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好きになってはいけないひと
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今日は夜勤で病院には勤務時間より三十分早く到着した。
階段を登り、休憩室へ向かう途中、二○五号室に入院した里沙ちゃんが、優花と手をつなぎながら廊下を歩いて来るのが見えた。
優花は小さい子なら大丈夫なんだ。ちょっと意外だった。
「里沙ちゃん、どこ行くの?」
中腰になって、里沙ちゃんに話しかけた。
「優花お姉ちゃんと売店にお菓子買いに行くの」
里沙ちゃんがニコニコ顔で、うさぎキャラクターのお財布を見せてくれた。
「わーっ かわいいお財布だねぇ」
「パパが昨日買ってきてくれたの。これと同じぬいぐるみも」
「へー いいなあー。あとでぬいぐるみも見せてね」
「うん、いいよ!」
「優花ちゃん、ありがとうね」
優花がはにかみながら、少しほほえんだ。
笑顔なんて見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。
今日の夜勤は病棟の受け持ちが北村さんで、彩矢はフリーだ。
北村さんと一緒の夜勤はこれまでも何度かあったけれど、今まではあたりさわりのない会話しかしたことがなかった。
先生のことを忠告をされて以来、北村さんは以前にも増して苦手になった。
ICUのナースは坂上さんで、当直医は大学病院から定期的に派遣されて来る若い医師だ。
ICUに今夜にも逝きそうな重篤な患者がいて、もう八時を過ぎているのに松田先生はまだ帰らずに坂上さんに指示を伝えている。
軽症の受け持ち患者と病棟のお手伝いも終わったので、ICUで患者の痰を吸引したり、点滴の準備などを手伝う。
仕事に集中したいのに先生が視界に入るので、つい意識がそれてしまう。
「坂上さん、他になにかすることがなければ、体位とおむつの交換もしておきますか?」
坂上さんは四十代のベテランナースだけれど、ぶっきらぼうな物言いで少し怖い。
いつも遠慮なく叱るけれど意地悪ではないことがわかるので、その忠告はありがたいと思って聞いている。
「それは後でもいいかな。彩矢~ 晩ご飯は交替で食べよう。先に食べてきて頂戴」
坂上さんが重篤患者のハートモニターから目を離さずに言った。
「あっ、はい。じゃあ、お先に」
さっき先生が休憩室に入って行くのを見たので、行くのがためらわれる。
でも坂上さんと交替しなければならないので、休憩をとらないわけにはいかなかった。
重い足取りで休憩室へ入ると、北村さんと先生が楽しそうにおしゃべりをしていた。
「お疲れ様です」
二人の顔を見ずにテーブルの端へ行き、腰を降ろした。
コンビニで買ってきたおにぎりとツナサラダを出す。
「なんだよ、平川もコンビニ弁当か」
先生が不服そうな顔で北村さんが買ってきたと思われる、のり巻きを口に入れた。
「弁当ぐらい作れないと、いい嫁さんにはなれないぞ~。そういえば沙織はいつ結婚するんだ?」
「九月の秋分の日」
「そうか、もうすぐだな。寂しくなるなぁ~」
親密なふたりの会話に苛立ちを覚えた。
「うそばっかり。寂しいはずないでしょう。かわいい看護師さんがたくさんいるのに」
微笑みながら北村さんは私のほうをチラッと見た。
「平川が佐野とつきあってるなんて知らなかったな。もしかして、おまえ達も近々結婚するなんて言うんじゃないだろうな?」
平然とそんなことが言える先生に、憎しみに似た感情が湧いた。
「え~っ、そうなの? 知らなかった! 佐野さんと? いつから?」
北村さんが大きな目を見ひらいて聞いた。
「最近です」
ぶっきらぼうに無表情で答えて、おにぎりを口に運んだ。
「なんだぁ、じゃあ、この間ラーメン屋さんで言ったことは余計な忠告だったわね。ごめんなさいね、平川さん」
階段を登り、休憩室へ向かう途中、二○五号室に入院した里沙ちゃんが、優花と手をつなぎながら廊下を歩いて来るのが見えた。
優花は小さい子なら大丈夫なんだ。ちょっと意外だった。
「里沙ちゃん、どこ行くの?」
中腰になって、里沙ちゃんに話しかけた。
「優花お姉ちゃんと売店にお菓子買いに行くの」
里沙ちゃんがニコニコ顔で、うさぎキャラクターのお財布を見せてくれた。
「わーっ かわいいお財布だねぇ」
「パパが昨日買ってきてくれたの。これと同じぬいぐるみも」
「へー いいなあー。あとでぬいぐるみも見せてね」
「うん、いいよ!」
「優花ちゃん、ありがとうね」
優花がはにかみながら、少しほほえんだ。
笑顔なんて見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。
今日の夜勤は病棟の受け持ちが北村さんで、彩矢はフリーだ。
北村さんと一緒の夜勤はこれまでも何度かあったけれど、今まではあたりさわりのない会話しかしたことがなかった。
先生のことを忠告をされて以来、北村さんは以前にも増して苦手になった。
ICUのナースは坂上さんで、当直医は大学病院から定期的に派遣されて来る若い医師だ。
ICUに今夜にも逝きそうな重篤な患者がいて、もう八時を過ぎているのに松田先生はまだ帰らずに坂上さんに指示を伝えている。
軽症の受け持ち患者と病棟のお手伝いも終わったので、ICUで患者の痰を吸引したり、点滴の準備などを手伝う。
仕事に集中したいのに先生が視界に入るので、つい意識がそれてしまう。
「坂上さん、他になにかすることがなければ、体位とおむつの交換もしておきますか?」
坂上さんは四十代のベテランナースだけれど、ぶっきらぼうな物言いで少し怖い。
いつも遠慮なく叱るけれど意地悪ではないことがわかるので、その忠告はありがたいと思って聞いている。
「それは後でもいいかな。彩矢~ 晩ご飯は交替で食べよう。先に食べてきて頂戴」
坂上さんが重篤患者のハートモニターから目を離さずに言った。
「あっ、はい。じゃあ、お先に」
さっき先生が休憩室に入って行くのを見たので、行くのがためらわれる。
でも坂上さんと交替しなければならないので、休憩をとらないわけにはいかなかった。
重い足取りで休憩室へ入ると、北村さんと先生が楽しそうにおしゃべりをしていた。
「お疲れ様です」
二人の顔を見ずにテーブルの端へ行き、腰を降ろした。
コンビニで買ってきたおにぎりとツナサラダを出す。
「なんだよ、平川もコンビニ弁当か」
先生が不服そうな顔で北村さんが買ってきたと思われる、のり巻きを口に入れた。
「弁当ぐらい作れないと、いい嫁さんにはなれないぞ~。そういえば沙織はいつ結婚するんだ?」
「九月の秋分の日」
「そうか、もうすぐだな。寂しくなるなぁ~」
親密なふたりの会話に苛立ちを覚えた。
「うそばっかり。寂しいはずないでしょう。かわいい看護師さんがたくさんいるのに」
微笑みながら北村さんは私のほうをチラッと見た。
「平川が佐野とつきあってるなんて知らなかったな。もしかして、おまえ達も近々結婚するなんて言うんじゃないだろうな?」
平然とそんなことが言える先生に、憎しみに似た感情が湧いた。
「え~っ、そうなの? 知らなかった! 佐野さんと? いつから?」
北村さんが大きな目を見ひらいて聞いた。
「最近です」
ぶっきらぼうに無表情で答えて、おにぎりを口に運んだ。
「なんだぁ、じゃあ、この間ラーメン屋さんで言ったことは余計な忠告だったわね。ごめんなさいね、平川さん」
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