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二章 青藍の夢
終りの始まり
しおりを挟む「あいつを愛してたか…なんて、随分今更ね」
笑みを含んだ声がアレッシオを呼び覚ました。目を開けば、過去の再来かと思う懐かしい姿がそこにある。
「ネーヴェ…いや…」
名を呼ぼうとして空白に気づいた。それを見越したのか、目の前の…少し前まで幼い姿だった女が笑う。
「思い出せない、のではなくて、無くなったのよ。あたし達の名は奪われてしまった。」
「奪われた…そうか。俺の名も」
「そう。でも、代わりを付けられているのよ。あたしもお前も。付けたのはあいつ」
名、という物は存外に重要だ。魔術的に奪われれば存在が危うくなり、他人の名を被せられればそれに変ずることさえあり得る。
「クリスタリエは己の隠し名にあたしの名を着る事で、擬似的にあたしに成り代わろうとした。もう一人の…アレは誰か知らないけど、あいつに別の名を被せて名を着たのでしょうね」
魔術に親しむ者は、大抵隠し名を持つ。隠し名こそが本名とも呼べるもので、世界に己を固定するための楔である。魔術に親しむという事は、そうではない者よりより名への配慮を要するのだ。
隠し名を持つ者は他に、王侯貴族もいるが、前線只中へ常に身を置く『使い捨て』の兵士は持たないものだ。何より、兵士や平民の名などにそれ程の価値はない。余程の豪族や豪商、富農ならば、秘密裏に持っているのは公然の秘密ではあるが。
「あたしの今の名前、名乗りたくないんだよね」
「なんで」
女は少しばかり眉根を寄せる。落ち掛かる髪を払い、不満気に口を尖らせた。
「意味が『私のもの』だよ!?」
「あー」
名が消え、空白となった事を悪用されたらしい。あの腹黒ヤンデレストーカー男の選択肢としては、その名は一択だった事だろう。
「何であいつはいっつもああなのさ!?」
「そりゃー、逃げられたくはないからだろ」
「にげる?」
心底不思議そうに問われて、ああ、この人は割とポンコツだったとアレッシオは思い出していた。
「まさに永遠の片想い状態なんだし」
「かたおもい」
尚も不思議そうに呟く姿に、ついぞ持ち合わせていなかった疑問が湧いてきた。
「え、だってアンタ…」
「愛してない男と夜を共にする趣味はないんだけど…」
「は!?」
目からウロコだった。寝耳に水だった。何だったんだ、あの男の生前の懊悩は。高速でそんな疑問が脳裏を掠めたが、口にできたのは一つだけだった。
「それ…あいつには…」
「やぁね、言わないわよ。言ったらベッドから出られやしないし、前線にも出してもらえないじゃないのよ」
返ってきたのは正論だった。あの男はそういう男だ。
アレッシオの中に、あの男に教えてやりたい思いと、教えてたくない思いがゴングを鳴らしていた。攻防の末、教えたくない側が勝利を手にした。心のスタンディングオベーションが鳴り止まぬ中、どうせ好き勝手しているのだから、そのくらい悩めばいい。そんな事を思って思考をやめた。犬も食わぬなんとやらに関わるのは、精神衛生上よろしくない。
「さて、こんなトコで駄弁ってても仕方がない。あのお馬鹿な王子様を助けにいきましょうか。───みんなで、ね」
甘やかな笑みに少しばかりの悪辣を込めて、そう女は宣言した。
笑みを含んだ声がアレッシオを呼び覚ました。目を開けば、過去の再来かと思う懐かしい姿がそこにある。
「ネーヴェ…いや…」
名を呼ぼうとして空白に気づいた。それを見越したのか、目の前の…少し前まで幼い姿だった女が笑う。
「思い出せない、のではなくて、無くなったのよ。あたし達の名は奪われてしまった。」
「奪われた…そうか。俺の名も」
「そう。でも、代わりを付けられているのよ。あたしもお前も。付けたのはあいつ」
名、という物は存外に重要だ。魔術的に奪われれば存在が危うくなり、他人の名を被せられればそれに変ずることさえあり得る。
「クリスタリエは己の隠し名にあたしの名を着る事で、擬似的にあたしに成り代わろうとした。もう一人の…アレは誰か知らないけど、あいつに別の名を被せて名を着たのでしょうね」
魔術に親しむ者は、大抵隠し名を持つ。隠し名こそが本名とも呼べるもので、世界に己を固定するための楔である。魔術に親しむという事は、そうではない者よりより名への配慮を要するのだ。
隠し名を持つ者は他に、王侯貴族もいるが、前線只中へ常に身を置く『使い捨て』の兵士は持たないものだ。何より、兵士や平民の名などにそれ程の価値はない。余程の豪族や豪商、富農ならば、秘密裏に持っているのは公然の秘密ではあるが。
「あたしの今の名前、名乗りたくないんだよね」
「なんで」
女は少しばかり眉根を寄せる。落ち掛かる髪を払い、不満気に口を尖らせた。
「意味が『私のもの』だよ!?」
「あー」
名が消え、空白となった事を悪用されたらしい。あの腹黒ヤンデレストーカー男の選択肢としては、その名は一択だった事だろう。
「何であいつはいっつもああなのさ!?」
「そりゃー、逃げられたくはないからだろ」
「にげる?」
心底不思議そうに問われて、ああ、この人は割とポンコツだったとアレッシオは思い出していた。
「まさに永遠の片想い状態なんだし」
「かたおもい」
尚も不思議そうに呟く姿に、ついぞ持ち合わせていなかった疑問が湧いてきた。
「え、だってアンタ…」
「愛してない男と夜を共にする趣味はないんだけど…」
「は!?」
目からウロコだった。寝耳に水だった。何だったんだ、あの男の生前の懊悩は。高速でそんな疑問が脳裏を掠めたが、口にできたのは一つだけだった。
「それ…あいつには…」
「やぁね、言わないわよ。言ったらベッドから出られやしないし、前線にも出してもらえないじゃないのよ」
返ってきたのは正論だった。あの男はそういう男だ。
アレッシオの中に、あの男に教えてやりたい思いと、教えてたくない思いがゴングを鳴らしていた。攻防の末、教えたくない側が勝利を手にした。心のスタンディングオベーションが鳴り止まぬ中、どうせ好き勝手しているのだから、そのくらい悩めばいい。そんな事を思って思考をやめた。犬も食わぬなんとやらに関わるのは、精神衛生上よろしくない。
「さて、こんなトコで駄弁ってても仕方がない。あのお馬鹿な王子様を助けにいきましょうか。───みんなで、ね」
甘やかな笑みに少しばかりの悪辣を込めて、そう女は宣言した。
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