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冷たくあしらわれて
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結局、以前とは比べようがないほど、これ以上はないほどに傷つけた。
でも、他にどうすればよかったのだろう。
佐野さんに、先生の子を育てさせるなんてことは絶対に出来ない。
悪いのは彩矢と先生なのだから。
それに堕胎なんて、そんなこと……。
たとえ、シングルマザーになったとしても。
だけど、父親のわからない子をひとりで産み育てることを考えるのは恐ろしかった。
まして、世間体を気にする親を説得することを思うと絶望的な気持ちになる。
涙をぬぐい、コートを着た。
もう佐野さんのアパートへ来ることもないだろう。
部屋を出て、一階の出入り口に設置されている郵便受けに、スペアキーを入れた。
コトン! という金属音が哀しく響いた。
***
エアポートという特急電車だと、札幌から小樽まで約三十分で到着する。
海が見える右側の座席に座った。
特急なので、小樽に入るまでは琴似と手稲にしか停まらない。
小樽はついこの間、遼くんと『雪明りの路』を見に行ったばかりの町だ。
車窓から見える風景が小樽に近づくにつれ、不安な気持ちが押し寄せる。
銭函駅あたりを通り過ぎた頃、海が見えてきた。
粉雪がチラチラと舞っている今日の海は、見ているだけで凍えそうなシルバーグレイだ。
波も高く、テトラポットに白い飛沫を激しく打ちつけている。
先生は会ってくれるだろうか。
もしかしたら、怒っているかも知れない。
それとも、喜んで抱きしめてくれるだろうか。
プロポーズを断って一ヶ月以上も過ぎてから、やっぱり結婚したいなんて図々しいとは思うけれど、こんな目にあわせたのは先生なのだ。
小樽駅のひとつ手前の、南小樽駅という所で下車する。
グーグルマップで見たところ、病院はこの駅から歩いて五分ほどだ。
ちょうどお昼の時間帯だけれど、オペなどに入っていたら、夕方まで待つことになるかも知れない。
事前に約束を取っていた方が賢明だとは思ったけれど、怖くてできなかった。
マップを見ながら来たので病院はすぐに見つかった。
まだ建って間もない綺麗な病院だった。
ロビーには精算を終えていないのか、まだ診察を待っているのか、数人の患者が椅子に腰かけていた。
時計を見ると十二時を少し過ぎた頃だ。
『今、この病院のロビーに来ています。大事なお話があるのでお願いします』
LINEを開いて送信した。
三十分待っていても返事はなく、姿も見えない。
オペ中なのだろうか? でも既読はされている。
無視されているのだとしたら、待っていても無駄だ。
さっきまで座っていた患者さんも、いつの間にか一人もいない。
受付のクラークさんも休憩に入ったようだ。
どんどん不安が高まって、いたたまれない気持ちになる。
四十分も過ぎ、諦めようと立ち上がると、開いたエレベーターからめずらしく術衣ではなく白衣を着た先生が出てきた。
まともに顔を見ることができずに、うつむいた。
「なんだよ、話って」
白衣のポケットに両手を突っ込みながら、冷たく見下ろし、つっけんどんな言い方をした。
「あ、あの……やっぱり、先生と結婚したい」
小声で伏し目がちにつぶやく。
「はぁ? なに言ってるんだよ。おまえなぁ、どこまでバカなんだよ!」
「………」
「いつまでもおまえのことが忘れられないでいるとでも思ったか? 自惚れるな! おまえのかわりなんかいくらでもいるんだからな」
あんな別れ方をしたのだから、怒るのも無理はないと思うけど………
もしかしたら、まだ喜んで迎えてくれるかと思っていた。
「妊娠してるの」
「……俺の子だっていうのか?」
「わからない」
「わからない? わからないのに俺に責任とれっていうのか? おまえ、、いいかげんにしろよっ!!」
怒鳴られて身がすくむ。
「佐野はどうしたんだよっ!!」
"松田先生に結婚してもらえばいい ” と言って、アパートを出て行った佐野さんを思い出し、一層みじめな気持ちになる。
「ふん、誰の子かわからなくなって逃げられたってわけか? いいザマだな。俺が佐野なんかに振られた女と結婚すると思うか?」
「どっちの子かわからなくしたのは先生のせいだわ!」
あまりにも冷たすぎる言葉に悔し涙がこぼれた。
「そうか、悪かったな。じゃあ、堕ろせよ。中絶費用ぐらい払ってやる。話はそれだけだな」
軽蔑した一瞥をくれると、踵を返した。
絶望と哀しみ以上に、殺してやりたいくらいの憎しみを感じた。
去っていく先生の背中を目がけて、エンゲージリグの入った小箱を投げつけた。
うまく後頭部にガツンと当たった。
「痛っ、何すんだ、このバカ!」
頭を押さえながら、振り返った。
「あなたなんか、、あなたなんかと結婚したら誰だって自殺したくなるわ。…大嫌い、、レイプ魔!! 死んでしまえばいいっ!!」
でも、他にどうすればよかったのだろう。
佐野さんに、先生の子を育てさせるなんてことは絶対に出来ない。
悪いのは彩矢と先生なのだから。
それに堕胎なんて、そんなこと……。
たとえ、シングルマザーになったとしても。
だけど、父親のわからない子をひとりで産み育てることを考えるのは恐ろしかった。
まして、世間体を気にする親を説得することを思うと絶望的な気持ちになる。
涙をぬぐい、コートを着た。
もう佐野さんのアパートへ来ることもないだろう。
部屋を出て、一階の出入り口に設置されている郵便受けに、スペアキーを入れた。
コトン! という金属音が哀しく響いた。
***
エアポートという特急電車だと、札幌から小樽まで約三十分で到着する。
海が見える右側の座席に座った。
特急なので、小樽に入るまでは琴似と手稲にしか停まらない。
小樽はついこの間、遼くんと『雪明りの路』を見に行ったばかりの町だ。
車窓から見える風景が小樽に近づくにつれ、不安な気持ちが押し寄せる。
銭函駅あたりを通り過ぎた頃、海が見えてきた。
粉雪がチラチラと舞っている今日の海は、見ているだけで凍えそうなシルバーグレイだ。
波も高く、テトラポットに白い飛沫を激しく打ちつけている。
先生は会ってくれるだろうか。
もしかしたら、怒っているかも知れない。
それとも、喜んで抱きしめてくれるだろうか。
プロポーズを断って一ヶ月以上も過ぎてから、やっぱり結婚したいなんて図々しいとは思うけれど、こんな目にあわせたのは先生なのだ。
小樽駅のひとつ手前の、南小樽駅という所で下車する。
グーグルマップで見たところ、病院はこの駅から歩いて五分ほどだ。
ちょうどお昼の時間帯だけれど、オペなどに入っていたら、夕方まで待つことになるかも知れない。
事前に約束を取っていた方が賢明だとは思ったけれど、怖くてできなかった。
マップを見ながら来たので病院はすぐに見つかった。
まだ建って間もない綺麗な病院だった。
ロビーには精算を終えていないのか、まだ診察を待っているのか、数人の患者が椅子に腰かけていた。
時計を見ると十二時を少し過ぎた頃だ。
『今、この病院のロビーに来ています。大事なお話があるのでお願いします』
LINEを開いて送信した。
三十分待っていても返事はなく、姿も見えない。
オペ中なのだろうか? でも既読はされている。
無視されているのだとしたら、待っていても無駄だ。
さっきまで座っていた患者さんも、いつの間にか一人もいない。
受付のクラークさんも休憩に入ったようだ。
どんどん不安が高まって、いたたまれない気持ちになる。
四十分も過ぎ、諦めようと立ち上がると、開いたエレベーターからめずらしく術衣ではなく白衣を着た先生が出てきた。
まともに顔を見ることができずに、うつむいた。
「なんだよ、話って」
白衣のポケットに両手を突っ込みながら、冷たく見下ろし、つっけんどんな言い方をした。
「あ、あの……やっぱり、先生と結婚したい」
小声で伏し目がちにつぶやく。
「はぁ? なに言ってるんだよ。おまえなぁ、どこまでバカなんだよ!」
「………」
「いつまでもおまえのことが忘れられないでいるとでも思ったか? 自惚れるな! おまえのかわりなんかいくらでもいるんだからな」
あんな別れ方をしたのだから、怒るのも無理はないと思うけど………
もしかしたら、まだ喜んで迎えてくれるかと思っていた。
「妊娠してるの」
「……俺の子だっていうのか?」
「わからない」
「わからない? わからないのに俺に責任とれっていうのか? おまえ、、いいかげんにしろよっ!!」
怒鳴られて身がすくむ。
「佐野はどうしたんだよっ!!」
"松田先生に結婚してもらえばいい ” と言って、アパートを出て行った佐野さんを思い出し、一層みじめな気持ちになる。
「ふん、誰の子かわからなくなって逃げられたってわけか? いいザマだな。俺が佐野なんかに振られた女と結婚すると思うか?」
「どっちの子かわからなくしたのは先生のせいだわ!」
あまりにも冷たすぎる言葉に悔し涙がこぼれた。
「そうか、悪かったな。じゃあ、堕ろせよ。中絶費用ぐらい払ってやる。話はそれだけだな」
軽蔑した一瞥をくれると、踵を返した。
絶望と哀しみ以上に、殺してやりたいくらいの憎しみを感じた。
去っていく先生の背中を目がけて、エンゲージリグの入った小箱を投げつけた。
うまく後頭部にガツンと当たった。
「痛っ、何すんだ、このバカ!」
頭を押さえながら、振り返った。
「あなたなんか、、あなたなんかと結婚したら誰だって自殺したくなるわ。…大嫌い、、レイプ魔!! 死んでしまえばいいっ!!」
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