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爽やかな風のような人
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この間の仮免はギリギリの点数だったけれど、なんとか無事に合格できた。
路上を走るのは今日が三日目。
まだ恐ろしさが抜けなくて、かなり緊張している。
藤井教官の三号車へ行くと、そこで待っていたのは中田さんだった。
「あ、片山さん、久しぶり! 藤井教官はこれから本免の試験官することになったんだ。代わりに俺が頼まれたから」
「そ、そうでしたか。よろしくお願いします」
嫌な顔をするわけにもいかず、慌ててお辞儀をした。
「じゃあ、運行前点検してからスタートね」
「は、はい!」
憂鬱な気分で車に乗り込む。
「右後方良し!」
呼称しながら後方を確認し、ウインカーを出して車をスタートさせた。
時速40キロほどのノロノロ運転でも、わたしにはとても速く感じる。
「片山さん、あまりノロ過ぎると後続車がイライラするからさぁ、路上に出たら流れに乗らないと」
「は、はい!」
中田さんの苛立った言い方に焦りを覚える。
街中の車道はなぜこんなに路駐している車が多いのか。
その度に後方確認をしながら車線変更しなければいけなくて、それが一番怖い。
後ろを向くとハンドルがぶれそうな気がして………
前方に停まっている車を避けようと、右にハンドルを切った。
「うわっ、、危ないよっ!」
「す、すみません!」
後ろを確認して車線変更したつもりが、ちゃんと見てなかったために、後続車がスレスレに追い越していった。
「ウインカー出して、路肩に停めて!」
いつもは軽い口調の中田さんから、シビアな声で停車するように言われる。
「はい………」
危険な運転をしてしまったのだから仕方がない。
指示された通りウインカーを出し、路肩に寄せて停車した。
「あのさぁ、ちゃんと後ろみてた?」
いつになく横柄で厳しい口調にたじろぐ。
「はい、すみません。見たつもりなんですけど……」
「つもりじゃダメなんだよっ! 」
久しぶりに聞く男性の怒鳴り声に身がすくんだ。
少しも信頼できない中田さんが怒鳴ると、なにか不気味な怖さがあった。
「そんなにビクビクしないでよ。これでも俺、優しく言ってるつもりだよ。いつもはもっと恐いから」
「はい、ごめんなさい。今度から気をつけます」
自分でも何故こんなにビクビクしなければいけないのか不思議に思う。
いつも相手の顔色を伺い、機嫌を損ねないよう気を遣って生きてきた。
他人の攻撃に対抗したことなど一度もない。
「ふっ、いいなぁ、片山さんは素直で。注意するとさ、たまに逆ギレするのがいるんだよ。言い訳がこれまた傑作でさ、"道路と同じグレーの車だったから、よく見えなかったんですっ! ” だってよ。まったく、ふざけんなって。はい、じゃあ、またスタートさせて」
「…はい」
やっと混雑している市街を抜けてホッとする。あともう少しで教習所へ帰れる。
「そういえばさ、片思いの彼とはその後どうなったの? 前にそんなこと言ってたでしょう」
なんの話かと思えば、運転中にそんな話。
「別に、、なにも変わりありません」
「ふーん、それで? いつまでも待ってるわけ? そいつのこと」
「……… 」
一体、なにが言いたいのか?
だけど、本当にわたしはいつまで待っているつもりだろう。
いつか捨てられるのを待っているだけだなんて………。
「片山さん、俺と付き合ってみない? これでも俺、結構モテるんだぜ。ここって女学生の受講生も多いだろう。本免受かって出て行く前に告《こく》られること多くてね。大体はタイプじゃないから上手く断るんだけどさ。片山さんはメッチャ俺のタイプなわけ。マジで言ってるんだけど、どう?」
そんな、う、嘘でしょう………。
こんな風にストレートに申し込まれると、曖昧な言葉で逃げるわけにはいかなかった。
だけど、いくら断るのが苦手なわたしでも、この人に弄ばれるほどお人好しにはなれない。
わたしはもうあの頃の中学生じゃない。
ちゃんと自分の意見を言える大人にならないといけないんだ。
「あ、あの、片思いなんですけど、その彼とはいま一緒に暮らしてて………」
矛盾した言い訳とは思いつつ、他にどう言っていいのかわからなかった。
「はぁ? なんだよ、それ。だったら初めから同棲してるって言えよ!」
「ご、ごめんなさい………」
「はぁ~ 意味わかんねぇ。一緒に暮らしてて片思いとか、なんなんだよ」
中田さんの機嫌をすっかり損ねてしまったけれど、断ることができてホッとした。
だけど、もしかしたらわたしには、この程度の人がお似合いなのだろうか。
今日の実技講習を終えて帰ろうとしていたら、後ろから声をかけられた。
「あ、あの、、こんにちは」
驚いて振り返ると、以前缶コーヒーを渡したことのある青年だった。
「ああ、あの時の……」
かしこまった顔をした彼は、ぎこちなくペコリと頭を下げた。
「やっと会えて嬉しいです。ここへ来るたびに探してたものですから」
そう言って少し照れたように微笑んだ。
缶コーヒーの代金を返すつもりで探していたのだろうか。
わたしより四歳くらい年下に見える。
若いのに随分と律儀な子だな。
「そうだったんですか。なんだか余計なことをしましたね。気を遣わせてしまって、、」
「そんなことないです。あのときのコーヒー本当に嬉しかったんです。今日の講習はもう終わりですか? 」
「ええ、たった今。路上はやっぱり怖いですね」
「でしょうね。僕は来週仮免なんです。あ、あの、この後ってなにか予定ありますか?」
緊張した面持ちで彼はそう尋ねた。
「い、いえ、特にありませんけど………」
つい正直に答えてしまい、少し後悔した。
なぜ予定があると言わなかったのか。
「よ、よかったら、、お昼一緒にたべませんか? 歩いて二分くらいのところに美味しいスープカレーの店があるんですけど」
缶コーヒーのお礼だとしたら、なんだか申し訳ない気もするけれど、せっかくの誘いを断るほうが悪い気がした。
この男の子は若すぎるけれど、中田さんよりはずっといい。
見るからに礼儀正しく、誠実な感じがする。
「スープカレーいいですね」
ランチくらいなら付き合ってもいいはず。
「本当ですか? よかったー。絶対に断られると思って……」
かなり緊張していたのか、安堵の表情を浮かべた。
はにかみながら頭をかき、耳たぶまで赤く染めている彼に、何とも言えず母性本能をくすぐられる。
なんて純粋で爽やかなんだろう。
路上を走るのは今日が三日目。
まだ恐ろしさが抜けなくて、かなり緊張している。
藤井教官の三号車へ行くと、そこで待っていたのは中田さんだった。
「あ、片山さん、久しぶり! 藤井教官はこれから本免の試験官することになったんだ。代わりに俺が頼まれたから」
「そ、そうでしたか。よろしくお願いします」
嫌な顔をするわけにもいかず、慌ててお辞儀をした。
「じゃあ、運行前点検してからスタートね」
「は、はい!」
憂鬱な気分で車に乗り込む。
「右後方良し!」
呼称しながら後方を確認し、ウインカーを出して車をスタートさせた。
時速40キロほどのノロノロ運転でも、わたしにはとても速く感じる。
「片山さん、あまりノロ過ぎると後続車がイライラするからさぁ、路上に出たら流れに乗らないと」
「は、はい!」
中田さんの苛立った言い方に焦りを覚える。
街中の車道はなぜこんなに路駐している車が多いのか。
その度に後方確認をしながら車線変更しなければいけなくて、それが一番怖い。
後ろを向くとハンドルがぶれそうな気がして………
前方に停まっている車を避けようと、右にハンドルを切った。
「うわっ、、危ないよっ!」
「す、すみません!」
後ろを確認して車線変更したつもりが、ちゃんと見てなかったために、後続車がスレスレに追い越していった。
「ウインカー出して、路肩に停めて!」
いつもは軽い口調の中田さんから、シビアな声で停車するように言われる。
「はい………」
危険な運転をしてしまったのだから仕方がない。
指示された通りウインカーを出し、路肩に寄せて停車した。
「あのさぁ、ちゃんと後ろみてた?」
いつになく横柄で厳しい口調にたじろぐ。
「はい、すみません。見たつもりなんですけど……」
「つもりじゃダメなんだよっ! 」
久しぶりに聞く男性の怒鳴り声に身がすくんだ。
少しも信頼できない中田さんが怒鳴ると、なにか不気味な怖さがあった。
「そんなにビクビクしないでよ。これでも俺、優しく言ってるつもりだよ。いつもはもっと恐いから」
「はい、ごめんなさい。今度から気をつけます」
自分でも何故こんなにビクビクしなければいけないのか不思議に思う。
いつも相手の顔色を伺い、機嫌を損ねないよう気を遣って生きてきた。
他人の攻撃に対抗したことなど一度もない。
「ふっ、いいなぁ、片山さんは素直で。注意するとさ、たまに逆ギレするのがいるんだよ。言い訳がこれまた傑作でさ、"道路と同じグレーの車だったから、よく見えなかったんですっ! ” だってよ。まったく、ふざけんなって。はい、じゃあ、またスタートさせて」
「…はい」
やっと混雑している市街を抜けてホッとする。あともう少しで教習所へ帰れる。
「そういえばさ、片思いの彼とはその後どうなったの? 前にそんなこと言ってたでしょう」
なんの話かと思えば、運転中にそんな話。
「別に、、なにも変わりありません」
「ふーん、それで? いつまでも待ってるわけ? そいつのこと」
「……… 」
一体、なにが言いたいのか?
だけど、本当にわたしはいつまで待っているつもりだろう。
いつか捨てられるのを待っているだけだなんて………。
「片山さん、俺と付き合ってみない? これでも俺、結構モテるんだぜ。ここって女学生の受講生も多いだろう。本免受かって出て行く前に告《こく》られること多くてね。大体はタイプじゃないから上手く断るんだけどさ。片山さんはメッチャ俺のタイプなわけ。マジで言ってるんだけど、どう?」
そんな、う、嘘でしょう………。
こんな風にストレートに申し込まれると、曖昧な言葉で逃げるわけにはいかなかった。
だけど、いくら断るのが苦手なわたしでも、この人に弄ばれるほどお人好しにはなれない。
わたしはもうあの頃の中学生じゃない。
ちゃんと自分の意見を言える大人にならないといけないんだ。
「あ、あの、片思いなんですけど、その彼とはいま一緒に暮らしてて………」
矛盾した言い訳とは思いつつ、他にどう言っていいのかわからなかった。
「はぁ? なんだよ、それ。だったら初めから同棲してるって言えよ!」
「ご、ごめんなさい………」
「はぁ~ 意味わかんねぇ。一緒に暮らしてて片思いとか、なんなんだよ」
中田さんの機嫌をすっかり損ねてしまったけれど、断ることができてホッとした。
だけど、もしかしたらわたしには、この程度の人がお似合いなのだろうか。
今日の実技講習を終えて帰ろうとしていたら、後ろから声をかけられた。
「あ、あの、、こんにちは」
驚いて振り返ると、以前缶コーヒーを渡したことのある青年だった。
「ああ、あの時の……」
かしこまった顔をした彼は、ぎこちなくペコリと頭を下げた。
「やっと会えて嬉しいです。ここへ来るたびに探してたものですから」
そう言って少し照れたように微笑んだ。
缶コーヒーの代金を返すつもりで探していたのだろうか。
わたしより四歳くらい年下に見える。
若いのに随分と律儀な子だな。
「そうだったんですか。なんだか余計なことをしましたね。気を遣わせてしまって、、」
「そんなことないです。あのときのコーヒー本当に嬉しかったんです。今日の講習はもう終わりですか? 」
「ええ、たった今。路上はやっぱり怖いですね」
「でしょうね。僕は来週仮免なんです。あ、あの、この後ってなにか予定ありますか?」
緊張した面持ちで彼はそう尋ねた。
「い、いえ、特にありませんけど………」
つい正直に答えてしまい、少し後悔した。
なぜ予定があると言わなかったのか。
「よ、よかったら、、お昼一緒にたべませんか? 歩いて二分くらいのところに美味しいスープカレーの店があるんですけど」
缶コーヒーのお礼だとしたら、なんだか申し訳ない気もするけれど、せっかくの誘いを断るほうが悪い気がした。
この男の子は若すぎるけれど、中田さんよりはずっといい。
見るからに礼儀正しく、誠実な感じがする。
「スープカレーいいですね」
ランチくらいなら付き合ってもいいはず。
「本当ですか? よかったー。絶対に断られると思って……」
かなり緊張していたのか、安堵の表情を浮かべた。
はにかみながら頭をかき、耳たぶまで赤く染めている彼に、何とも言えず母性本能をくすぐられる。
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