Heart

星蘭

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第三十八章 勇者と魔王

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 鋭い音が響く。鋼と鋼がぶつかり合い、火花が散った。
 魔法で攻撃を仕掛けてくるとばかり思っていたレナードは、リオニスと同様に剣を構え、彼の攻撃を防いだ。仮面越しの口元には笑みが浮かんでいる。余裕の笑みとは少し意味が違うように見える笑み。……何かを、楽しんでいるような。

 対するリオニスの表情は険しい。……それも至極当然のことだ。仲間は眼前の敵の魔法によって闇に呑まれた。

―― 早く、早く、助け出さなくては。

 魔法に取り込まれる前、オズワルドは顔を歪めていた。痛みか、苦しさか、違和感か……わからないが、いずれにしても、楽観視して良い状況でないことは、間違いない。急がなくては、仲間を助けなくては……そんな焦りで、攻撃が鈍る。

「どうした、集中力が欠けているぞ」

 そんなことでは俺には適うまい。そう言って愉快そうに笑う、レナード。

「っ、くそ!」

 リオニスはぎりっと唇を噛んだ。そして、一層激しく剣を振るう。
 焦り、不安、戸惑い。それらが綯交ぜになった感情の中で、彼は必死に魔王に対抗した。
 強い魔力を持つはずの魔王がその魔法を使わずに自分を相手にしているのは、一体何のつもりなのか。仲間は無事なのか。……自分は、本当に勝てるのか。わかるはずのない疑問が幾つも浮かんでくる。

 幾度目の攻撃でか、リオニスの剣がレナードの剣で弾き飛ばされた。宙高く舞った剣は、音を立てて、硬い大理石の床に転がる。

―― 拙い!

 リオニスは慌てて距離を取ろうとしたが、それより早く、レナードに腕を掴まれ、床に引き倒された。その首筋に、剣を突き付けられる。ふわり、とレナードの漆黒のマントが風に靡いた。

「平凡な剣士に世界を救うことなどできるはずがないだろう? お前だってわかっていたはずだ」

 その気になればすぐに殺せる体勢。しかし、レナードは仮面越しに、冷たい目でリオニスを見下ろしたまま、言葉を紡ぎ続けた。

「お前には荷が重すぎた、最初からわかっていたはずだ。何故自分が? そう思っていただろう」

 囁くように、彼は言う。

「…………」

 その言葉に、リオニスは唇を噛みしめる。

 嗚呼、そうだ。その通りだ。何度も、何度も思った。何故自分が? と。勇者と呼ばれる程の力などない自分が、何故選ばれたのか、と。出来るはずがないだろう、馬鹿じゃあないのか、と思いもした。図星を突かれて、言葉に詰まった。

―― けれど。

 ふぅ、と一つ息を吐いたリオニスは……

「……確かに初めはそうだった、世界を救うなんて俺には無理だって思ってた。でも、今は違う!」

 そう叫び、キッとレナードを見据えた。リオニスの気配の変化に、レナードが大きく目を見開いた。

「レグルス・リティング!」

 リオニスの叫びと同時に、炎が迸る。かつては自分の手を焦がすばかりだった炎は、狙いを過たず敵を打った。

「く……っ」

 レナードの手が離れ、その体が後退する。魔法で防がれたようで大したダメージは入っていないようだが、隙を作るには十分だった。リオニスは素早く体を起こし、転がった剣を握り直し、レナードに向き直る。
 荒く、肩で息をしながら、彼は叫んだ。

「仲間のために、仲間の夢のために、俺は此処で折れる訳にはいかない!」

 きっと、かつての自分ならばあっさりと折れていた。こんなものだ、どうせ自分には勝てない。そう思って、諦めていただろう。そもそも自分には無理だったのだと、自分を世界を救う勇者に選んだ何か……運命だとか神だとかそう言った類のもの……を恨みながらその命をあっさりと手放したことだろう。

 けれど今は違う。自分にできるはずがないという想いが消えた訳ではないが、それ以上の強い感情が、彼を突き動かしていた。此処で自分が倒れる訳にはいかない。大切な、仲間のために。此処まで自分を信じて、共に来てくれた仲間のために。
 彼らを救うまでは、否……彼らと共に、この旅の目的を達成するまでは、決して折れる訳にはいかない。強い意志を灯した瞳で漆黒の魔王を見つめながら、彼は言う。

「くだらない」

 一層冷えた声が、響いた。表情の見えない仮面越しでも理解できる、レナードの感情。これは、この感情は、間違いなく……憎悪だ。ぎらりと、その瞳が光る。

「仲間、仲間! そんなにも大切か!」

 そんな叫びと同時、彼の身から魔力が迸った。リオニスのそれとは文字通り桁違いの、圧倒的な魔力。その場に立っていることすらやっとの力が、その空間を埋め尽くす。まるで水中に沈んだような、呼吸苦に襲われてリオニスはその場にへたり込みそうになる。必死に意識を繋ぎ留めながらレナードを睨みつければ、幾らか落ち着いたらしいレナードがふっと息を吐いて、冷静な声音で言った。

「あぁそうか、仲間がいなければ、お前には何もできないのだものな」

 そうだ、そうだ。それならば、執着するのは当然だ。彼はそう呟いて、笑った。その笑みに、リオニスの表情が強張る。先刻のような激昂の方が、まだ理解できた。今の魔王の、レナードの反応は、さっぱり意味が理解できない。酷く感情の抜け落ちた、温度のない声が、不気味だった。

「そんなにも大切ならば、きちんと自分の手で守る力を持っておくべきだったな」

 そう言って、彼はぱちりと指を鳴らした。次の瞬間。どさり、と重たい何かが複数落ちた音が、リオニスの背後で響いた。
 物、と言うには柔らかく、重たいもの。丁度、何か……否、"誰か"が倒れたような。

 ……想像したくない、理解したくない。そう思いながらも、振り返らずには、いられなくて。

「ッ!?」

 ひゅっと、リオニスは息を呑んだ。一瞬、全ての音が消えたかと思った。呼吸をすることを忘れた。

「う、そだろ」

 掠れた声が漏れる。敵の眼前であることも忘れて、リオニスはその音のした方へ、ふらふらと歩み寄った。

 そこに落ちている……否、倒れているのは、よく見知った、仲間たちだ。シュライクも、ユスティニアも、オズワルドも、ロレンスも、動かない。リオニスの口から浅い呼吸が、漏れた。

「シュライク」

 シュライクの傍に膝を付き、震える手でその体を抱き起こした。重たく、力無い体はまるで、人形のようで。ひやりと、冷え切った肌。開かない瞳。

「おい、シュライク」

 起きろよと呼びかけ、その頬を震える手で叩く。……反応は、ない。

「嘘だ」

 リオニスは呟く。"その意味"を理解出来ない子供ではない。"こうなる"ことを覚悟してもいた。……それでも。

「言ったはずだ、"勇者以外は不要だ"と。魔王おれが、勇者おまえの仲間を捕らえて、生かしておく理由があると思うか?」

 冷たい声が、残酷な現実を伝えた。

 当然だ、と冷静に思いもする。寧ろ、何故生きていると思い込んだのか。世界を滅ぼすとされる魔王に捕えられて尚、仲間が生きていると思ったのは、きっと。

「御伽話に憧れすぎたな、勇者様リオニス

 そう。よく知っていたのは、勇者が勝つ物語。優しく明るく格好いい、御伽話だ。だから、きっと仲間達は無事なのだと思い込んだ。レナードも"取り返してみろ"と嗤ったから、一層。
 けれどこれは、現実で。勇者は、自分で。現実は、御伽噺のように甘くなどない。苦く、残酷なものなのだと、理解していたはずなのに。

 茫然としながら、リオニスはその場にへたり込んでいた。すぐ傍に倒すべき相手が、一瞬でも気を抜けば簡単に自分を殺すであろう存在が居ることも忘れて。……しかし、その敵はリオニスを殺すのではなく、彼を甚振るように言葉を投げかけた。

「もうお前に仲間はいない。お前は一人だ」

 嘲笑いながら、レナードは歩みを進める。リオニスに歩み寄りながら、告げた。

「世界どころか、共に歩んできた仲間すら守れないお前は弱い。絶対に俺には勝てない」

 冷たく、重たいシュライクの身体を抱き、肩を震わせるリオニスの横に膝をついたレナードは、その耳元に囁いた。

「認めて、楽になってしまえ。平凡なお前に、勇者の肩書きは重すぎた」

 その言葉はまるで呪いだ。無力な自分を苛む呪い。レナードの言葉にリオニスはぐっと唇を噛み締めて……

「ッ、煩い!」

 叫ぶと同時、放たれる魔力。レナードを殺そうとする攻撃ではない。八つ当たりのような、狙いも威力も定まらない魔力が、レナードを打った。

「う……っ」

 間の抜けた音を立てて、魔王の顔を覆っていた仮面が割れ落ちた。その向こうにあったものを見て、リオニスは目を見開いた。

「っ、……は?」

 仮面の向こうにあったのは、男の顔だった。純粋な人とは思い難い、魔族に近い容貌。
 衣服で隠れて見えなかった肌は魔物らしい黒い肌。癖のあるターコイズブルーの短髪。白目が黒く染まっているものの、金緑の瞳は想像していたより丸く、大きく。男、というよりは青年……否、少年と言っても差し支えないような、顔。
 ……その顔は、何故かリオニスに、よく似ていた。

「お、まえは……」

 誰だ。乾いた喉の奥で、そんな言葉が消える。リオニスのライラックの瞳が揺れる。それによく似た瞳を細めながら、レナードは口を開いた。

「誰? ……答えは、でているだろう?」

 そう言いながら、レナードは手を伸ばしてくる。手袋に覆われた手が、そっとリオニスの頬に触れる。それから逃れることが出来ないまま、リオニスは体を強張らせていた。

 まるで彼の瞳に映りこむ自分を見ようとしているかのようにぐっと顔を近づけて、レナードはリオニスに囁いた。

「俺はお前だ、リオニス・ラズフィールド。良く此処まで辿り着いたな」


 
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