彼女は特殊清掃業

犬丸継見

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狗狸、猫に惑わさるる事

第十二話 猫足

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 パステルカラーの部屋で、私は美少年に向かって剣呑な顔で言った。
「どうしてこんな場所に私を呼び出したのかしら」
「ここが一番落ち着くから仕方ないね」
 私は市内中心部の猫カフェで、あの猫男――ひな曰くバイマオ、という留学生に会っていた。彼に誘われ呼び出されたのだ。連絡手段は教えていないが、どうやってだったろうか。口頭で誘われたのだろうか。
 そうだ、ローソンで買い物して、その時メモを渡されたのだ。電話番号が書いてあって、私はそこに電話を掛けたのだ。そうしたら、この店を指定されたのだった。私は猫カフェは嫌いだ。猫カフェの猫共はみんな私を嫌うから、下手な人間の喫茶店の方が居心地がいい。猫カフェの猫共は殺処分直前だったり、拾われたりした奴だから人間不信で、犬に対しても縄張り争いやエサ取り争いの仇だから当たりがきつい。
 でもここの猫たちは、私に優しい。私の膝に乗ったり、擦り寄って来たり、じゃれてきたりする。あと美猫ばっかりだ。今私の膝の上には、白くて目が青い目の猫がいる。丸くなってゴロゴロしている。本当にきれいな真っ白だ。目の前でほほ笑んでいる美しい男の素肌のように。陶器のような素肌、というのはこういうものを言うんだろうな、と思う。私のかさついた肌とはえらい違いだ。男なのに美しい。しなやかで、綺麗で。鋭い目が青く光っている。彼は純正アジア人なのに目が青いのか。ハーフか何かか?今はハーフとは言わないのか?いずれにせよ、ただ者ではないはず。蠱術使いではないと言ったはずだが。
「ええと、バイマオくんだっけ。この前はありがとう。あの猫たちの数だと、最悪全員でかかられたらどうなるかわからなかった。コンビニでは大人気ないことやっちゃったけど、あの時は本当にありがとう。何なら、ここのお代は私が持つ」
「それには及ばないよ。この店俺の馴染みだから、ツケにしてくれるし、俺も支払いできるくらいの金ある。実家からの仕送りあるし、バイトしてるのは時間つぶしと社会勉強と日本語の勉強のためだけ」
「中国人の留学生は実家が太いって言うのは本当か……」
「一人っ子政策でどこも子供は猫かわいがりよ。猫だけに」
 クケケ、とマオは笑った。そして、ずいっ、と何かのコピーを出してくる。
「これは?在留カードのコピー?」
「そう。名刺とか無いからこれあげる。これで信用あるか?」
 B5の紙に、マオの顔が載っているカードが印刷されている。
「名刺代わりなら大学の学生証でもよくない?これは大事なものでしょう。在留カード番号とか私に出していいの?」
「いいよ。こちらの素性明かす。だからワンコちゃんも名刺とかあったら俺にくれよ」
「……あることがわかってるような言葉だね」
「俺、カンは強いよ」
 何もかも先回りして読まれているがする。少し警戒すべきかもしれないが、猫だらけのこの温かい空間にいると気がどんどん急速に緩んでいく気がする。
 私はいつもの「特殊清掃」の名刺を渡す。「犬神明子」の名刺、仕事をする相手やよっぽど信用した相手にしか教えない名前。いいのだろうか、と思うが在留カードに釣り合うものとしてはこれくらいしかない。車の免許証は精神疾患のために失効したし、マイナンバーカードは外国人に渡すには正直少し怖い。幸い名刺は何枚もあるから、一枚くらい渡しても大丈夫だ。
 それにしても、このしなやかな——近くで見ると案外がっしりした青年は、本当に美しい。空色の目をじっと見ていると、吸い込まれるというか飲み込まれそうになる。陳腐な表現だが。黒目が普通より大きい気がする。蠱術使いではないと言ったけど、絶対に何かある家の人間だ。
「どうして、私をこんなところに呼び出したの」
「どうしてって、ゆっくりお話ししたかったからよ。いつもお姉さんの近くにはあの女の子一緒にいるし、俺は大学とバイトだからゆっくり時間取れない。こうでもしないとお話しできない。なあ、ワンコちゃん猫嫌いか?」
 またそれか。前も聞かれた。正直嫌いではないが、猫は自分を嫌いだろう。
「私は嫌いじゃないけど、猫は私を嫌いだろうね」
「猫がワンコちゃん嫌う、それはワンコちゃんが半分犬なのを猫たちが知ってるからよ」
「わかってる。あなたは何故それを知ってるの?」
「言ったはず、俺、カン強いって」
 クケケ、とまたマオが笑う。また先回りされた。猫カフェ中を猫たちがうろうろしている。私だけが何だか異物だ。猫の中に犬が一匹。この違和感は、誰にもわからないだろう。
「わかるよ、猫たちの中で居心地悪いね。俺はわかるよ。人間の中でも浮いて、異物になって、どこに行っても居心地悪いね。つらかったね」
「あなたに何がわかるの」
 私は正直ムッとした。こんな、何不自由なさそうな、自由に留学できるくらい恵まれた人間に何をわかられると言うのだ。外国人として差別されるとか、異物扱いされることもあるだろうけどそれなら外国人支援機構なり互助会なりを頼ればいい。私にはそれが出来ない。犬神筋はどこからも村八分で、嫌われているとかそう言うレベルではなくて「穢れ」「咒」「禍」なのだ。本能的に、霊的に忌避する。ありとあらゆる集団が、本能的に私を拒否する。学校、地元、会社。人間の群れの中に一匹の野犬が放り込まれたら、皆興味を持つ者もいるだろうが、やがては恐れ危険視し、石を投げ保健所に通報するだろう。そうすれば、何はなくとも私は、犬は殺処分だ。
 人間たちはそれを望んでいる。私の排除を。
「この前の猫たち、こことか色んな猫カフェに引き取られたよ。みんな飼い主にもらわれたり猫カフェで暮らしてるよ。でも前の飼い主は責任を果たさない悪い人間だったな。自分が死ぬことも考えずに、愛玩のために猫を飼ったな」
「……自分の死期なんて、誰もわからないでしょうよ。急激な病状悪化だったかもしれない」
「だめよ。生き物飼うは人間も自分の状態わかってないといけない。寂しい、可愛い、慰みもの、そんなつもりで軽い気持ちで飼う人間、身勝手」
「そうね。それは同意見」
 動物を身勝手に飼って身勝手に放り出す人間。可愛い、とか便利、とかそういう理由で動物を、例えば私のような犬を飼って、いざ大きくなったり飼い主に歯向かったからといって保健所に送る人間は多くいる。それはよく知っている。野良犬は勝手に増えたりしない。捨てる身勝手な人間がいるからだ。逃げられても探さない怠惰な人間がいるからだ。そうして増えた野良犬たちは片っ端から捕まって殺処分される。
 そう、私も同じ。利用したい時だけ利用される。別府夫婦も椎名くんもそうだった。それ以外の不動産屋も同じ。私を恐れながら、私の咒を利用したいと言って頼って来る。人間の祓い屋なんていくらでもいるだろうに。手っ取り早く、私を頼って利用して、いざ除霊が終わると私を無碍に扱う。
『あんた、ジリちゃん殺したんでしょ!犬神筋だから……』
『てめえっ、ふざけんなよ!ブス!悪霊!犬神筋!』
 わかってて契約したんじゃない。私は仕事が終わるたびに、飼い主、契約者に捨てられる。利用するだけ利用されて、まあ私は稼げるからいいし、咒を食えることもあるからいいんだけど、やっぱりはっきり同級生とかから利用されてると思うと——
「ワンコちゃんも犬だから辛い思いしたね?人間は身勝手よ。ワンコちゃんを利用するだけ利用して捨てる。思うようにいかなかったら怒る、本性あらわす。ワンコちゃんいっぱい、いっぱい辛い思いしたね、人間は酷いね、醜い存在ね。こんなに可愛いワンコちゃんを苦しめるなんて」
 いつしか、マオは私の手を握っていた。あの日のように、釣銭を渡した時のように猫の手でぎゅっと握りこんでいる。柔らかくて温かくて、今は手をあの日のように引っこ抜く気になれなかった。マオの顔は嘘や冗談、騙しのような顔ではなく本気で私を案じて憐れんでいる顔をしていた。
「ワンコちゃん、嫌なこといっぱいあったね。俺聞くよ。つらかったこと、最近あっただろ。全部全部、俺が聞くから吐いていいよ」
 柔らかい、低い声。男の人にこんなこと言われたことなかった。何か企んでいるのかもしれない、という思いが頭をよぎるが、それよりも感情が勝った。本当に、気が緩んでしまっている。この女の子の小部屋のようなファンシーな空気の部屋で、猫たちに擦り寄られて温かくて。強張って凍り付いていた心が溶けて「女」が、泣きじゃくった「女」が溶け出てしまう。

「……羨ましかった……憎かった……」

 押し出すように、私は言った。「犬神明子と言う女」としての言葉を。あの子の前で取り繕う「アコさん」としての「大人」の言葉ではない言葉を。
「……あの子に悪気はない、あの子は愛嬌があって、優しいし、私の能力に理解のあるいい子だ……いい豆狸だ。でも、あの子は若すぎる。あけすけに、全てを明らかにして語ることにてらいがなさすぎる。他人が意図して隠していることを暴き立てることの暴力性に気づいていない、純粋な子供だから」
 そう、あの子は悪くない。悪くないのだが、私の辛いことを、よりにもよって一番苦しいところを容赦なく白日の下にさらし刺激して来る。「その人は本当に友達なの」「付き合った人っていないの」「どうして掃除しないの」何の悪気も無いのが却って私を傷つける。この前の合コンの時なんて、食い殺しそうになるほど羨ましかった。私なんて、合コンに呼ばれもしなかったのに。
「かわいいな……とは思うよ?でも、あの子の言うことがたまに、私の喉元でぐうっ、とせり上がるものがあるというか、詰まるというか……私が意識的に忘れようとしてた、『世間体』『結婚』『恋愛』『友達』とか……犬神筋だから『持ってなくても仕方ない』と言い聞かせてきた色々なもの。でもあの子は、『豆狸』で『霊感少女』なのに、順当に友達を作って、合コンして、彼氏を作って……きっとそいつと結婚するんだろう、だから――羨ましい」
 大学時代の恋人とそのままゴールインした同期は多い。自分には連絡がこないので伝聞や噂程度だが。もちろん破局したカップルもいたが、そういう連中も職場なり街コンなりで相手を見つけた。自分も街コンに申し込んでみたが、どうしても人が寄って来ない。自分が寄って行こうとすると、逃げていく。そそくさと、まるで寄って来た野犬から逃げるように。犬も歩けば棒に当たる。そんな惨めさを感じる。
「どうして、何もしてない、たまたまそういう筋に生まれた私がここまで孤独にならなきゃ、忌避されなきゃならないんだろう。この同和教育とかも広まったご時世に、無視されてる、嫌われてる、次はもっと上手くやらなきゃ、隠さなきゃ、ってびくびくして、ダメだったら開き直って狂犬になって嫌われるようなことして……私の人生、ずっと筋と咒に苦しめられてきた。後悔ばっかりしてきた……!」
 咒が高まるのを感じる。それなのに猫たちは逃げたりせずに、私の周りに集まって慰めるようにすりすりしてくる。マオはぎゅうっ、と私の手を握ったままだった。だめだ、涙が止まらない。涙腺が壊れてしまった。ばかになってしまった。頭もきっとそう。だから口方出る言葉も止まらない。
「くそったれ……全部食い殺してやりたいっ、そうだよ、私は人間を憎んでる。人間に使われながら、人間がいないと生きていけないのに、人間を恨んでる。エサと愛情を目の前にぶら下げられて、利用するだけ利用されて裏切られたなら絶対に忘れない!割り切れるもんか!私は確かにあの子より大人だけど、こんな気持ち割り切れるわけない、消化できるわけない!

 だからっ……悔しい、幸せそうな陽菜乃のことだって、本当は食い殺してやりたいんだっ!!」

 遠吠えのように叫んで、はっと我に返る。咒がさっと引いていくのを感じる。駄目だ、あの子は優しいし、まだ子供なんだから。殺していいわけがない、私の手伝いもしてくれるし、私のそばに一番いてくれる存在なんだから——その思考を遮るように、私の涙をマオのしなやかな指が拭っていった。
「……つらかったな、明子、すごくつらかったな。人間は、本当に身勝手で、悪気はなかったとか色々言うけど結局動物や俺達みたいな奴を裏切る。傷つけても平気な顔をしている。俺達を同列に扱ってないから。傲慢な偽善者だから。あの女の子だってそう、無神経に明子さんを傷つけているのに、反省なんて見た目だけなんじゃないか。」
 マオの声が、優しい声が耳にするすると入って来て私の心に溶けていく。温かく、じんわりと温まって来る。どうして。人間を一方的に貶す言葉なのに。ひなのことを悪く言ってるから、否定しなきゃいけないのに。
「俺たちずっと、人間に振り回されてきた。人間の中で異物なるの、当たり前よ。だから、アコさんも辛かったら俺達の仲間なるといい。アコさん悪くないよ。今までよく頑張って生きてきたね」
 ああ、この言葉を望んでいた。私は悪くない、何を思っても、何を考えても許される。悪いのは私じゃなく、利用する人間たち。無邪気な子供だからと言って、何を言っても許されるわけじゃない。何でも許されるわけじゃないのよ、ひなの。だから、あんなことを思った私も悪くない。
「私、何もちゃんと『大人の人間』ができない。ひなとの距離感も、血筋との折り合いも、自分のことも、全部割り切れないの。それでもいいの?それでもいいの……?」
 縋りつく私に、マオという男は柔らかい笑みを浮かべて言った。包み込まれるような温かい笑顔だった。
「俺、そんな明子さんだから惚れたんだよ。人間の中で無理するより、きっと俺達と一緒の方が幸せ。つらいなら、俺と一緒になろう。いつでも一緒になる準備ある。人間捨てて、俺達と一緒になろう。一緒に暮らそう。ずっと一緒にいよう、愛してる」

 愛してる。

 どろり、と私の脳が解けたような感触がした。欲しくて欲しくて仕方がなかった言葉。異性から欲しかった言葉。それを、こんな美しい男にもらえるなんて。たとえ夢であっても。どろどろに溶けた甘いホットチョコレートのように、目の前のホットチョコレートのように溶ける。やっと与えられた。やっともらえた。甘い臭い。周りにスリスリする猫たちの温もり。
「おいで、明子。『約束のしるし』をあげよう」
 マオが身を乗り出し、私をぐい、と抱き寄せる。目の前に迫るマオという男の唇。嫌じゃない。温かい。抱き寄せて、温かい腕に包まれて、ぎゅってされて、温かい、私を愛して、好きって、ああ、どうでもいい。人間なんかどうでもいい。あの子の、あいつのことなんて、陽菜乃のことなんてどうでもいい——
「人間なんて、所詮敵よ。分かり合えない」
 
 ああーーーーーーおう

 発情した猫が鳴いた。嫌に赤い唇と、私のかさついた唇が触れた気がした。



 は、と私は目を覚ました。いつもの納戸、空気が淀んでいる。スマホで時間を確認すると、昼の11時。いつも通りの目覚めだ。それにしても、変な夢というか嫌な夢というか、あんなことを自分が夢の中でも言うなんて——という夢だった。何だか今日は、陽菜乃に合わせる顔がない。今日は休みだし、体調がよくないとか言って来ても追い返そう。今日は一日独りでいよう。
『人間なんて、所詮敵よ。分かり合えない』
 そんなことは無い、私は頭を振って夢の内容を忘れようとした。あんな依頼を受けたから、猫の夢なんか見るのだ。
 きっと、そう。あれは夢。
 だから、あの唇に触れたざらついた舌の感触も、夢。


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