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名医の条件、仁医の条件

青と白の邸宅

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その後、桔梗はグスタヴス家の家令に出迎えられ、彼の恭しい挨拶を受けてから客室に通された。
青と白を基調とした優雅な豪邸、その中で最も華やかな部屋が客室である。
そこにフィリップとセシリャが待っており、桔梗は二人と簡単な挨拶を交わす。
フィリップが一番奥の席に着き、その左隣にセシリャが座り、桔梗はフィリップに勧められた席に座った。

ややあって、若い執事がティーセットを載せた木製のワゴンを持って来る。
彼はその場で温かいテール(高い紅茶)を淹れ、三人の前に並べ、サッとフィリップの背後に控えた。
流れるような立ち居振る舞いである。

「驚かせて申し訳ない。
セシリャが今年は骸骨が良いと言い張ってね、大事な時期だし、少しでも安心出来ればと思ったんだが、ミス セイレンには刺激が強過ぎたようだ」

「そういう問題ではないと思いますが………」

フィリップは苦笑し、その隣でセシリャが微笑む。
そこに悪意はない。
これっぽっちもないのだが、それだけに桔梗は複雑な心境である。

ガヴィッツ領にはハロウィーンに似た習慣があり、ロエンティエ家籠もりと呼ばれている。
古いイシリエン語だ。
空燃えの初めの一週間で行う。
ロエンティエの間はあの世とこの世のさかいが曖昧になり、死者が魔物と一緒に帰って来るという。
それを避ける為、なるべく自宅に籠もり、玄関に魔物の人形を置いて仲間だと思わせる。
ロエンティエが始まると、ガヴィッツ領はお化けも裸足で逃げ出すお化け屋敷となる。
お化けがいないお化け屋敷はただの屋敷だが、それでも不気味だ。

「まぁ、いいです。
本題に入りましょう。
体調は如何ですか、セシリャさん」

気を取り直し、セシリャの診察を始める桔梗。
言いたい事は山のように、山よりもあるが、それは今でなくても良い。

「大丈夫ですわ」

「痛い所や苦しい所はありませんか?
眠れなかったり、怖い夢を見たり、食欲がなかったり、情緒不安定になった事は?」

「ありませんわ。
周りが過保護過ぎて苛々していますけれど、それはいつもの事ですし」

サラッと皮肉が出たが、皮肉が言えるなら大丈夫だろうと安堵する桔梗。
くまも肌荒れもないし、顔色も良い。
妊婦は常に強いストレスを受けている。
人一人を体内に抱えているのだから当然だ。
些細な事が精神疾患や流産のきっかけになる。

「苛々するだけなら大丈夫です。
安定期前ですから、運動・食事・睡眠はしっかり取って下さい」

「ええ、忙しい時にごめんなさいね」

おっとりと微笑むセシリャ。
優美な容貌、若葉色の目と結い上げた茶髪。
ふくよかになってきた体躯を緩いドレスで隠しているが、美女は太っても美女である。
その事実に直面した時、桔梗は神と自分の遺伝子を呪った。

「気にしないで下さい。
セシリャさんが元気な赤ちゃんを産んでくれれば、それでいいんです」

桔梗はラルフとセシリャを特に大切に思っている。
二人が医師としての彼女を作ったからだ。
ラルフと出会わなければ医師を目指す事は出来なかったし、セシリャと出会わなければ医師としての地位を築く事は出来なかった。
その恩があるからこそ、桔梗はセシリャさんの赤ちゃんは絶対に私が取り上げると決めた。

「無欲な方ね。
この子が無事に産まれた時は、出来る限りのお礼をさせて頂くわ。
あなたをこの町一の、いえ、この領一の名医にして差し上げます」

『うわーーー、さすが貴族。
スケールが違うねぇ』

桔梗は苦笑し、次いで口を開いた。

「ありがたいお話ですけど、その前に片付けなければいけない問題があります」

「哨鎧騎士団の件ですわね?」

「はい、何かご存知ですか?」

「私から話そう」

セシリャと桔梗の視線がフィリップに向く。




嵐の前の静けさという言葉がある。
これは正にそうだったと、桔梗は後に思う。
彼女にとっても、彼女の周囲にとっても、最も静かなで、最も不気味な時間であった。
生きていれば何度でもやり直せると、他人ひとは言う。
だが、人生にはやり直せる事とやり直せない事がある。
それでも生きていかなくてはいけない。
残酷で、理不尽で、醜悪で、クソムカつくが、何よりも美しいこの世界で………。
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