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離婚届
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やっとミルクから母乳に切り替えることが出来るようになった。
名前は生まれる前から男の子であることを知っていたので、悠李と決めていた。
役所への届け出も、潤一さんに頼むことはためらわれた。
悠李に母乳をあげて寝かしつけてから、姑に預けて自分で行った。
父親は100%佐野さんなのに、父親欄には松田潤一と書かなくてはいけない。
潤一さんにこれを書かせるのは酷なことであったと知り、やっぱり自分で来て良かったと思った。
うんざりするほど率直にものを言っていた潤一さんが何も言わなくなった。
夜遅く帰宅してから無言で夕食をすませると、さっさと寝室にこもってしまう。
そのことが悲しい以上に、潤一さんがかわいそうで仕方がない。
悠李を連れて出来るだけ早くこの家を出て行こう。
これ以上いっしょに暮らしていても、悲しみと憎しみが増すばかりのような気がする。
離婚届の用紙を明日、役所に行ってもらってこよう。
義母が就寝してから一時間を過ぎた夜の十一時過ぎ、潤一さんの寝ている寝室をノックして入った。
産後、退院してからはずっと夫婦別室だ。
悠李は夜中に何度も泣くし、授乳しなければいけないのだから、それは普通のことかも知れない。
ベッドサイドのスタンドライトはついていたけれど、潤一さんは眠っていた。
サイドテーブルにウイスキーのボトルとグラスが置いてあった。
どうしよう。
起こした方がいいだろうか?
自分の名前を記入してある離婚届けの用紙を、デスクトップパソコンのキーボードの上に置いた。
そっと部屋を出ようとしたけれど、あまりにも乱雑なデスクが気になり、書類やパンフレット類を整理した。
「なんだよ? なんか用か?」
潤一さんがむくっと不機嫌な顔で起き上がった。
「ご、ごめんなさい。起こしちゃって」
オドオドしながらうつむいた。
「だからなんだよ?」
恐い顔をして見据えている潤一さんを見て、逆に開き直った気持ちになる。
キーボードの上に置いた離婚届を取り、潤一さんに渡した。
「あ、あの、今までお世話になりました。本当にありがとう」
さっきまで悲しい気持ちなどなかったのに、そう言った途端、切なさがこみ上げて涙が溢れた。
「ふざけるなっ!!」
感傷にひたる間もなく、潤一さんが怒鳴って離婚届をビリビリと破いた。
潤一さんのほうから離婚話を切り出すのは、気が重いだろうと、気を利かせたつもりなのに怒鳴られて呆然とした。
「佐野のところへ行くつもりだろう。人を利用するだけしておいて、今度は親子三人で仲良く暮らそうっていうのか?」
思いも寄らない反撃に、返す言葉がみつからない。
「そんなこと……」
「そんなことないって? そんなことあるだろ。おまえはそういうことする女なんだよっ!」
不信感と恨みを込めた目で睨んだ。
すぐに否定できない自分がいた。
悠李が生まれてからは忙しすぎて、そこまで具体的に考えていたわけではない。
でも離婚を考えるようになってから、佐野さんのことが頭をよぎるようになったことは確かだ。
ひとりで悠李を育てていけないわけではない。
両親だって助けてくれるはずだ。
だけど、佐野さんのような人が父親でいてくれたら、悠李にとってどんなに幸せなことだろうと、思わないわけにはいかなかった。
「佐野には言ったのか? 子どもが生まれたこと」
酔っているのだろうか。
目が据わっていてとても怖い。
「言うわけないでしょ。別れてから一度だって連絡なんか取ってないわ!」
「そうか、 それは上出来だな。いいか、離婚はしない。覚えておけ、佐野と会ったりしたら、ただじゃおかないからなっ!!」
そう言ってベッドへ倒れ込み、掛け布団を引っ被った。
切ない感謝の気持ちで溢れかけた涙が、思いも寄らない怒りに直面して行き場を失った。
名前は生まれる前から男の子であることを知っていたので、悠李と決めていた。
役所への届け出も、潤一さんに頼むことはためらわれた。
悠李に母乳をあげて寝かしつけてから、姑に預けて自分で行った。
父親は100%佐野さんなのに、父親欄には松田潤一と書かなくてはいけない。
潤一さんにこれを書かせるのは酷なことであったと知り、やっぱり自分で来て良かったと思った。
うんざりするほど率直にものを言っていた潤一さんが何も言わなくなった。
夜遅く帰宅してから無言で夕食をすませると、さっさと寝室にこもってしまう。
そのことが悲しい以上に、潤一さんがかわいそうで仕方がない。
悠李を連れて出来るだけ早くこの家を出て行こう。
これ以上いっしょに暮らしていても、悲しみと憎しみが増すばかりのような気がする。
離婚届の用紙を明日、役所に行ってもらってこよう。
義母が就寝してから一時間を過ぎた夜の十一時過ぎ、潤一さんの寝ている寝室をノックして入った。
産後、退院してからはずっと夫婦別室だ。
悠李は夜中に何度も泣くし、授乳しなければいけないのだから、それは普通のことかも知れない。
ベッドサイドのスタンドライトはついていたけれど、潤一さんは眠っていた。
サイドテーブルにウイスキーのボトルとグラスが置いてあった。
どうしよう。
起こした方がいいだろうか?
自分の名前を記入してある離婚届けの用紙を、デスクトップパソコンのキーボードの上に置いた。
そっと部屋を出ようとしたけれど、あまりにも乱雑なデスクが気になり、書類やパンフレット類を整理した。
「なんだよ? なんか用か?」
潤一さんがむくっと不機嫌な顔で起き上がった。
「ご、ごめんなさい。起こしちゃって」
オドオドしながらうつむいた。
「だからなんだよ?」
恐い顔をして見据えている潤一さんを見て、逆に開き直った気持ちになる。
キーボードの上に置いた離婚届を取り、潤一さんに渡した。
「あ、あの、今までお世話になりました。本当にありがとう」
さっきまで悲しい気持ちなどなかったのに、そう言った途端、切なさがこみ上げて涙が溢れた。
「ふざけるなっ!!」
感傷にひたる間もなく、潤一さんが怒鳴って離婚届をビリビリと破いた。
潤一さんのほうから離婚話を切り出すのは、気が重いだろうと、気を利かせたつもりなのに怒鳴られて呆然とした。
「佐野のところへ行くつもりだろう。人を利用するだけしておいて、今度は親子三人で仲良く暮らそうっていうのか?」
思いも寄らない反撃に、返す言葉がみつからない。
「そんなこと……」
「そんなことないって? そんなことあるだろ。おまえはそういうことする女なんだよっ!」
不信感と恨みを込めた目で睨んだ。
すぐに否定できない自分がいた。
悠李が生まれてからは忙しすぎて、そこまで具体的に考えていたわけではない。
でも離婚を考えるようになってから、佐野さんのことが頭をよぎるようになったことは確かだ。
ひとりで悠李を育てていけないわけではない。
両親だって助けてくれるはずだ。
だけど、佐野さんのような人が父親でいてくれたら、悠李にとってどんなに幸せなことだろうと、思わないわけにはいかなかった。
「佐野には言ったのか? 子どもが生まれたこと」
酔っているのだろうか。
目が据わっていてとても怖い。
「言うわけないでしょ。別れてから一度だって連絡なんか取ってないわ!」
「そうか、 それは上出来だな。いいか、離婚はしない。覚えておけ、佐野と会ったりしたら、ただじゃおかないからなっ!!」
そう言ってベッドへ倒れ込み、掛け布団を引っ被った。
切ない感謝の気持ちで溢れかけた涙が、思いも寄らない怒りに直面して行き場を失った。
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