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序章
白い花•赤貧の家
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その日産声を上げたのは、珠のような赤子だった。先般、子を失った夫婦にとって、待望の。けれどそれは、再び襲い来る絶望をも想起させるものだった。
子を見た両親は何とも言い難い表情であったが、やがて何かに気付くと言葉を喪っていた。
真っ白な赤子。泣き声一つ上げぬ子。いつか見た妹の赤子は、もっと元気よく泣き、両手両足を動かしていたではなかったか。白銀の瞳でひた、と見据える。その目には確たる意志があり、甘える色の欠片もない。身動ぎ一つせず、藁を重ねて布を張っただけの粗末な寝台で、ただ静かに横たわっている。
『わたしをころすか?』
瞳が問う。
「いいえ」
母が応える。
『ならば、おまえは?』
赤子の瞳は父に問う。
「そのつもりはない」
父も応える。
『わたしをはなとするか?』
赤子は確と問うてきた訳ではない。夫婦の自問に過ぎなかったのかも知れない。けれども、凪のように静かな瞳は、雄弁なまでに語りかけていたのだ。
赤子には嘗て姉がいた。花とされた姉。何処かへと売られてしまった。抵抗などできはしない。それこそが、この国のシステムだったから。
極北の小さな島にあるこの小国には、極めて珍しい産業がある。一部地域で、まるで流行り病のように恐ろしくも美しい少年少女が『発生』するのだ。親や親類とは似ても似つかない様は、『生まれる』より『発生』と言った方が違和感がないだろう。
そして、『発生』と言われるにはもう一つ所以がある。皆、似通った容姿なのだ。どの胎から生まれても、差異は髪や瞳、肌の色と性別といった限定的なものであり、それ以外は同じと言っても障りはない。
最初は気味悪く思われていたが、とある男が一人の少女を買った事に端を発する。
高値がついたのだ。一生遊んでも釣りが出るどころか、貧しかったこの国ならば、孫子の代まで遊んで暮らせるだけの金が。
それからはなし崩しだった。王は倫理観など悪魔に捧げた。花達の邪魔な自我を抑え、花人形として売った。愛玩奴隷として。少年少女の数はそれ程多くはなかったが、その事実がまた値を釣り上げる。加熱する中、突如として花は消えた。一人としていなくなったのだ。
売られた花でさえも。購入者諸共にだ。
あれから20余年が経ち、再び花が現れたのがこの村だった。
金に溺れ、贅沢に溺れ、倹しい生活を捨てたこの国の王侯貴族にとっては氷河期にも等しい暗黒の時代。貧しい生活を強いられ、搾取されるばかりだった民にとっては子を奪われぬ安息の時代。それぞれの時代が終わりを告げた時、突然の発令があったのだ。
『白い花は処分せよ』
通常、白い花は生まれない。華やかな色彩を纏うものだ。白くはあっても、どこかしらに色がある。けれども、例外があった。それこそが、王侯貴族が恐れる者。民にとっては救世主とも呼べる存在である真白き花。今、夫婦の目の前にいる稚き者。
『わたしを、はなとするか?』
白銀の瞳が見つめる。見返す母の瞳には、炎があった。父の瞳にもそれはある。仄暗い炎。答えなど、決まっている。
「いいえ。あなたは花とはなりません」
『ならばなんとする?』
「貴方は貴方のお役目を果たしてくださいませ」
白い花は祈りの花
白い花は復讐の花
ペタリ、と裸足の足音が近付く。一人で寝返りをうち、身を起こした赤子はもう、赤子ではなかった。しっかりと床を踏み、両の足で立つ少女に。一歩踏み出すと、14,5の娘になった。
「私は祈り。私は恩讐。それで間違いはないか?」
厳かな問いへ、夫婦は揃って頭を垂れた。
「間違いございません。我らの娘、貴方の姉もまた奪われました」
部屋の隅の革袋を、忌々しく見遣る。売りたくはなくても売ったのだ。受け取りたくはなくても受け取ったのだ。その事実もまた、夫婦には苦痛だった。けれども、それは許されなかった。一度花を授かった夫婦には、再び花を授かる可能性がある。故に、護衛という名の監視が付いているのだ。「監視の者が」と口を開いたところで気が付いた。
部屋の隅の赤茶けた塊に。
「それに告げる口はもうない」
娘が手にした薄氷を思わせる透明な刀身に、鮮やかな赤が滴り落ちている。
ドアに向かっていたであろう体は地に伏し、濁った瞳を見開いた首が訳も分からず転がっている。今この瞬間、彼ら夫婦は欲深な王侯貴族達から解放されたのだ。
で、あるのならば。
「我等の望みはただ一つ」
ヒュッと空気が鳴り、部屋の壁が朱に染まる。鉄錆の匂いに満たされ、その場を死が満たしていく。
「請け負った」
───残酷な願いを許して欲しい。どうか、生きて幸せに。あなたは紛れもなく、私達が授かった子なのだから。
子を見た両親は何とも言い難い表情であったが、やがて何かに気付くと言葉を喪っていた。
真っ白な赤子。泣き声一つ上げぬ子。いつか見た妹の赤子は、もっと元気よく泣き、両手両足を動かしていたではなかったか。白銀の瞳でひた、と見据える。その目には確たる意志があり、甘える色の欠片もない。身動ぎ一つせず、藁を重ねて布を張っただけの粗末な寝台で、ただ静かに横たわっている。
『わたしをころすか?』
瞳が問う。
「いいえ」
母が応える。
『ならば、おまえは?』
赤子の瞳は父に問う。
「そのつもりはない」
父も応える。
『わたしをはなとするか?』
赤子は確と問うてきた訳ではない。夫婦の自問に過ぎなかったのかも知れない。けれども、凪のように静かな瞳は、雄弁なまでに語りかけていたのだ。
赤子には嘗て姉がいた。花とされた姉。何処かへと売られてしまった。抵抗などできはしない。それこそが、この国のシステムだったから。
極北の小さな島にあるこの小国には、極めて珍しい産業がある。一部地域で、まるで流行り病のように恐ろしくも美しい少年少女が『発生』するのだ。親や親類とは似ても似つかない様は、『生まれる』より『発生』と言った方が違和感がないだろう。
そして、『発生』と言われるにはもう一つ所以がある。皆、似通った容姿なのだ。どの胎から生まれても、差異は髪や瞳、肌の色と性別といった限定的なものであり、それ以外は同じと言っても障りはない。
最初は気味悪く思われていたが、とある男が一人の少女を買った事に端を発する。
高値がついたのだ。一生遊んでも釣りが出るどころか、貧しかったこの国ならば、孫子の代まで遊んで暮らせるだけの金が。
それからはなし崩しだった。王は倫理観など悪魔に捧げた。花達の邪魔な自我を抑え、花人形として売った。愛玩奴隷として。少年少女の数はそれ程多くはなかったが、その事実がまた値を釣り上げる。加熱する中、突如として花は消えた。一人としていなくなったのだ。
売られた花でさえも。購入者諸共にだ。
あれから20余年が経ち、再び花が現れたのがこの村だった。
金に溺れ、贅沢に溺れ、倹しい生活を捨てたこの国の王侯貴族にとっては氷河期にも等しい暗黒の時代。貧しい生活を強いられ、搾取されるばかりだった民にとっては子を奪われぬ安息の時代。それぞれの時代が終わりを告げた時、突然の発令があったのだ。
『白い花は処分せよ』
通常、白い花は生まれない。華やかな色彩を纏うものだ。白くはあっても、どこかしらに色がある。けれども、例外があった。それこそが、王侯貴族が恐れる者。民にとっては救世主とも呼べる存在である真白き花。今、夫婦の目の前にいる稚き者。
『わたしを、はなとするか?』
白銀の瞳が見つめる。見返す母の瞳には、炎があった。父の瞳にもそれはある。仄暗い炎。答えなど、決まっている。
「いいえ。あなたは花とはなりません」
『ならばなんとする?』
「貴方は貴方のお役目を果たしてくださいませ」
白い花は祈りの花
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ペタリ、と裸足の足音が近付く。一人で寝返りをうち、身を起こした赤子はもう、赤子ではなかった。しっかりと床を踏み、両の足で立つ少女に。一歩踏み出すと、14,5の娘になった。
「私は祈り。私は恩讐。それで間違いはないか?」
厳かな問いへ、夫婦は揃って頭を垂れた。
「間違いございません。我らの娘、貴方の姉もまた奪われました」
部屋の隅の革袋を、忌々しく見遣る。売りたくはなくても売ったのだ。受け取りたくはなくても受け取ったのだ。その事実もまた、夫婦には苦痛だった。けれども、それは許されなかった。一度花を授かった夫婦には、再び花を授かる可能性がある。故に、護衛という名の監視が付いているのだ。「監視の者が」と口を開いたところで気が付いた。
部屋の隅の赤茶けた塊に。
「それに告げる口はもうない」
娘が手にした薄氷を思わせる透明な刀身に、鮮やかな赤が滴り落ちている。
ドアに向かっていたであろう体は地に伏し、濁った瞳を見開いた首が訳も分からず転がっている。今この瞬間、彼ら夫婦は欲深な王侯貴族達から解放されたのだ。
で、あるのならば。
「我等の望みはただ一つ」
ヒュッと空気が鳴り、部屋の壁が朱に染まる。鉄錆の匂いに満たされ、その場を死が満たしていく。
「請け負った」
───残酷な願いを許して欲しい。どうか、生きて幸せに。あなたは紛れもなく、私達が授かった子なのだから。
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