【完結】恋は、終わったのです

楽歩

文字の大きさ
28 / 43

28.賭け

しおりを挟む
 夕暮れ時の図書室裏の庭は、春の訪れを静かに告げていた。


 西の空を紅く染める夕陽は、まるで燃え尽きる寸前の焔のように揺らめき、影を地面に落としている。風がそっと木々を撫で、まだ芽吹いたばかりの若葉を揺らした。


 花壇に咲く花は優しく香りを放ち、かすかに鼻をくすぐる。遠くから聞こえてくる生徒たちの声が、まるで学院で過ごした日々の名残を惜しんでいるようだった。


 その庭の一角、ベンチに腰掛け、私は静かに本のページをめくっていた。本の端に指をかけ、夕陽に透ける紙の薄さを指先で感じながら、話の続きを追う。だが、ふとした瞬間、気配に気づいて顔を上げた。



「まだ帰らないのか」

 不意に現れたレオナードの声は、沈みゆく陽射しと同じく、どこか穏やかで、そして寂しげだった。

 私はゆっくりと本を閉じ、その表紙を撫でながら微笑んだ。



「そろそろ帰るわ」



 レオナードが私の隣に座る。



「いよいよ卒業ね」

「ああ、来週だな」



 レオナードは空を仰ぐ。彼の瞳は、朱と群青が交わる刹那の色合いをしていた。



 学院で過ごした年月が、まるで走馬灯のように脳裏を駆け巡る。初めて門をくぐった日、必死に学び、笑い合った日々——それが、もうすぐ終わる。


 長いようで短かったこの時間が、今、静かに幕を下ろそうとしている。



「婚約者からドレスはもらったのか?」

 ふとした間の後に、レオナードが尋ねる。その何気ない問いかけに、私は小さくため息をついた。



「カタリナから聞いてないの? センスがすごく悪いのよ。似合わないドレスなんていらないわ。それなら自分で用意する方がいいもの」



 レオナードは一瞬目を瞬かせ、それから呆れたように肩をすくめる。



「そうか」

 軽く笑う彼の声には、どこか気遣うような響きがあった。



 ——そう、いらないと断ったわけではない。けれど、音沙汰がないのだから、贈るつもりはないのだろう。

 夕陽がさらに傾き、庭園に長く伸びた影が濃くなっていく。風が冷たさを帯び始めた。




「巷では、卒業パーティーで婚約破棄が流行っているらしいな」

 レオナードの言葉に、私はそっと視線を向ける。




「なぜかしら?」

「さあ? よくわからないが」



 私は肩をすくめる。学院の卒業パーティーは単なる式典ではなく、社交界への正式な第一歩でもある。そこでは、様々な思惑が渦巻いているのだ。



「味方の多い場所で、力ずくで破棄を迫るつもりなのかもしれないな」

「愚かなことね」



 淡々とした声で言い捨てると、レオナードはふっと目を細めた。




「……あいつらのクラスメイトが、お前を見る目が気になるんだ。何もなければいいが……」



 夕闇が深まり、温かだった空気がわずかに冷える。木々の間から覗く空には、早くも一番星が瞬いていた。



「さすがに、セオドアでも、卒業パーティーで婚約破棄宣言はしないと思うわ。うちの学院は、保護者も出席だもの」



 この学院での最後の夜を、そんな茶番のために使うなんて、あまりに滑稽だわ。




「エスコートは?」

 レオナードの言葉に、私はゆっくりと目を伏せた。



「……現地集合と言付けがあったわ」

「迎えに来ないのか!?」

「そうみたい」


 わずかに眉を寄せるレオナードの視線が、じっと私を捉えている。




「もし、土壇場になってエスコートしないと言ったらどうする?」

「そんなわけないわ。親も出席するのよ。現地集合というくらいだもの、する気はあるはずよ」



 私はそう言い切ったが、どこか心の奥にかすかな不安が残る。



「賭けるか?」


 レオナードが挑むような笑みを浮かべた。彼の表情には、いつもの余裕と悪戯心が混ざり合っている。




「また、レオナードったら……」

「きっとこれが最後の賭けだな。俺は、エスコートしないに賭ける」

「……あなたの望みは?」

「エスコートしなかったら、俺がエスコートする」

 
 彼の口調は軽いが、その瞳の奥には冗談ではない真剣さが見え隠れしていた。




「え? いいの? あなたのパートナーは?」

「おいおい、悲しいことを言わせるなよ。婚約者はいないし、貧乏子爵の三男なんてパートナーを見つけられるわけがないだろう。元々一人で行くつもりだったしな」

 レオナードは苦笑しながら肩をすくめた。



「見つけようとしなかっただけでしょ? あなたは、優秀だし、剣の腕も立つ。身長だって高いし、顔も整っているわ。あなたに心を寄せている子は、あなたが知らないだけでいるのよ」

「誰だ、その稀有な令嬢は。なんで教えてくれなかったんだ? もったいないことをしたな、はは。それで、賭けの報酬はそれでいいのか? ダメなのか?」

「もちろんいいわ。セオドアが、もし私をエスコートしなかったとしたら、エマをエスコートってことでしょう? 私が誰と入場しようと、文句は言わないわ」



 ええ、そうなったら私のことなど視界にすら入らないはず。



「リディアが勝ったら?」

「そうね……私にダンスを申し込んでちょうだい。ファーストダンスは婚約者とだから、三番目くらいに?」

「三番目かよ。まあ、妥当だな。そうなったら、並んで順番を待つよ」


 並んで待っているレオナードを想像し、吹き出しそうになる。



「ふふ、並ぶほど希望者はいないわ」

「お前が知らないだけで、お前に心を寄せている奴はいるんだぞ」

「いないわよ」

「……王子殿下とか」



 一瞬、息が止まる感覚になった。



「知ってたの?」

「ああ」

 
 レオナードの瞳が、僅かに細められた。彼の表情からは、感情を読み取れない。


 先週、王子殿下から想いを告げられたことを思い出す。

 婚約者がいる私に、さすがに直接的な言葉ではなかったが、それは確かに求愛の言葉だった。

 何も心配しなくていい、必ず何とかしてみせると。私を守りたいのだと。恋焦がれるような目で、そう言われた。


 返事は焦らない。ゆっくり考えてほしいと……。



「そうなの……」


 
 沈黙が二人の間を流れる。



 レオナードは苦笑し、ゆっくりと立ち上がった。




「……よし、じゃあ、エスコートの練習もダンスの練習も真面目にやるか。当日は、紳士な俺を見せてやるよ」

 
 彼は、軽やかに笑いながら手を差し伸べた。



「楽しみだわ」


 私は彼の手を取り立ち上がる。自然と微笑みがこぼれた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ】伯爵令嬢の責務

ごろごろみかん。
恋愛
見てしまった。聞いてしまった。 婚約者が、王女に愛を囁くところを。 だけど、彼は私との婚約を解消するつもりは無いみたい。 貴族の責務だから政略結婚に甘んじるのですって。 それなら、私は私で貴族令嬢としての責務を果たすまで。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

処理中です...