六華 snow crystal 7

なごみ

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*潤一*


仕事を終えて帰宅すると、和風だしのいい香りがしていた。


「お疲れ様でした。おかえりなさい」


毎日俺の帰りを玄関までお出迎えする美穂。今時こんな事までする女は希少だな。


俺でさえ、それは少し重く感じるほどだ。


「ただいま。相変わらずいい匂いがしてるな。今日は和食だろ? 」


「ええ、新鮮なお魚が売ってたので煮付けてみました」


靴を脱いでリビングに向かう。


脱いだ靴はササっと美穂が片づける。


ジャケットを脱ぐと、待ち構えたように美穂が受け取ってハンガーに掛けてくれる。


至れり尽くせりとはこういうことか。





こんな便利なことも慣れてくると、いつのまにか当たり前のような気分になる。


美穂もまるで当然のように甲斐甲斐しく働いているけれど、これは家事代行サービスの一環だろうか。


「今日は忙しかったですか?  新しい病院には慣れましたか?」


美穂が仕事のことについて聞くのは珍しい。


「今日は普通だな。どこの病院でもやる事は同じだ。お、旨そうなカレイだな」


食卓テーブルに煮付けたカレイや、身体に良さげな野菜の料理が並べられていた。


手を洗って部屋着に着替え、食卓につく。


俺の帰りは不規則だから先に食べていていいと言っているのに、美穂はいつも待っていて一緒に食べたがる。


本人がいいなら構わないが、なんとなくそれも、煩わしく感じる時がある。



「このぬか漬け、お母様から頂いたぬか床で作ったんですよ」


きゅうりに茄子、かぶが入った小鉢を差し出した。


「まったく年寄りってのは余計なものばかりくれたがるな。ぬか床なんて毎日ひっ搔きまわすのが大変だろ」


「そんなことありませんよ。ぬか漬けは美味しいし、ぬか床をかき混ぜるのって楽しいです」


「おまえも変わってるな。まぁ、お袋も喜んでたよ。若いのによく気がつく娘《こ》だって褒めてたぞ。とにかく胆石のオペもしなくて済んだし、一週間の入院で済んで助かったよ」


ぬか漬けはやはり懐かしいお袋の味がした。


「そうですね。今はほとんど痛みもないそうです。お料理も自分で出来るからいいとおっしゃるので、今日は食材だけ買って置いてきました」


「そうか、ありがとう。甘やかすとすぐにボケるから余計な手出しはしないほうがいいな。出来ないことだけ援助すればいい。お、めちゃくちゃ旨いな、このお吸い物」


人参に大根、椎茸に三つ葉などのシンプルな具材のすまし汁。


「昆布と干したホタテの貝柱を使ったんですよ。やはり高級食材を入れると、旨みがアップしますね」


美穂ははにかんだように自分でも一口飲んで微笑んだ。



煮魚のカレイはもちろんのこと、菜の花のからし味噌和えやアジのマリネも旨い。


貞淑と言えるかどうかは微妙だが、美穂は妻として、これ以上は望めないほどに完璧だ。


お袋もどこまで本気で言ったのか定かではないが、


" あの家事代行の娘《こ》いいじゃない。ああいう娘《こ》をお嫁にもらいなさいよ ”  と言っていた。


その事は美穂には言わずにいる。


非の打ち所がないような美穂なのに、なぜ躊躇《ためら》ってしまうのか。


やはりあの死んだオヤジとのことが尾を引いているのかも知れない。




「運転免許のほうはどうだ?  うまく行ってるのか?」


差し向かいで食べている美穂に問いかけた。


「え、ええ、あと講習は4回で、本免が受かれば終わります」


「そうか、免許が取れたらクルマ買ってやるよ。世話になってるからな」


「そんな、、クルマなんていいです。報酬は十分に頂いてますし……」


「遠慮するなよ。そのほうが俺も気が楽なんだ」


「……… 」


結婚する気がないとすれば、してやれるのはやはり金品を与えるしかないだろう。


クルマを買ってやるのは、そういう逃げの予防策とも言える。


美穂は少しも嬉しそうでなく、困惑した様子で煮魚を突いていた。


俺の本心に気づいているのかも知れない。




夕食を食べ終え、ビールを飲みながらくつろいでいたらスマホが鳴った。


病院からだった。



俺にかかってくる電話など、大体そんなものだ。


「はい? なんだ、急患か?  うん、、うん、そうか、SAHか。わかった。じゃあ、今から行く」


救急搬送された患者がSAH(くも膜下出血)で、これから緊急オペをすることになったとの連絡。


当直じゃなくてもオペとなれば呼び出しをくうのは当然だ。


時計は午後9時半をまわっていた。


家に帰ったのが8時過ぎだったから、1時間ほどしか休んでないが仕方がない。


重い腰を上げてソファから立ちあがる。


「多分遅くなるから今夜はそのまま向こうに泊まる。じゃあな」


寂しげな美穂を残してマンションを出た。


こんなにハードでも、この仕事が嫌いじゃないのが唯一の救いだな。


そうでなかったら、鬱病になっていてもおかしくない。






約3時間のオペを終え、ICUのナースに指示を出し、あとは当直医に任せる。


すでに午前2時を過ぎていた。


一階に降り、喉が渇いていたので待合ロビーの自販機でビタミンドリンクを買った。


非常灯と自販機の灯りだけがぼんやりと光る薄暗いロビー。


当然誰もいるわけがなく、静まり返っているはずだった。


なのに何か人の気配がした。


「は、離してったら!!」


CT室へ向かう廊下の向こうから、小さな声が聞こえた。


放射線技師がまだ帰ってなかったのか?


そんなはずはないと思うが………




「誰だ?  誰かいるのか?」


暗がりに向かって声をあげた。


シーンと静けさが戻った。


放っておきたいような面倒な気分ではあったが、見過ごすわけにもいかず、声がした方へ向かった。


暗がりの中、二人の男女が声をひそめて立っていた。


「誰だ?  こんなところで何をしている!」


近づいてみると305号の茉理と見知らぬ若い男だった。


さっきは言い争う声がしていたと思ったが、二人はまるで何事もなかったかのように平然と俺を見つめた。



「茉理、真夜中だぞ! 一体なにごとだ?」


こんな夜更けに男と逢い引きなんぞして、まったくとんでもない女だ。



「別になにもしてないし。眠れなかったから暇つぶしに降りて来ただけ」


ふてぶてしく開き直った茉理が見えすいた言い訳をした。


スレた女だとは思っていたが、こんな時間に男を病院に誘い込むとはな。



どこまでも可愛げのないオンナだ。


「おまえは誰だ? 入院患者ではないだろう。面会時間はとっくに過ぎているんだぞ!」


茉理の隣に立ち、俺を冷たく見据えていた男を怒鳴りつけた。


ハーフなのか?


髪は黒いけれど、日本人離れした目鼻立ちの男は、スラリと背の高いかなりのイケメンだった。


「マリに、ムカエニキテト、タノマレタカラキタ」


流暢とは言えないが、しっかりとした日本語で男は答えた。



「茉理!  おまえ何を考えてるんだ?  ここは病院だぞ、ホテルじゃないっ!!」


いくら美人の女子高生でも、淫売なあばずれには嫌悪さえ感じる。
 


「ホテルだなんて思ってないわよ。先生こそ何考えてんの? 中年男はすぐエロい邪推をするんだから。この人はわたしの兄よ」


茉理は心底軽蔑したような目で俺を見た。


ーー兄だって?  


茉理も彫りの深い西洋的な美人ではあるが、二人は少しも似たところがなかった。


「適当なことを言うな!」


「嘘じゃないから。わたしを心配してわざわざドイツから来てくれたのよ」


少しも似ていない兄という男は、俺と茉理の会話をまるで他人事のような顔で聞いていた。



「兄だろうとなんだろうとそんな事はどうでもいい。入院患者が真夜中にこんな所をうろつきまわるな!」


「怒鳴ることないでしょう。ちょっと散歩していただけじゃない。レオン、そういう事だから今日はもう帰って。わたしのことなら心配いらないから」


レオンと呼ばれた兄は俺のほうを向き直って聞いた。


「アナタハ、マリノドクターデスカ?  マリハイツココヲデラレマスカ?」


「本人から聞いてないのか?  退院は明後日だ。とにかく今日はもう帰ってくれ。こんな夜中に面会とかあり得ないだろう」


まったく外国人ってのは自由ばかり主張して、他人の迷惑など少しも考えないから困る。


「茉理、おまえも早く部屋に戻れ! アンタは裏口から帰ってくれ。表玄関は閉まってるからな」


まだ本当の兄貴とは思えず、二人で茉理の部屋にでもしけ込むような気がして、追い立てるように男を裏口まで誘導した。




「マリノ明後日ノ退院ハ、何時ゴロ二ナリマスカ? 」


こんな時につまらない事を聞く兄貴だ。


「さぁな、本人次第だろ。普通はこんな所にいつまでも居たくはないから、さっさと午前中に帰るはずだけどな。迎えに来てやるんだろ? 茉理に聞けばいいじゃないか」



「マリハ、干渉サレルノガ好キジャナイ」


「なるほど、確かにそれは言えるな。とにかく家族がいてくれて安心した。轢き逃げなんかされたせいで、外に出るのを異常に怖がってたからな。日本語なかなか上手いじゃないか」


日本にも住んでいたことがあるのか、発音は今ひとつだが、会話がちゃんと成立しているのだから、理解力はそれなりにあるのだと思う。


「六ヶ国語ガハナセマス。ヨーロッパデハ特二珍ラシクモナイ」


こんな奴を褒めるのではなかった。


当然であるかのように小馬鹿にした目で俺を見た。


どこまでもイケ好かない野郎だ。


なんで疲れている俺がわざわざこんな奴を見送らなければならないのか。



みんな茉理のせいだ!!






レオンという男は礼も言わずに裏口から出て行った。


礼儀知らずめ!


オペのあとで疲れてるってのに面倒かけやがって。


さっさと寝ないと今日の仕事に支障が出る。


6階の当直室へ上がるため、エレベーターの前に行くと茉理が立っていた。


「バカ、早く部屋へ戻れと言っただろう!」


何もすることのない暇な患者は、日中好きなだけ寝て、夜中に目が冴えるのだろう。


そんな暇人に付き合わされては堪ったものではない。


「なんであんなこと言ったのよ!」


謝るつもりで待っていたのかと思ったら、恨みがましい目をした茉理にいきなり怒鳴られた。


「はぁ? なんだおまえは?  こんな夜中に騒ぎを起こしておいて、よくそんなことが言えたな!」


このバカ女は高校時代の俺以上に良識に欠けている。


「わたしが退院する日をレオンに言ったじゃないの!」


目に涙を溜めて茉理は訴えた。


「それがどうしたっていうんだよっ!  家族に伝えてなんの問題があるんだ!」


青白い顔をして茉理はこう言った。


「わたしを、、わたしをクルマで跳ねたのはレオンよ」


な、なんだって ⁉︎









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