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降りやまない雨
しおりを挟む「ねぇ、もう帰っちゃう?」
隣で寝ていた美雨《みう》の寂しげな声が、雨の音に消されるように哀しく響いた。
「帰らないよ。まだ雨が降ってるだろう」
適当なことを言い、さりげなくサイドテーブルに置かれている目覚まし時計を確認した。
もう、午後十時をまわっていた。
妻の佳奈恵《かなえ》と二歳の愛菜《まな》はもう寝ただろうな。
あと、三十分したら帰ろう。
「じゃあ、雨が止むまで帰らないの? 泊まるってこと? 今夜は一晩中雨ってニュースで言ってたでしょ」
まどろんでいた美雨がむっくりと起きあがり、期待感を込めて僕を見つめた。
「そうだな、雨が止まなかったら泊まろうかな」
ぼんやりと真っ白な天井を見つめながら呟く。
「……嘘ばっかり。目がもうすぐ帰るって言ってる」
顔を覗き込んだ美雨が、拗ねたような目をして僕の頬を軽くつねった。
外はかなり本降りの雨で、このアパートへ着いたときからザーザーと弱まることなく降りつづいている。
ブルーのカーテンを少しあけ、外をみた。
暗がりの中にぼんやりと雨に滲んだ街の灯りがきらめく。
「雨の音はいいな。とても落ちつく。美雨のなまえは誰がつけたんだい? お父さんかい?」
がっかりしている美雨の気持ちに気づかないふりをして聞いた。
「……そうみたい。パパはね、大自然の音を聴くのが好きなの。雨の音とか、川のせせらぎとか。鳥のさえずりや、雷だって好きなのよ」
「そうか、雨の音は僕も好きだよ。雷はあんまりだけどね」
「あ、間違えたわ。雷は音じゃなくて見るのが好きなの。稲妻がピカッ! と光るのをね」
美雨との他愛もない、こんな会話に癒される。
「ふーん、なるほどな。確かに稲妻はきれいだな。雨の音もきれいだ。美人の美雨にすごく似合うなまえだ」
美雨の艶やかなストレートの黒髪にキスをした。
「あーっ、 いま褒めたね! 遥希《はるき》くんはね、褒めたあとはいつもこう言うの。じゃあ、そろそろ帰ろうかなって」
「……ブッ、ハハハッ、すごいな。今マジで言おうと思ってた」
笑って誤魔化したけれど、僕の笑顔は引きつっていたかも知れない。
美雨は僕のモノローグにひどく敏感だ。
「ダメよ。帰さない! 雨がやむまで帰らないって言ったでしょ」
美雨は涙ぐんで僕の胸に顔をうずめた。
「僕だって帰りたくないんだよ。美雨と一緒に朝まで雨の音、聴いていたいよ」
「じゃあ、帰らなければいいじゃない」
抱きついた腕に力を込めて美雨は言った。
「わかったよ。ずっといるよ。雨の音、美雨と一緒に聴いてる」
美雨と抱き合いながら、五分ほど静かに雨の音を聴いていた。
「雨の音って哀しいね。 遥希くん……もう、いいよ、帰っても。いつもと同じだもん」
「おなじって? なにが同じなんだい?」
「私が帰ってもいいよっていうのを知ってて泊まるっていうでしょ、遥希くんは」
「うーん、、美雨はするどいな。でも、僕がどうしても帰るっていったら、美雨は泣きながら帰らないでっていうだろ」
ーーお互いに学習してしまったんだな、僕たちは。
「あと、三十分だけ居てくれる?」
潤んだ美雨の目を見て切なくなる。
「わかった。だけど雨、本当にやまないね。ドシャブリの中、帰るの嫌だな」
本当にこのまま、朝まで美雨と一緒にいられたなら。
「雨、どんどん降ればいいのに。もっともっとたくさん降って、洪水になって、遥希くんはおうちに帰れなくなっちゃっうの。美雨、遥希くんとノアの方舟《はこぶね》に乗りたいなぁ」
「いいね、それ。ロマンがあるな。あ、そういえば、ノアの方舟って本当にあったらしいね」
「え? それって、おとぎ話じゃないの?」
「旧約聖書の物語だろう。実際にノアの方舟の木片が発見されたらしいよ。トルコのアララト山の山頂でさ」
「そうなの ⁉︎ ふーん、なんだかよくわからないけど、ロマンチック~ ノアの方舟に乗って、遥希くんと一緒にゆらゆら揺られたいなぁ。それでね、どこまでもどこまでも、だーれも知らないところへ行くの」
美雨が僕の首に腕を巻きつけ、胸に耳をあてた。
「ドックン、ドックンしてる。美雨はね、遥希くんの胸の音が好き。朝までずっと聴いていたい」
「……美雨」
美雨の背中に腕をまわし、きつく抱きしめた。
美雨がみている夢は僕の夢だ。
僕も一緒に夢をみていたいんだ。
美雨が今みている夢を。
現実の世界から逃げだしたいのさ、僕は。
絶え間なく降り続く雨の音は激しさを増していた。
本当にこの雨で、何もかも君と一緒に流されてしまえたなら。
ーENDー
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