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茉理のアパートで
しおりを挟む「いま働いている飲食店のバイト代は、時給いくらなんだ?」
茉理をサービス代行として雇うかどうか、まだ迷いがあった。
「八百円よ」
「八百円!! 安すぎだろう!」
「茉理は中卒あつかいだからメッチャ安いの。11時から午後三時までで、一日たったの三千二百円よ。でも賄いがついてるから、ご飯はタダなの。それに余った料理は貰っても良いことになってるから食費はかからないし、調理もしなくて済むから便利なんだ」
「なるほどな、さすがは世渡りが上手いな」
「そう、生活していくだけなら、それで十分なんだけどね………」
そこまで言って、顔を曇らせた。
やはり母親が問題なのだろう。
「一ヶ月いくらあれば足りるんだ?」
「そこで働いていても一ヶ月六万円くらいにしかならないし、他で働きたくても十七歳じゃ雇ってくれないの。せめて十万円あればなんとかやっていけるんだけど……」
「じゃあ、あと四万稼げばいいわけだな。それなら家事代行サービスを頼んでもいいぞ。週一で一万払ってやるよ。それなら月に四万稼げるだろう。手抜きしたらすぐに解雇だからな」
「え、本当? ヤッター!! さすがはドクター! それとね、………ついでって言ったら悪いんだけど、アパートの保証人になってくれないかな?」
「はぁ? 保証人?」
こいつと関わるとどんどん悪い深みにハマる。
「だって茉理、ママから離れたいんだもん。だから高校を辞めてお金貯めようと思ったの」
確かに毒親からは早く離れたほうがいいのかもしれないが。
「やめておく。おまえの母親に訴訟でも起こされかねないからな。十八になるまでは今のアパートで我慢するんだな」
家事代行サービスとして雇うだけでも、かなり危険だというのに、アパートの保証人など勘弁してくれ。
「わかった。じゃあ、明日バイトが終わったあと、お掃除に行くね」
「掃除はさっき美穂がきれいにしてくれたから、来週でいい」
「えーっ? キレイにってあのゴミ屋敷を?」
茉理は大袈裟に驚いて、大きな眼を見開いた。
「ああ、さすがは美穂だな。あっという間に片づけてしまったよ」
「そんなぁ~~ 困るよ、茉理の大事な仕事がなくなっちゃった」
今の茉理にとって、一万円の損失は確かに大きいかも知れない。
「じゃあ、美穂がしてないところをやればいいだろ。トイレとか風呂場とか」
こいつの仕事はどうせ手抜きだろう。
「え~~ ! 水回りって一番大変なんだよ!!」
「一万円も払うんだぞ、そのくらいちゃんとやれ!」
「はーい!!」
「俺が帰ってくるまで待ってなくていいからな。掃除が終わったらサッサと帰れ。あらぬ誤解を受けても困るからな」
「用心深いのね。意外と小心者?」
上目遣いに俺の顔をのぞき込んだ茉理のきれいな瞳にドキッとする。
喋らなければ可愛いのにな。
「当たり前だ。おまえはまだ信用できないところがあるからな。油断していたら大変な目にあう」
「茉理はそんな悪人じゃないってば! 信用してよ」
口を尖らせて茉理は軽く俺をにらんだ。
「人間は追いつめられると変わるんだよ。ふだんは善良でもな」
「ふーん、先生は追いつめられて豹変したことがあるんだぁ」
「うるさい!! よけいな詮索をするな!」
まったく、いちいち気にさわる奴だ。
「だけど美穂さん、本当にあの彼氏でいいのかなぁ」
茉理がまた話を蒸しかえす。
「なんでだよ? 見るからにいい奴だろう。車の中であいつと何を話したんだ?」
「ふふっ、気になる? 彼、すごーく良い人なのはわかるけどね。な~んか普通すぎてつまんないなぁって感じのひと。北大理工学部の四年生なんだって。頭は悪くないみたいだけど」
「おまえが普通じゃなさすぎなんだよ。人の価値観はみんな違うんだ。美穂にはあいつが合ってるよ」
「じゃあ、じゃあさ、………茉理にはどんな人が合うと思う?」
少し視線を泳がせながら茉理は小声でつぶやく。
「さあな? 浩輝っていう奴とはもう終わったのか?」
「だから浩輝くんとは友達以上にはなれないの。茉理のこと女として見てなんかくれないもん。………先生だってそうなんでしょう? 茉理は色気ないもんね」
茉理はむくれたように、そんなことを言って口を尖らせた。
「女子高生に色気は必要ない。JKっていうだけで価値があるんだよ。まぁ、そんな価値は齢とともに劣化していくからな。本当に愛されたいと思うなら、もっと自分を磨くしかないだろ」
「どうやって? どうやって磨いたら愛される?」
切実な目で問いかけてくる茉理は、なにか勘違いをしているのではないのか。
一体、どれだけモテないって言うんだよ。
浩輝と上手くいかなかったのは、たまたまの事で、茉理に色気がないと言うことではない。
恋愛はしようと思っても、ダメなときは全く出来ないものだ。恋とはそう言うものだと思う。
だけど俺は恋愛経験は多くても、女子高生に恋のknow-howを語れるような人物ではない。
「さぁな、それは人それぞれ好みがあるからな」
「なによ、結局わかんないんじゃない」
恋愛に答えなどあるわけない。どんなところに惹かれるかなど、その日の気分ってこともある。
「わかるわけないだろう。そんな単純なものじゃないよ、恋愛は。おまえは美人だから高望みしなければ、そこそこの男を捕まえられるよ。そういう性格が好きだっていう変人もそのうち現れるだろ。ハハハッ、あせるな」
「変人に変人って言われたくない!」
茉理はムキになって怒鳴り、俺を睨みつけた。
「そうか、俺も変人か? 気づかなかったな。ハハハッ」
「自覚なさすぎなんだよ! 鈍感だし。だから美穂さんに愛想をつかされたんじゃない!」
茉理はますます不機嫌に苛立ちを爆発させた。
「なんだよ、慰めてくれるんじゃなかったのか? 俺は失恋したばかりだってのに、責めてばっかりだな、おまえは」
「………… 」
茉理は失恋したばかりの俺より気落ちした様子で黙り込んだ。
まぁ、この年頃は多感だからな。
賑やかな繁華街を通りぬけ、ナビに入力した住所のあたりに近づいてきた。
「そろそろこの辺りだろう? アパートはどこだ? 」
「あのコンビニを左に曲がればすぐよ」
言われたとおり、左に曲がる。
「あ、あの四階建てのアパートよ」
茉理が指をさしたアパートの前まで車を走らせた。
アパート前の駐車場に、黒光りしたロールスロイスが停まっていた。
この古びたアパートとロールスロイスの組み合わせは、あまりにチグハグで異様に思えた。
「ここでいいわ。ありがとう。忙しいときにごめんね。明日お掃除に行くから、じゃあね!」
アパートわきの車道に停めると、茉理は元気に手を振って降りた。
なんとなく、あのロールスロイスが気にかかり、アパートの入り口へ歩いていく茉理を見ていた。
すると、ロールスロイスから女性が一人降りて来て、「茉理!」と呼んだ。
「うわっ、ママ!! どうしたの? 仕事は?」
突然現れた女に茉理は驚いたようすで声を上げた。
あれが茉理の母親か?
四十を過ぎているようにはとても見えない。茉理の姉だと言っても誰も不思議には思わないだろう。
茉理と瓜ふたつの美人で、ウエーブのかかった栗色のロングヘアー。胸元にレースがあしらわれた紫色のドレス。ほっそりとした肢体にメリハリのあるボディ。
さすがは元ナンバーワンホステスだっただけのことはある。
遠目から見ても艶めかしく、妖艶な魅力に溢れていた。
茉理の母親に圧倒される思いでいたら、ロールスロイスから二人の男が降りてきた。
一人は長身の外国人で見覚えがあった。
レオンだ!!
もう一人の外国人は、禿げ上がった小太りの中年男だった。
「きゃあーーー!!」
その男の姿に茉理の悲鳴があがった。
もしかして、あいつが、、あいつが巨大グループオーナーの三男坊、
ゲオルク………?
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