六華 snow crystal 7

なごみ

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パチンコ屋さんで

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結婚の対象にされていないのは分かっていた。


だけど、あんまりだ。



夜のサービスまでしてくれる家事代行。



茉理さんにそんな風に言ってたなんて。



………邪魔者の居候はわたしのほうだったのね。


潤一さんは多分、わたしを捨てるのが怖かったんだ。また自暴自棄になって、とんでもない事件でも起こしやしないかと。


ほとぼりが冷めた頃を見計らって別れるつもりだったのね。


結局、それだけのための付き合いだったのだ。わたしに対する愛情などあるわけもない。


一度目にフラれた時より酷いショックを受けて、マンションを飛び出した。



これからどうすればいい?



ーーどこかへ消えてしまいたい。






やっとの思いで真駒内にある祖母の家にたどり着く。



夕暮れ時の家の中はうす暗く、肌寒かった。


静まり返っている寒々しいリビングで、古めかしい木製の掛け時計だけが正確な時刻を刻んでいた。



もうすぐ五時になろうとしていた。


マンションからこの家に来るまで、歩いているときも地下鉄の中でも、ずっと泣くのを我慢していた。


すぐに居間のとなりの和室に駆け込み、押入れからカビ臭い布団を出してもぐり込んだ。


頭まで布団を被り、声を殺して泣いた。


声を出さずに泣くのは幼い頃からの癖だ。声を出して泣いたところで、誰かが助けてくれるわけでもなくうるさがれ、更に叱責されるだけだったから。


子供らしい甘えなど、決して許されなかった。いま思えば母自身がどうしょうもなく未熟な子供だった。母自身も愛情のない育てられ方をしたのだろう。


そんな未熟な母が、頼ることのできる伴侶のない状況の中で懸命に働き、わたしを食べさせてくれたのだ。


母にとってはあれでも精一杯の子育てだったのだろう。


誰にだって、持ってる人格以上の力など発揮できないのだ。




母は今どこで何をして生きているのだろう。



懐かしい気持ちが湧いて来たわけでもないけれど、母もわたしも天涯孤独という人生がお似合いなのかと思うと、少し同情の気持ちが芽生えた。



好きな人と結婚して子供を産み、幸せな家庭を作りたいなどと単純に考えていたけれど、情緒不安定なわたしにとっても子育ては難しいに違いない。



母親は保育士の仕事とは違う。


わたしのように頼りなく、何事においても自信のない人間に健全な子育てなど出来るはずもない。


そんなことを思うと、また別の悲しみまで襲って来て、涙はいつまでも止まらないのだった。


このまま誰にも見つからずに、眠りながら死にたい。






身体の水分が全部涙になるくらい泣いたのに、まだ涙は止まらなかった。



ここに来てからどれくらいの時間が経ったのだろう。


薄暗かった和室は真っ暗になっていた。



ブーン、ピコッ!


暗がりの中で枕元に置いていたスマホが鳴った。もしかして潤一さんかもと期待を込めて開けてみた。



メッセージをくれたのは島村さんだった。



『美穂さん、こんばんは。今日のランチもすごく楽しかったです。本免の検定試験は来週の火曜日に決まりました。絶対に合格するつもりだけど、落ちてしまっても会ってくれますよね?』


島村さんは大好きだけれど、今わたしが求めているのは潤一さんだった。



どうしようもなく落胆してスマホを閉じた。



今さら潤一さんに何を期待してるのだろう。



あんな事まで言われていながら。



それに島村さんに助けを求めたところで、どうなるというのか。



汚れのないあの人は、潤一さん以上にわたしとは釣り合わない。




電気が通ってないので部屋は真っ暗だけれど、そんなことはどうでもよかった。このまま布団の中に横たわっているだけだから。


電気と、水道、ガス会社には連絡を入れてない。


この家に来て四時間が過ぎ、暗がりも空腹も喉の渇きも我慢はできるけれど、おトイレだけは我慢が出来ないのだった。



涙が枯れるほど泣いても、トイレには行きたくなる。使用後に水が流せないのはさすがに嫌だった。


やはり水道、電気、ガスの連絡は必要だったと今頃気づいても遅い。



家から歩いて三分ほどのところに大きなパチンコ店がある。


そこでトイレを借りるしかないと思い、ノソノソと起き上がった。


泣きはらした目はみっともなかったけれど、パチンコ店の客はわたしに注目などしないだろう。


シワになったままのワンピースの上にトレンチコートを羽織り、一応バッグも持って家を出た。





来週はもう六月だけれど、夜風は冷たかった。


市街から離れた辺鄙な場所だけあって、出歩いている人もない。


スピードをあげて走り抜けるヘッドライトの光に身を投げ出したくなる。



暗がりをうつむきながら歩いていたら、先のほうにチカチカと煌めくパチンコ店の派手な電飾が見えてきた。



パチンコ店に入ることに躊躇いはない。


小学生の頃、よく義父に連れられて来ていたから。


扉をあけると、ジャラジャラと流れるパチンコ玉の音と、ドゥーン、ドドドドドドドドゥーン!!   ピューン、ビュロロロロロ‼︎    などのけたたましい電子音が一斉に耳に飛び込んできた。


久々に聞いた耳障りな音と独特の匂いに、不思議な懐かしさを覚えた。


用を足したらすぐに帰るつもりだったけれど、退廃的な気分に襲われ、そばの台に座って千円札を投入した。



あんな父を見ていたので、パチンコをするような大人にはなりたくなかった。


他人が楽しんでいる娯楽にケチをつけたいわけではない。人生の楽しみ方は人それぞれでいいと本当にそう思う。


ハンドルを適当にまわすとビュンビュンと玉が流れ出した。


父も時にはいい台に当たって大金を手に入れることがあった。そんな時の父の言い訳が好きになれなかった。


" ほら、見ろ、美穂。お父さんは別にただ遊ぶためにパチンコをしているわけじゃないぞ。たった数時間でこんなに稼げるんだ。お母さんとは働き方が違うだけなんだからな ”


換金所で数万円のお金を手にし、得意げに話していた父。


当時まだ小学生だったわたしでも、その言い訳は情けなく、見苦しかった。




パチプロでもない父が得をするのはたまたまで、結局いつも損をしていた。


仕事から帰ってヒステリーを起こす母の方が、まだまともな大人と言えただろう。


あの父にも自暴自棄にならざるを得ない苦悩というものがあったのだろうか。


人生などもう、どうにでもなれと言いたくなるような苦悩が………。


そんなことを考えながらハンドルを握っていたら、千円分の玉はあっという間流れて、下の穴に吸い込まれていった。



別に儲けたかったわけもなく、長く続けたかったわけでもない。


ここでパチンコなどしてみても気が晴れるわけもなく、仕方なく立ち上がった。




「なんだ、ねーちゃん、早いな。もう終わりか?」


ひとつ空いて隣の中年男性が、そんなことをいいながら同情めいた笑顔を向けた。



「はぁ、ちょっと、やってみたかっただけなので」


ぺこりと頭を下げると、



「もう少しやってみなよ。その台たぶん出るから」


おじさんはそんなことを言って、自分の台から握った玉をつかむと、わたしの台に入れてくれた。


「あ、、そんな、結構ですから」


「まぁ、いいじゃないか。とにかくもう少し粘ってみなよ」


「…すみません」


玉の横流しなどして大丈夫なのか? 面倒なことになったと少し後悔しながら、仕方なくまた腰を下ろし、ハンドルをまわした。


「あんた、ちょっと玉を飛ばしすぎだよ。もっと優しくだ。この辺に落ちるようにやってみな」



親切心なのか、わたしの手の上からハンドルを握って調節をしてくれた。



見ず知らずの人と話などする気分ではなく、さっさと帰りたい。


だけどそんな気分と裏腹に、おじさんの微妙な調節も功を奏したのだとは思うが、玉はジャラジャラと出だした。


早く帰りたいと思いながらも、大当たりを知らせる派手な電子音が炸裂するたび、気分は次第に盛り上がる。



ーー結構、楽しいかも。



一瞬でも嫌なことを忘れさせてくれる。



依存症になってしまう人の気持ちが、少しだけわかるような気もした。


いつのまにか、一時間以上もパチンコにのめり込んでいた。


パチンコ玉は出続けて、ドル箱に五つも溜まっている。


そして、わたしに玉をくれたおじさんのほうが先に終わってしまったのだった。



 「あ、あの、どうぞ、わたしの玉を使ってください」


立ち上がったおじさんを引き止めたけれど、


「いや、もう帰るからいいよ」


と言って、微笑んだ。


「あ、でもこの玉はおじさんのお陰ですから、半分は貰ってください。わたしもそろそろ帰らないといけないので」


パチンコのハンドルを元に戻し、腰を上げた。


「ハハハッ、若い女の子から施しなんて受けられないよ。あんた換金場所とか分かる?」


「い、いえ、ここに来たの初めてなので」


「そうか、じゃあ、場所教えてやるよ」


どこまでも親切なおじさん。


柄モノのラフなシャツにジーンズ。四十は過ぎていると思う。だらしなくは見えないけれど、堅気の人にも見えない。


締まった体つきの中肉中背で、少し浅黒く、精悍な顔つきをしている。あご髭をちょっぴり今風に生やしている。


そこそこオシャレと言えるのかもしれない。



ドル箱をひとつ持ち上げてみたら、かなりの重量で驚いた。


「お、、おもっ!」


「そんなもん、手で運べないから」


おじさんが何処からか台車を持って来て、ドル箱を積んで換金所まで運んでくれた。


なんと全部で3万2千円にもなり、2万円をおじさんに渡そうとしたけれど、頑として受け取ってくれない。


「あの、本当にわたし、、こんなに貰えませんから」


「いいよ、あんたそんなに金持ちじゃないだろ。金はあって困るもんじゃないんだからさ」

 
……潤一さんもそんな風に言ってわたしにお金をくれたけれど。


言われるがままにお金など貰ってしまったから、茉理さんに言い返すこともできずに、こんな惨めな気持ちにさせられているのだ。



「やっぱり、困ります‼︎」



わたしは乞食でも売春婦でもないわ。


封筒に入れられたお金を全部おじさんに渡して、逃げるようにその場を離れた。


「ちょっと、待ってくれよ! じゃあさ、めし奢ってくれないかな?  晩飯まだなんだ俺。付き合ってくれよ」


パチンコ屋から出たわたしの手をつかんで前に立ち、行く手を阻んだ。


この人はおじさんだけれど、なんとなくわたしと同じ匂いのするタイプだった。


潤一さんや島村さんのような壁を感じさせない気安さがあった。


お金に執着はないし、そんなに悪い人ではないのかも知れない。


わたしにはこんな人がお似合いで、疲れない気がする。








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