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莉子ちゃんからの電話
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沢山のゴミを分別して指定日に捨てていくうちに、部屋の中はかなりきれいになった。
連日の掃除と洗濯にヘトヘトになりながらも、日に日にきれいになっていく達成感が、やりがいと楽しさを感じさせた。
楽しくないのはお料理だ。
翌日、近くの生協で食材と必要な生活用品を買った。
潤一さんが徒歩十分の通勤でも車を使っているので、歩きで運ばなければいけない。
スーパーまで徒歩三分の距離でも、荷物があると大変な思いをする。
妊婦がこんな重い物を持って大丈夫かな? と思いながらも何度も往復はしたくなかった。
少しは凝ったものを作りたいけど、初挑戦のメニューは失敗しそうな気がして、無難にカレーにした。
カレールゥの裏箱に書かれた通りに作ったのに、「美味しくない」と言われた。
「わざわざ作ってレトルトより不味いんだからなぁ。俺でもこれよりはうまく作れるな。なんだよ、この玉葱~ 形がなくなるまで炒めんだろ、普通」
せっかく作ったのに言いたい放題言われて、もう絶対に作ってなんかやらない。
潤一さんの率直さと自己中心的な性質は、彼の母親から受け継がれている。
はじめて挨拶に行った日の、義母の第一声がこれだった。
「あら~、どうしてまたこんな弱々しい子を連れてくるかしら。もっと明るくて元気な女の子がたくさんいるでしょうに」
にこりともせずに落胆をあらわにした。
びっくりしてしまって、考えていた挨拶を忘れてしまった。
「あなた、彩矢さんって言いましたっけ? とにかく前のお嫁さんのようなことは二度とごめんですからね。本当に悔しくてたまらないわ、向こうの親ったら。こっちは大事な孫を殺されたっていうのに被害者ヅラばかりして。潤ちゃんがかわいそうで見てられなかったわ。わが子を道連れにするなんて、母親のすることじゃないわ。被害者はこっちのほうよ!」
ものすごい剣幕でまくし立てた。
加害者のひとりなだけに、その迫力のすさまじさと自己嫌悪で、すっかり萎縮した。
潤一さんはひとり息子だから、溺愛されるのもわかるけれど、そんなにかわいい息子なら引っ越しの手伝いくらいしてあげたらいいのに。
自分のしたくないことはしないというところも、親子してよく似ているのだった。
義父は2年前に心筋梗塞で亡くなっていた。
今日はバスルームと洗面台をピカピカに磨き上げて、キッチンの収納を工夫してみた。
午後から無印へ行って、キッチン用品やリネン類を買いに行くつもりだ。
お昼は冷凍のドリアをチンして食べた。
ヨーグルトに冷凍のベリーミックスと、メープルシロップを入れて食べていたら、電話が鳴った。
固定電話にはあまり出たくなかったが、迷ったすえに受話器を持ち上げた。
「はい、松田です」
「……なにが松田です、よ!」
「莉子ちゃん?」
「よくも騙してくれたね」
「………」
「もう会わないなんて言っておきながら、出来ちゃった婚するなんてさ。人を油断させて、そんなこと考えてたなんて思ってもみなかったよ。彩矢ってさぁ、確かにそういう要領のいいとこあったよねぇ。しっかり戦略練ってたなんて、びっくりだわ」
「戦略なんて練ってません」
「許さないから、絶対に!」
ガチャリと乱暴な音がして切れた。
莉子ちゃんのことはずっと心に引っかかってはいた。
裏切られたと思っているだろうなと。
恨まれても仕方がない気がする。
真実を告げたからといって、信じてはもらえないだろうし、許してもくれないだろう。
でも、許さないって何かをするってことだろうか?
宏樹さんと別れてまでして、先生を追いかけてきた莉子ちゃんを気の毒に思うけれど……。
佐野さんはどうしているのだろう。
先生と結婚したことをもう誰かから聞かされただろうか。
あぁ、やっぱりと思っているのだろうな。
佐野さんのことは考えないようにしていた。
あまりに悲しすぎて、また自分が嫌いになる。
あんなに彩矢を大切に思ってくれた人は他にいなかったのに。
佐野さんとは結ばれない運命だったのだと思うしかない。
でも……
この子は佐野さんの子だろうか?
下腹部に手を当ててみる。
血液型は先生も佐野さんも同じO型だから、血液型では判別できない。
もしかしたらDNA鑑定をしなければいけなくなるかも知れない。
潤一さんと結婚したのだから、今は潤一さんの子であって欲しいと思う。
でも、そう願うせいか佐野さんの子のような気がして仕方がない。
もしそうなら、約束どおり即離婚だ。
一応、覚悟は出来ている。
とにかく見知らぬ土地で出産しなくてすんだのだから、潤一さんには感謝している。
でも、あの日、バーで酔いつぶれたりしなかったなら、佐野さんと結婚していたはずだ。
そう考えると、あの日一日でずいぶんと大きく運命が変わったものだと思う。
もし離婚になったときは、しばらくは実家で面倒を見てもらって、そこから勤め先の病院を探そう。
実家に近い保育所に預けたら、母は子どものお迎えくらいは手伝ってくれるだろう。
乳飲み子を連れて離婚してきたら、父と母をまた落胆させることになるけれど、仕方がない。
離婚など今どきめずらしくもないのだから。
母は四十七歳の若いお婆ちゃんになる。
妊娠していることを知ったときにはあんなにショックを受けていたのに、今では孫の誕生を心待ちにしている。
母の手助けがあれば、子どもひとり育てるくらいなんとかやっていけそうな気がする。
それでも今から離婚のことを考えなければいけないのは気の重いことだった。
連日の掃除と洗濯にヘトヘトになりながらも、日に日にきれいになっていく達成感が、やりがいと楽しさを感じさせた。
楽しくないのはお料理だ。
翌日、近くの生協で食材と必要な生活用品を買った。
潤一さんが徒歩十分の通勤でも車を使っているので、歩きで運ばなければいけない。
スーパーまで徒歩三分の距離でも、荷物があると大変な思いをする。
妊婦がこんな重い物を持って大丈夫かな? と思いながらも何度も往復はしたくなかった。
少しは凝ったものを作りたいけど、初挑戦のメニューは失敗しそうな気がして、無難にカレーにした。
カレールゥの裏箱に書かれた通りに作ったのに、「美味しくない」と言われた。
「わざわざ作ってレトルトより不味いんだからなぁ。俺でもこれよりはうまく作れるな。なんだよ、この玉葱~ 形がなくなるまで炒めんだろ、普通」
せっかく作ったのに言いたい放題言われて、もう絶対に作ってなんかやらない。
潤一さんの率直さと自己中心的な性質は、彼の母親から受け継がれている。
はじめて挨拶に行った日の、義母の第一声がこれだった。
「あら~、どうしてまたこんな弱々しい子を連れてくるかしら。もっと明るくて元気な女の子がたくさんいるでしょうに」
にこりともせずに落胆をあらわにした。
びっくりしてしまって、考えていた挨拶を忘れてしまった。
「あなた、彩矢さんって言いましたっけ? とにかく前のお嫁さんのようなことは二度とごめんですからね。本当に悔しくてたまらないわ、向こうの親ったら。こっちは大事な孫を殺されたっていうのに被害者ヅラばかりして。潤ちゃんがかわいそうで見てられなかったわ。わが子を道連れにするなんて、母親のすることじゃないわ。被害者はこっちのほうよ!」
ものすごい剣幕でまくし立てた。
加害者のひとりなだけに、その迫力のすさまじさと自己嫌悪で、すっかり萎縮した。
潤一さんはひとり息子だから、溺愛されるのもわかるけれど、そんなにかわいい息子なら引っ越しの手伝いくらいしてあげたらいいのに。
自分のしたくないことはしないというところも、親子してよく似ているのだった。
義父は2年前に心筋梗塞で亡くなっていた。
今日はバスルームと洗面台をピカピカに磨き上げて、キッチンの収納を工夫してみた。
午後から無印へ行って、キッチン用品やリネン類を買いに行くつもりだ。
お昼は冷凍のドリアをチンして食べた。
ヨーグルトに冷凍のベリーミックスと、メープルシロップを入れて食べていたら、電話が鳴った。
固定電話にはあまり出たくなかったが、迷ったすえに受話器を持ち上げた。
「はい、松田です」
「……なにが松田です、よ!」
「莉子ちゃん?」
「よくも騙してくれたね」
「………」
「もう会わないなんて言っておきながら、出来ちゃった婚するなんてさ。人を油断させて、そんなこと考えてたなんて思ってもみなかったよ。彩矢ってさぁ、確かにそういう要領のいいとこあったよねぇ。しっかり戦略練ってたなんて、びっくりだわ」
「戦略なんて練ってません」
「許さないから、絶対に!」
ガチャリと乱暴な音がして切れた。
莉子ちゃんのことはずっと心に引っかかってはいた。
裏切られたと思っているだろうなと。
恨まれても仕方がない気がする。
真実を告げたからといって、信じてはもらえないだろうし、許してもくれないだろう。
でも、許さないって何かをするってことだろうか?
宏樹さんと別れてまでして、先生を追いかけてきた莉子ちゃんを気の毒に思うけれど……。
佐野さんはどうしているのだろう。
先生と結婚したことをもう誰かから聞かされただろうか。
あぁ、やっぱりと思っているのだろうな。
佐野さんのことは考えないようにしていた。
あまりに悲しすぎて、また自分が嫌いになる。
あんなに彩矢を大切に思ってくれた人は他にいなかったのに。
佐野さんとは結ばれない運命だったのだと思うしかない。
でも……
この子は佐野さんの子だろうか?
下腹部に手を当ててみる。
血液型は先生も佐野さんも同じO型だから、血液型では判別できない。
もしかしたらDNA鑑定をしなければいけなくなるかも知れない。
潤一さんと結婚したのだから、今は潤一さんの子であって欲しいと思う。
でも、そう願うせいか佐野さんの子のような気がして仕方がない。
もしそうなら、約束どおり即離婚だ。
一応、覚悟は出来ている。
とにかく見知らぬ土地で出産しなくてすんだのだから、潤一さんには感謝している。
でも、あの日、バーで酔いつぶれたりしなかったなら、佐野さんと結婚していたはずだ。
そう考えると、あの日一日でずいぶんと大きく運命が変わったものだと思う。
もし離婚になったときは、しばらくは実家で面倒を見てもらって、そこから勤め先の病院を探そう。
実家に近い保育所に預けたら、母は子どものお迎えくらいは手伝ってくれるだろう。
乳飲み子を連れて離婚してきたら、父と母をまた落胆させることになるけれど、仕方がない。
離婚など今どきめずらしくもないのだから。
母は四十七歳の若いお婆ちゃんになる。
妊娠していることを知ったときにはあんなにショックを受けていたのに、今では孫の誕生を心待ちにしている。
母の手助けがあれば、子どもひとり育てるくらいなんとかやっていけそうな気がする。
それでも今から離婚のことを考えなければいけないのは気の重いことだった。
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