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沙織さんの退職
しおりを挟む今夜はもうすぐ結婚退職する北村さんの送別会が予定されている。
ナースステーションからもすでに職員一同でプレゼントが渡されていた。
どこで知り合ったのかお相手の男性は大手証券会社のエリートらしい。
東京の本社の方に転勤が決まっていて、新居への引っ越しも済んでいるとのことだ。
北村さんを祝福してあげたい気持ちなどまるでなく、退職してくれることだけが喜ばしい。
北村さんが過去に先生と深い関係にあったであろうことは、間違いないと思っている。
もしかしたら今だって続いているのかも知れない。
奥さんがいることは仕方がないとしても、自分以外に愛人がいることには我慢ができない。
退職するのは北村さんだけではなく、看護師もう一人と、他にも厨房のおばさんなど数名いる。
九月から新しく入った看護師も二名いるので、その歓迎会も同時に兼ねているようだ。
一次会は札幌駅に近い某居酒屋で行われる。
気乗りのしない歓送迎会だけれど、退職するのは北村さんだけではないので行くことにした。
ふと、沙織さんと不仲な莉子ちゃんはどうするのだろうと思っていたら、しっかり夜勤になっていた。
さすがに莉子ちゃんは用意周到だと感心した。
普段よりは少し着飾ったように見える職員たちが、それぞれ気のあった者同士と連れだって店へ入っていった。
ざわざわとして活気のある一階の一般客用ではなく、会場は二階のお座敷だった。席は自由だったので、目ざとく村田さんを見つけて隣に座らせてもらった。
「よかったぁ、村田さんの隣にまだ誰も座ってなくて」
「彩矢ちゃん、もっと若い人たちと一緒の方が楽しいんじゃないの?」
村田さんがやさしい笑顔を向けた。
「ううん、あまり騒がしいの好きじゃなくて。村田さんの隣の方が落ち着く。それに最近、村田さんとあまりお話できなかったし」
「なにか話したいことあったの?」
「……うん。でも、なんだったかな? 忘れちゃった」
いくら寛容な村田さんにでも、不倫の悩みなど相談できるはずもない。
「確かに、最近の彩矢ちゃんは元気ないなって思ってたけど」
「……… 」
何も言えず、曖昧に笑って誤魔化した。
事務長が総合司会のような役回りなのか、マイクをもってなにか話をしている。
そして、なにに対してなのかわからないが一応乾杯の合図あり、それから食事を始めた。
舟盛りのお刺身や揚げ物などが各テー ルに運ばれてくる。
食事中、病院長、副院長、看護師長の退屈な話がしばらくの間続いた。
若い看護師たちのテーブルに夢菜がいた。
この間のように憂いを感じさせるようすは見られず、以前のように元気にはしゃいでいた。
おじいちゃんの具合はよくなったのだろうか。
先生は北村さんや新しく入って来た看護師さんのグループの中にいた。
新しく入ったふたりの看護師はまだ若く、可愛らしい顔立ちをしている。
先生のタイプかも知れないと思い、不安と焦燥にかられた。
すぐにそんな気持ちになる自分がみじめだった。
「彩矢ちゃん、大丈夫? お料理ちっとも食べてないけど」
村田さんが心配げに、のぞき込むように見つめた。
「あ、最近、ちょっと食欲がなくて……村田さんは気にしないで食べてください」
「あら、残念ね。せっかくの美味しそうなご馳走なのに」
何人かの職員によって歌や簡単な余興が行われているが、まったく楽しむ気になれない。せっかく村田さんの隣に座ったのに、しんみりとしたムードにさせてしまった。
一次会も終盤にさしかかり、結婚する北村さんへの花束が松田先生から贈られた。
意外にもクールなはずの北村さんが涙している。
先生が北村さんを軽くハグしてあげているのを見て、飲んでいたジュースのコップを投げつけてやりたくなった。
あの二人は過去に親密だったに違いないのだ。未だに続いているのかもしれない。
村田さんがいたわるような目で見つめ、そっと手を重ねてくれた。
嫉妬に狂った醜い形相を村田さんに見られてしまったことが悲しくて涙が出てきた。
「彩矢ちゃん?」
「ごめんなさい、村田さん。私のせいでちっとも楽しくないですね」
「大丈夫よ。誰にだって大変な時があるものね。私のほうこそ何も力になってあげられなくてね」
村田さんはなにも聞かずに、やさしく肩を抱いてくれた。
有紀が二次会に誘ってくれたけれど、一次会ですでに限界だったので断って家に帰った。
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