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白魔女編
はちわめ
しおりを挟む少年の絶叫から数分後。
セイを壁として着替え──色気無き簡素な下着と白いローブを羽織るのみ──を済ませたハクは、備え付けのフードを深く被った。愛用の白ローブはこれ1枚で防寒防暑を備えている。その他にも多様な機能を付けてあるそのローブは、下着の上から羽織るだけで何でも出来る、何処にでも行ける優れ物。それ故にハクはこのローブしか纏わない。
美しい長髪、白い素肌、そして綺麗な顔。その全てを覆い隠した状態で川辺で待機していた少年の前に現れ、その顔を歪めさせた。そして
「なんでフードまで被るんだよ」
「......恥ずかしい、から......?」
「さっき素っ裸晒してた奴が何を言ったんだよ......」
「......さっきは、忘れてた......」
「忘れてたって......はぁ、意味わかんね」
というやり取りを行った。理解不能だ、という視線が少年から照射されている。
その視線にハクは気づいた。奇人だの変人だのと言われる事に異議を唱えたいハク。頬をぷっくりと膨らませるも、その表情は少年に伝わらない。結果、無言で見つめ合う時間が生まれた。
「......」
「......」
気まずい時間を破ったのはハク。いや、ハク自身は気まずいと思っていなかったのだろう。少年へ対する興味を失い、セイに向き直りブラッシングをし始めた。
最初は片手で軽く撫でるだけだった。しかし次第に気分が乗ってきたのか、両手を使って豪快に撫で始める。
『くぅぅ~んっ』
気持ち良さげに鳴くセイのお腹を、ハクはその細く小さな手で掻いていく。綺麗な青色の毛を掻き分け、掻き分け、何度も往復する。一見乱雑に見えるハクの手捌き。実は的確にセイが望むポイントを突いていた。
主人のブラッシングを堪能するセイ。心地良さに目を瞑り、堪能した。ハクもまたセイのふわふわな毛並みに酔い知れていた。
そんなハクを後ろから眺めていた少年がふたたび口を開く。
「アンタ名前は?」
漸く、とでも言うべきか、それともこのタイミングでか、と言うべきか。少年は目前の青い狼と戯れる少女に名を伺った。
訊ねられたハクはセイを撫でじゃくる手を止めた。しかし振り返らずに言葉を出す。
「......ハク」
「ハク、か。んでその狼が......」
「......セイ」
「セイね。覚えた」
ハクは少年の質問に対して非常にか細い声で答えていく。5メートル程の距離にいる少年がギリギリ聞き取れる声量だ。
そして端的に返答した後無言となる。
「俺には聞かなくていいのか?」
「......興味、無い」
その一言だけを素っ気なく返し、再びセイを撫で始めた。聞き返してくると思っていた少年は慌てる。
「興味無いって......おい、本当に聞かないのかよ?」
「......うん......どうせ忘れる」
ハクの記憶力は興味の有無に依って決定する。その興味が皆無な少年の名前など、数秒と覚えていられないだろう。馬耳東風が如く右から左へと流れてしまうのだ。
大きな狼と少女が戯れる。一体何を見せられているんだ、という気分で少年は立っていた。本当に此方へと興味を示さず、振り向きもしない。
しかしこのままさようなら、とする気にもなれなかった。少年はこの得体の知れない少女に少なくない興味を抱いていた。
こんな森の中に1人で居る。それだけで十分気を掛けるのに十分な理由だが、魔物に属する狼を手懐けているという事も彼を惹き付けている要素だ。ハクに従順そうに見えるものの警戒心を抱かずには居られない。放置する訳にもいかなかった。
また、狭い世界しか知らぬ少年だが、これ程に可愛らしい少女を見た事がなかった。美しい銀髪もそう。顔立ちもそう。何もかもが自分の計り知れないそれだ。ハクが同じ一般庶民とは到底思えない。自分とは格の違う人間だと察していた。
不可抗力でハクの裸体を見てしまった少年。女性の裸を見た、という衝撃が走り即座に逸らしたものの、しっかりと目に収めていた。その肢体はあまりに痩せこけていた。肋骨の形がハッキリと分かり、贅肉と呼ばれるものが殆ど付いていない。完全なる不健康体。覇気が無いように感じた理由がよくわかった。
背丈から歳は少年より下の6くらいと予想。たどたどしい言葉遣いからも年齢はそれくらいだろう。
そんな少女が何故此処に。此処は賑わう街から大分離れた森の中。彼が暮らす村も田舎の中の田舎である。やんごとなき少女がやって来るような場所じゃない。
やはり疑問を断ち切れず、離れることも出来ず、ハクを見つめるだけの時間が過ぎて行く。
それから暫く経ち、思い出したかのようにハクが小さく声を漏らした。
「......狩人さん」
「あ、あ?それって俺の事か?」
ハクが手を止めて少年に振り向く。いきなり振り返り、声を発したものだから少年は驚いてしまった。しかし踏みとどまり、言葉の意味を冷静に汲み取った。
小さいながらも凛とした、よく通る声が誰かを呼んでいる。この場には彼女のセイと少年しか居ない。セイでは無いのなら、残すは自分という事になる。
「......そう」
「俺はヒューツだ。狩人ではあるけど、名前はちゃんとある」
と、少年──ヒューツが返した。ハクは小さく首を傾ける。そしてまた無言になり、2人は見つめ合った。
沈黙を破るようにハクが口を開く。
「......狩人さん......この辺に、人里、ある......?」
「だから、俺にはヒューツって名前が」
「......狩人さん」
一切の訂正を為さないハク。その呼び方で定着したのか、とヒューツは深い溜息を吐いた。それからポリポリと頭を掻き、ハクが求める答えを考え始める。
人里を探している事から、やはり少女は迷子か何か。このまま放っておくべきじゃないと確定した。なら自分の住む家に招いてやりたいところである。しかし、おいそれと呼べない理由があった。
「俺が住んでる村があっけど、うちの村には来ない方が良いぞ」
「......なんで?」
ハクが首を傾げた。その格好でヒューツを見上げる。
「あんま言いたかないんだけどよ。うちの村で病気が流行していて大変なんだ。薬も効かない嫌な病気。伝染るかもしれねーし、来ない方が身のためって事」
ヒューツが彼の村で起きている事を暗い口調で説明した。嫌がらせで来るな、と言っているのではなく、ハクの為を思い、そして自分達の為にも来るなと言っている。それはハクにも伝わった。
しかし、ハクはヒューツの言葉に目を輝かせていた。
「だから他の村を......って、なんだよ?」
「......狩人さんの村、行きたい」
「なんでだよ!?」
「......薬が効かない病......唆られる」
薬を作りたい。けど何を作ればいいか分からない。そんなブランクに陥っていたハクにとって、諸手を挙げて喜ぶ情報だった。少なくとも新しい薬を作れる。その事実に喜んでいたのだ。
何故か喜びを顕にするハクを見て、ヒューツは理解出来ず頭を押えた。先程まで自分に一切の興味を示さなかったのに、未知の病という単語に対するこの反応。明らかに異常者だ。
そして気付く。この少女、変人だ、と。見た目こそ可愛らしい少女だが、中身はよく分からない未知の何か。
「だから、危険なんだって──」
「......さぁ、行こう......狩人さん」
ヒューツが再び説得するべく頭を上げ、見てみれば既にハクはセイの背に乗っていた。何時でも出発できるぞ、という構えである。
「はぁ......分かった。着いてこい」
何かを諦めたヒューツは考えるのを辞め、そして歩き始めたのであった。
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