忌花

こ★め

文字の大きさ
上 下
2 / 22
序章

黒い蛇•虚飾の王

しおりを挟む
 絢爛華麗な王城の中心にあり、華やかな植物のモチーフを黄金と象牙で飾り立てた謁見の間。常ならば、城主たる国主に招かれた者が恭しく首を垂れるものだが、この日ばかりは違っていた。
 広い部屋の奥に、純金のメッキが施され、華美が過ぎて悪趣味な玉座がある。そこに、贅沢三昧に弛んだ身体を肘置きの間に押し込んで顎を反らす、貧相な顔立ちの中年男性がいる。彼はこの国を治める者であり、この城の主。その左側に控える、頭髪が侘しく顔色の悪い男が宰相。数段下がった場には、十余名の似通った雰囲気の男達。恐らくは王と縁戚関係にあるだろう上位貴族の当主達だ。あとは、数十人にも及ぶフルプレートの騎士団。何れも花の恩恵に預かる同じ穴の狢だ。
 内輪ばかりが集う中、何処か緊迫した空気に満たされていた。異様なのは開け放たれた大扉の前に立つ長身の黒い男。不遜な態度で扉に寄り掛かり、一個の林檎を弄んでいた。傷一つなく、城で供される品質の真っ赤な林檎だ。下手側に立つ者は、己をわきまえ王を敬い、媚びへつらわなくてはなくてはならないというのに。王にしてみれば不愉快極まりないが、男の特異性から言及はしなかった。
 避けたと言う方が正しいか。
「で?私に何の用だ」
 黒に覆われた男の顔は窺えないが、低くともよく通る美声だ。
「花の村に、忌花が現れたと報告があった。あれは不吉だが、花は花。自我を奪い、隣国にでも売れば震える程の高値になるだろう。ああ、余の性奴隷としてやっても良いか。兵が幾人も死んでいる。暴れられて余計な傷など付けては値が下がろう。何か良い知恵はないか?」
 コツ、と靴の踵が鳴った。男が立てた音はただそれだけだった。異常を感じた近衛兵が、男と王の間に壁を作るもそこには居なかった。男は衛兵の前には居ない。では何処へ?
「ぐっ!?」
 ガシャン、とけたたましい音と共に近衛の壁が弾き飛ばされ、間隙を縫うように男が優雅な所作で玉座に腰を下ろした。衛兵たちを薙倒したのは、その椅子に座していた筈の王だった。派手な装いとふくよかな体型から、まるで異国の『鞠』のよう。大きさは比較にならないので、ぶつけられた側はたまったものではない。幾ら鍛えた騎士であっても、為す術はないだろう。
 王が身を起こそうと震える腕を伸ばし手を付く。すると、絨毯の上に滴り落ちる真っ赤な血。地を這う蟲のように転がる己と、我が身を傷付けられた痛みと怒りに思考が染まる。
 そして、忘れてはならない事が頭から抜け落ちた。

───目の前の男が一体何者なのか。

 気にするべきだったのだ。この場にあるはずのない林檎の出処を。
 この場に現れる前に、この男が何をしていたのか。
 今時分、この城の何処で何が行われていたのか。
「…馬鹿な!!!!何故余に逆らう⁉」
 血の混じった唾を飛ばして王は激昂し、周りの騎士に剣を抜く許しを与えた。恐れを知らぬ無礼者は排除されなくてはならない。王たる者にはその資格があるのだ。王とは至高の存在なのだから。故に、その命は速やかに完遂される筈だった。
 だが、いつまで経っても剣を抜く音がしない。敵に向かう靴音がしない。男は今も目の前にいる。傷一つ無い美しい顔のまま、嘲るように唇を歪めて。
「何をしている、ぐずぐずするな!この痴れ者を叩き斬れ!!」
 応える者は誰もいない。宰相でさえもいらえはない。その不審に、初めてそこに居る筈の部下へ目をやる。
 真っ赤だった。誰も彼も真っ赤に染まっていた。ある者は首から、ある者は腹から二つに分かれて血の海に沈んでいる。王と男の二人を除き、この場に生きている者は一人もいない。
 赤く濡れた絨毯の上で、王は嘗てない程の恐怖に見舞われていた。
 醜く肥え太った体には、脂肪以外付いていない。自らの手で剣一つ振ったことはない。カトラリーよりも重い物は、生まれて此の方持った事がない。不相応な金襴緞子に身を包む、ただの脂肪で膨れた中年男性に過ぎなかった。
 そんな王の目の前に、男がいる。王が座るべき豪奢な玉座に、王ではない男が。
 冬の海を埋め尽くす流氷を彷彿とさせる冷たい瞳は薄青。毎日鏡を覗き込む顔よりも美しく、滑らかな肌の白い顔。長い睫毛も髪も黒く艶やかだ。青光りする黒い鱗に覆われた手ばかりが異様だが、弄ぶ林檎の赤い色も相俟って何処か艶めかしい。
「さて、王よ。お前の護衛はこれだけか?私に毛程の傷もつけられないようだが」
 優雅に問い掛ける男には、些かの乱れもない。声も、息も、その衣も。ただその場で長い脚を組み、玉座に深く座するのみ。周りを見れば、累々たる屍の群れだ。恐怖は死体と共に積み上がり、厠で馴染みの臭いが時折鼻を掠める。
「一体何が望みだ?何が気に食わない…⁉」
「望み…か」
 男は小馬鹿にしたように嗤う。
 王は死にたくなかった。助かりたかった。晩餐に並ぶ家畜や魚の丸焼きの目など、気にも止めなかった。けれど、今男から少しでも目を逸らせば、物言わぬ躯の目、目、目…。こちらを見る目のなんと空虚な事か。瞬き一つせず、暗い孔のような目のなんと恐ろしい事か。
 同じになりたくなかった。ただの肉の塊になりたくなかった。王なのだ。下賤な者と同じになるなど耐えられない。
「さもしい事だ」
 王の思考を覗いているかのように呟き、男が林檎に歯を立てる。
 刹那、ドン、と王の腹に衝撃があった。ゾクリ、と背筋を駆け抜ける悪寒。
 腹が、灼ける。
 腹を見れば、黒い棒が生えている。それは王の体を貫き、床に深く刺さっている。棒は蒼白い焔を纏い、見る間に勢いを増していくではない
「あ゙ぁ゙ぁ゙あ゙ァ!!!!」
 瞬く間に身体を灼かれる。痛いのか熱いのか冷たいのかさえわからない。空気を求めて喘げば、容赦なく焔が入り込み喉が肺が灼けていく。のたうち回る身体を、更に数本の黒い何かが床に縫い止めた。その様はまるで虫の標本。
 感覚が消え、意識が糸のように細くなった頃、玉座の男が殊更に優しく甘く謳うように囁いた。
「身の程知らすの痴れ者が。は私のものだ」
 彼の言う『アレ』が何なのかは、皆目検討もつかない。だが、これだけはハッキリしている。自分は、間違えたのだ。触れてはならない物に触れた。この男の逆鱗に触れてしまった。
 気に入らぬ者は、過去幾度も幾人も処刑してきた。それが己に降り掛かるなど露程も考えなかった。考える必要などなかったのだから。

 城にあった全ての人間が物言わぬ肉塊と化した。他国に攻め入られたわけではなく、ただ一人の男の不興を買った事実が、この国をの名を地図から永遠に消し去った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

親切なミザリー

みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。 ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。 ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。 こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。 ‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。 ※不定期更新です。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...