六華 snow crystal 7

なごみ

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就職内定のお祝い

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捻挫のほうは二週間を過ぎると腫れも引き、ギブスも取れて、松葉杖がなくても歩けるようになった。


島村さんが大学に行ってるときに、スーパーで買い物もできるほど回復した。


随分とお世話になったので、少し贅沢な美味しいご飯を作ってあげたい。


島村さんは釧路の人だから、お肉より魚介類が懐かしいだろうな。


新鮮なお刺身を買って海鮮丼を作ろう。


お刺身コーナーを物色し、奮発してウニまで
購入した。


卵や牛乳まで買い込むと、かなりの重さになった。


重い荷物を持ちながら、アパートまでの道のりをヨタヨタと歩く。


六月も半ばを過ぎ、街路樹の薄紫のライラック美しい。


午後の明るい日差しの中、考えることはやはり潤一さんの事だった。



今頃どうしているのかな?


別れて二週間が過ぎて、少し寂しさにも慣れたかもしれない。


でもそれは、島村さんが居てくれたから。


そうじゃなかったら、あの暗い屋敷で一人、哀しみを引きずりながら立ち直れずにいただろう。


やはり、ひとりぼっちじゃなくて良かった。


潤一さんへの未練がましい気持ちを振り払い、夕食のメニューを考えた。



島村さんはなんの役にも立てず、お荷物だったわたしを必要としてくれた。


そして、身に余るような介抱をしてくれた。


こんなに親切丁寧な扱いを受けたのは生まれて初めてだ。


そんな彼の一つ一つの優しさが、わたしに生きる勇気を与えてくれた。



潤一さんのことはきっと忘れられる。


島村さんがいてくれるから。


島村さんとの楽しい夕食を思って、心が晴れやかになった。





足を引きずりながら、やっとアパートにたどり着く。


新鮮なマグロにホタテ、エビやイクラなどを乗せると豪華な海鮮丼ができた。


あとは、アスパラにジャガイモとベーコンを入れたスパニッシュオムレツ。バジルチキンとパクチーの生春巻き。小松菜と油揚げのお味噌汁。


島村さんは喜んでくれるかな?







「わー、すごいなぁ、このご馳走どうしたんですか? 」


帰宅してジャケットを脱ぎながら、島村さんはテーブルのご馳走に目を丸くした。


「今日やっとひとりでスーパーまで歩いて行けたので、そのお祝いです」


「えーっ、大丈夫ですか? 足痛かったでしょう?」


「もう、散歩くらいはしてもいいとお医者様から言われたので大丈夫です」


島村さんのために少しでも役に立てるようになれて嬉しい。


「じゃあ、せっかくだからこれ、僕の就職のお祝いにしてもいいかな?」


「えっ?」


「内定取れたんですよ。希望していた○○って言う家電メーカーに」


もっと若いと思っていた島村さんは、わたしと二歳違いの二十一歳で、大学四年だった。


「えーっ、○○ならわたしでも知ってます。凄いですね、そんな有名な企業に就職できるなんて」


「やっと内定取れてホッとしました。実はその前に三つも落ちてるんで、、かなりへこみました、あの頃は」


「そうだったんですね。それはおめでとうございます」


島村さんにとっては素晴らしい朗報なのに、なぜかわたしは素直に喜べなかった。


島村さんが遠くに行ってしまったみたいで。



一流企業の正社員になれるような人は、わたしにとってハードルが高いのだ。


「立ち直れたのは美穂さんのおかげですよ。本当にひどく落ち込んでいて、あの日、美穂さんに缶コーヒーをもらって凄く嬉しかったんです。大袈裟だけど、生きる希望が湧いてきて、」


確かにちょっとした笑顔や、何気ない親切に生かされることはある。


そして、その反対に辛辣な言葉に傷ついて、死んでしまいたくなることも………


「よ、よかったです。ご馳走を作って待っていて。あ、わさびが出てなかったですね」


動揺しながら立ち上がり、冷蔵庫にわさびを取りに行った。



「美味しい!  僕、こんなに美味しいもの食べたの初めてだなぁ」


海鮮丼を食べながら、島村さんは褒めてくれたけれど。


「海鮮丼はご飯に買ったお刺身を乗せただけだから、誰にでも作れますよ」


ちょっと拗ねたように島村さんを睨んだ。


「あ、そうか、、すみません。………この生春巻きもすごく美味しい!」


島村さんは慌てて生春巻きを口に入れ、取ってつけたような褒め言葉を口にした。


「わざとらしいですよ!」


「すみません。でも、美味しいのは本当です」


申し訳なさそうに島村さんは首をすくめた。


「クスクスッ、島村さんって面白い」


面白いというか、素直で可愛い。



「面白いなんて言ってもらえて嬉しいな。僕みたいな退屈な人間は、女性を喜ばせることが苦手だから。でも、美穂さんの前だと凄くリラックスできるんですよ。不思議なくらい自然体でいられて。僕は外ではほとんど話しをしないんです。何を話していいのか分からなくて、、」


「わたしも同じです。それでわたし、中二から不登校になってました。学校へは行ってないんです。大検の資格は取りましたけど」


低学歴の秘密をひとつ打ち明けると、少しだけ気が楽になった。


だけど、あとの秘密だけはとても言えない。


「………美穂さん、別れた彼のことはもう大丈夫なんですか? まだ好きなんでしょう?」


島村さんが突然、真面目な顔をしてそんなことを聞くので驚いた。


「……諦めました。世の中、諦めないといけない事ってたくさんあるでしょう」


まるで、自分に言い聞かせるようにつぶやく。


一大決心でもしたかのように、島村さんがすくっと緊張した顔をあげた。


「じゃあ、僕と、、僕と結婚してくれませんか?」


「……島村さん」



「あ、、突然バカなこと言ってすみません。内定が取れて、少し浮かれすぎました」


言葉を失っているわたしをみて、島村さんは恥じいるようにうつむいた。


「…結婚は一生の問題ですから、もっと慎重に選ばれたほうがいいと思います。島村さんはまだ若いですし、せっかく一流企業に就職できるんですから」


わたしと結婚まで考えてたなんて思ってもみなかった。


「それって、どう解釈したらいいのかな? ………これを聞くのはちょっと勇気がいるんだけど、、でも率直に聞きます。美穂さんにとって僕は結婚の対象にはなりませんか?」



なんて答えるべきなのだろう。


島村さん、まだ若いのに………


いくらでも素敵な人と結婚できるのに。



「わ、わたし、、島村さんが思っているような人間じゃありません。今まで本当にひどい生活を送っていて、自分でも思い出したくない失敗をたくさんしているんです」


これ以上のことは話したくない。


「聞きたいのはそういうことじゃなくて、美穂さんにとって僕は、恋愛とか結婚の対象になり得るのかってことです」


ムキになって島村さんは言った。


「だ、だから、、わたしは島村さんにはふさわしくないんです」


「ふさわしくないって、どういうことですか? 遠まわしな言い方をしないで、無理なら無理ってハッキリ言ってくれませんか?」


今のわたしに島村さんはとても必要な人で、それはまだ恋愛とは言えないかも知れないけれど、別れたくない。


だけど島村さんは見込みのない相手に、これ以上深入りしたくないのだろう。



「島村さんはまだ若いじゃないですか。これからきっと素敵な人がたくさん現れますよ。慌てて結婚相手を決めなくても……」


「美穂さんはまだ結婚はしたくないってことですか? それとも僕には恋愛感情を持てないってことですか? 」


どう答えればいいのだろう。


「島村さんからこんな話が出るなんて思ってなかったから。それに大学を卒業してもいないうちから結婚なんて、ご両親だって反対するでしょう?」


ましてや、母親にさえ見捨てられた訳ありの娘など、大切に育てた息子の嫁に迎えるはずもない。


「どうしてうちの両親の心配なんかするんですか? 僕はさっきから美穂さんの気持ちを聞いているのに」


島村さんは少し拗ねたような顔をした。


弟みたいな友人と思っていたので、まさかプロポーズなんて。



「正直、結婚はまだ考えてません。元彼のことは諦めましたけど、今はまだそんな気分になれなくて……」


わたしは本当に潤一さんのことを諦めているのだろうか。


本人から直接別れ話を切り出されたわけでもないのに。



ーーわたしはそれを聞くのが怖いのだ。


まだ望みを繋いだままにしておきたい気持ちがある。



今でもまだ逢いたい。


 ………潤一さんに。



そんな未練が残ったままだから、島村さんを異性として感じられないのかもしれない。



「美穂さん、すみません。確かにそれもそうですよね。別れて二週間しか経ってないのに軽率でした。なんだか焦ってしまって……」


力なく沈んだ島村さんの横顔が切なくて、胸が締めつけられた。


気まずい空気が流れる中、島村さんと静かに海鮮丼の残りを食べる。


「この卵焼きも美味しいですね」


島村さんが気遣って、アスパラやベーコンなどが入ったスパニッシュオムレツを褒めてくれた。


「ありがとう。せっかくのお祝いの日なのに、つまらなくしてごめんなさい」


「いえ、謝らなきゃいけないのは僕です。こんなに美味しい料理を作って待っていてくれたのに、突然バカなことを言い出して。美穂さんと一緒に食事ができるだけで満足だったのにな。ちょっと欲を出しすぎました」


島村さんが少しおどけたように微笑んだけれど、どう返していいのかわからなかった。





夕食の後片づけは島村さんがしてくれた。


もう、なんだって出来るからやりますと言っても、


「まだ、足が痛そうだから無理しないで」


と言った。


ササっと食器を片付け、手早くキッチンで洗ってしまう。


潤一さんとはまるで違う。


思いやりのある理想的な夫になれる人だろう。


だけど、尽くすほうが精神的に安心なわたしは、申し訳ない気持ちで一杯になる。


自身に価値を見いだせないので、少しでも人の役に立っていないと落ち着かないのだ。


こんなアダルトチャイルドのわたしと結婚を考えていたなんて。


島村さんは本当にわたしのことを何も知らない。




部屋の隅に置いてあるマットレスをいつもソファがわりに使っている。


マットレスはここに来てから通販で購入したお布団だ。


島村さんがいくら寝袋に慣れてると言っても、さすがに毎日それで寝させるわけにもいかないから。


無駄なものがないので、部屋はいつもスッキリしている。


気づいたところは拭き掃除をしたり、お洗濯くらいはしてあげるけれど、島村さんは朝食も摂らないし、お弁当もいらないと言うので、ほとんどなにもお手伝いすることがない。


日中はこのマットレスに座り、アマゾンで購入した本を読んだり、ネットサーフィンしたりして過ごしている。



食器を洗い終えた島村さんが、いつものようにわたしから距離をおいてマットレスの端に座った。


「晩ご飯、美味しかったなぁ。あ、それとね、もうひとつ嬉しい報告があるんですよ」


島村さんが気を取り直すかのように微笑んで言った。


「えっ?」


「実は今日、車を買ったんです。今はネットでも中古車が買えるから便利だな。安い自動車ですけど、就職したらもっといいのに買い換えます。これで美穂さんとキャンプにも行けるな」


島村さんは先週本免に合格できて、運転免許を所得したばかりだ。





「もう買ったんですか? 高かったでしょう? わたしお世話になったので、少しお金を出させてください」


「安い中古車なんで大丈夫です。それに学費のほうは親が払ってくれているので、そんなに大変じゃありません。親のスネをかじってクルマなんて買うのは間違ってるかも知れないけど。でも飲んで騒ぐことにはお金を使ってないからいいですよね? 楽しみ方は人それぞれだから」


思いついたらすぐに行動に移せる島村さんが羨ましかった。


優柔不断なわたしは、洋服を一枚買うのでも随分と悩んで、中々決められないから。


即決即断できるところは、潤一さんと似ているかも知れない。


「さっきは、……なぜ急に結婚の話をしたんですか? 」


わたしは聞かれたくない秘密をたくさん抱えているのに、また話をぶり返した。


絶対に話したくない秘密だと思っていたけれど、本当は誰かに聞いてもらいたいのではないのだろうか。



信頼できる誰かに。



否定など決してしない寛容な誰かに。



聞いてもらうことで、過去のトラウマから少しは解放されて楽になれるのではないか。


わたしと結婚まで考えてくれる人なら、親身に聞いてくれそうな気がした。



「なぜって、、……美穂さんと友達以上になりたかったからですよ」


島村さんはうつむきながら小声で言った。


「島村さんはお友達以上のことをしてくれてるじゃないですか」


わたしには他愛もない話をする友人さえいないのだ。


「もう、はぐらかすのはやめてもらえませんか!」


島村さんにしては珍しく、キツい口調だったので驚いた。


「はぐらかす?」


「僕だって普通の男なんです。……美穂さんみたいな魅力的な女性とひとつ屋根の下に暮らしていたら、時々妙な気分にだってなりますよ。もちろん襲うつもりなんかありませんけど、男だってロマンチックな夢がみたいんです」


少し気分を害したように口をとがらせた。


島村さんにそんな欲求があったなんて、少しも感じられなかった。



「また余計なこと言ってすみません。今日はもう休みます」


気まずくなったのか、そそくさと立ち上がると、バスルームの方へ消えてしまった。



………島村さん、我慢していたんだ。






島村さんがお風呂から上がり、いつものように「おやすみなさい」と言って、隣の六畳の和室へ入った。


歩くのが大変なわたしは、おトイレが近いリビングにお布団を敷いて過ごし、島村さんは隣の和室で寝起きしていた。


隣の和室はいつも遅くまで電気がついていて、パソコンのキーボードを叩く音が深夜まで聞こえていた。


バイトで疲れているのに、勉強の方も手を抜くことなく頑張っているようだった。


そんな人だから一流企業の内定も取れるのだろう。


わたしもお風呂に入り、通販で購入したパジャマに着替えた。


潤一さんに言わせると、色気のない無地のシンプルな紺色のパジャマだ。


パジャマのボタンを留めながら、島村さんがわたしを求めているなら、願いを叶えてあげてもいいと思った。



今まで散々お世話になったのだから。



ドライヤーで髪を乾かし、時計を見るともうすぐ十時になろうとしていた。


キーボードを叩く音はしていないけれど、勉強をしているのだろうか?


リビングと和室を隔てている引き戸をノックしてみた。


「はい?」


返事がしたので引き戸を開けると、島村さんは布団に横になり、本を読んでいた。


「あ、あの、、」


シンプルで色気がなくても、パジャマ姿で突然現れたわたしに、島村さんは硬い表情を向けた。



「どうしたんですか? なにかありましたか?」


怪訝な顔で問われると、なんて答えてよいのか分からなくなる。


「島村さんには本当に良くして頂いたので、、もし良ければその、、わたしでよければ、好きになさってくださ」



「バカにするなっ!!」


言い終わらないうちに島村さんの罵声が飛んだ。


穏やかな島村さんしか知らないわたしにとって、身のすくむような恐怖を感じた。




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