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島村さんとの生活
しおりを挟む島村さんが住む二階建てアパートに到着した。
わたしと義父が住んでいたアパートよりはずっとマシだけれど、今どきのお洒落なアパートとは言いがたい。
多分、築20年くらいは経っていそう。
お部屋はあいにくの二階で松葉杖が使えず、島村さんの肩を借りて階段を登った。
「美穂さん、すみません、、こんなボロアパートで」
ひどく恐縮したように島村さんは言う。
謝らなきゃいけないのはわたしの方なのに。
「ぷっ、クスクスッ」
わたし達はなんとなく似ている気がして、思わず笑ってしまった。
「えっ? どうかしましたか? 僕、なにか可笑しなこと言ったかな?」
わたしの身体を支えながら島村さんが、戸惑ったように目をパチパチさせた。
「わたしたち、お互いに謝ってばかりいるから………」
「あ、ああ、そこか。なんか無理に誘っておいて申し訳なくて、、女性が喜ぶようなアパートではないんで」
島村さんはとても優しいけれど………
潤一さんとは真逆なタイプだ。
似た者同士のわたし達は上手くやっていけるだろうか。
島村さんは服装もシンプルで飾り気ないけれど、お部屋もやはり同じだった。
ミニマリストと言ってもいいくらい、部屋には必要最低限のものしか置かれてない。
「殺風景な部屋でしょう。うちはテレビもないんですけど、美穂さんがみたいなら買ってきます」
「大丈夫ですよ。わたしもそれほどテレビはみませんし、どちらかというとYouTubeのほうが楽しいですよね」
ずっと極貧生活を送っていたので、テレビがないことには慣れていた。
テレビがあるとNHKの受信料を払わなければいけなくなるので置かなくなったのだ。
そのせいもあってか本はよく読んでいた。特に不登校の頃は、最寄りの図書館から週にまとめて十冊借りては、夢中で読みあさっていた。
極度のアダルトチルドレンに悩んでいたので、小説の他にも心理学などの本は興味深く、宗教や哲学書なども好んで読んだ。
だからといって、それほど性格が改善されたとは思えない。
部屋にソファがあるわけもなく、どこに座ってよいのか困っていたら、隣の部屋からキャスター付きの椅子を持ってきてくれた。
「美穂さん、とりあえずここへ座っててもらっていいですか?」
「あ、ありがとう。でもこれって、デスク用の椅子ですよね? お勉強に使うのでは?」
「Amazonで美穂さん用の椅子を買いますから、それまではこれで我慢してください」
居候なのに余計な出費までさせたくない。
「余計なものは買わなくていいですよ。わたし暇なので、ダンボールか何かで自分用の椅子を作ります。それなら後で捨てられるでしょう。せっかくスッキリしたお部屋なのに、ゴチャゴチャさせたくありません」
「僕は別にミニマリストってわけでもないので、必要なものは買います。美穂さんには出来るだけ快適にすごしてもらいたくて。……そうじゃないとすぐに出ていかれてしまうから」
ちょっと照れたように島村さんは微笑んだ。
部屋がスッキリしすぎていると、なにもする事がなくて、返って落ち着かない気持ちになった。
捻挫をしていても、お掃除やお料理くらいはしてあげたい。
「急な事でお布団は僕のしかないんですけど、それでもいいですか? もちろんシーツは替えますけど」
「わたしはいいですけど、島村さんのお布団がなくなるのは困ります」
まさか、一緒に寝ましょうとも言えないし。
「僕は寝袋を持ってるので大丈夫です」
そう言って島村さんはクローゼットから、サンドバッグみたいな寝袋を取り出した。
「ごめんなさい。寝袋だと薄いから体が痛いでしょう?」
「痛くないですよ。僕はキャンプが趣味なので寝袋には慣れてます。一人でもたまに行ってるんですよ。捻挫が治ったら今度一緒に行きませんか?」
キャンプが趣味なんてちょっと意外だった。地味な印象だったので、毎日勉強ばかりしているインドア派と思っていたから。
「キャンプは楽しそうですね。どんなものを食べるんですか?」
「僕はそんなにマメではないんで、レトルトの物が多いですが、川が近くにあるときは、釣った魚を焼いて食べたりもしますよ」
楽しげに島村さんは語る。
「自分で釣った魚を食べるなんて凄いですね。夜は一人で怖くないですか?」
「怖くはないですが少し寂しく感じることはあります。でも楽しくてやめられないんですよ。星がとっても綺麗だし、美穂さんにも見せてあげたいなぁ」
「足が治ったら行ってみたいです。そういうのした事ないから………」
夏休みに家族で旅行やキャンプなど、クラスメイトが楽しげに自慢するのをいつも羨ましく思っていた。
特に贅沢でもない、誰にでも経験できそうなレジャーでさえ、わたしには別世界の話だった。
そんな楽しみは自分には一生縁のないものだと諦めていた。
「僕、免許が取れたらすぐに車を買います。もちろん安い中古車ですけど。ずっと色んなところに行きたくて仕方がなかったんです。車じゃないとなにかと不便だから。美穂さんが一緒のキャンプは楽しみだなぁ」
夢ごこちな笑顔で見つめられ、戸惑う。
島村さんは弟みたいで、一緒にいても潤一さんのようにときめく気持ちは湧いてこない。
だけど、なんとも言えない、今まで感じたことのない幸福感に満たされる。
まるで、全ての不安や緊張から解き放たれているような………
「アルバイトの収入で車を買うのは大変じゃないですか?」
学費だって払わなきゃいけないし、自炊をしているのにそんな余裕があるのだろうか。
「うちの中を見たらわかると思うけど、僕は普段あまりお金を使わないから。本当に必要なものしか買わないんです」
確かに余計なものは買わなさそう。質素といえば質素だけれど、こんな風に好きなことにはケチらずにお金を使える生活はいいなと思った。
仕事が忙しすぎる潤一さんは、贅沢なことが好きだけれど、楽しんで生活をしているのは島村さんの方だ。
潤一さんは仕事が好きみたいだから、それはそれで良いと思うけれど。
「スーパーに行ってきますけど、美穂さん、晩ご飯は何がいいですか?」
「あ、わたし骨折しているわけじゃないので、簡単なお料理ならできますよ。お野菜やお肉なんかを買ってきてくれたら、適当になにか作ります」
「さすがに今日は疲れたでしょう。嫌じゃなかったら、お弁当を買ってきますよ。なにがいいですか? 」
島村さんと同じもので、、別になんでもいいです、と言いそうになる。
曖昧な言い方をすると混乱させてしまうから、はっきり言ってあげたほうがずっと親切だ。
「じゃあ、おいなりさんと海苔巻きのお弁当をお願いしてもいいですか?」
「わかりました。じゃあ、ちょっと買い物に行ってきます」
島村さんがアパートを出て行って一人になると、どっと悲しみが押し寄せた。
脳裏に浮かぶのはやはり潤一さんのことだった。
突然逢いたい衝動に駆られて、居ても立っても居られない気持ちになる。
あのマンションへ今すぐに帰りたい。
お料理を作って潤一さんの帰りを待っていたあの頃は、なんて幸せだったんだろうとしみじみ思う。
もし足が悪くなかったら、ここから逃げ出していたかもしれない。
切ない気持ちがこみ上げ、涙が溢れる。
失恋してまだ一日目なのだ。
すぐに立ち直れるわけがない。
いくら島村さんが優しくても………。
泣きながら回転椅子から立ち上がり、島村さんが敷いてくれたお布団にもぐりこむ。
どうせ、捨てられるんだから。
だから、ちょうどよかったんだ。
無理やり自分を納得させようとしてみても、未練がましい気持ちは簡単には消えてくれなかった。
もしかしたら………
待っていてくれるかもしれない。
それは強い願望がそう思わせようとしている気がする。
誰でも自分だけは特別と思いたがるものなのだろう。
ーーバカみたい。
潤一さんは優秀な脳外科医なのだ。
素晴らしく綺麗で洗練された女性とだって結婚できるだろう。
わたしのような安っぽい女は、遊びとしか思えないのも無理もない。
こんなことがきっかけとなって、わたしはしばらくの間、知り合って間もない島村さんと同居することになった。
教習所で出会った人とこんな関係になるなんて、想像もつかなかった。
人生って不思議だな。
弟みたいな島村さんとの生活は思いのほか楽しいものだった。
島村さんなら何故か緊張することもなく、たわいもないことをなんでも話せるのだった。
恵まれない家庭環境のわたしたちは、共感することも多かった。
島村さんは幼い頃にお母さんを癌で失っていた。
その後、後妻に入った継母さんは優しい人だったらしいけれど、連れ子の兄との対応の差を感じずにはいられなかったとのこと。
大人になった今なら理解もできるけれど、まだ子供だった頃はなぜ兄さんばかり可愛がられるのかがわからなくて、随分寂しい思いをしたのだそう。
それでも島村さんの家は、まだ普通の一般的な家庭で、うちとは比べ物にならないくらいまともだ。
義父とのことはとても打ち明ける気になれなくて、中二の時に母が失踪したというだけに留めておいた。
重大な秘密を持っているというのは、精神的に苦しいことだった。
誠実な島村さんを、わたしは欺いているのだろうか。
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