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生きる希望を失って
しおりを挟む健太は休まずに高校へ通えている。
先週から早起きし出したと思ったら、新聞配達のバイトを始めたようだと貴之が言っていた。
とても信じられない。あの甘ったれの健太が。でも、一体なににお金を使いたいのだろう。
確かにお小遣いを十分にもらえているわけはないと思うけれど。
人は殺していなくても、少年院での経験や教えは、健太に必要だったのだろうか。
不登校で昼夜逆転していた子が、学校へ行けるようになったというのは、少年院での更生が役立つものだったということか。
日菜もたまたま飛び込んだ美容師の世界が、思いのほか天職になりそうな気配だ。
美容学校へ進み、クリエイターの道に進む決意が感じられた。
もし私が元気だったら、子供達はこんなにしっかりとしていなかったかも知れない。
多分、私がよけいな心配をし過ぎたり、理想像を押し付けたりしてダメにしてしまったような気がする。
私が子供たちにしてあげた一番良いことは、今こうして頼りがいのない母になれたことなのだろうか。
だからといって、これで良かったなどとは到底思えるわけもないけれど。
子供の心配までなくなると、本当になんのために生きているのかがわからなくなる。
誰からも必要とされていなく、足手まといなだけの自分。
貴之だって、まだ48歳だ。
再婚して、もっといい相手を見つけたいだろう。
姉と甥っ子を殺した妻の面倒など、みたいわけがない。
子供の世話や心配からは一日も早く解放されたいとずっと思っていたけれど。
実はそれが私の生きがいであったのだろうか。
誰からも必要とされないことの悲しさ……。
何もすることがなく、宏美が昨日置いていってくれた小説を読む。
飲み過ぎて酔いつぶれ、翌朝ここはどこ? と目が覚めたら、見知らぬ男と寝ていたという書き出しから始まる恋愛もの。
出会ったその日に訳もわからずベッドインしたその男は、中々のイケメンで、しかも一流企業の御曹司という設定。
こんなありえない出会いから始まるラブロマンス。
現実離れしすぎているこんな話に、今どきの女の子たちは夢を見るのだろうか。
リアルな話ばかりがいいとは思わないけれど、ファンタジーよりも現実味のないストーリーに嫌気がさす。
どこそこの御曹司という、オレ様風の気取った男が、昨夜知り合ったばかりの気弱な女の子に言い放つ。
「お前はもう、この俺から離れられない」
キザなセリフに鳥肌が立つ。
その後も繰り返される気色の悪いセリフと愛撫。
気弱なはずの女の子の口からもれる、大胆な喘ぎ声。
背筋に寒いものを感じて気持ちが悪くなり、ページを閉じた。
テレビドラマもつまらなく、なにをしても、なにを読んでも、ため息しか出てこない。
もう十分に生きたし、十分に苦しんだ。
まだ足りないのだろうか。もっともっと苦しまなければ許されないのだろうか。
自分だけが苦しむならまだ我慢も出来よう。だけど、これ以上、家族まで巻き込みたくない。
私は生きていても邪魔なだけではないか。
交通事故の賠償金が出ていたとしても、家族に負担を強いていることに違いないのだから。
***
午後から来てくれるホームヘルパーに、眉を自分で整えてみたいと言い、スタンドミラーとカミソリを用意してもらう。
「左手で出来ますぅ? やってあげましょうか?」
心配するヘルパーに大丈夫だからと、身振りで伝える。
やつれた血色の悪い顔を見つめる。
この一年で10年分も老けたように見える。
ほおがこけてげっそりしている。
白髪など目立たぬほどしかなかったのに、すっかり老婆のように半分も白くなっていた。
見た目の悪さが、さらに生きる気力を奪う。
使い終えたカミソリを枕の下に隠した。
ヘルパーが夕食の準備を終え、テーブルに用意してくれる。
車椅子に乗せてもらい、配膳に着く。
汚しても良いようにビニールのエプロンを掛けられた。
「はい、どうぞ~ ムセないように食べてくださいね」
中年太りした50代のヘルパーが、左手に箸を待たせた。
左手での箸もだいぶ慣れて来て、うまく口に運べるようになった。これもリハビリなのだという。
ごはんにワカメと豆腐のお味噌汁、焼いた塩サバ、かぼちゃの煮物、刻んだ野菜をツナで和えたサラダ。
食欲はなかったが、これが最期の晩餐になるのだと思い、感謝していただく。
ヘルパーはカミソリのことなど忘れたようで、片付けを終えると慌てて帰っていった。
テレビから、夕方のニュースが流れていた。
老人の万引きが急増していると言う。生活に困ってのことよりも、話し相手のない孤独感が原因らしい。なので出所しても再犯を繰り返す。
最近の刑務所は、老人施設の役割までしなければいけなくなったようだ。
寝たきりになれば、誰かが介護までしてくれる。
それなら歳をとって話す相手もなく、寂しく不便な一人暮らしなどしているより、刑務所のほうがマシなのかも知れない。
貴之と健太が帰ってくる前にしなければ、訪問看護師やヘルパーが来るので、決行するのもこんな時間帯しか選べないのだ。
早くしないと。
枕の下に隠していたカミソリを左手に握りしめる。
車椅子の操作はだいぶ慣れて来て、洗面所まで移動できるようになった。
使える手が左手なので、左手首を切るのは難しかった。
頸動脈を切れば一発なのだろうけれど、さすがに恐ろしくて勇気が持てない。
洗面台にたっぷりと水を張る。
カミソリの持ち手を口にくわえ、左手首を思いっきり押しつけて引いた。
鋭い痛みが走り、鮮血が飛び散る。
ダラダラと血が流れる左手を、洗面台に沈めると、水が真っ赤に染まった。
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