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麗奈さんの不安
しおりを挟む*有紀*
今日は病棟の同僚たちと一緒におしゃべりしながら昼食を済ませ、ナースステーションへ戻った。
一人で食事などしていても、スタッフの日頃の不満や、病棟の問題点などにも気づけないと思い、食事のついでに何気なく話を聞くことにしている。
まだ若い主任なだけに、話しやすい部分もあるようで、みんな正直に不満や悪口などをぶつけて来る。
午後に検査入院をされる患者の準備などをしていたら、医療ゴミの入った袋を回収していた看護助手の野口さんが、思い出したように言った。
「あ、ごめんなさい、主任さん。お昼休みに面会の方が見えてました」
「えっ、だれ? 患者さんのご家族?」
「違うと思いますけど、西原さんって方。デイルームで待ってますって言ってました」
「西原さん? わかったわ、デイルームにいるのね」
病棟の廊下に出ると、点滴をぶらさげた棒を押しながら歩く患者と、小走りのせわしないナースとすれ違う。
西原さんって誰かな?
デイルームに人は少なく、六つあるテーブルのひとつに、患者の家族と思われる人達が三人ほど座って話し込んでいた。
窓際のカウンターに並べられた椅子のひとつに、ひとり女性が座って本を読んでいた。
「れ、麗奈さん!」
どうして麗奈さんが? 私に何の用?
私に気づいた麗奈さんが、微笑んで立ちあがった。
上質な麻のニットワンピースを着ている麗奈さんから、爽やかで涼しげな香りが漂う。
ニットのワンピースは、ほっそりとした麗奈さんの女性らしいボリュームも際立たせていた。
麗奈さんは、本当になんて素敵なんだろう。
「有紀さん。ごめんなさい、お忙しいのに」
「あ、い、いえ、なにか、私に?」
洗練された麗奈さんを前に、すっかり舞い上がる。
「あ、私、本当にずっと有紀さんと二人でお話しがしたかったんですよ。今日はお仕事のあと、ご予定ってありますか? 寄り道なんてしたらご主人に叱られちゃいますか?」
「い、いえ、夫はいつも帰りが遅いのでかまいませんけど……」
「よかった。じゃあ、夕方6時でいいですか? 車で迎えに来ますね」
微笑んでそう言うと、麗奈さんはエレベーターがある方角へ歩き出した。
10㎝もありそうな高くて細いヒールのサンダルを履いて、颯爽と歩く麗奈さん。
「じゃあ、有紀さん、待ってますね」
開いたエレベーターに乗って、軽く手を上げて微笑んだ。
私と話したいってなにを?
正直、気が進まなかった。
なぜ断らなかったのだろう。
みじめな思いをするだけなのに。
仕事を終えて一階に降り、何気なく薬局の方を見た。谷さんはもう帰っただろうか。私が麗奈さんに誘われていることを知っているのかな。
帰りを急ぐ日勤者のおしゃべりが騒がしい更衣室で着替える。
飾り気のない白のコットンシャツに、これまたシンプルなカーキ色のフレアースカート。
合皮のショルダーバッグを肩にさげ、ナースシューズを脱いで、色気のないペタンコのベージュサンダルを履く。
麗奈さんはこんな私と一緒で恥ずかしくないかな?
職員通用口を出て、駐車場を見渡した。
おしゃれな白のスポーツカーが走って来て停まった。
「有紀さん! 」
サングラスを外して麗奈さんが微笑んだ。
車にはあまり詳しくはないけれど、ポルシェぐらいはわかる。麗奈さんはこんな車を与えてもらえるようなお嬢様なんだ。
はぁーと、ため息をついて助手席へ乗り込んだ。
高級感あふれる革張りのシートは、座り心地が良かったけれど、私にとっては居心地が悪かった。
「素敵な車ですね。麗奈さんの車なんですか?」
「ええ、免許を取ったときに買ってもらったんですけど、普段はあまり乗らなくて。運転上手じゃないんですよ」
たしかに信号待ちで停車するたびに、体が前後に大きく揺れる。
「お食事イタリアンでもいいですか? この近くで父が経営しているお店なんですけど」
「あ、は、はい、好き嫌いないのでなんでも大丈夫です」
琴似駅に近いそのイタリアンのお店へ入った。
お店は程よく混んでいたけれど、受付の女性が麗奈さんに気づき、席へ案内してくれた。
落ち着きのあるグリーンを基調にしたイタリア国旗をイメージした内装に、明るくポップな絵がセンス良く描かれている。
「有紀さん、何になさいます? うちのお店なので遠慮なく」
ボーイが持って来たメニューを麗奈さんが開いた。
麗奈さんは手まで美しい。ほっそりとした長い爪には飾りのないシンプルなネイルが施されていた。
「え、あ、じゃあ、ペスカトーレでお願いします」
「じゃあ、あとは適当に頼んじゃっていいですか?」
そう言って、麗奈さんは2種類のピザとシーフードのサラダ」を頼んだ。
ボーイが立ち去って、一瞬静まりかえった。
「あ、あの、話って?」
食べ終わってからゆっくり聞くべきかとは思ったけれど、気になって仕方がなかった。
「特に話ってないんですよ。ごめんなさい。だだ、有紀さんってどんな方か興味があって、、」
麗奈さんは少し寂しそうにうつむいた。
「なぜ? 谷さんから何か聞いてるんですか?」
「そんなに詳しくは聞いてません。だけど、……私、わかっちゃったんです」
「えっ? なにが……?」
麗奈さんは一体なにを言おうとしているのだろう。
シーフードのサラダが運ばれて来た。
新鮮なウニやホタテ、カニなどの海鮮がたくさん載せられた贅沢なサラダだ。
「先にいただきましょうか?」
取り皿に麗奈さんがサラダを盛り付けてくれた。
「あ、自分でやりますから、、ありがとう」
ピザとペスカトーレも運ばれて、どれも美味しく、ピザまでご馳走になった私はお腹が一杯になった。
「ああ、美味しかった~。お腹いっぱい! 麗奈さんはなにも努力しないでそのスタイルを維持してるの?」
「あ、そうですね。特に我慢はしてないです」
「ふーん、いいなぁ、羨ましい。私は気をつけてないとすぐに太っちゃって。フフフッ」
「私は有紀さんが羨ましいです」
麗奈さんが急に真面目な顔で話すので驚いた。
「わ、私が? 私、麗奈さんから羨ましがられる物なんて、ひとつも持っていないのに」
「今、私が一番欲しいものを有紀さんは持ってるんです」
な、何?
麗奈さんは一体なにを言おうとしているのだろう。
「有紀さんは修二さんの書いた本を読まれましたか?」
そう言って麗奈さんは顔をあげた。
麗奈さんの視線に耐えられなくなり下を向く。
「た、谷さんって、凄いわね。小説なんて書けて賞までもらっちゃうんだもん。驚いちゃった」
「私、わかっちゃったんです。あの主人公が好きになった女の子って有紀さんのことですよね?」
探るような麗奈さんの視線に耐えきれずに目を伏せた。
「……谷さんはふざけるのが得意なの。私だけじゃないのよ。誰にでも面白おかしく口説いたりしてるの。たけど、本気じゃないわ。麗奈さんのことは本気だと思う。とっても素敵で可愛いもの。誰だって好きになるわ、男の人なら」
「……修二さんは、修二さんは可愛くて綺麗なだけじゃ満足なんてしてくれない人だわ!」
そう言った麗奈さんの眼から涙が溢れた。
「麗奈さん……」
「でも、いいの。有紀さんはもう結婚されてるんだもの。修二さんがどんなに想ったって。そうでしょう? そうですよね?」
麗奈さんからすがるような目で見つめられる。
即答できないのはなぜ?
麗奈さんの質問に震えているのはなぜ?
「……ひどい、やっぱりそうだったんですね。でも、私は修二さんと結婚します。有紀さんよりも愛される自信だってあるわ。だから、結婚の邪魔をしないで欲しいんです。二年前、邪魔してますよね、柳原亜美さんとの結婚を」
「…………」
「私が話したかったことはそれだけです」
そう言った麗奈さんの眼から、涙がポロポロとこぼれ落ちた。
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