六華 snow crystal 6

なごみ

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美穂との情事

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訪問するには少し遅いけれど、車に積んであった悠李のドローンと、雪花へのテディベアを渡しに平川家へ向かった。


仕事が始まってしまうと、いつ渡せるかわかったものではない。


もう夜の九時半もすぎているけれど、雪花はまだ起きているだろうか?


平川家の前に車を停めて玄関へ向かうと、なぜか家族勢ぞろいで俺を出迎えていた。


と、思ったけれど。



ーーそれは大きな勘違いだった。



それはそうだろうな。



背の高い佐野が俺を見て固まったように突っ立っていた。



帰ろうとしていた佐野のお見送りだったのだ。


彩矢も元義父母も、とんでもない奴が来たと言わんばかりの仏頂面だった。



悠李だけが俺の訪問を歓迎してくれた。



「パパだぁー!  パパ帰ってきた!!」



ふん、なかなか可愛げのあるやつだ。


眼を輝かせてそばに来た悠李の頭に手をおいた。


「パパーー 、おかえり!」


「悠李、おまえドローンを忘れて帰っただろう」


紙袋に入っているドローンを悠李に渡した。



「パパ、おうちに帰ってきたんじゃないの?」


「お土産を渡しに来たんだよ。これは雪花のだ」


彩矢に抱っこされて眠い目をこすっている雪花のそばへ行き、テディベアのぬいぐるみを渡した。


いつもなら、つれない態度を示す雪花だけれど、クマが気に入ったのか、めずらしく礼を言った。


「パパ、ありがとう」


こいつは本当に可愛いやつだな。





佐野が帰ると言うので、一度二人で話をしておいたほうがいい気がした。


「佐野、ちょっと話があるんだ、つきあえよ」


帰ろうとして、俺の前を通り過ぎた佐野に声をかけた。


佐野が返事をする前に、彩矢が興奮して俺に詰め寄ってきた。


「いいから、もう帰ってください! 話なんてないわ。突然やって来て、あまりにも失礼じゃない。早く帰って!」


こいつはすぐに感情をむき出しにして訴える。


俺から佐野を守ろうとでもしているのか。



彩矢への未練はもう捨てたけれど、これみよがしに佐野への想いを見せつけられるのは、気分がよくなかった。


「なんだよ、おまえに話があるとは言ってないだろ」


「私たちにはこれ以上、関わらないでもらいたいわ」



ーーなにが私たちだ、



俺を疫病神だとでも言いたいのか。



「関わらないわけにはいかないだろう。悠李も雪花も俺の子なんだぞ。おまえ一人に任せていたら、子供には一生会えなくなるからな」



「ちゃんと会わせたじゃないの。約束を守らなかったのはあなたのほうだわ。電話をしても通じなくて、どれだけ心配したかしれないわ!」


すでに涙ぐんでいる彩矢なんかとは、話し合うだけ無駄だろう。



「彩矢ちゃん、俺も松田先生と話がしたかったんだ。大丈夫だから」


取り乱している彩矢を、佐野がうまくなだめてくれた。


佐野も俺も車で来ているので、この通りを出たらすぐ右にある、ファミレスで落ち合うことにした。






駐車場の白線を見ながらバックして車を停めると、先に着いた佐野が店に入っていくのが見えた。


スラリとした細マッチョな体型に、甘いマスク。


俺があれほどのイケメンだったら、日替わりで浮気ができただろうな、などと不埒な考えが浮かんだ。


宝の持ち腐れとは、あんな奴のことを言うのだろう。


佐野と彩矢はもう入籍を済ませたのだろうか。


まだ、一緒に暮らしてないところを見ると、これからなのかも知れない。


店へ入ると佐野は奥から二番目の窓際に座っていた。


俺が席に着くと同時に、ウエイトレスがオーダーを取りに来た。


メニューを見ずに、俺も佐野もコーヒーを頼んだ。


「急に誘って悪かったな」


「いえ、特に急いでいませんから」


ずっと敵のように思っていた佐野だけれど、今はそれほどの憎しみを感じていなかった。


それは彩矢がもう俺の所有物ではなくなったからか。


あいつは二児の母でもまだ綺麗だけどな。


ヒステリーばかり起こしている彩矢より、さっき別れたばかりの美穂ちゃんのほうが、ずっと可愛いげがある。


「もう、入籍は済ませたのか?」


「まだです。両親と会ったのは今日が初めてで、」


愛想の悪いウエイトレスが、二人の前にコーヒーを置いていった。





こいつと差し向かいでコーヒーを飲むことになるとはな。


「年内には入籍するんだろ?」


「具体的なことはなにも決まってません。子供の気持ちも考えてやりたいので、別に慌ててしなくてもいいかと……」


雪花は佐野とうまくやっていけるのか。


どっちにしても、こいつに雪花を渡すわけにはいかない。


「なるほどな。だけど子供たちとは初めて会ったわけではないだろ。俺は忙しくて子供と遊んでやれなかったけど、それでも悠李とは仲が良かったんだ。あいつはなんでも俺に教えてくれた。宅配のおじちゃんとサッカーしたとか、ガチャガチャをもらったとかな」


「…すみません。出すぎたマネをして。俺が原因で離婚になったのだとしたら、謝ります」


そうだ、こいつが余計なマネをしなかったら、彩矢と子供たちは俺と一緒にロスへ来るはずだった。







「今ごろ謝られてもどうしようもないだろ。俺たちはもう離婚してしまったんだからな。離婚の理由は俺がよそに子供を作ったってことになってるけど、原因を作ったのは彩矢のほうだ。昔の男と自宅で密会なんかされたら、どんな男だってヤケを起こすのが普通だろう。違うか?」


「……信じてはもらえないかも知れないけど、俺と彩矢ちゃんは本当にそんな関係ではなくて、、」


そんなことを信じる奴などいるかよ。


「密会中に雪花は溺れて死にかけた。蘇生して助けたのはおまえらしいけどな。悠李はちゃんと見たことを俺に教えてくれた。おまえたち二人がどんなに仲が良かったかってこともな」


「悠李からなにを聞いたというんです。俺たちは誓って疚しいことなどしてません!」


佐野はかなり気分を害したようで、ムキになって言った。


ふん、クソ面白くもねぇ、まじめ人間め!




「いいんだ。それはもう済んだことだからな。大事なのはこれからのことだろ。正直、どうなんだ?  雪花はいないほうがいいんじゃないか?  あいつには俺の血が入っているからな。悠李と親子三人で仲良く暮らしたほうが上手くいくだろう」


「そんなことはないです。雪花ちゃんがいなかったら彩矢ちゃんは不幸になります。そんなことわかりきったことでしょう」


佐野は苛立ったような目で俺を見返す。


ファミレスでこんな深刻な話をしている者は他にいないだろうな。


もう十時になろうとしているのに、子供を連れて食事をしている若い夫婦がいた。幼稚園児のような子供が、あくびをして大口を開けていた。


「確かに彩矢は雪花がいないと不幸になるだろうな。だけど俺の不幸はどうなるんだ? 浮気をして子供を作ったから自業自得だって言うのか?  ひどく裏切られたのは俺のほうだろ。寝る間もなく自分の子でもないガキのために、あくせく働いてたっていうのにな」


「……悠李を大切に育ててくれたことには礼を言います。それは以前からずっと言いたかったことです。だけど、子供のことは俺たちに任せてもらえませんか? 雪花ちゃんはすごく可愛い子だし、俺、ちゃんと可愛がって育てますから」



だから、それは俺がしたいんだよ!


「余計なお世話だよ。雪花は俺と同じ性格だ。おまえたちの手に負えるような子供じゃない。俺もタイプの違う悠李を可愛がるのは大変だったんだぞ。彩矢はいつまでもおまえのことを引きずっているしな。ずっとそんなストレスだらけの結婚をしいられていたんだ。雪花のことくらい妥協してくれてもいいんじゃないのか?」


「俺に子供のことを決めたりする権利はないでしょう。たとえどんなことを言ったとしても彩矢ちゃんは認めないはずです。そういう話ならするだけ無駄です」


確かに佐野の言うとおりだ。


いくら佐野でも彩矢を説き伏せることは出来ない。



「彩矢はおまえの言うことなら聞くかも知れないだろう。俺に感謝してるんだったら、それくらいの誠意を見せてくれよ」



「それは無理です。俺には出来ません」


嘘でもやってみます、くらい言えないのか。どこまでもバカ正直な奴だ。


「じゃあ、俺には何をしてくれるんだよ。俺には我慢だけしてろっていうのか?」


「親権の話は俺がとやかく言えることではないでしょう」




ーー時間のムダだった。


なんの進展もないまま、話は平行線をたどり、俺たちは別れた。




まぁ、予想どおりの展開だけどな。


佐野は悠李の半分も役に立たない。


悠李をうまく丸め込むより、方法はなさそうだな。







美穂とはできる限り時間を作って、逢えるときには逢っていた。


父親を一人にしておけない美穂は、今夜は泊まりたいなどと我儘を言うこともなく、二時間ほどで帰りたがるので、こちらとしても好都合だった。


彩矢とはまだ養育費の相談をしていなかったが、とりあえず毎月二十万円ほど口座に振り込んでいた。


余裕のある両親と暮らしている彩矢よりも、美穂のほうがずっと援助が必要に思えて、封筒に十万ほど入れて渡したが、彼女は頑なに受け取ろうとはしなかった。


お金をもらうと恋愛じゃなくなると言い張る。


金を要求してくる女はシラけるが、なんだか俺だけが得をしているようで気が咎めた。


そんなこともあってか、美穂の境遇を思うと、こちらから別れ話などは出来ない気分にさせられた。



ーー彼女はまだ若い。


結婚を真剣に考えるようになったら、向こうから別れを切り出してくるだろう。







先週から師走に入り、街中がクリスマスモードで賑わう季節になった。


妻子持ちの俺だけれど、ジェニファーがこっちに来るのはまだ先だ。


ジェニファーからは毎日のように電話が来て、赤ん坊のLINE動画が送られてくる。


息子のショーンは三ヶ月になり、喃語も出てきてよく笑うようになっていた。


俺には全く似ていないように見えるが、ブルーの瞳が愛らしい。



春になったら、日本へ行くと言っている。



それまで美穂とのことはバレないと思う。






美穂とホテルで豪華なクリスマスイブを過ごそうと思い、ディナーと部屋を予約した。


イブの夜くらいは美穂だって、父親のお守りから解放されてもいいだろう。


プレゼントはやっぱりジュエリーがいいのかな。


そのうち大丸にでも寄って、美穂に似合いそうなネックレスでも買っておこう。 



仕事が忙しく、今日は美穂と二週間ぶりの逢瀬だった。




華奢でいながら、肉感的なダイナマイトボディを持つ美穂は、愛くるしい童顔とのギャップも相まって、中年になった俺の理性を狂わせる。


愛し合ったあと、うつ伏せで枕に顔をうずめていた美穂を抱きしめ、耳元へささやいた。


「美穂の身体は最高だな。クリスマスイブはどうやって過ごしたい?  ホテルでディナーを食べたあと、そのまま泊まるっていうのはどうだ? たまには二人でゆっくり過ごしたいだろう」




折角の提案に、美穂はうかない顔をした。


「気を遣わなくても大丈夫よ。クリスマスやお正月は家族と過ごすものでしょう。私は逢える時に逢えたらそれでいいの」


「美穂はもう少し自分の幸せに貪欲になってもいいんじゃないのか?  自己犠牲がそんなに楽しいか? 親父さんがそんなに大事なのか?」


遠慮ばかりしている美穂に、今日はいつにも増して苛立ちを感じた。


「自己犠牲じゃないわ。私がしたくてしていることよ。してあげないと落ち着かなくて、何も手につかなくなるの」


「完全に病気だな。一度心療内科に行って診てもらったほうがいい」


アル中患者の家族によくみられる共依存だ。


「私の頭がおかしいってこと? 人を助けることがそんなにいけないことなんですか?」


珍しく美穂は少し憤慨したように口を尖らせた。



「助けになってないんだよ。美穂がしていることはオヤジを腑抜けにするだけだ」


「父は鬱病ですよ。私が面倒を見てあげなかったら、自殺するかもしれないんです」


「いつからの鬱病だよ?  もうとっくに治ってるだろう。あの様子じゃアル中のほうがもっと深刻だな。美穂が頼りになりすぎるからアル中になったんだよ」


あんな親父はさっさと死んでくれたほうが美穂のためだな。


ファザコンの美穂には絶対に言えないけれどな。


美穂はすっかり落ち込んでしまったようで、暗い顔をしていた。



少し言い過ぎてしまったな。




「美穂~   そんな顔するなよ。今日は久しぶりに逢ったんだぞ。もっと俺にも甘えて欲しいんだよ」


後ろから抱きしめ、じゃれつく。


「甘えてるよ、美穂は。潤一さんのことが本当に大好きだから」


うるんだ目でささやいた美穂が愛おしくてたまらなくなる。


「美穂……」


俺は美穂の父親に嫉妬しているのかもしれない。


あんなどうしようもない父親に俺は負けている。


何事にも貪欲な俺は、無垢で無欲で献身的な美穂の清らかさに憧れる。


飽きた女を捨てることに、罪悪感など持たなかった俺だけれど……


いつ美穂を捨てるのだろう。


今は美穂に捨てられることのほうがずっと恐ろしかった。



「美穂…たまらなく好きだよ、おまえが」




ひんやりとした美穂の白いうなじに吸いつき、豊満な肉体を貪った。









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