91 / 98
佐野さんの苦悩
しおりを挟む人間関係の良くない職場での一週間は、異様に長く感じられる。
やっと日曜が来て、悠李と家のそばの小さな公園で遊ぶ。
季節も十一月になり、かなり肌寒くなってきた。
白い綿毛のついた小さな羽虫が飛んでいた。
北海道に生息している虫で、雪虫という。寒い今ごろの時期になると出現する。
土曜に来ても、日曜に来ても、公園で子どもが遊んでいるところをあまり見たことがない。
土日はみんな家族でどこかへ出かけるのだろうか。
誰もいない公園はよけいに寒く感じられた。
平日は仕事をしているので、子どものサークルなどにも行けない。
ママ友も相談できる友もなく孤独を感じる。
まだ一歳の悠李だって、そろそろお友達が欲しいだろうなと思う。
早く保育園に入れられるといいのだけれど。
そうしたら今の医院を辞めよう。
母の日中の負担が減れば、週に一~二回夜勤をしても許されるだろう。
悠李はもうブランコにだってつかまって乗れるし、滑り台をすべり降りることもできる。
今はお砂場でシャベルを使って遊んでいる。
「悠李、お山を作ろうか?」
下の方から湿り気のある砂を掘り返して山を作る。
一生懸命に砂をペタペタと盛りつけている、悠李の小さな手が可愛い。
潤一は今日も仕事に行っているのだろうなと、ふと思い出す。
重篤患者や術後の患者が気になるのだろう。
休日でも家でのんびりしている潤一の姿を、あまり見たことがなかった。
仕事熱心なのはいいけれど、ああいう夫を持つ妻はかなり寂しい。
潤一は特に趣味もなく、パチンコなどのギャンブルはやらない。
やるのは酒と時々ゴルフ、そして浮気だ。
仕事やゴルフへ行っているふりをして、実は浮気相手と会っていたかも知れない。
莉子ちゃんは今、あのマンションで一緒に暮らしているのだろう。
砂を盛りつけながら、莉子ちゃんの出産予定日はいつだろうと考える。
八月の頃に一・二ヶ月だったとすれば、来年の三月か四月には産まれる。
潤一さんは楽しみだろうな。
今度はちゃんと自分の子どもが生まれるのだから。
莉子ちゃんは、潤一の脱ぎ散らかした衣服を片付けて洗濯したり、お料理や掃除を楽しめているのだろうか。
長年の夢が叶ったのだから、さぞかし幸せなことだろう。
それに莉子ちゃんはひとり暮らしをしていたから、彩矢よりはずっとお料理が上手だ。
ふたりが仲良く食事しているシーンを想像して、また悲しくなる。
悠李がお山作りに飽きたのか、シャベルを放り出してヨタヨタとブランコのほうへ歩き出した。
中腰の姿勢から、よっこらしょ! と中年のおばちゃんのように立ち上がり、ブランコのほうへ向かう。
公園の入り口に長身の男性が立って、こっちを見ていた。
ーーー佐野さんだった。
悠李がまたブランコに座らせるようにと、ブランコの椅子をたたいて訴えている。
「マンマ、ぶんぶん」
抱き上げて座らせ、小さな背中をそっと押した。
佐野さんがこっちに向かって歩いてくるのが、視界の端に見えた。
悠李の背中をかるく押している私の隣に立った。
「……実家にはまだしばらくいるのかい?」
遠慮がちに佐野さんが聞いた。
離婚のことは言いたくなかったけれど、今さら円満夫婦を演じてみても信じてはもらえないだろう。
「八月に離婚したの。今、実家のそばの内科医院で働いてる。有紀、今日は仕事?」
感情を入れずに淡々と語った。
「……うん。彩矢ちゃん、今ごろ言ってもしょうがないけど、本当にごめん。あの時は俺、自分のことしか考えられなくて。一番困っている彩矢ちゃんを見放すようなことしか言えなかった」
「突然、あんなこと言われたら誰だって逃げ出すよ。彩矢が悪いの。いつも軽はずみなことばっかりして、まわりの人たちみんな傷つけて……」
悠李が飽きたようで、ブランコから降りた。
そして、またお砂場へトボトボと歩いて行った。
さっき作った砂の山を踏みつぶしている。
佐野さんと、ふたつ空いているブランコに並んで座った。
他の人が見たら、仲のいい若い親子連れに見えるかも知れない。
正真正銘の親子連れなのだけれど。
「俺の子だって、どうして早く言ってくれなかったんだい?」
佐野さんが痛々しいまなざしで見つめた。
「シングルマザーだったら言えたけど、シングルマザーになる勇気が持てなかったから……。 潤一さん、どっちの子が産まれるかわからないのに結婚してくれた。どっちの子かわからなくしちゃったのは潤一さんのせいだけど、でも結婚してくれなかったら悠李は産めなかったかも知れない。一周忌も迎えてないのに、無理に結婚してもらって肩身の狭い思いさせて……なのに産まれてみたら佐野さんの子だったからって、すぐにさよならなんて言えない」
結婚する前は、そこまで先を予測することが出来なかった。
「……松田先生は別れたいって言わなかったのかい? 産まれたのが俺の子だったのに」
「つらそうだったから離婚してくださいって言ったの。そしたらすごく怒って、佐野のところへ行くつもりだろうって、絶対に離婚しないって」
そう、まさか潤一さんが怒るなんて思わなかったのだ。
「じゃあ、なぜ離婚したんだい?」
「莉子ちゃんに、、潤一さんの赤ちゃんができたの。だから……」
佐野さんが両手で頭を抱え込みながら、苦悩の表情でうつむいた。
悠李はひとりで公園の中をトボトボと歩きまわっている。
佐野さんがうつむいたまま力なく呟いた。
「ごめん。彩矢ちゃん、俺、すごく後悔している。ずっと、ずっと後悔してきたよ。だけど……だけど俺、有紀のことは裏切れない」
悲痛に顔を歪めて言った佐野さんに、ひどく失望した。
今まで散々傷つけてきた佐野さんだけれど、もっと傷つけてやりたい衝動にかられた。
「……なにそれ? わざわざそれを言いにきたの? 私だって有紀を裏切るつもりなんてないよ!」
あまりの悲しさと悔しさで顔が引きつった。
「養育費くらいは出したいって思ってるんだ」
「いらない! 安心して。はじめから佐野さんなんて全然あてにしてないから」
「………」
佐野さんのプライドをコテンパンに打ちのめしてやりたかった。
結婚してしまった佐野さんに、何かを期待していたわけではない。
それでも佐野さんの言葉には、ひどくプライドを傷つけ、失望させる何かがあった。
悠李がまたこっちへ向かって歩いてきた。
「悠李、お腹すいたね。 もうお昼だからそろそろ帰ろっか?」
ブランコに座って地面ばかり見ていた佐野さんが、顔をあげて悠李を見つめた。
ーー泣いている佐野さんをはじめて見た。
佐野さんは前に立っていた悠李をなにも言わずに抱きしめた。
知らない男の人に突然抱きしめられた悠李が驚いて泣き出した。
「うわぁーーん!」
泣いているふたりを見て、強がりばかり言っていた自分の涙腺も危なくなってきた。
「佐野さん、もう会いに来ないで。この子は戸籍上もそうだけど、これからもずっと松田の子だから。私も佐野さんと有紀の幸せの邪魔なんてしない」
せりあがる涙をこらえて、やっと言った。
大泣きしている悠李を佐野さんから引き離して抱き上げた。
「じゃあ、さよなら」
ブランコに座ってうつむき、地面に涙を落としている佐野さんを残して歩き出す。
傷つけてごめんなさい。
だけど、わかって欲しい。
佐野さんと一緒に、悠李の成長を喜び合うことなど出来ないのだから。
せめて、せめて、悲しみくらいは一緒に共有してください。
せりあがっていた涙が次々と溢れて頬を伝った。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
六華 snow crystal 2
なごみ
現代文学
雪の街、札幌を舞台にした医療系純愛小説。part 2
彩矢に翻弄されながらも、いつまでも忘れられずに想い続ける遼介の苦悩。
そんな遼介を支えながらも、報われない恋を諦められない有紀。
そんな有紀に、インテリでイケメンの薬剤師、谷 修ニから突然のプロポーズ。
二人の仲に遼介の心も複雑に揺れる。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
六華 snow crystal 4
なごみ
現代文学
雪の街、札幌で繰り広げられる、それぞれの愛のかたち。part 4
交通事故の後遺症に苦しむ谷の異常行動。谷のお世話を決意した有紀に、次々と襲いかかる試練。
ロサンゼルスへ研修に行っていた潤一が、急遽帰国した。その意図は? 曖昧な態度の彩矢に不安を覚える遼介。そんな遼介を諦めきれない北村は、、
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
最後の恋って、なに?~Happy wedding?~
氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた―――
ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。
それは同棲の話が出ていた矢先だった。
凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。
ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。
実は彼、厄介な事に大の女嫌いで――
元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる