28 / 35
28.恐怖と焦燥
しおりを挟む
side王女
準備は万端だった。
夜会が始まり、貴族たちがグラス片手に歓談を楽しむ中、私は様子を伺いながらその場に佇んでいた。
そして、時折会場をそっと後にする高位貴族たちの姿を確認してから、自室に戻った。
「ああ、今日であの者の顔を見なくて済むなんて、どれだけ心が軽くなることか」
髪がたは完璧に変えられ、ドレスも夜会用とは異なる控えめなものに着替えている。
それでも、私の気品と威厳を隠すには至らないわね。
金の縁取りが施された鏡を見ながら、口元に満足げな笑みを浮かべた。
「第二王子も、あれほど頼りにしている近衛隊長がいなくなれば、少しは大人しくなるはずよ。ふふ、そろそろ私も行こうかしら」
仮面をつけ、会場へと向かう。
賭け事の場は、すでに熱気に包まれていた。
普段とは違う華美な仮面を付けた貴族たちが、豪奢な室内で楽しげに笑い声を響かせている。その様子を見て、内心で小さく鼻を鳴らした。
「愚かな人たち」
だが、その馬鹿げた舞台こそ、今回の計画にとって最適な場所だった。
この賭け事の場を用意するために、お兄様を通じて国王に働きかけた。
怪訝そうな顔をされたと聞いたけど、かわいい娘の頼みだもの、結局は聞いてくれたわ。
時代の流れに伴い王宮内の秘密の事情を明らかにしようという動きがあるのも事実だ。でも、公にされたら困る者はたくさんいるのですもの。明らかにしようとする命知らずなどいないわ。
計画もしっかりと立てた。
私の近衛隊長が、すでに「要職の警備」という名目であの者を呼び出している。
賭け事の部屋に参加者が揃う中で、仮面をつけていない騎士が入ってきたら、どうなるだろうか?
「当然、誰もが違和感を覚え、注目するわよね」
仮面の奥で微笑んだ。騎士が高位貴族しか入れない部屋に入る。この事実だけでいかようにもできる。
部屋の外から鍵をかける手筈も整えられている。そして、念のため――その騎士のポケットには「賭け事に加担している証拠」となる偽のメモが忍ばせてある。
「とにかく、この場にさえ足を踏み入れさせればいいのよ」
その後は、近衛隊がすぐに彼を連行し、団長に引き渡す手筈だ。さすがに現場を押さえられたら、団長とて裁かずにはいられない。あの者の立場など一瞬で揺らぐ。
それに、大っぴらに捜査などできる状況ではないもの。すぐに片が付くわ。
「ああ、早く来ないかしら」
焦燥と期待がまざる。顔には冷たく歪んだ笑みが浮かんでいることだろう。
全てが計画通りに進む。
そう確信するには、十分すぎるほどの準備が整っていた。
バタン!
突然の音に、反射的に顔を上げた。
「え?」
視界に飛び込んできたのは、次々と崩れ落ちる賭け事の参加者たちの姿だった。飲み物が入ったグラスが足元に転がる。高位貴族たちがテーブルに倒れ込み、誰かの悲鳴が空間を切り裂く。
「な、なに? 何が起こっているの?」
恐怖で声が震えた瞬間だった。
「動くな」
耳元で響く低く冷たい声。次の瞬間、首筋に鋭い冷たさが走る――ナイフだ。
「ひっ!」
息が詰まり、足元がすくむ。
「王女だな。命が惜しくば、王の部屋に安全にたどり着けるよう案内しろ」
その声には、一切の感情がない。冷徹で計算された響きに、背筋が凍る。
「あなたは…何者なの? な、何が目的で――だ、だれか! 誰かいないの!」
叫ぶが、答える声はない。ただ、暗殺者が低く一喝するだけだった。
「黙れ。廊下にいた騎士どもは眠っている。あんな貧弱で動きが鈍い者を傍に置くなんて正気か?」
「全員…?」
内心で怒りが湧き上がるのを感じた。
――何て役立たずなの!
暗殺者は首筋に押し当てた刃をわずかに動かし、嘲笑うように言葉を続けた。
「とはいえ、警備の人数が多く困っていたが、仮面をつけての秘密の場を王女が設けたと聞いてな。おかげで楽にこの場に入ることができた。俺のためにありがとな」
俺のため? そんなわけないじゃない!
「…ほら、案内するのか、しないのか。」
「す、するわ…。だから、それをもう少し離して――」
必死に冷静を装おうとしたが、恐怖で手足が震えているのを抑えきれない。
「失礼します」
突然の声とともに、扉が軽くノックされ、スヴェインが入ってきた。
「警備の交代の…何をしている!」
暗殺者が舌打ちをした。
「ちっ! ついてない」
――助かった!
胸に一瞬安堵の念が広がる。
気に入らない者でも、こんな時はいないよりまし。早く、命を投げ捨ててでも私を助けなさいよ。
しかし次の瞬間、暗殺者は私の腕を掴み、力任せにスヴェインのほうへ向かって投げつけた。
「きゃっ!」
悲鳴を上げ、力を失って倒れ込む。その隙に暗殺者は素早く逃げようとするが――。
「逃がすか!」
スヴェインが素早い動きで暗殺者を押さえつけ、床に組み伏せた。その瞳は冷静で、圧倒的な威圧感を放っている。
「ほかに仲間は?」
「はっ! 誰が言うかよ」
暗殺者は冷たい笑みを浮かべたまま、目を逸らした。
「リシャール! リシャールは近くにいるか!」
「は、はい! おります」
え? 一人で来たのではないの?
若い騎士が駆けつけると、スヴェインは的確な指示を飛ばした。
「今すぐ伝令を回せ。暗殺者が侵入。他にもいる可能性がある。警備を強化しろ。意識不明者が多数いる、こちらにも人を送れ!」
隊員は驚愕した表情を浮かべながらも、すぐに頷いて駆け出した。
大変なことになった。これで騒ぎが広がれば、この場に人が来る…?
肩で荒い息をしながら、自分の状況を把握しようとする。
目の前がどんどん暗くなる。
この惨状が明らかに、いえ、禁じられた賭け事も明らかにしなくてはならなくなる。暗黙の了解で皆が知っているとはいえ、そんなことになったら…。
それに、暗殺者を結果的に誘導してしまった現状。
この件は、誰が指揮を執るの?
第二王子…それはまずいわ…!
胸には、恐怖と焦燥が交錯していた。計画の全てが崩れるかもしれない危機感が、頭の中を駆け巡る。
準備は万端だった。
夜会が始まり、貴族たちがグラス片手に歓談を楽しむ中、私は様子を伺いながらその場に佇んでいた。
そして、時折会場をそっと後にする高位貴族たちの姿を確認してから、自室に戻った。
「ああ、今日であの者の顔を見なくて済むなんて、どれだけ心が軽くなることか」
髪がたは完璧に変えられ、ドレスも夜会用とは異なる控えめなものに着替えている。
それでも、私の気品と威厳を隠すには至らないわね。
金の縁取りが施された鏡を見ながら、口元に満足げな笑みを浮かべた。
「第二王子も、あれほど頼りにしている近衛隊長がいなくなれば、少しは大人しくなるはずよ。ふふ、そろそろ私も行こうかしら」
仮面をつけ、会場へと向かう。
賭け事の場は、すでに熱気に包まれていた。
普段とは違う華美な仮面を付けた貴族たちが、豪奢な室内で楽しげに笑い声を響かせている。その様子を見て、内心で小さく鼻を鳴らした。
「愚かな人たち」
だが、その馬鹿げた舞台こそ、今回の計画にとって最適な場所だった。
この賭け事の場を用意するために、お兄様を通じて国王に働きかけた。
怪訝そうな顔をされたと聞いたけど、かわいい娘の頼みだもの、結局は聞いてくれたわ。
時代の流れに伴い王宮内の秘密の事情を明らかにしようという動きがあるのも事実だ。でも、公にされたら困る者はたくさんいるのですもの。明らかにしようとする命知らずなどいないわ。
計画もしっかりと立てた。
私の近衛隊長が、すでに「要職の警備」という名目であの者を呼び出している。
賭け事の部屋に参加者が揃う中で、仮面をつけていない騎士が入ってきたら、どうなるだろうか?
「当然、誰もが違和感を覚え、注目するわよね」
仮面の奥で微笑んだ。騎士が高位貴族しか入れない部屋に入る。この事実だけでいかようにもできる。
部屋の外から鍵をかける手筈も整えられている。そして、念のため――その騎士のポケットには「賭け事に加担している証拠」となる偽のメモが忍ばせてある。
「とにかく、この場にさえ足を踏み入れさせればいいのよ」
その後は、近衛隊がすぐに彼を連行し、団長に引き渡す手筈だ。さすがに現場を押さえられたら、団長とて裁かずにはいられない。あの者の立場など一瞬で揺らぐ。
それに、大っぴらに捜査などできる状況ではないもの。すぐに片が付くわ。
「ああ、早く来ないかしら」
焦燥と期待がまざる。顔には冷たく歪んだ笑みが浮かんでいることだろう。
全てが計画通りに進む。
そう確信するには、十分すぎるほどの準備が整っていた。
バタン!
突然の音に、反射的に顔を上げた。
「え?」
視界に飛び込んできたのは、次々と崩れ落ちる賭け事の参加者たちの姿だった。飲み物が入ったグラスが足元に転がる。高位貴族たちがテーブルに倒れ込み、誰かの悲鳴が空間を切り裂く。
「な、なに? 何が起こっているの?」
恐怖で声が震えた瞬間だった。
「動くな」
耳元で響く低く冷たい声。次の瞬間、首筋に鋭い冷たさが走る――ナイフだ。
「ひっ!」
息が詰まり、足元がすくむ。
「王女だな。命が惜しくば、王の部屋に安全にたどり着けるよう案内しろ」
その声には、一切の感情がない。冷徹で計算された響きに、背筋が凍る。
「あなたは…何者なの? な、何が目的で――だ、だれか! 誰かいないの!」
叫ぶが、答える声はない。ただ、暗殺者が低く一喝するだけだった。
「黙れ。廊下にいた騎士どもは眠っている。あんな貧弱で動きが鈍い者を傍に置くなんて正気か?」
「全員…?」
内心で怒りが湧き上がるのを感じた。
――何て役立たずなの!
暗殺者は首筋に押し当てた刃をわずかに動かし、嘲笑うように言葉を続けた。
「とはいえ、警備の人数が多く困っていたが、仮面をつけての秘密の場を王女が設けたと聞いてな。おかげで楽にこの場に入ることができた。俺のためにありがとな」
俺のため? そんなわけないじゃない!
「…ほら、案内するのか、しないのか。」
「す、するわ…。だから、それをもう少し離して――」
必死に冷静を装おうとしたが、恐怖で手足が震えているのを抑えきれない。
「失礼します」
突然の声とともに、扉が軽くノックされ、スヴェインが入ってきた。
「警備の交代の…何をしている!」
暗殺者が舌打ちをした。
「ちっ! ついてない」
――助かった!
胸に一瞬安堵の念が広がる。
気に入らない者でも、こんな時はいないよりまし。早く、命を投げ捨ててでも私を助けなさいよ。
しかし次の瞬間、暗殺者は私の腕を掴み、力任せにスヴェインのほうへ向かって投げつけた。
「きゃっ!」
悲鳴を上げ、力を失って倒れ込む。その隙に暗殺者は素早く逃げようとするが――。
「逃がすか!」
スヴェインが素早い動きで暗殺者を押さえつけ、床に組み伏せた。その瞳は冷静で、圧倒的な威圧感を放っている。
「ほかに仲間は?」
「はっ! 誰が言うかよ」
暗殺者は冷たい笑みを浮かべたまま、目を逸らした。
「リシャール! リシャールは近くにいるか!」
「は、はい! おります」
え? 一人で来たのではないの?
若い騎士が駆けつけると、スヴェインは的確な指示を飛ばした。
「今すぐ伝令を回せ。暗殺者が侵入。他にもいる可能性がある。警備を強化しろ。意識不明者が多数いる、こちらにも人を送れ!」
隊員は驚愕した表情を浮かべながらも、すぐに頷いて駆け出した。
大変なことになった。これで騒ぎが広がれば、この場に人が来る…?
肩で荒い息をしながら、自分の状況を把握しようとする。
目の前がどんどん暗くなる。
この惨状が明らかに、いえ、禁じられた賭け事も明らかにしなくてはならなくなる。暗黙の了解で皆が知っているとはいえ、そんなことになったら…。
それに、暗殺者を結果的に誘導してしまった現状。
この件は、誰が指揮を執るの?
第二王子…それはまずいわ…!
胸には、恐怖と焦燥が交錯していた。計画の全てが崩れるかもしれない危機感が、頭の中を駆け巡る。
510
お気に入りに追加
1,046
あなたにおすすめの小説
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~
流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。
しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。
けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。
お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!
水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。
シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。
緊張しながら迎えた謁見の日。
シエルから言われた。
「俺がお前を愛することはない」
ああ、そうですか。
結構です。
白い結婚大歓迎!
私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。
私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜
流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。
偶然にも居合わせてしまったのだ。
学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。
そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。
「君を女性として見ることが出来ない」
幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。
その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。
「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」
大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。
そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。
※
ゆるふわ設定です。
完結しました。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します
矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜
言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。
お互いに気持ちは同じだと信じていたから。
それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。
『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』
サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。
愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる