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ホテルの最上階で
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予約されていたレストランは、先生とはじめて逢ったホテルの最上階にあった。
ふたりの思い出の場所という、はからいなのだろうか。
別れ話をしなければならないのだから、懐かしむ気持ちになど、なれるはずないのに。
どうしよう、やっぱりこんなところにノコノコとついて来るべきではなかった。
きれいにお別れするなど所詮、無理なことなのだ。
エレベーターに乗ると先生が手を握ってきたので、とっさに払いのけた。
「なんだよ、久しぶりに会ったのに冷たいな」
はじめて先生とこのホテルに来たとき以上に動揺している。
今夜、必ず別れ話をしなければならない。
佐野さんと結婚の約束までしたのだ。
もう二度と佐野さんを裏切ることなど出来ない。
エレベーターを降りて、先生の後ろをついて歩く。
後頭部に寝癖がついていた。
ジャケットがくたびれて見える。ズボンの折り目もスッキリとしていない。
クリーニングに出す余裕もないのだろうか。
身のまわりの世話をしてくれる人がいない先生が、気の毒に思えてくる。
クリスマス間近の土曜の夜だけあって、テーブルはほぼ埋め尽くされていた。
年配の夫婦や、若いカップル、中年の女性グループといった客層で占められていた。
夜景が見える窓際の席に案内された。
向かい合うテーブルではなく、隣り合わせに夜景を前にして坐るテーブルだった。
どうやって話を切り出したらよいものかを考えながら、目の前の夜景に見入っていた。
最後の夜くらい、いい思い出にしたかったけれど……。
「いい眺めだろう」
先生がいつになくやさしく笑いかけてきたので、益々話を切り出せなくなった。
北海道の新鮮な食材を使ったコースが運ばれてきた。
美しく彩られたオードブルも素晴らしい夜景も、これから別れ話をしなければならないプレッシャーで、すべてが色あせて見えた。
「どうした? 食欲ないのか?」
「まだ、あまり食べられなくて」
浮かない顔で金箔の浮かんだプティスープをひとくちのみ込んだ。
「まぁ、無理して食べることないけどな。でもおまえ痩せすぎだぞ。俺、ガリガリは嫌だからな」
先生はそう言うとアワビのポワレを口に運んだ。
「二○五号室の里沙ちゃんは食べられるようになりましたか?」
「里沙は年末に一時退院することになってる。副作用もだいぶおさまってきて食べられるようになってきたし、他に治療もないからな。可愛そうだけど」
「あとどれくらい生きられそうですか?」
「そうだな、せいぜい半年かな」
「そんなに早く……」
あどけない里沙ちゃんの笑顔が目に浮かび、やるせない気持ちになった。
「気の毒な家族だよな。あの母親も乳がんらしいから、里沙が逝ったらもたないかもな。里紗より先に逝かれても困るけどな。不幸な家族だよなぁ。……まぁ、人の事は言えないか」
「………」
白老産黒毛和牛のロースとフォワグラのポワレ、季節の温野菜が運ばれてきた。
「今月の二十七日に引っ越しするんだけど、彩矢、手伝ってくれよ。掃除とかは引っ越し屋がやってくれるけど、荷物をしまったり、整理するのは女の方が得意だろ」
私が残した白老牛を食べながら言った。
「そんなの、無理です」
「なんで無理なんだよ!」
モグモグさせながら、お肉の入った口をとがらせた。
「莉子ちゃんに手伝ってもらったらいいじゃないですか」
「……な、なんで莉子なんだよ」
ふたりの思い出の場所という、はからいなのだろうか。
別れ話をしなければならないのだから、懐かしむ気持ちになど、なれるはずないのに。
どうしよう、やっぱりこんなところにノコノコとついて来るべきではなかった。
きれいにお別れするなど所詮、無理なことなのだ。
エレベーターに乗ると先生が手を握ってきたので、とっさに払いのけた。
「なんだよ、久しぶりに会ったのに冷たいな」
はじめて先生とこのホテルに来たとき以上に動揺している。
今夜、必ず別れ話をしなければならない。
佐野さんと結婚の約束までしたのだ。
もう二度と佐野さんを裏切ることなど出来ない。
エレベーターを降りて、先生の後ろをついて歩く。
後頭部に寝癖がついていた。
ジャケットがくたびれて見える。ズボンの折り目もスッキリとしていない。
クリーニングに出す余裕もないのだろうか。
身のまわりの世話をしてくれる人がいない先生が、気の毒に思えてくる。
クリスマス間近の土曜の夜だけあって、テーブルはほぼ埋め尽くされていた。
年配の夫婦や、若いカップル、中年の女性グループといった客層で占められていた。
夜景が見える窓際の席に案内された。
向かい合うテーブルではなく、隣り合わせに夜景を前にして坐るテーブルだった。
どうやって話を切り出したらよいものかを考えながら、目の前の夜景に見入っていた。
最後の夜くらい、いい思い出にしたかったけれど……。
「いい眺めだろう」
先生がいつになくやさしく笑いかけてきたので、益々話を切り出せなくなった。
北海道の新鮮な食材を使ったコースが運ばれてきた。
美しく彩られたオードブルも素晴らしい夜景も、これから別れ話をしなければならないプレッシャーで、すべてが色あせて見えた。
「どうした? 食欲ないのか?」
「まだ、あまり食べられなくて」
浮かない顔で金箔の浮かんだプティスープをひとくちのみ込んだ。
「まぁ、無理して食べることないけどな。でもおまえ痩せすぎだぞ。俺、ガリガリは嫌だからな」
先生はそう言うとアワビのポワレを口に運んだ。
「二○五号室の里沙ちゃんは食べられるようになりましたか?」
「里沙は年末に一時退院することになってる。副作用もだいぶおさまってきて食べられるようになってきたし、他に治療もないからな。可愛そうだけど」
「あとどれくらい生きられそうですか?」
「そうだな、せいぜい半年かな」
「そんなに早く……」
あどけない里沙ちゃんの笑顔が目に浮かび、やるせない気持ちになった。
「気の毒な家族だよな。あの母親も乳がんらしいから、里沙が逝ったらもたないかもな。里紗より先に逝かれても困るけどな。不幸な家族だよなぁ。……まぁ、人の事は言えないか」
「………」
白老産黒毛和牛のロースとフォワグラのポワレ、季節の温野菜が運ばれてきた。
「今月の二十七日に引っ越しするんだけど、彩矢、手伝ってくれよ。掃除とかは引っ越し屋がやってくれるけど、荷物をしまったり、整理するのは女の方が得意だろ」
私が残した白老牛を食べながら言った。
「そんなの、無理です」
「なんで無理なんだよ!」
モグモグさせながら、お肉の入った口をとがらせた。
「莉子ちゃんに手伝ってもらったらいいじゃないですか」
「……な、なんで莉子なんだよ」
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