。


「……聞くところによると、君はずいぶん女性関係が派手なようだな」


ーーいきなりそんな話かよ。


「誰がそんなことを言ったんですかね?  俺はそんなにモテる男ではないんだけど」


笑いながら頭をかき、誤魔化す。


「誰がって、病院中でうわさになってるって言うじゃないか。自覚がないのか? 君に泣かされたナースは山ほどいるらしい」


親父の隣に腰掛けていた陰険な兄の健人が、嫌味ったらしく笑みを浮かべながら、そう言った。




俺の女性遍歴のアレコレを言いふらしたのは広岡に違いない。花蓮にフラれた腹いせだろう。


「まったく身に覚えがないとは言いません。こんな年で恋愛経験がないなんて可笑しいでしょう。でも、広岡ほどではないと思いますがね。あいつはすごくモテますから」


「モテるモテないを聞いてるわけではないよ。広岡がモテることは僕だって知っている。同じ高校の同級生だったからね。だけど、あいつは女を弄ぶようなことはしてなかった」


「じゃあ、俺は高校生の頃から女をたぶらかしてきた男だとでも言うんですか?」


「そんなことを僕が知るわけないだろう。自分の胸に聞いてみるんだな。とにかく、君のような男に妹をやるわけにはいかないね」


「…………」


これは長期戦になるということか、、


親父とその息子は、はなから俺を拒絶していることは明らかだった。


無理だ。


いつまで待っていても、こいつらは俺を認めてくれはしない。


「お兄さん、潤一さんはそんな人じゃないわ」


可哀想に思ったのか、花蓮が俺を庇ってくれた。


「花蓮、おまえは黙ってろ!  おまえはこの男がどういう男か何も知らないんだ」


「お兄さんさんこそ、何を知っているというの?  たった今、会ったばかりだっていうのにひどいわ!」


目に涙をためて花蓮が訴えた。


「馬鹿だな、おまえは。広岡をフってなんでこいつなんだよ!」


兄の健人が苛立って花蓮を怒鳴りつけた。



こいつ呼ばわりされて、さすがの俺も我慢の限界を超えた。


「広岡から何を聞いたのか知りませんがね。女にフラれた腹いせに、友人の悪口なんかを言いふらす男よりは、俺の方がずっとマシだ!」


半ば不貞腐れたように言い放った。


「悪口じゃない、真実だ。広岡は花蓮を心配して、真実を伝えてくれたんだよっ!」


「ふん、妹より、兄の方が広岡にぞっこんと言うわけだ。ハハハッ」


心底軽蔑したように笑ってやった。


「……出て行け、 もう二度と来るなっ!!」


逆上した義兄は、ソファから立ち上がると顔を真っ赤にして叫んだ。


「じゃあ、今日はこれで。花蓮、行こう」


これみよがしに花蓮と手をつなぎ、リビングを出る。


「花蓮、バカ、行くな!」


義兄が花蓮の腕をつかんで引き止めた。


「お兄さんに関係ないわ、放っておいて!」


花蓮は兄の腕を振り切って、俺について来てくれた。そのときは ” ざまぁみろ! ”  と思って気分がよかったけれど……。


だけど、義兄の不安は見事に的中してしまったというわけだ。


葬儀の日、義兄に殴られてもなんの怒りも感じなかった。


過去に戻れるものなら、あのときに結婚を阻止してもらえていたなら……









外のベンチに腰を下ろし、そんなことを思い出しながら、遊具に乗っていた彩矢と子供達を待っていた。


「どうしたの?  疲れちゃった?」


乗り物から降りて来た彩矢が、心配げに俺をみつめた。


「そうだな、時差ボケの疲れが残ってるかもな」


「帰りは私が運転してあげる」


「そうか、助かるよ。そろそろ昼飯でも食わないか」


「そうね」


ーーこの家族を失いたくない。




































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